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5章【先ずは守らせてくれ】

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 幸三と一緒にこの事務所に入ってきた先輩を見て、目を奪われた時のこと。あの日の光景を、今ではよく思い出す。

 先輩は、カッコいい。……顔が。
 そして先輩は、仕事ができる。……悔しいことに、俺よりも。

 だが、それはそれ。これはこれ、だ。


「それよりも、子日君。僕が本当に無事かどうか、君の体で試してみない?」


 言っていることは、最低極まりない。先輩に好意を寄せている人がこの会話を毎日聞いていたら、きっと泣くぞ。

 ……それにしても、先輩と話しているとやはりモヤモヤする。きっとそれは、パソコンを見ながらでも声を聞くだけで、先輩の表情が分かるからだ。
 もっと厳密に言えば、先輩が【笑顔】だって分かるから。

 ……顔、顔がなぁ。黙っていたらカッコいいんだよ。
 兎田主任から守ってくれた時の先輩は、普通にゾッとしたよな。……あっ、いや。こういう時は『ドキッとした』とでも言うべきだったか。

 まぁ、話を戻そう。
 俺は先輩に対し、らしくないことを口にした。


「──いいですよ。シましょうか」


 俺がそう、返事をしたら?
 さて、先輩はどうすると思う?


「──え、っ」


 先輩を横目で見ると、俺の返事を聞いた瞬間。

 ──先輩は反射的に、自分の右手首を掴んでいた。

 二ヶ月以上観察し続けて、その癖がいつ発動するのか。なんとなくの仮説を立てていたが、今のやりとりでほぼ確信へと変わる。

 パソコンに視線を戻して、俺はなんてことないように、自分の言葉に付け足す。


「って。俺がそう言えば、先輩はようやく諦めてくれるんですか?」
「……ヤダ、な。本気にして、今すぐ君を抱くよ」


 もう一度横目で先輩を見やると、先輩は右手首から手を離していた。

 その癖は【好意を寄せられたときにする行動】かと思っていたが、微妙に違う。
 先輩が右手首を掴んだり撫でたりするのは、至極単純な理由。

 ──それは、先輩が【困っているとき】だ。

 俺は冗談で、先輩の口説きに応じた。だけど、先輩は俺から好意を向けられると、本能的に困る。
 それでも、先輩にとってたった一人安心できる存在は、先輩に対して【苦手】という気持ちを持っている俺だけ。先輩に僅かばかりでも好意を向ける俺は、先輩を困らせる。

 その言葉が冗談だとしても、先輩にとって安心できる存在である俺からだとしても、先輩は向けられる【好意】全てに困るのだ。

 だったら俺は、先日立てた誓いを守るだけ。俺の部屋に先輩を呼んだ時と、なにも変わらない。

 ──俺は先輩を、傷付けたくないのだ。

 そして、先輩に宣言した通りに接する。

 ──俺は先輩にとって、優しい奴でいてやるのだ。

 だったら先輩が怖がるようなことを、イタズラにしてはいけないだろう。もう二度と、先輩からの誘いに『イエス』と答えてはいけないのだ。


「先輩、今日も気持ち悪いです」


 そう言って、書類に目を通す。

 右隣の先輩を見ると、俺の反応に随分と嬉しそうだ。……まったく、しょうがない人だな。こんな面倒な男を相手にして、俺はとんだ苦労人だ。
 しかし、今の先輩には俺しかいない。いくら心がザワザワしていようと、この感情に名前が付けられなかろうと。


「そんな冷たい子日君だからこそ、僕は抱きたくて堪らないんだよね」


 苛立ちも不愉快なモヤモヤも、全部飲み込んでみせる。
 俺は先輩を、突き放しはしないさ。




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