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5章【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】
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しおりを挟むマスクを外すとすぐに、唇が重なった。
「山吹」
「あっ、ん……っ」
キスを、されている。ヘタレで、見た目のわりに積極性がまるでない桃枝が、半ば強引にキスを強請ったのだ。
風邪を引いていて、本調子ではない。移すリスクだって高いのに、それでも山吹は桃枝を突き飛ばせなくて……。
「か、ちょ……っ」
甘く、乞うように。漏れ出た囁きは、山吹の劣情を如実に表現していた。
優しい口付けを終えた桃枝の表情は、なぜか強張っている。今さらになって、自分がなにをしてしまったのかと反省し始めたのだろう。キスしかしていないというのに、まるで賢者タイムに突入してしまった様子だ。
「わ、悪い。今のは【積極的】と言うよりも、断然【強引】だった、な。悪かった」
「ちがっ。そうじゃ、なくて……っ」
くい、と。控えめに、山吹が桃枝の袖を引く。
「足りない、から。もっと、してほしい……です」
一度してしまえば、風邪の心配なんてどうだっていい。本人が『いい』と言ったのだから、なおさらだ。山吹は強かだった。
袖をつままれた桃枝は、一度だけ驚いたように目を開く。しかしすぐに、寝転がる山吹に視線を戻した。
「……さっきの話、なんだが。正直、いいコメントはできない」
おそらく、山吹が優しくされることを苦手とする理由だろう。桃枝らしく、実に素直な感想だ。
しかしなぜ、その話題を今するのか。山吹は頷きという相槌をしつつ、続く言葉を待った。
「けど、これだけは言いたい。……お前は子供の頃から、一生懸命で努力家だったんだな」
「まぁ、子供の頃は──……えっ?」
些細な、言葉。桃枝にとっては、ただの感想だ。
それでも、山吹にとってその言葉は……。
「今、課長……ボクの、こと……っ」
子供の頃【は】ではない。
子供の頃【から】と言ってくれた。
その差に、深い意味がなかったとしても。言葉の綾だったとしても、山吹にとっては尊い言葉で。
「これがお前にとってプラスになるかは、分からないんだが。……ご褒美だ、ってことで」
「か──んっ」
理由を付けないとキスができないほど、我に返ってしまったのか。若しくは理由がないとキスをしてはいけないと、山吹に気を遣っているだけかもしれない。
それでも、山吹にとってこのキスには意味ができた。気を抜くと、涙が出てしまいそうなほどに。
山吹の努力が、両親相手に報われることはなかった。故人となってしまっては、報われる日なんて二度とこない。山吹がいい子でいようと努力をしてもサンタは来ず、行事に両親が参列してくれることもないのだ。
けれど、初めて。山吹の努力が報われて。山吹は、感動のあまり──。
「ん、ん……んーっ」
……感極まって、涙を流すかと思いきや。山吹は今、全く別種の意味で涙を流しそうになってしまった。
「なに──……あっ。そうか、お前、鼻が詰まってるんだったな。悪かった」
「ちっ、窒息するかと、思いました……っ」
長いキスは気持ちが良く、望んでいたものではあるのだが。……風邪の症状により鼻が詰まっている山吹は今、生命の危機に陥っている。
感動的なシーンが、可笑しいほど台無しでも。なんだかそれすら、自分たちらしいなと。山吹は肩で息をしながら、笑ってしまいそうになった。
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