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5章【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】

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 そして迎えた、月曜日の夜。


「──おかげさまで全快しましたっ。課長、お世話になりましたっ」


 仕事終わりに、山吹は桃枝を部屋へ招いていた。報告を受けた桃枝は「だな」と言い、山吹が用意した麦茶を飲み始める。

 出勤していた時点で気付いていたとは思うが、それでも直接礼を言いたかった。山吹はニコニコと笑いながら、普段通りの強面な桃枝を見つめる。


「窒息プレイもなかなか好ましかったですが、やはり健康が第一ですよね。課長、エッチしましょう?」
「んぐッ! はッ? 今かッ?」
「だって約束したじゃないですか」
「明日も仕事だろ、却下だ。あと、お前は病み上がりだ。なんにせよ、お前の負担がデカい。日を改めろ」


 分かり切っていた返事だが、やはり桃枝は固い。麦茶が注がれたコップを持つ手が震えていようと、耳が赤くなっていようと、山吹を抱くつもりはないようだ。
 ほんのりと落胆しつつも、これは予想できる返しだった。すぐに、山吹は別のアクションを起こす。


「それなら、キスはいいですか?」
「ちなみにそれ、今回こそは絶対にキスだけで終わるのか? 俺は嘘が嫌いだって、何度も言ったよな。……分かってるな、山吹?」
「疑り深いですねぇ。モチロンですよ。だからほら、課長。……あーんっ」

「っ。……あーっ」
「素直で大変カワイらしいですね。……ご褒美の、チューですっ」


 距離を詰めてから、ふにっと、唇を押し付ける。開かれた口に舌を差し込むと、山吹は桃枝に優しいキスを贈った。
 ほんの数秒だけ、唾液が絡まる音が部屋に小さく響く。だが桃枝が想定していたよりも早く、山吹の顔は離れた。


「終わりか?」
「んふふっ、まだですよ。まだ【お礼のキス】が終わっていません」
「礼って、なんのだ?」
「看病の、ですよ」
「気持ちは嬉しいが、俺は【看病】なんて立派なことはしてねぇぞ。むしろ、お前に無理をさせたくらいだ」
「でも、ボクは嬉しかったので」


 そう言われると、弱い。駄目押しのように愛らしい笑みを向けられてしまえば、なおさらだ。距離を詰めた山吹を見つめて、桃枝はぐっと言葉を詰まらせる。

 しかし、桃枝は思い出したのだろう。……今年の、抱負を。


「……なら、ひとつ強請ってもいいか?」


 なにも勘付いていない山吹は笑みを浮かべたまま、無邪気に頷いた。


「はい、いいですよ。課長は命の恩人ですからねっ」
「窒息しかけたくせに、よく言う。……まぁ、いいか。なら言葉に甘えるぞ。膝に乗ってくれ」


 パン、と。そこそこ強い力で、桃枝は自身の膝……と言うより、腿を叩いた。
 てっきり、いやらしい行為の催促かと思っていたのだが。山吹はキョトンと目を丸くしながら、桃枝の膝を見た。


「あの、課長。ボク、そういうフツーのスキンシップはあまり……」
「なんだよ。初めてこの部屋に俺を招いてくれた日は乗ってくれただろ。それに俺は、お前の命の恩人なんじゃねぇのか?」
「窒息させかけたくせに、なんで得意気なんですか」


 今回、どちらの主張が優先的かと言うと。……当然、桃枝側だ。山吹は内容を聞かずに先ず了承をしてしまったのだから。

 今までなら、あれこれと理由を付けて上手に誤魔化しただろう。それくらい、山吹は【普通のスキンシップ】が苦手だった。……正しく言うのならば、怖いのだ。
 けれど、桃枝から看病を受けた日。山吹の気持ちや思想を話したうえで、桃枝はそれでも山吹を甘やかしてくれた。

 決して、信じ切っているわけではない。どうしたって山吹は、幸福な甘さが不幸の厳しさに変わる瞬間を忘れられないのだから。

 ……それでも、桃枝になら。


「突き飛ばしたりしたら、課長とは絶交しますからね」
「なら、俺とお前の縁は不滅だな」
「なんですか、それ。課長の、バカ」


 甘えるように触れても、いいのかもしれない。
 山吹は恐る恐る桃枝の膝に乗り、腕を回した。




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