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第7案【怪文書に似ています】

後編

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 井合課長の調子は、いつの間にか元に戻っていたらしい。おそらくそれは再度、例の会社との提携審議会を取り付けたあの日からだろう。

 いつもと変わらず無邪気で、底抜けに明るくて、可愛い八重歯を覗かせながら、職員にセクハラをかます。普段の井合課長に、戻っていた。

 それは、まぁ、純粋に嬉しい。俺が頑張れば頑張るほど、井合課長が笑ってくれるかもしれないのなら。たったそれっぽっちの応酬で、俺は頑張れる。

 ……だけど。

 ──頭の中では【営業課時代のトラウマ】が、どうしたってチラついてしまう。

 俺の企画が通らず、もしも失敗したら? いったい、井合課長はなんて言うだろう。

 ──もしも、井合課長にまで……見限られたら?

 俺はセンシティブな内容を含むサイトの画面を閉じ、頭を抱える。

 駄目だな、駄目だ。余計な思考が邪魔をして、考えがまとまっていないではないか。これでは会議出席以前の問題だ。

 井合課長が提携審議会の開催を取り付けて、もう五日が経っていた。つまり明後日が、勝負の日だ。
 そうは分かっていても、一向にアイディアが思い浮かばない。そんな事実が余計に、俺を焦らせる。

 正直に言うと何度か、井合課長に意見を求めようともした。けれどその度に、ギリギリで踏み止まる。
 ……井合課長の発想に頼っちゃ、駄目だ。これは俺に科せられた、俺だけの【王命】なのだから。

 ……それにしても、だ。

 ──いつまで、井合課長は俺の後ろに立っているのだろう?

 ゆっくりと、背後を振り返る。そうすると書類を持った井合課長と、目が合う。


「……なにか?」
「好きな女で夢精した中学生みたいな顔をしているな。……大丈夫か?」
「それ、本当に心配していますか?」


 眉尻を下げて俺を見てはいるけれど、言っていることは酷い。申し訳無いけれど『気にしてくれている』という感情が、一切伝わってこない。
 井合課長は大きく頷くと、俺の耳元に顔を寄せてきた。


「え、っ」


 好きな人からの、唐突な接近。思わず、体が硬直する。
 けれど必死に平静を装って座っていると、耳元でポツリと囁かれた。


「純真な羊に、いい物をくれてやる」


 そう言って、手に持っていた書類を俺に渡し、井合課長は離れていく。
 ……『いい物』とは、この書類のことなのだろう。手渡された書類に、俺はすぐさま目を通す。

 そこに、書かれていたのは……っ。

 ──なんとも、恐ろしい情報だった。


【増江迅は、実家暮らしの寂しい童貞野郎。自慰行為は一日に最低でも三回という、右手が恋人の変態だ。両親にバレないよう処理するのが、最近の悩みらしい】

「──おうっふ……ッ!」


 ──身悶えするような、生々しい情報だ。思わず声が漏れ出てしまうほどに。

 こんなものを社内や、部下にバラまかれたら。……控えめに言っても、俺だったら首を吊る。

 しかも、そこに書いてある情報は増江課長のものだけではない。井合課長を除いた、この会社の課長職以上の……性に関する赤裸々な話ばかりが、印刷されている。

 これが、井合課長にとっての『いい物』なのか? 全く、一切合切、真意が掴めない。
 もしかしたら、ここから『アダルトグッズ企画のヒントを得ろ』と。そういうこと、なのか?

 俺は井合課長を一瞬だけ見つめるも、すぐに視線を落とす。
 知りたくもない、身近な人の性に関する情報に目を通し。


「──これは、思った以上にキツイ仕事だぞ……っ」


 俺は、盛大にため息を吐いた。





第7案【怪文書に似ています】 了




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