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7章【先ずは変わらせてくれ】

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 すぐに俺は、先輩の手から右手を引っこ抜く。
 そのまま握っていた資料を手放して、俺はしっかりと先輩の方へ体ごと向き直った。


「……な、よ……っ」
「子日君?」


 不思議そうな顔をしている、先輩の。
 俺の気持ちを知らない先輩に、俺は思わず……。


「──ふざけんなよッ!」


 叫ぶように先輩を糾弾した後、俺は強引に先輩の襟を掴んだ。そのまま無理矢理自分の方に、先輩を引き寄せる。
 するとすぐに、先輩が。


「──ん、っ!」


 先輩が、くぐもった声を漏らした。

 ──俺が、体当たりのようなキスを先輩にしたからだ。

 いつも変なことばかり言う唇は、想像以上に温かい。

 俺は『先輩がいつか、トラウマを克服できたらいいな』と、本当に思っている。それは、嘘なんかじゃない。

 先輩は勝手に気持ちを押し付けられて、おかしな女に自殺しようとするところを見せつけられて……沢山、傷付いた。そんな先輩が、このまま誰も好きになれないで、しかも怯えながら生きていくのは、嫌だと思う。

 だけど、トラウマを克服した後。

 ──先輩の隣に立っているのは、俺じゃないと嫌だ。

 ──先輩が変わっていく中、どうして俺は変わっちゃいけないんだよ……っ。


「ねの──んっ!」


 一瞬離れようとした先輩の襟をもう一度引っ張り、先輩の口腔に無理矢理舌をねじ込む。


「んっ、ふ……ッ」


 お互いの舌が触れて、どちらからか分からない唾液による水音が、二人きりの事務所に響く。

 いつも俺にキスをしてこようとした先輩と、俺は今、キスをしている。結果は嬉しいことのはずなのに、中身が空っぽどころではない現状に、涙が出そうだ。


「……は、っ。……子日、君……っ?」


 この人は、誰も好きにならない。
 それは逆に、誰にも関心を持てないのと同じだ。


『『好きの反対は無関心だ』なんて言うけれど、僕に関心を持ってない人のことを、僕がどうこう思うはずもないでしょう? だから、僕にとったら【嫌い】が安心できるんだ』


 ……だったら。
 先輩が、俺を好きになってくれないと言うのなら……ッ!


「先輩、俺は……ッ」


 互いの唇を解放して、至近距離で呟く。


「──俺を好きじゃない先輩に抱かれるくらいなら、俺は俺の好きな先輩を抱きたいんですよ……ッ!」


 先輩にとって唯一嫌いな人になることで、心に残るしかないじゃないか。

 先輩になら、抱かれたっていい。先輩にだったら、なにを捧げたっていいのだ。
 だけど、それは先輩が俺を好きになってくれたらという話。

 なにも変わらない、なにも変えちゃいけない。
 だったらせめて一回くらい、拗らせた初恋に思い出が欲しかった。


「子日、君……っ? なにを、言って──」
「──うるさいッ!」


 怒りで震える手で、先輩の襟を強引に広げる。
 緩んだ首元に無理矢理噛み付いて、強く吸い上げた。


「俺を好きじゃない先輩に抱かれるのは、絶対に嫌です。だから、俺は今から先輩を抱きます。先輩は黙って抱かれてください」
「……っ! なにを、言って……っ! 子日君、自分がなにをしているのか分かっているのっ?」
「先輩こそッ!」


 駄目だ、止まらない。
 こんなところで、泣いた顔を見せたくなんかないのに……っ!


「──なんで……っ。どうして、俺は変わっちゃ駄目なんですか……っ?」


 好きで好きで、仕方なくて。先輩にいつか、振り向いてほしかった。
 だから嫌っている演技だってし続けたし、それで安心してくれるのなら、傷付かず笑ってくれるなら。これからだってなんでもしてみせようと、本気で思っていた。

 なのに……。

 ──なんで俺じゃ、駄目なのだろう。

 先輩のことを一番心配して、一番愛しているのは俺なのに。『好き』なんて言葉じゃ足りないくらい、先輩のことを想っているのは俺で。

 ……強引に唇を奪ってみせたくせに、首筋にキスマークだって付けてみせたのに。

 ──どうしてそれ以上、手が動かせないのだろう。


「ごめん、なさい……っ。ごめんなさい、先輩……っ!」


 いっそ、嫌われてしまえと思ったのに。
 もうやらかしてしまった後なのに、なんで……っ。

 ──『傷付けたくない』なんて、まだ考えているのだろうか。

 先輩には、笑っていてほしかった。さっきは『仲良くなれるわけないじゃないですか』と言って、自分の気持ちを隠せていたのに。
 俺だけは先輩を傷付けたくなかったはずなのに、どうして……っ。

 これでは、先輩に深い傷をつけたあの女性と同じだ。

 先輩に振り向いてもらうために、先輩の気持ちを無視した。先輩に選択肢を与えずに、先輩から奪おうとしただけだ。
 こんな俺はもう、先輩のそばにいてはいけない。

 ──もう嫌だ、もうたくさんだ。

 こんな気持ち、抱きたくなんてなかった。【庇護欲】と言って、諦観している気になっていれば良かったのだ。先輩に拘泥していると、気付くべきではなかった。

 それでも言わなくてはいけないことや、言うべきことはたくさんある。俺に傷付く権利なんてないし、泣く権利もないのだ。
 けれど、俺は見てしまったから。


「──変わってしまって、ごめんなさい……っ! あなたが求める俺でいられなくて、ごめんなさい……っ! 嘘吐きで、ごめんなさい……っ!」


 それだけ言い、逃げるしかなかった。
 俺に首筋を強く吸われた先輩が、ただ静かに。

 ──右手首を、掴んでいたのだから。





7章【先ずは変わらせてくれ】 了




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