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続 6章【先ずは好きだと言わせてくれ】
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しおりを挟む同じベッドで寝て、同じ部屋で目覚めて、同じ温度を感じながら……。
──俺は数時間前に、先輩を見送った。
どれだけ嫌がろうと、声に出して『待って』と言おうと。時間は無情に流れ、夜は朝を連れて来る。自然の摂理だ、諸行無常だ。惜しがったって等速で、というやつだな。致し方なし。
意味もなく先輩が暮らすマンションの一室──厳密に言うとリビングでぼんやりしながら、俺は壁を眺めていた。
女社長さんと交わしていた、約束。時間帯は日中だったのか、先輩は朝食を済ますとすぐに身支度を終えて、出発してしまった。
食器洗いはやっておきますとか、軽い掃除や洗濯くらいならやっておきますとか、そんな実に俺らしい言葉回しで先輩と会話をしてはみたのだが。……やはり、先輩の表情はどこか暗かった。
『行ってらっしゃいのキスでも、しましょうか』
先輩が言いそうなことを、らしくもなく俺から提案するくらいには……先輩の表情は、暗かったのだ。
触れる程度のキスを交わして、体をムギュッと抱き締められて。先輩は出発の挨拶を俺の耳元で囁いたが、その声にも覇気はなかった。
実際のところ。……先輩がトラウマを抱えたままでも、俺はいいのかもしれない。先輩にあんな顔をさせて、あんなに追い詰めて……そこまでして克服する必要なんて、ないんじゃないか。そう、思ってしまったのだから。
だけど、そんな考えは即刻捨てた。それはもう、先輩を裸エプロンで出迎えてやろうかという選択肢と一緒に、即座に捨てたのだ。
トラウマの克服は、俺のためじゃない。いや、俺のためでもあるのだが……なにはともあれ、先輩のためだ。
牛丸章二と今後、最も関わる人間。それは、俺じゃない。牛丸章二、本人だ。
その牛丸章二自身が選び、そして『会いに行く』と言ってトラウマ克服を求めたのならば……恋人である俺ができるのは、無事を祈るだけ。
「……よしっ」
突然、機械音が鳴った。回していた洗濯機が、仕事を終えた合図だ。俺は気合いを入れて、ソファから立ち上がる。
まさかこうして、自主的に好きな人の服を洗濯する日が来るとは……。人生、マジでなにが起こるか分からないな。過去の他人に無関心だった俺よ、泣かないでくれ。
洗濯物を丁寧に干しつつ、俺はふと、窓の外を眺めた。
「陽、落ちてきたな……」
先輩が女社長さんのところへ出かけて、かなりの時間が経った。朝から昼を超え、夕方に差し掛かり……もう、夜がアップを始めているくらいだ。
……もしも。太陽というものが人々を照らすだけではなく、進むべき道を示してくれる味方なのだとしたら。
「頼むよ。もう少しだけ、沈まないでいてくれ……っ」
なんて、詩的なことを呟いて。ガラにもないことを思わず考え、口にするほど……俺は、先輩が心配で堪らないのだろう。
先輩を、見送って。……本当に俺は、これで良かったのだろうか。
……いいや、違う。これが、良かったのだ。
──先輩が、それを望んだから。
──先輩が、俺だけを望んでくれたのならば。
「──嗚呼、神様。どうか、章二さんを幸せにしてください……ッ」
願わくは、俺があの人の支えとなれるよう。……俺も、あの人と幸せになれますように、と。
俺は初めて口に出して、神頼みをしてしまった。
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