斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す

takosuke3

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終章 ~広い世界へ~

最後の決別のために

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 ゼルの終業宣言が下り、出退勤表に記入して他の職人たちに交じって工房の外に出ると、夕日がやけに眩しかった。疲労感も酷いが、しかし倒れるほどでないのは、〝地獄の三ヶ月〟の賜物だろうか。
 まあ、そうでなくても、今に限っては気を抜いている場合ではない──工房来客用の駐機場に止められた、黒い自動浮揚機を目にして、アレクシアは疲労感を緊張感で押し込めた。
 向こうも気付いたのか、黒い服に身を包んだ人間が四人、浮揚機から整然とした動きで降りてきた。そのうちの一人と二、三言交わし、アレクシアは運転席に乗り込み、用意されていた免許取り立てであることを示す徽章を窓に張り付けると、浮揚機を発進させた。
 教習所に通い始めた時ほどではないにせよ、公道を一人で走る事にはまだ少しばかりの緊張がある──とはいえ、後席からの隠そうともしない不機嫌な気配は、いい加減放っておくわけにもいかないだろう。
 専用道路に入ったところで、後部確認用の鏡越しに、改めて相手を確かめ、
『少し痩せたかしら、エリッサ?』
 と、些かワザとらしい砕けた調子の神聖帝国語で話しかけると、エリッサは鏡越しに睨み返し、
『‥‥‥こんな得体の知れない〝箱〟まで操るようになったのか』
『おかげさまでね。まあ、あくまで運転資格だけだし、これはあくまで無理を言って借りただけなんだけど』
 これもまた、〝地獄の三ヶ月〟の賜物であった。自動浮揚機のみならず、各種作業用重機の資格まで手に入れた。
 それを喜ぶアレクシアに、鏡華はしっかり釘を刺してきた。
『ウチのは、あくまでウチの・・・浮揚機よ。どうしても必要な時に貸すだけよ。好きに動かしたければ、自分のを手に入れなさい』
 ちなみに──新品の自動浮揚機の平均的な価格は、工房勤めの給料一年分でも足りない。分割払いという手もあるが、いずれにせよ、自家用浮揚機の購入はまだまだ先の話であった。
『なるほど、すっかり野蛮な世界に染まってしまったようだな。〝出来損ない〟とはいえ、ここまで堕ちたか』
『野蛮な世界、ね』
 エリッサの憎まれ口に、今更アレクシアは腹も立たない。むしろ、思ったよりは元気であることに安心した。
 そして、かつて恐怖の象徴だった相手がどれ程の者・・・・・かも、今はよく見えていた──嫌という程に。
 だから──アレクシアは、容赦しなかった。
『野蛮な連中が相手だと思ったから、平気で色々と盗んだのね。しかも、野盗まがいに襲い掛かって傷つけて強引に奪い取って』
『盗んだのではないっ! 野蛮で下劣な者共から取り返したのだっ!』
 エリッサは、顔を真っ赤にして怒鳴り返した。
『大体、何が〝法で裁く〟だっ! 法とは、神の御名の元に定められた神聖なる意思っ! それを、穢れた者共が口にするだけでもおぞましいというのに、小癪にも行使しようなどと、許されない冒涜だっ!』
『ねえ‥‥‥この街が、まさか見えてないわけじゃないわよね?』
 怒声を聞き流しながら、アレクシアは手元の操作盤に指を走らせ、後席の窓を開けてやる。目に映るのは、流れ行く摩天楼の光景と、いくつもの浮揚機の姿。
『‥‥‥冒涜の象徴など見たくもない』
 鼻を鳴らしながら、エリッサは目を背ける。
『天は神の領域。そこへ届かせようなど、冒涜以外の何物でもない。ましてや、穢れた種族の作り出したモノなど、所詮見かけ倒しだ。神聖帝国が総力を挙げれば、枯れ木同然に』
『壊すだけなら、総力なんて必要ないわよ。でも、同じモノを神聖帝国の総力を作ることは出来るかしら?』
『貴様は自分が何を言っているのか分かっているのか? 天の領域に届かせる建物など冒涜だと、今言ったばかりだろうが』
『この三ヶ月間、そんなことしか考えてなかったの? 貴方こそ、勢いだけでモノを言ってないかしら?』
 いくら幽閉されていると言っても、エリッサは三ヶ月間も何もしていなかったわけではない。幾度となく尋問は行われ、その流れで外部の情報も多少なりとも伝えられていた。尋問内容にしても、拷問などは一切行われない事務的なモノ。更に、健康を損なわないよう食事にも気を遣われ、定期的な診断が行われていた。
 〝規則正しい〟という意味では、神聖帝国の貴族よりも良い暮らしで、それが事実だということは、エリッサの今の様子を見れば明らかだ。
『貴方の言う〝野蛮な世界〟の中で三ヶ月も過ごして、何も見てなかったのね。ただただ憎んで恨んでいじけて不貞腐れてただけだったのね』
『だ、黙れっ!』
 冷えていくアレクシアの熱を奪うように、エリッサの熱は上がっていく。
『〝出来損ない〟が偉そうに説教など吐きつけるなっ!』
『分かったわ。なら、お喋りはひとまず止めましょう。論より証拠とも言うしね』
 アレクシアは、路線を変更──専用道路から抜ける道に入った。

                                  *****

 しばしの無言を経て、やって来たのはアレクシアが前に来た海を一望できる高台。以前来た時と同じ、雲一つない夕空が広がっていた。こんな時でなければ、気分よくクレープでも食べられたのだが、残念なことに今日は屋台は出ていないようだ。
『来たわよ』
 轟音と共に、頭上をいくつもの影が過る。
 スサノオ級大型戦艦を旗艦とした空飛ぶ艦隊──否、空の牙城群。
 小振りであるというアマカゼ級を一隻目にしただけで、アレクシアは言葉を失ったのだ。それ以上の大きな船が、いくつも並んで頭上を通り過ぎていくのを目にしたエリッサはといえば、
『‥‥‥』
 口を半開きにしたまま凍り付いていた。
『もちろん、あれで全部じゃないわ。軍隊だから細かい数字は表沙汰になってないけど、少なくとも十や二十じゃ利かないことは確かね』
『‥‥‥な、に?』
『それと、〝大地の壁〟くらいは、遥か下に見下ろすくらいに高い場所を飛べるし、地平や水平の彼方から正確に届かせて当てられる武器もたくさん積んでる』
『‥‥‥』
『貴方が言うところの、〝穢れた種族の野蛮な世界〟っていうのは、そういうの・・・・・が当たり前にあって当たり前に作れる国なのよ。そんなのに、神の御名の元に滅して~なんて手を出したら‥‥‥いえ、手を出さなくても、何かの気まぐれで神聖帝国を侵略しようなんてことになったら』
『もう、いい‥‥‥』
 よろめくエリッサの体を、アレクシアはすかさず支える。さすがに言い過ぎたと内心反省しつつ、更に続けた。
『でも、彼らはそんなことはしないわ。手を出してきた分はしっかりやり返すだろうけど、それ以上の事はしない。ましてや、自分から侵略しようなんて意思は無いわ』
『‥‥‥何故、そう言い切れる?』
『あれを見て』
 沖に浮かぶ、山のような巨木──〝海の庭園〟を、アレクシアは示した。
『陽出は、大陸じゃなくてもっと〝外〟──誰にも踏み入られていない、〝未開の地〟を目指してる』
 それは、誰かが切り開いた誰かの場所を奪い取るよりも遥かに難しく、だからこそ得るモノも大きい。
『だから、腐り切った国に構ってる暇なんても無いってことよ』
『腐り切った、だと‥‥‥っ?』
 エリッサの気配が、強い怒りに変わる。それを受けて、アレクシアは冷めた目で見返し、
『腐ってるわよ。例えば貴方なんて、見向きもしなくていい〝出来損ない〟の鼻を明かそうと、意味も無く虐めてたじゃない』
『き、貴様っ』
『それとも、何か意味があったの?』
 エリッサの怒りを真っ向から受け止め、そして真っ向から見据える。
『私を叩きのめして、陥れて、それで貴方は本当に満足だったの? 満足するような何かを得られたの?』
『‥‥‥っ』
 何かを言い返そうとして、しかしエリッサは押し黙り、逃げるように目を逸らした。
 それが、何よりの答えだった。
『そうね、貴方の言う通り。私には貴方に説教する資格なんて無いわ。だって私は』
 アレクシアは、沸きあがる怒りと痛みを堪え、絞り出すように告白した。
『私が一番憧れていた・・・・・・・のは、そんな貴方──エリザヴェータ・シュトルメアだったんだもの』
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