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第二駅
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「危ないわよ」
と、キョウコさんはあたし強引に引っ張って席に座らせると、急いで窓を閉める──直後、列車はトンネルに入った。
「……っ」
あたしの背筋に怖気が走った。あのまま窓から乗り出していたら、確実に首を持っていかれただろう。嘘や冗談じゃなくて、本当に。
「あ、ありがとう、キョウコさん」
「いえいえ……でも、結婚式ってのは、いくつになっても良いものね。というわけで~」
いつの間にか、キョウコさんの手には缶ビールが握られていた。プルを開けるなり、高々と掲げ、
「若き二人の新たな門出に乾杯~っ!」
それを一気に飲み干した。こういうのを、イイ飲みっぷりと言うべきなのだろうか。
「ハルちゃんも一杯どう?」
と、どこから取り出したのか、もう一本を差しだしてきた。
あたしは、それを全力で断った。何しろ、
「あたし、未成年ですから」
未成年──思わず出たその言葉に、あたしは思い出した。
「……そうだ、あたしは……まだ未成年で……」
じゃあ、正確な年齢は──思い出そうとするが、靄がかかったように浮かんでこない。
「あら残念ね~」
一方のキョウコさんは、未成年と聞いてさも残念そうに溜息を吐き出し、
「じゃあ、貴方の分も私が代わりに飲んでおくわね~」
と、何ともわざとらしいこと言いながらプルを開け、ビールを一気に煽った。
「それにしても結婚か~」
酒臭い息を大きく吐き出しながら、キョウコさんは懐かしそうに目を閉じ、
「私にも、そんな時があったわ~。もうだいぶ前の話になるけどね」
「え」
あたしは、思わずキョウコさんをまじまじと眺め、
「キョウコさんて、結婚してるんですか?」
「ちょっと何よその、もの凄~く意外だ~って顔は?」
キョウコさんは、酒が入っているせいか、やけに鋭く睨み付けてきた。
「いや、そんなつもりは……」
と、あたしは慌てて否定してみたが、実際凄く意外だった。
どうしてかと言えば、
「その……一人旅って言うから」
「旦那子供がいたって、一人旅しちゃいけないってルールは無いわよ……まあ、正確には〝結婚してた〟だけどね」
「してた?」
「旦那と子供とは、随分前に死に別れちゃってね……要するに、未亡人よ」
「それは……ごめんなさい」
変なところに首を突っ込んでしまったようだ。あたしは、慌てて頭を下げた。
「ハイハイ、気にしないの。言ったでしょ、随分前の昔の事だって。おかげで、こうして気楽な列車の旅ができるわけで~」
キョウコさんはからからと笑いながら、窓の外に目を向ける。
「そうそう、列車と言えば……この路線はちょっと変わっててね。殆どがトンネルで、外に出るのは駅だけなのよ」
「地下鉄でも無いのに? この辺は山が多いんですか?」
「そういうわけでもないんだけど……それにしても貴方、自分のことはろくに思い出せないのに、そういう小難しい知識はしっかり覚えているみたいね」
「別に小難しいことじゃないですよ。そんなのは」
常識──言いかけた言葉を、あたしは噤んだ。
常識、世の中の知識──そんな〝その他〟は明確に思い出せるのに、あたしは自分の周りの事は、霞でも掴むように思い出せない。
考えがそこまで進んで、あたしは先ほどの引っ掛かりの正体に気づいた。
ハル──それは、あたしの本当の名前ではない。
みんなから、そう呼ばれることが多かったあだ名だった。
じゃあ──〝みんな〟とは誰だ?
〝ハル〟があだ名なら、あたしの本当の名前は何だ?
「……と、そろそろ次に着くわよ」
『え~間もなく停車いたします~。降り口は右側になりま~す。お降りのお客様は、お忘れ物の無い様ご注意ください~』
キョウコさんの声とアナウンスが響き、あたしは物思いを中断して窓に目を向けた。
*****
トンネルが途切れて広がったのは、いくつもの建物が立ち並ぶ街の景色。しかし、前の駅と違い、郊外ではなく街中の駅で停車した。
座席の窓から見えるのは、満開の花びらを美しく咲かせる桜並木と大きな建物、そしてたくさんの親子連れ。
「今日は入学式みたいね」
キョウコさんの目を追えば、建物の正門──そこには〝入学式〟の看板が立てられ、めかし込んだ親子連れが、その横を通って中に入っていく。子供の背に真新しいランドセルが背負われているから、ここはどこかの小学校みたいだ。
気のせいか、どこかで見たような気がするけど、この席からでは満開の桜で隠れてしまっており、校門も看板もよく見えない。
あたしは、窓を開けて身を乗り出し、
「?」
どこの学校か確かめるよりも、どうしてかその親子に目を留めた。
糊を利かせたスーツが板についていない父親、娘は真新しい安全帽に真新しいランドセル──パッと見は他の親子と変わらないが、明らかに違う点が一つだけ。
母親の姿が、どこにも無かった。
トイレかと一瞬思ったが、その父と娘は二人だけで看板の写真を撮り、校内へ入っていく。
「……あの人……」
『え~間もなく発車いたします~。出車時の揺れにご注意ください~』
「だそうよ。はい、戻って戻って」
あの父子をもっと確かめようと更に身を乗り出すが、キョウコさんに引き戻されしまった。
列車は出発し、それでもどうにか確かめようと窓に張り付くが、すぐに列車はトンネルに入ってしまった。
「今度はどうしたの?」
肩を落として席に腰を下ろすと、キョウコさんは不思議そうに訊ねてきた。
「……さっきの結婚式の新郎さんに似てる人がいたの」
「そうなの? 私は、あの小っちゃい子たちの中にハルちゃんに似てる子がいたと思ったけど?」
「……確かに未成年ですけど……あたしって、そんなに小さく見えます?」
キョウコさんの子ども扱いに、あたしはむっと睨み付けた。キョウコさんは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ワザとらしくあたしの顔をじろじろと眺め、
「少なくとも、まだまだ大人とは呼べないわね~」
「あ、あたしはこれでも、この前の誕生日で十六になって」
自分は十六歳──思い出した。
今年の春に高校に進学し、ひと月前の誕生日で十六歳になった事を思い出した。
ようやく──自分のことを、一つだけ思い出した。
と、キョウコさんはあたし強引に引っ張って席に座らせると、急いで窓を閉める──直後、列車はトンネルに入った。
「……っ」
あたしの背筋に怖気が走った。あのまま窓から乗り出していたら、確実に首を持っていかれただろう。嘘や冗談じゃなくて、本当に。
「あ、ありがとう、キョウコさん」
「いえいえ……でも、結婚式ってのは、いくつになっても良いものね。というわけで~」
いつの間にか、キョウコさんの手には缶ビールが握られていた。プルを開けるなり、高々と掲げ、
「若き二人の新たな門出に乾杯~っ!」
それを一気に飲み干した。こういうのを、イイ飲みっぷりと言うべきなのだろうか。
「ハルちゃんも一杯どう?」
と、どこから取り出したのか、もう一本を差しだしてきた。
あたしは、それを全力で断った。何しろ、
「あたし、未成年ですから」
未成年──思わず出たその言葉に、あたしは思い出した。
「……そうだ、あたしは……まだ未成年で……」
じゃあ、正確な年齢は──思い出そうとするが、靄がかかったように浮かんでこない。
「あら残念ね~」
一方のキョウコさんは、未成年と聞いてさも残念そうに溜息を吐き出し、
「じゃあ、貴方の分も私が代わりに飲んでおくわね~」
と、何ともわざとらしいこと言いながらプルを開け、ビールを一気に煽った。
「それにしても結婚か~」
酒臭い息を大きく吐き出しながら、キョウコさんは懐かしそうに目を閉じ、
「私にも、そんな時があったわ~。もうだいぶ前の話になるけどね」
「え」
あたしは、思わずキョウコさんをまじまじと眺め、
「キョウコさんて、結婚してるんですか?」
「ちょっと何よその、もの凄~く意外だ~って顔は?」
キョウコさんは、酒が入っているせいか、やけに鋭く睨み付けてきた。
「いや、そんなつもりは……」
と、あたしは慌てて否定してみたが、実際凄く意外だった。
どうしてかと言えば、
「その……一人旅って言うから」
「旦那子供がいたって、一人旅しちゃいけないってルールは無いわよ……まあ、正確には〝結婚してた〟だけどね」
「してた?」
「旦那と子供とは、随分前に死に別れちゃってね……要するに、未亡人よ」
「それは……ごめんなさい」
変なところに首を突っ込んでしまったようだ。あたしは、慌てて頭を下げた。
「ハイハイ、気にしないの。言ったでしょ、随分前の昔の事だって。おかげで、こうして気楽な列車の旅ができるわけで~」
キョウコさんはからからと笑いながら、窓の外に目を向ける。
「そうそう、列車と言えば……この路線はちょっと変わっててね。殆どがトンネルで、外に出るのは駅だけなのよ」
「地下鉄でも無いのに? この辺は山が多いんですか?」
「そういうわけでもないんだけど……それにしても貴方、自分のことはろくに思い出せないのに、そういう小難しい知識はしっかり覚えているみたいね」
「別に小難しいことじゃないですよ。そんなのは」
常識──言いかけた言葉を、あたしは噤んだ。
常識、世の中の知識──そんな〝その他〟は明確に思い出せるのに、あたしは自分の周りの事は、霞でも掴むように思い出せない。
考えがそこまで進んで、あたしは先ほどの引っ掛かりの正体に気づいた。
ハル──それは、あたしの本当の名前ではない。
みんなから、そう呼ばれることが多かったあだ名だった。
じゃあ──〝みんな〟とは誰だ?
〝ハル〟があだ名なら、あたしの本当の名前は何だ?
「……と、そろそろ次に着くわよ」
『え~間もなく停車いたします~。降り口は右側になりま~す。お降りのお客様は、お忘れ物の無い様ご注意ください~』
キョウコさんの声とアナウンスが響き、あたしは物思いを中断して窓に目を向けた。
*****
トンネルが途切れて広がったのは、いくつもの建物が立ち並ぶ街の景色。しかし、前の駅と違い、郊外ではなく街中の駅で停車した。
座席の窓から見えるのは、満開の花びらを美しく咲かせる桜並木と大きな建物、そしてたくさんの親子連れ。
「今日は入学式みたいね」
キョウコさんの目を追えば、建物の正門──そこには〝入学式〟の看板が立てられ、めかし込んだ親子連れが、その横を通って中に入っていく。子供の背に真新しいランドセルが背負われているから、ここはどこかの小学校みたいだ。
気のせいか、どこかで見たような気がするけど、この席からでは満開の桜で隠れてしまっており、校門も看板もよく見えない。
あたしは、窓を開けて身を乗り出し、
「?」
どこの学校か確かめるよりも、どうしてかその親子に目を留めた。
糊を利かせたスーツが板についていない父親、娘は真新しい安全帽に真新しいランドセル──パッと見は他の親子と変わらないが、明らかに違う点が一つだけ。
母親の姿が、どこにも無かった。
トイレかと一瞬思ったが、その父と娘は二人だけで看板の写真を撮り、校内へ入っていく。
「……あの人……」
『え~間もなく発車いたします~。出車時の揺れにご注意ください~』
「だそうよ。はい、戻って戻って」
あの父子をもっと確かめようと更に身を乗り出すが、キョウコさんに引き戻されしまった。
列車は出発し、それでもどうにか確かめようと窓に張り付くが、すぐに列車はトンネルに入ってしまった。
「今度はどうしたの?」
肩を落として席に腰を下ろすと、キョウコさんは不思議そうに訊ねてきた。
「……さっきの結婚式の新郎さんに似てる人がいたの」
「そうなの? 私は、あの小っちゃい子たちの中にハルちゃんに似てる子がいたと思ったけど?」
「……確かに未成年ですけど……あたしって、そんなに小さく見えます?」
キョウコさんの子ども扱いに、あたしはむっと睨み付けた。キョウコさんは、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、ワザとらしくあたしの顔をじろじろと眺め、
「少なくとも、まだまだ大人とは呼べないわね~」
「あ、あたしはこれでも、この前の誕生日で十六になって」
自分は十六歳──思い出した。
今年の春に高校に進学し、ひと月前の誕生日で十六歳になった事を思い出した。
ようやく──自分のことを、一つだけ思い出した。
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