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序章【そんなに弄ばないで】

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 グチグチと、いやらしい音がカナタの鼓膜に届く。

 まるで耳を犯されているかのような錯覚に、カナタはもう一度目を閉じた。


「可愛いなぁ、カナちゃん。さっきまでは俺の胸を押し返していたクセに、今じゃしがみついてきてるんだもん。ホンット、エッチだねぇ?」
「ち、ちが──あ、っ!」
「素直じゃないところも可愛いよ。ますます頑張りたくなっちゃう」


 言葉通り、手の動きが激しさを増す。
 カナタはどうすることもできずに、ただただ声を押し殺そうと尽力する。


「ん、ふ……ぅ、んん……っ!」


 そんなカナタを見つめて、ツカサは楽し気に口角を上げた。


「カナちゃん、もうイきそう?」
「ん、ぅ……っ! イ、きそ……で、す……っ」
「そうなんだ? ウソを吐かないカナちゃんはいい子だね?」


 腰を引き寄せて、ツカサはカナタの体温をさらに求める。

 すぐ目の前にある、赤くなったカナタの耳朶。
 ツカサは唇を寄せて、吐息交じりの声で囁いた。


「一緒にイっちゃおっか」
「っ!」


 ゾクリ、と。
 カナタの体が、ツカサの声によって粟立つ。

 その瞬間──。


「──ん、んぅ……っ!」


 一際大きく、カナタの体が震えた。

 頭の中が真っ白になり、ただ本能のままに【快楽】のみを享受する。
 耳元で一瞬、ツカサが息を呑んだ気がしたけれど……カナタには、確かめるすべがない。


「は、ぁ……は、っ」


 荒くなった呼吸を落ち着かせることに、カナタはただただ尽力しているからだ。

 肩で呼吸をするカナタとは打って変わり、ツカサは慣れた手つきで後始末をしている。
 ティッシュでカナタと自身の下半身を拭い、ツカサは手早く痕跡を消していた。


「カナちゃん、気持ち良かった?」
「……っ」
「なんて、恥ずかしがり屋のカナちゃんが答えてくれるワケないか」


 身なりを整えた後、ツカサがカナタに覆いかぶさる。
 そして、変わらない笑みを向けた。


「カナちゃん。……お口、あ~ん」


 まともな思考を放棄したカナタの頭は、ただただ与えられた単語を体へ反映させる。
 ゆっくりと口を開き、滲む視界で自身へ覆いかぶさるツカサを見上げた。


「素直に言うこと聞いてくれるカナちゃん、すっごく可愛い」


 そう囁いた後、ツカサはカナタへ深い口付けを贈る。

 口腔を舌で嬲られ、息苦しさと気恥ずかしさから、カナタは生理的な涙を零す。

 それから、数秒後。
 吐息すらも奪うような口付けから、カナタはようやく解放された。


「二度寝しちゃダメだよ、カナちゃん」


 上体を起こしたツカサはそう言い、カナタの頭を撫でる。
 慈愛を込めたような声を残した後、ツカサは上機嫌そうにカナタの部屋から退出した。

 扉が閉まり、自室に一人取り残された後……。


「はぁ……っ」


 カナタはため息を押し込むように、すぐさま枕に顔を押しつけた。


「オレって、単純すぎるのかな……っ?」


 倦怠感と、満足感。
 それらは全て、ツカサから与えられたもの。

 ──けれど、ツカサとの関係は【恋人】なんかではない。

 ──あえて言葉にするのなら、同じ建物で暮らしているただの【同居人】。

 それでも、カナタはツカサを拒絶できなかった。
 それは、ツカサの容姿に惹かれているからではない。


「──今日も、いっぱい『可愛い』って、言ってくれた……っ」


 カナタは、ただ……。

 ──【可愛い】という言葉に、めっぽう弱いのだ。





序章【そんなに弄ばないで】 了




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