斯くて少女は、新たな一歩を踏み出す

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二章 ~広がり始める世界~

一般常識

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 朝食の片づけを手早く済ませた蒼真は、早足に自室に戻り、しばらくして出てくると、見慣れた野暮ったい部屋着ではなく、取り澄ました儀礼的な服を身に着けていた。そのおかげか、少しだけまともに見える。
 少しだけ──というのも、何かを堪えるように顔をしかめ、顔色もやや青ざめているせいで、折角の衣装が台無しになっていた。
「×××‥‥‥い、行ってらっシャイ、気ヲつケて」
 玄関まで見送りに来たアレクシアは、出かかった帝国語を慌てて引っ込め、すぐに陽出語に言い直す。会話は生活の基本ということで、常に陽出語で話すように心がけているのだが、まだ何かの拍子でこうなってしまうのだった。
「‥‥‥はい行ってきま~すっと」
 蒼真は青い顔でのそのそとに出かけていった。足取りが微妙に怪しいが、大丈夫だろうか。
「あの程度でどうにかなるようなヤワな鍛え方はしてないわよ」
 アレクシアが居間に戻ると、座卓の上に本を重ねながら、鏡華は言った。
「早ければ学校に着く頃には、遅くてもお昼ご飯までにはケロッとしてるわよ」
「ガッコウ‥‥‥平民が学校スクールに行くノ?」
「陽出じゃ〝身分〟て概念が薄いって話は聞いたでしょ。だから誰でも学校に入れるし、どんな仕事にも就ける。もちろん能力実力や適性とかにもよるけど‥‥‥そうね、今日からそういう小難しい話も交えて勉強してみましょうか」
 と、鏡華は手に取った一冊を開いた。

                                  *****

 陽出乃国──大陸から東の海上に位置し、大小の諸島群を領土とする島国である。
 小国ながら建国から約千年少々と、その歴史は長い。そして、周囲を海に囲まれているという地理もあり、神聖帝国を始めとする大陸諸国とは、大きく異なる文化や文明を築いてきた。
 法力を持たぬ故の、機械という技術の発達。
 強大な力を持つ魔族達との、共存共栄。
 様々な種族達の力と知恵を織り交ぜ、複合させ、昇華させる。
 そのための、公平平等対等を理念とした政治体制──すなわち、投票によって為政者を決め、為政者は民の意思を代表して政を進めていく。
「‥‥‥つまり」
 教科書を口に出して読み進めていたアレクシアは、ふと顔を上げる。
「陽出デハ、〝身分〟や〝階級〟は、〝役職〟と同ジ?」
「大体そんな感じの認識で良いわ」
 長方形の座卓を挟んで対面に座る鏡華は、別の本に目を走らせながら答える。
 用意された書物を声に出して読み、区切りの良いところで止め、読んだ範囲を素早く整理、不明な点や判然としない部分は鏡華の補足説明を受ける。
 学問の指導としては、単純で典型的。が、それが楽かと言えば、そうは問屋が卸さないのが、高桐家である。
 基本的な読み書きや算術を教えてから先は、鏡華達が自分からあれこれ言うことはない。進める上での区切りもアレクシア任せであり、補足説明もアレクシアの方から質問しない限りしてこない。つまり、細かい流れはアレクシア自身で考えなければならないということだ。
 放任かとも思われるが、アレクシアの質問に対する答えは、的確で分かり易い。アレクシアの調子と理解度を、充分に把握している証拠だ。
 しかも、三日前からは更に段階が上がっていた。
「さて、恒例好評の抜き打ち試験と行きましょうか」
 と、鏡華は座卓の下から、びっしりと問題が書き連ねられた紙を取り出した。もちろん、文字は陽出語である。
「では、制限時間は三十分ね。用意‥‥‥始めっ」
 宣言と同時に、時計をアレクシアの前に置いた。アレクシアは、慌ててペンを取って問題に取り掛かる。
 このような小試験は、今回のように区切りの良い所で出してくることもあれば、読んでる途中でいきなり仕掛けてくることもある。そして問題の内容も、その時読んでいる本から出るとは限らず、数日前の内容が出ることもある。読み進めた場所から出題することもあれば、まだ進めていない箇所が出る場合もある。一番最初にやった小試験など、むしろその方が多く、惨憺たる結果だった。
 その結果に消沈するアレクシアに、鏡華と蒼真は穏やかに、そして厳しく言った。
「確かに進め具合は任せたけど、それはダラダラやって良いという意味じゃないわよ」
「そりゃお前‥‥‥出来ねえんじゃなくて、怠けてるだけだ」
 それはもう、理不尽に思ったものだ。だが、後になってから考えれば、進めていないと思っていたのは、実際に〝怠けている〟の範疇だった。
 これでいいか、まあいいか、と。
 そんな怠けや甘えを、鏡華も蒼真も決して見逃さない。なので、アレクシアも決して気を抜けないのだった。
 そして、その甲斐はあった。
「デキタ」
「二七分と三十秒ちょい‥‥‥やるようになったわね」
 と、感心したように頷くと、アレクシアの差し出した解答紙を確認していき、
「肝心の出来栄えは‥‥‥今日は、〝もっと頑張りましょう〟かしら」
 赤く彩られた解答紙を見せる。○が六割、△が三割強、×が少々というところ。間違えた箇所は、きちんと訂正して再提出。出来るまでは、おやつも昼食も夕食も抜き──いや、実際に以前、二度ほど昼食夕食を抜きにされ、空きっ腹を抱えながら必死に訂正作業をしたことがある。これまた手抜きするわけにはいかないのだった。
 幸い、今日のは単なる見落としや記述のし損ないばかりで、訂正箇所はすぐに把握できたため、昼食もおやつも食べ損ねることは無かった。
 しかし、アレクシアのすることは、当然ながらお勉強だけではない。
「それじゃ買い出しお願い。買うモノを書いた紙は、財布に入れてるわ」
 食後の茶を飲み切ったところで、鏡華は入り用品を入れる大きな背嚢と財布を渡してきた。
「何度も言うけど、言葉と浮揚機には気を付けるのよ。お釣りは誤魔化さないでね。それと」
 世話好きな母親のごとくあれこれ並べ立てていた鏡華は、不意に言葉を止めて座卓に目を向ける。
 そこには、身なりの良い男の幻影がおり、誰に向けるでもなく小難しい話をしていた。
 これも機械の一種で、遠く離れた音や情景を送受信する代物だという。今見ているのは、最近起こったことや今後の情勢を、不特定多数の相手に伝える番組らしい。
 〝らしい〟──というのも、幻影男の話には知らない単語も多く、アレクシアにはよく分からないのだった。
 なので、鏡華が要約した。
「結構物騒な話よ。二、三日前から、空き巣だかひったくりだかが続いてるらしいわ。しかも、まだ捕まってない上にウチの近くみたいね。良い? 寄り道は程々にして、夕方までには帰ってくるのよ」
「ワカッタ」
 渡されたそれらを受け取ったアレクシアは玄関へと向かい、ふと思い立ち、踵を返して風呂場の隣の小部屋に入った。
「‥‥‥」
 未だに慣れないため、使うのは気が進まないのだが、生理現象に逆らって、しなくてもいい粗相するのはもっと嫌だ。
 しかし、便利すぎるのも考えモノだ──と、アレクシアは思いながら腰かけたのは、設置された便座である。
 つまりここは、便所である。当たり前で、しかし極めて重要な設備である。しかし、便座に備えられた仕掛け・・・は、良いのか悪いのか判断しかねる。
 水で流すのは、衛生面から良いことだ。用を足すと自動的に流れるのも、便利でよろしい。腰を下ろした便座が温かいのも、実に良心的だ。
 しかし──便器ではなく、使った者・・・・使った部分・・・・・を洗う機能には、驚きを通り越してある種の衝撃を受けた。初めて使った時など、隣近所に響き渡る悲鳴を上げてしまった。
 今は、さすがに悲鳴こそ出すことは無くなったし、使った方が清潔であり〝後始末〟も楽ではあることは分かる。
 しかし、
「~~~~~っ」
 口を押さえつつ、気合を入れて我慢しながら、アレクシアは改めて思った。
 つくづく、便利すぎるのも考えモノだ──と。
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