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第五駅
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『え~間もなく発車いたします~。出車時の揺れにご注意ください~』
アナウンスはのんびりしてるが、あたしとキョウコさんは慌ただしくその列車に乗りこんだ。直後に扉は閉まり、列車が静かに動き出す。同時に、反対側のホームに止まっていた列車も動き出し、あたし達とは全く別の方向に向けて進んでいく。
「しつこいようだけど、列車の行先はハルちゃん次第。私には分からないわ」
列車がトンネルに入り、互いの列車の姿が完全に見えなくなると、キョウコさんは言った。
「ただ、あくまで私に言わせればの話だけど……ハルちゃんが望まれて生まれてきた事は、間違いないわ。お父さんにも、お母さんにもね」
「……どうして」
キョウコさんにそんなことが分かるのか──そう訊こうとしたが、
『え~間もなく停車いたします~』
アナウンスに遮られてしまった。
トンネルが途切れ、広がった光景はあたしの知らない街だった。だからなのか、街並みよりも澄み渡る青空の方に目が行った。
一方のキョウコさんは、
「……へぇ、そういうこと……」
知ってる街らしく、懐かしそうに街を眺めていた。
『降り口は左側になりま~す。お降りのお客様は、お忘れ物の無い様ご注意ください~』
やがて、列車が停車した駅は、ハルが運びこまれたそれとは違う、見知らぬ病院の前だった。
「さて……短い付き合いだったけど、私はここで降りるわ」
キョウコさんは席を立って、足早に乗降口に歩いていく。
「ここから先は、本当にハルちゃん次第。しっかり迷わずに行くのよ」
「あ、はい……」
呼び止めようとして、あたしは思い留まった。
キョウコさんこちら側の人である。
キョウコさんがそう言うならば、ここから先は本当に自分だけで何とかしなければならないのだろう。
「えっと……お世話になりました」
「どういたしまして。私も、結構楽しかったわ」
キョウコさんは、乗降口から駅に降りていったのを見送り、あたしは窓の外に目を向ける。
丁度病院の玄関から、一人の若い男が出てきていた。
「……お父さん……」
若いが──間違いなく、あたしのお父さんだった。その腕には、何かが抱えられている。
窓を開けると、決して近い距離ではないのに、お父さんの声が聞こえてきた。
*****
「お母さんはちょっと調子が悪くてな~。もう少ししたら来るからな~」
日の当たるベンチに腰かけたお父さんは、顔をだらしなく弛めながら、抱えていたそれを覗きこんだ。
それは、白いベビーガウンに包まれた、生まれたての赤ん坊だった。
お父さんは、だらしない顔を更にだらしなく弛ませ、ふと何かを思いついたように空を仰いだ。
「ちょっと、あまりぼんやりしてないでよ。落としたらどうするのよ?」
病院の玄関から駆け寄ってきた女の人が、渋面を浮かべて言った。それに気づいたお父さんは、
「丁度良い時に来たな。こいつの名前、決めたぞ」
お父さんは嬉しそうにしながら、赤ん坊を空に目がけて高々と掲げた。
「あ~ちょちょっちょっ」
女の人は、血相を変えてお父さんの腕を下ろさせ、ひったくる勢いで赤ん坊をお父さんから離した。
「全くもう……それで、大丈夫なんでしょうね、貴方ってそういうセンスがイマイチだから」
「当然だろ。この子の名前は」
「この子の名前は?」
「晴美だ」
その名前を聞いて、女の人はどこか微妙な顔になり、
「貴方にしては良い名前を考えたと思うけど……ちょっとありきたりじゃない?」
「こんな空の下に生まれたら、それしかないだろ」
と、お父さんは空を仰ぎ、女の人も同じように空を仰ぐ。
広がるのは、雲一つない青空。
「……確かにね」
しばらく空を眺めていた女の人は、納得したような顔で頷くと、腕の赤ん坊に目を向け、
「とういうわけで、貴方の名前は晴美よ、本山晴美……ハルちゃんよ」
「──っ」
声にならない声が、私の口から思わず漏れた。
本山晴美──それが、自分の本当の名前だった。
そして、〝ハル〟という呼び名を付けたその女の人は、
「……キョウコ、さん……?」
あたしは、目を見張ってその人をもう一度確かめる。
間違いなく、たった今列車を降りたキョウコだった。
「! キョウコさんっ」
あたしは乗降口に慌てて向かうが、既に固く閉じられ、開くことは無かった。
『え~発車いたします~。出車時の揺れにご注意ください~』
間延びしたアナウンスと共に、列車が静かに動き出す。
あたしは、すぐに客席に戻って窓を全開にし、身を乗り出す。
「キョウコさんっ!」
キョウコさんはいた──列車の進む方向の、駅の端に。
「キョウコさんっ!」
あたしとキョウコさんはすぐにすれ違い、列車の加速でどんどん遠くなっていく。
なのに、
「これからも色々あるだろうけど、頑張って乗り越えなさい」
その言葉は、まるですぐ目の前で言っているかのように、はっきりと聞こえた。
「そうすれば、病気なんて向こうから消えるわ」
「お母さんっ!」
だからあたしは誓った。
「アタシ、生きるからっ! まだ、生きていたいからっ!」
これからも病気と闘うことを。
辛くても、生きて、生きて、生き抜いていくことを。
アナウンスはのんびりしてるが、あたしとキョウコさんは慌ただしくその列車に乗りこんだ。直後に扉は閉まり、列車が静かに動き出す。同時に、反対側のホームに止まっていた列車も動き出し、あたし達とは全く別の方向に向けて進んでいく。
「しつこいようだけど、列車の行先はハルちゃん次第。私には分からないわ」
列車がトンネルに入り、互いの列車の姿が完全に見えなくなると、キョウコさんは言った。
「ただ、あくまで私に言わせればの話だけど……ハルちゃんが望まれて生まれてきた事は、間違いないわ。お父さんにも、お母さんにもね」
「……どうして」
キョウコさんにそんなことが分かるのか──そう訊こうとしたが、
『え~間もなく停車いたします~』
アナウンスに遮られてしまった。
トンネルが途切れ、広がった光景はあたしの知らない街だった。だからなのか、街並みよりも澄み渡る青空の方に目が行った。
一方のキョウコさんは、
「……へぇ、そういうこと……」
知ってる街らしく、懐かしそうに街を眺めていた。
『降り口は左側になりま~す。お降りのお客様は、お忘れ物の無い様ご注意ください~』
やがて、列車が停車した駅は、ハルが運びこまれたそれとは違う、見知らぬ病院の前だった。
「さて……短い付き合いだったけど、私はここで降りるわ」
キョウコさんは席を立って、足早に乗降口に歩いていく。
「ここから先は、本当にハルちゃん次第。しっかり迷わずに行くのよ」
「あ、はい……」
呼び止めようとして、あたしは思い留まった。
キョウコさんこちら側の人である。
キョウコさんがそう言うならば、ここから先は本当に自分だけで何とかしなければならないのだろう。
「えっと……お世話になりました」
「どういたしまして。私も、結構楽しかったわ」
キョウコさんは、乗降口から駅に降りていったのを見送り、あたしは窓の外に目を向ける。
丁度病院の玄関から、一人の若い男が出てきていた。
「……お父さん……」
若いが──間違いなく、あたしのお父さんだった。その腕には、何かが抱えられている。
窓を開けると、決して近い距離ではないのに、お父さんの声が聞こえてきた。
*****
「お母さんはちょっと調子が悪くてな~。もう少ししたら来るからな~」
日の当たるベンチに腰かけたお父さんは、顔をだらしなく弛めながら、抱えていたそれを覗きこんだ。
それは、白いベビーガウンに包まれた、生まれたての赤ん坊だった。
お父さんは、だらしない顔を更にだらしなく弛ませ、ふと何かを思いついたように空を仰いだ。
「ちょっと、あまりぼんやりしてないでよ。落としたらどうするのよ?」
病院の玄関から駆け寄ってきた女の人が、渋面を浮かべて言った。それに気づいたお父さんは、
「丁度良い時に来たな。こいつの名前、決めたぞ」
お父さんは嬉しそうにしながら、赤ん坊を空に目がけて高々と掲げた。
「あ~ちょちょっちょっ」
女の人は、血相を変えてお父さんの腕を下ろさせ、ひったくる勢いで赤ん坊をお父さんから離した。
「全くもう……それで、大丈夫なんでしょうね、貴方ってそういうセンスがイマイチだから」
「当然だろ。この子の名前は」
「この子の名前は?」
「晴美だ」
その名前を聞いて、女の人はどこか微妙な顔になり、
「貴方にしては良い名前を考えたと思うけど……ちょっとありきたりじゃない?」
「こんな空の下に生まれたら、それしかないだろ」
と、お父さんは空を仰ぎ、女の人も同じように空を仰ぐ。
広がるのは、雲一つない青空。
「……確かにね」
しばらく空を眺めていた女の人は、納得したような顔で頷くと、腕の赤ん坊に目を向け、
「とういうわけで、貴方の名前は晴美よ、本山晴美……ハルちゃんよ」
「──っ」
声にならない声が、私の口から思わず漏れた。
本山晴美──それが、自分の本当の名前だった。
そして、〝ハル〟という呼び名を付けたその女の人は、
「……キョウコ、さん……?」
あたしは、目を見張ってその人をもう一度確かめる。
間違いなく、たった今列車を降りたキョウコだった。
「! キョウコさんっ」
あたしは乗降口に慌てて向かうが、既に固く閉じられ、開くことは無かった。
『え~発車いたします~。出車時の揺れにご注意ください~』
間延びしたアナウンスと共に、列車が静かに動き出す。
あたしは、すぐに客席に戻って窓を全開にし、身を乗り出す。
「キョウコさんっ!」
キョウコさんはいた──列車の進む方向の、駅の端に。
「キョウコさんっ!」
あたしとキョウコさんはすぐにすれ違い、列車の加速でどんどん遠くなっていく。
なのに、
「これからも色々あるだろうけど、頑張って乗り越えなさい」
その言葉は、まるですぐ目の前で言っているかのように、はっきりと聞こえた。
「そうすれば、病気なんて向こうから消えるわ」
「お母さんっ!」
だからあたしは誓った。
「アタシ、生きるからっ! まだ、生きていたいからっ!」
これからも病気と闘うことを。
辛くても、生きて、生きて、生き抜いていくことを。
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