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6章【先ずは感情を奪い取ってくれ】
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しおりを挟む俺は、先輩のことをいつからか『放っておけない』と思い始めていた。
強姦未遂のことも、今では【愛によって狂わされた男の悲しき奇行】として受け止められているくらい、先輩に対してヘイト感情はない。
先輩の弱さを、知ってしまった。そんな先輩を、俺は『守りたい』と思ってしまったのだ。
いつもニコニコしている先輩が、とても根深い悲しみを背負っている。傷付いている先輩を見て、この胸が痛んだのなら。俺は二度と、先輩を傷つけたくはなかった。
……なぜ突然、こんなことを言い出したのかと言うと、だ。
顧客データリストの整理をしていた、その二日後。つまり、大詰めも大詰めの最終局面にて──。
「──これはさすがに、予想外だったかなぁ……っ」
──先輩は端整な顔を両手で覆い、ぼやいていたのだ。
これは、さすがの俺でも同情を禁じ得ない。先輩への庇護欲じみた気持ちを再認識し、深く深く同情してしまうほどに。
顔を覆って絶望している先輩のデスクには、おびただしい量の書類が置いてある。
……ちなみに、顧客データの整理作業ではない。なぜならその業務では、書類を使わないからだ。
ならばこの、バベルの塔と思しき書類の山がなにか。そして、それを先輩のデスクにドンと置いて行った犯人が誰かと言うと……。
「──兎田君かぁ……っ」
先輩から紡がれた犯人の名前を聞き、俺は心の中で十字を切った。
先輩は項垂れていたが、顔を覆ったまま天井を仰いでしまう。……どうやらこれは、相当参っているようだ。俺はこんな先輩、見たことがない。どうしたってこれは、同情してしまうだろう。
手を伸ばし、今すぐ書類の半分を引き受けてあげたい。だが、書類の一番上にはご丁寧にこんなことが書かれた付箋紙が貼ってあるのだ。
『ウシ以外が打ち込みをしたら商品化しない』
用意周到この上ない。俺が手を貸すことも織り込み済みなのだろう。
いくら人嫌いの兎田主任でも、今が商品係の忙しさピーク時期だと知っているはず。
ならば、なぜ。いったいどうして、こんなことを。
「兎田主任になにかしたんですか?」
天井を仰ぐ先輩に、俺は意味もなく小声で訊ねた。
先輩は両手で顔を覆ったまま、同じく静かな声で答える。
「心当たりがないと言えば嘘になるけど、だからと言ってここまでされることの心当たりなのかと問われると、答えはノーだよ」
「つまり?」
「あえてこの行動に対する理由を付けるなら、それは【純然たる嫌がらせ】だね」
なんてこった。『オーマイゴッド』と『ジーザスクライスト』を同時に叫ぶほどの衝撃だ。今ならオマケで『ガッデム』も付けよう。大特価だ。
先輩は俺を口説かないと生きていけないが、兎田主任は先輩を虐めないと生きていけないのかもしれない。どちらも、なんと言うか……難儀、だな。
先輩はようやく顔から手を除けると、そのまま両腕をフリーにして下ろした。
「子日君が二日前に言っていたことが、意外にも現実になってしまったよ。一人の残業確定だ」
今日中にやらなくてはいけない、顧客データの整理作業。そして、兎田主任からのデータ入力依頼。
周りだって、手が貸せるほどの余裕なんてない。俺だって、今日の就業時間中に作業が終われば万々歳なくらいなのだから。
それになにより、俺は兎田主任が用意した資料を打ち込めない。
……完全に、詰んだ。
こういう時、本来ならば『大丈夫ですか?』や『元気を出してください』と言えばいいのかもしれないが、そんなことも言えない。
それは全面的に、先輩側の問題だが。
「日頃の行いってやつじゃないですかね」
俺がそう言うと、先輩はふにゃりと情けない笑顔を浮かべる。
「相変わらず辛辣だね。仕事を放棄して君とセックスしたくなるよ」
なぜ、辛辣な態度を取るとパーフェクトコミュニケーションなのか。弱っていようと、ヤッパリ先輩は先輩だった。
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