斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す

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三章 ~静寂にして不穏な一夜~

越えるべき試練

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 鏡華と燐耀に言葉の補完をしてもらいつつ、長い話し終えたアレクシアは、大きく息を吐き出した──吐き出してから、自分が深呼吸したことに気づいた。
「‥‥‥それじゃ、これからの話をしましょうか」
 小さく息をつくと、鏡華は言葉を陽出語に切り替えた。
「これカラ?」
 蒼真と燐耀が頷く一方、アレクシアは首をかしげた。
「あんな、見るからに執念深くて陰険でしつこそうな女が、こんなんで諦めるような良い性格してると思うのか?」
 言い放題であった。全くその通りであるのだが。
「ねえ、アレクシアちゃん」
 返す言葉を探して口ごもっていると、鏡華が静かにこちらを見据えていた。
「結局、貴方はどうしたいの?」
「どうしタイって」
「細かい事情や経緯はどうあれ、今の貴方はもう、貴族も神聖帝国も何もない、宙ぶらりんな状態よ。つまり、貴方自身でどうにでもできる‥‥‥というか、どうにかでもしなきゃいけない。それを自分で決めなきゃいけない」
 笑みはなく、しかし真面目と言うには柔らかく、しかし無表情というには温かみがあり──そんな表情は、アレクシアは見たことが無かった。
「酷い扱いを受けてた身の上には、同情してあげるわ。協力や手助けは惜しまない。でも、まず貴方が決めて動かないと助けようがないわね」
「ワタシは‥‥‥」
 蒼真と燐耀に縋るような目を向けるが、
「エリッサとやらが来るまでは、少しだが時間はあろう」
「明日の朝までには、どうするか決めておけ」
 二人とも素っ気なく言うと、視線すら合わせずに席を立ってその場から立ち去った。

                                  *****

 部屋に戻ったアレクシアは、座卓に向かい、今日の復習と明日の予習に取り掛かる──はずだったが、小一時間ほど卓に向かっても、どうにも手が付かない。
 ひとまず後回しにして、先に風呂に入ったりもしたのだが、それでも頭の中がまとまらなかった。
 いや、分かっている──今考えるべきことが、呑気なお勉強ではないことは。
『協力や手助けは惜しまない。でも、まず貴方が決めて動かないと助けようがないわね』
 鏡華の言うように、これはアレクシア自身の問題ではある。けれど、相手はあのエリッサ──宮廷法術師がすでに確定している天才。
 それに比べ自分はといえば、
「‥‥‥は」
 思わず笑いが漏れる。
 性格はどうあれ、エリッサの才覚は本物だ。今回は、皇龍という埒外の存在がいたから撃退できただけで、本来自分如きにどうにかできる相手ではない。そもそも、比べることすら無意味だ。
「失礼するのじゃ」
 自虐的な思考を繰り返していると、アレクシアの返事も待たずに障子が開かれ、燐耀が入ってきた。
「リンヨウ、帰っタンじゃ」
「そのつもりじゃったが、どうにも気になったでな。鏡華に無理を通してもろうて‥‥‥何じゃ?」
「‥‥‥ベツニ」
 訝る燐耀に視線を逸らすが、すぐに戻してしまう。
 浴衣ユカタとかいう薄手の寝間着に、髪を結い上げたおかげで晒されたうなじに、風呂上がりの湿り気──更に際立った艶めきに、視線を逸らせない。
 〝極致の美〟──アレクシアの知る限りの言葉で表すなら、そんなところか。その前においては、人も魔も男も女も関係ないのだ。
「て、何をしておるか、蒼真。早う」
「‥‥‥何で俺まで」
 ぶつくさと言いながら、夜食を乗せた盆を手に、蒼真が入ってきた。燐耀と並んでいるせいか、いつも以上にだらしなく見える。
「鏡華も案じておったし、妾も前から思っていたが」
 そんな蒼真に、燐耀は呆れたように肩をすくめ、
「そなたは、本当に年頃の男子おのこか? 年頃の女子おなごの閨に足を踏み入れるなど、泣いて喜ぶものじゃろうて。今ならほれ、妙齢の美女も漏れなく付いておるぞえ」
 などと、燐耀は胸襟をかなり危ないところまで開いて見せる。
「あ~はいはいそうですね~」
 そのあからさまな挑発に、蒼真は仕方なしとばかりに二人に目を向けてやる。
「年頃~のムスメ~? みょ~れ~の~美女~? 大泣きしたくなりますね~むしゃぶりつきたくなりますね~襲いたくなりますね~夜這いしたいね~がおがおが~お~」
 それはもう、わざとらしく、両手で瞼を大きく広げてなど見せて。
 別に、自分の容姿が優れているとは思わないが、かといって特別劣っているとも思わない。なので、何だか物凄く釈然としなかった。特に女としての矜持とか誇りとか自尊心とか。
「‥‥‥心中、察して余りあるぞ」
 何とも言えない表情を浮かべるアレクシアの肩に、燐耀が優しく手を置いた。アレクシア同じような、何とも言えない表情を浮かべて。
「で、だ」
 そんな二人の心情など知る由もなく、蒼真は並べた茶碗に茶を注いでいき、
「天才の法術師とやり合う算段は付いたのか?」
 否が応でも、アレクシアを目の前の現実に引き戻した。
「それは‥‥‥マダ戦うかも」
「まだそこ・・かよ‥‥‥」
 もごもごと言うと、蒼真は呆れるように鼻を鳴らすと、茶碗の一つをアレクシアの眼前に突きつけ、
「朝までに決めろってのは、具体的にどうするかってことまでだ。戦うか逃げるか、なんて根本的な話じゃねえ」
「根本的な話といえば、妾からも一つある」
 燐耀は、茶碗を勝手に取ると、一口すすりながら、
皇龍をアテにしとるなら、今のうちに除外せい」
 皇龍ならば──それは、多少なりとも期待していたことだった。
 なので、厳格に告げられたアレクシアは、言葉に詰まった。
「鏡華も言っておったじゃろうに」
 そんなアレクシアに、燐耀は呆れたように肩をすくめ、
「これはそなたが解決するべき問題‥‥‥いや、乗り越えるべき試練じゃ」
 燐耀は、正論を言っている。そもそも、自分がここでこうしていることからして、充分助けられている。この期に及んで、手を差し伸べられないことに落胆するなど、筋違いである。
 それは、分かっているのだ。
「それは‥‥‥デモ」
「バカかお前は」
 苛立ちを隠さず、蒼真は吐き捨てた。
「そんなデモデモダッテで考えるフリ・・していじけてたって、奴は来るんだよ。自分に都合の悪いことを、何もかもお前に押し付けるためにな」
 そして、正確に的を射抜いてきた。
「で、お前をぶっ殺してその首を持ち帰って確かに討ち取りましたって声高に叫んでのうのうとふんぞり返って高笑い、と」
 その光景が、脳裏に浮かぶ。予想ではなく、確信でもって。
 あのエリッサなら、と。
「あの済ました面での高笑いか。そういえば、最近流行っておる芝居に、そのような悪女が登場しておったのう。それが現実に拝めるとあらば、それはそれで面白そうじゃ」
 さもおかしそうに笑う燐耀。何の芝居かは知らないが、アレクシアには到底笑えたものではない。
「‥‥‥」
 それどころか、エリッサのそんな姿・・・・を想像してみたら──腹の内で、何やらぐらぐらとした沸くような感触が生まれた。
「見ている分には面白そうじゃが‥‥‥嘲られる道化役はそなたじゃぞ、アレクシアよ」
 燐耀の笑みは、とても優しい──小さな子供を諭すかのごとく、慈愛に満ちていた。
「己の実力も弁えなかった愚か者、追い詰められて自棄になった憐れなクズ、まああの出来損ないにはふさわしい最期‥‥‥というような具合に、死んでからも笑われバカにされるじゃろうな、そなたは。その先頭は誰じゃな?」
 誰──その顔が思い浮かべた瞬間、腹の内で沸くものが何なのか、自覚した。
 恐怖ではない。
 怒りだ。
「本当にそれで良いのか?」
「‥‥‥イイエ」
 呻くように絞り出される否の言葉が、気づけば吐き出されていた。
「なれば良し」
 と、燐耀は鷹揚に頷いて見せると、再度茶をすすり、
「では、改めて策を講じるとしようかの」
 たった今、〝乗り越えるべき試練〟と突き放した当の本人が、そんなことを言ってきた。顔に出たのか、アレクシアの疑問に気づいた燐耀は不敵な笑みを浮かべ、
「最終的にはそなたが決すべき事案ではある。が、この期に及んで無関係を決め込むほど、厚顔無恥なつもりもない。助言や意見くらいはさせてもらおう」
「とか何とか、それっぽいことを偉そうに言ってるがな」
 蒼真が鼻を鳴らす。
「お姫様は退屈を持て余してるってことさ。表には出られねえから、せめて裏方だけでも首突っ込みてえのよ」
「退屈を持て余してるとは無礼じゃて。これでも相応の務めは抱えておる」
 口をとがらせる燐耀。しかし、首を突っ込む云々は否定しないのか。
「そなたこそ、それらしいご高説をあれだけ偉そうに囀っておいて、己は関係ないなどとふざけたことを抜かすつもりではあるまいな?」
「あ~へ~へ~、その通りでございますよ姫殿下様大先生」
 舌打ちしながら、ぬるくなった茶を一気に飲み干し、
「んじゃまあ、そろそろ本題に入るか」
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