先ずは好きだと言ってくれ

ヘタノヨコヅキ@商業名:夢臣都芽照

文字の大きさ
上 下
34 / 251
3章【先ずは優しさで包んでくれ】

7

しおりを挟む



 誰もいなくなった事務所で、俺は先輩から視線を外した。

 わざわざ先輩から手渡しで書類を受け取らなくても、先輩が帰った後で打ち込み作業をしておけばいいか。効率的に動かないと、この全自動セクハラマシーンが口を開いてしまうしな。

 俺は先輩の顔からパソコンの画面に視線を向け、カタカタとキーボードを叩き始める。
 すると、隣に座っていた先輩が呟いた。


「──君は本当に、優しいね」


 何度か聞いた、その言葉を。

 先輩はよく、俺を『優しい』と言った。俺が職員の仕事を請け負った今も、先輩に冷たくしても。先輩はいつだって、俺を【優しい】という言葉に当てはめたのだ。
 それを聞いて、俺は思わず『またか』と心の中で呟いてしまう。

 きっと今、先輩は隣で笑っているのだろう。先輩はそういう人なのだ。
 この言葉にだって、他意はない。そして意外にも、この言葉は先輩にとって【口説く】という目的には沿っていない言葉なのだ。

 ……だからこそ俺は、堪えきれずにため息をこぼした。


「──博愛主義者な聖人君子にでも見えますか」


 思ったよりも、低い声が出てしまったらしい。……しかし、一度口にしてしまってはもう撤回できない。
 それに俺は今、先輩を睨んでしまっているのだ。【撤回】という二文字は、似つかわしくない状況だろう。


「優しくなんてないですよ。ただ俺は、興味がないだけです」
「『興味』って、なにに対して?」
「帰った職員と、隣に座る先輩です」


 自分のデスクに置いた書類をペシペシと叩きながら、俺は先輩に顔を向ける。


「誰かに予定があったっていいし、予定がなかったとしてもいい。誰がなにを考えて帰ったとしても、そういうの全部、どうだっていいんです。気にならないし、わざわざ引き留めたいとも思わない」


 こんな問答をしている暇があるのなら、仕事をした方が有意義だろう。
 だが、先に噛みついてしまったのは不覚にも俺だ。俺は責任を持って、自分の価値観を口にした。


「俺はね、先輩。俺が最低限困らないなら、あとはなんだっていいんですよ」


 レゾンデートルと言うには、あまりにも薄弱な思想だ。だからこそ理解は求めていないし、共感だって求めてはいないのだが。

 冷めた視線を受け止めながらも、先輩はどことなく柔らかな表情を浮かべて、俺を見つめ返した。


「それじゃあ、今の君は周りの職員や僕に関心を持っているってこと?」
「残業は苦じゃないので、今の俺は全く困っていません。だから、先輩にもそれ以外の人にも、俺はなにも思っていませんよ」


 繁忙期の時期。そんなときには稀に、会社で寝泊まりをすることだってあった。それを今さら嫌だなんだと言っているのなら、とっくに俺は別の会社に転職でもしているだろうさ。

 俺の返答を受けて、先輩はどう思っただろう。悲しんだか、それとも喜んだか。……そんなことすらも、俺にはさして重要なことには思えなかったのだ。

 それでも先輩から真っ直ぐと向けられる視線から、俺は視線を外してしまった。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

仕事ができる子は騎乗位も上手い

冲令子
BL
うっかりマッチングしてしまった会社の先輩後輩が、付き合うまでの話です。 後輩×先輩。

幼馴染は俺がくっついてるから誰とも付き合えないらしい

中屋沙鳥
BL
井之原朱鷺は幼馴染の北村航平のことを好きだという伊東汐里から「いつも井之原がくっついてたら北村だって誰とも付き合えないじゃん。親友なら考えてあげなよ」と言われて考え込んでしまう。俺は航平の邪魔をしているのか?実は片思いをしているけど航平のためを考えた方が良いのかもしれない。それをきっかけに2人の関係が変化していく…/高校生が順調(?)に愛を深めます

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

愛人は嫌だったので別れることにしました。

伊吹咲夜
BL
会社の先輩である健二と達哉は、先輩・後輩の間柄であり、身体の関係も持っていた。そんな健二のことを達哉は自分を愛してくれている恋人だとずっと思っていた。 しかし健二との関係は身体だけで、それ以上のことはない。疑問に思っていた日、健二が結婚したと朝礼で報告が。健二は達哉のことを愛してはいなかったのか?

処理中です...