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3章【雨に濡れる羊を、狼が哀れむ】

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 それ以上、特に話をすることもなく。山吹は帰り支度を済ませた桃枝を玄関まで見送ろうとした。


「遅い時間まで拘束して悪かったな」
「構いませんよ。ボク、寝るのはいつも日付が変わった後くらいなので」
「夜更かしするタイプなんだな。……なるほど、通りで」
「なんでボクの頭を見るんですか?」


 寝る子は育つ。そんな言葉を思い出しているのだろうと、桃枝の視線で気付く。今さら低身長を揶揄われてムキになることもないので、桃枝からの不躾な視線は一向に構わないが。

 靴を履き、後は扉をくぐるだけ。桃枝と過ごすクリスマスは、それで終いだ。


「それじゃあ、俺は帰る」
「はい。お気を付けて」
「あぁ、どうも。温かくして寝ろよ」
「課長も体調管理にはお気を付けくださいね」


 桃枝の手が、玄関扉へと伸びる。
 ……帰る、間際。直前に、山吹は思わず口を開いた。


「──課長。……ボクは、苦痛と暴力以外を【本気の愛】とは認められません。ごめんなさい」


 今日くらいは、桃枝が思い描くように素敵な日にすべきだろう。そうした思いが、多少は山吹にもあった。
 それでもこの言葉を告げたのは、ある種で桃枝の流儀に則ろうとしたから。山吹なりの誠実さを、桃枝に伝えたかったのだ。

 桃枝はドアノブを手で掴みながら一度、ピタリと動きを止めた。

 積み重ねてきた過去が、どうしたって桃枝との平行線上を辿らせる。そのことを『申し訳ない』とは思っても、変えられそうにはない。

 俯き、山吹は続く言葉を待つ。幻滅か、はたまた無視か。なににしても、今の言葉で桃枝を傷つけてしまったことは確定しているのだ。どんな反応でも、甘んじて受け入れる所存だった。

 覚悟を決めながら俯いていると、すぐに桃枝からの返事が頭上から届く。


「──なら俺は、お前に認めてもらえるように努力するだけだろ」


 いつの間に手をドアノブから放していたのだろう。またしても、桃枝に頭を撫でられてしまった。

 避けるように、頭を上げる。そうすると、山吹の瞳に──。


「おやすみ」


 ──桃枝の笑顔が、映り込んだ。

 今度こそ、桃枝は振り返らない。山吹の頭を撫でていた手でドアノブを握り、そのまま扉をくぐっていったのだ。

 しばらく、呆然と立ち尽くす。しかしすぐに『鍵を閉めなくては』と気付き、山吹は動いた。


「返事、できなかった……」


 送られた就寝の挨拶に、オウム返しをすることもできず。山吹は施錠を終えた後、どことなく覚束ない足取りで部屋へと戻った。

 ……分からない。分からなかった。桃枝がいったい、山吹になにを希望しているのか。
 否。……分かりたく、なかったのかもしれない。


「雨に濡れる羊を、オオカミが哀れむ。……その方が、まだ楽なのに」


 悪意を持っている者は相手を心配するようなフリをするが、心配された相手からするとどんな思惑を持たれているかは、分からない。……などとは、まったく、よく言ったものだ。
 悪意が向けられているだけ、まだマシだろう。悪意は、分かり易くて実に結構な代物だ。

 暴力、暴言、暴行。全て、分かり易い。憎悪と嫌悪、つまるところ相手の根底にあるものが【悪意】だと。明確に言われなくても分かるから、楽だ。

 ──だが、その逆は?

 当然、山吹には答えが分かるはずもなかった。




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