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混沌へ

104.力よりも言葉

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 節々がごつごつしていて、手のひらがカチカチ。

 でも、とても優しい手だった。



「愛している。」

 優しい声で言って、優しいその手で撫でてくれる。

 頭からゆっくりと顔も、とても優しく。



 だから、私も彼にこう言う。



「私も愛している。」

 彼の目を見て、嬉しさに何度も微笑む。



 彼も私の目を見て微笑んでくれる。



 とても優しくて幸せで、心休まるのに胸は苦しくなるほど、湧き上がってくる愛おしさがある。





 目を閉じるといつも彼の顔が浮かぶ。



 短くて見た目よりも柔らかい栗色の毛。

 茶色の瞳に映る自分の顔を見るのは照れくさいけど、彼の瞳一面に映る自分の顔を見ると、彼の視線を独り占めしている気分になって同時にとても幸せだった。



 細すぎず少しだけ角ばった輪郭と意外と整っている口元。

 逞しくて自分よりも太い首に手を回して何度も抱き着き、縋りつき、体温を分け合った。



 彼の兄の母、彼女が最後に愛する人との思い出を求めた理由がミラにはわかる。



 捧げられるのなら、糧となる思い出が、心の支えが必要だ。



「…ライガ…」

 ミラは寂しくなり名前を呟いた。

 この前までずっと一緒にいた人、ミラの全てといっても過言ではない人。





 もう会えないというのは考えたくない。

 だけど、会えないのなら



 ライガからもらった全てがミラの全てだ。

 その思い出がミラの生きる理由だった。





 柔らかな布団を与えられ、食事も満足に与えられている。

 特別待遇なのは分かった。

 だが、その待遇は王城にいた時のものと似ている。



 ミラは布団にくるまり、周りの世界から逃げるように目を閉じた。



 ガタン



「ねえ。」

 ドアが開き、声がかけられた。

 初めて聞く声だ。



 ミラは振り向いた。

 そこにいたのは、白い髪をした色白で赤い目をした青年だった。

 ライガと同い年くらいの青年だ。

 口から覗く牙のような八重歯が特徴的だ。



「…ご飯食べてないの?」

 青年は、お盆に乗せられたミラが食べるはずの食事を見て言った。



 ミラは彼の目を見た。

 無視よりも、鑑目で見られる方がよりダメージを与えられるのはわかっている。



「嫌な女だね。」

 青年はミラの意図が分かったのか、顔を歪めた。



「…まあ、他の一族の奴らよりかはましか…アシから聞いたよ。」

 青年はミラの残した食事をつつき始めた。



「食べないならもらうよ。」

 青年はミラを見て言った。



「…ここ、どこだかわかるわ。」

 ミラは青年を見た。



「ああ。別に隠していないし。だって、君は外に伝えられない。」

 青年はパンに齧り付きながら言った。



「…思ったけどさ…帝国のごはんって味薄いよね。…もう少し香辛料淹れないの?」

 青年は眉を顰めて言った。



「ここは、私たちが滞在していた小屋の近くの市場ね…どうしてこんなところに皇国の人たちが…」

 ミラは青年を睨んだ。



「騎士団撤退の際のどさくさに、町の人をお金を使って大幅に入れ替えたんだよ。帝国に潜ませていた皇国軍を滞在させて、あとは適宜国境から伯爵の私兵に紛れさせて追加するんだよ…」

 言い終えると青年は溜息をついた。



「目を見られると全部言うということ、やっとわかったよ。」

 青年は困ったように頭を掻いていいた。



「…伯爵って?」

 ミラは引っかかったことを聞いた。



「モニエル・デ・ブロック伯爵。精鋭部隊のマルコム・トリ・デ・ブロックの父親だよ。」

 青年は諦めたような顔で言った。



「帝国関係者で他には…」

 ミラが聞こうとしたら、青年は目を閉じた。



「君の目は綺麗だからね。見てしまうけど、魅入られなければ大丈夫だよ。」

 青年は口元に余裕そうな笑みを浮かべていた。



「諦めなよ。…君は、皇族に捧げられる。でも、大事にされるよ。君は外見がいいからね。」

 青年は目を閉じたままミラに言った。



「ライガ以外は嫌。」

 ミラは青年を睨んだ。



 青年は舌打ちをした。



「何とか以外は嫌とか…そういう一人に囚われているの、気持ち悪いよ。」

 青年は眉を顰めながら言った。



「わからなくていい。たった一人の存在だから…」

 ミラはライガの顔を思い出した。

 彼のことを考えるだけで幸せな気分になる。



「うちの皇王みたいなことを言っている。そんな一人だけに拘っているから今、皇国はね…世継ぎ問題が深刻なんだよね。」

 青年は溜息をついた。



「…皇帝に捧げるつもりなの?」

 ミラは身構えた。



「皇帝は君に興味示さないから安心して。別の皇族だけど、間違いなく君の所有権で皇位継承権が変わってくる。」



「私は道具なのね…」

 ミラは青年を睨んだ。



「君はそう悲観的になるけど、僕も道具だよ。騎士たちも、人に使われる立場の者は少なからず道具だよ。君の場合立場が高いから際立つけど、捨て駒の僕らは典型的な道具だよ。君の愛するライガだって、同じだ。」

 青年は呆れたように言った。



「でも、あなたは選んだはず…」



「全てが決められている君から見るとそうかもしれないけど、僕らは生きるか死ぬかで選んでいる。望んで選んでいるわけじゃない。」

 青年は憐れむようにミラを見た。



「君には同情しているけど、それ以上の感情は湧かないね。守られるのが、保護されるのが当然だと思っているクソ一族と同じだよ。」

 青年はミラを軽蔑するように見ていた。



「私は…当然だとは…」



「同じと言ってもマシだよ。まあ、僕は嫌い。」

 青年はミラの残した食事を食べている。



 彼はミラの目を見て言った。

 本音だろう。



 ただ、彼に嫌いと言われてもそこまで傷つかなかった。

 ミラは、ライガに会いたい一心だった。



 ライガの言葉以外響かない。



『愛している。』

 彼の言葉が心に沁みる。








 

 ライガは王城の中の地下牢に戻された。

 鉄格子が威圧的で、床は冷たい。



 ご飯は出るし、トイレもとりあえずある。

 待遇としては最悪ではない。



 ミラに会いたい。



 彼女に会いたくて仕方なかった。



 昔は、もっと会えない時間が長かったのに耐えられた。

 でも、今は違う。



 長く共に過ごすことを知ってしまった。



 もしも、彼女と逃げなければ彼女は王城にいた。

 そして、目を潰され、王族に嫁ぎ…



 とんでもない。



 彼女と逃げる選択は絶対に間違っていない。

 なら、何で今、ライガの傍にミラは居ないのか。



 一緒にいるって約束をしたのに、彼女と一緒にいない。

 どこにいるのかさえ分からない。



 もっと沢山触れ合っていたかった。

 鉄格子が憎らしい。

 だけど、マルコムやリランの言うことはもっともだ。



 場所がわからないのだから、一人で動いても仕方ないのだ。

 帝都が落ち着かない限り、集団で動いている彼らに対抗する戦力も揃えられない。





 もし、父とジンの母がライガとミラのような関係だったのなら、父を責めてなじりたい。

 なぜ、一緒に逃げようとしなかったのか



 それだと自分は生まれなかったのだが、それを置いてもライガには信じられない。



 父は最後に通じたことでジンを授かり、それが原因で夫に殺されたこと。



 父は後悔しただろう。手を取ってでも逃げていれば違ったと。



 皇国と接触して一族を逃がそうとしたが失敗した。



「…父さんは知っているか…?」

 ライガは疑問に思った。



 一族がジンを殺そうとしたこと。そして、ジンの祖父であり愛する人の父を殺したこと。



 マルコムの言う通り、動く集団が大きすぎて父の正体やジンの素性を明らかにしていない場合は考えられる。



 もしそれなら、父は大きな集団の一部であるか…



「その上か…」

 父と話す必要がある。

 ミラを返してもらうためには、父と話す必要がある。



 彼なら、ミラのこともライガのことも分かってくれる。



 ライガの口から話さないと分かってもらえない。



 今の父の剣の腕は知らないが、彼が武力で帝国を憎むことを止めることは無い。



 少しだけ、牢屋に感謝した。止めてくれたマルコムやリランにも。



 必要なことが分かった。



「父さんと話さないと…」

 









 騎士団の訓練場では、リランとマルコムが睨みあっている。



 リランは剣を二本、マルコムも槍を二本持っている。



 リランは左手を振った。

 マルコムは右手の槍で弾いた。

 リランは槍の持ち手を狙うように右手を振った。

 左手は体勢を傾けながら防御に動いた。



 マルコムは右足でリランの右手を狙った。

 リランは弾いてマルコムの体勢を崩そうとしたが、マルコムのバランスは崩れない。

 マルコムは体を回転させて槍を二本クロスさせた。

 防御の体制のままリランを突き飛ばした。



 リランは突き飛ばされ床に転がった。



「…強くなったね。」

 マルコムは感心したようにリランを見ていた。



「…二人分だ…」

 リランは立ち上がりながら言った。



「元々素養があったんだよ。君は二本持ちの方がよかったんだ。」



「…こっちはアランだ。」



「一緒に戦っている感覚が欲しいという逃げでそうなったとしても、君が強くなったのは確かだ。」

 マルコムは呆れたようにリランを見た。



「お前は力が全てだとやっぱり思っているんだな。だけど…分かってきているだろ。」

 リランは少し憐れむようにマルコムを見た。



「何がだい?」



「結局俺達を動かしているのは…言葉だ。」



「…女々しい。」



「頑なすぎるのも問題だ。…お前は、ライガや団長の父親が武力で押し込めて止まると思ってるか?」



「それは無い。失われたものが大きい。」

 マルコムは首を振った。



「俺はライガが憎い。だけど、それ以上に自分が許せない。それに…ライガと団長の力が必要だ。」

 リランは剣を収めながら言った。



「それに対しては異論はない。二人とも…俺より強い。」

 マルコムも槍を収めながら言った。



「…今、一番弱いのはお前だ。」

 リランはマルコムを見た。

 マルコムは鼻で笑った。



「さっき負けたばかりなのに、何言っているんだ?」



「自分を支えるはずのものを否定する限り…何かあった時に崩れるのはお前だ。」

 リランは自信をもって胸を張って言った。



「…俺が崩れる?…何でだ?」



「後輩ながらわかる。お前、口では感情論批判しながら…感情でずっと動いているだろ。」

 リランはマルコムを睨んだ。



「俺が?…ふざけるなよ。お前に言われたくない。」



「そうだろうけどな、わかる。いつか絶対に…お前は崩れる。だから頑なになるな。」

 リランはマルコムを気遣うように見た。



「…馬鹿馬鹿しい。」

 マルコムは振り払うようにリランから離れ、訓練場を出て行った。



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