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03 異世界で働こうとしました

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 アスランさんと一緒に、城内の仕事一覧から選んだ翌々日の朝。俺は厨房に向かった。
 一昨日のワースさんの印象は強烈だったけど、あれは挨拶、として脳で処理したら、なかなかいい職場だと思えたのだ。

 文字の読み書きができなくても、皿洗いや皮剥きといった実務ならやり易いんじゃないかって。

 他に知ってる所が全然なかったから、というのも理由なんだけど。アスランさんに聞いた感じ厨房の人たちや雰囲気も悪くなさそうだった。

 料理長のワースさんからして、よく知らない俺の体調に合わせた料理を出してくれるような人だしね。

 シランさんの一覧だと、皿洗い専門や野菜準備係(野菜を洗うのと下ごしらえ専門)、食材を貯蔵庫から出してくる係にと細かく分かれていたが、適正がわからないということで単に"見習い"という扱いで様子を見てくれるらしい。

 なので少しの不安とやるぞ!という意気込みでやって来た。

「タスク様…!」

 うん、事前に話しを聞いてる筈のワースさんがまたお祈りポーズをしている。俺の上司になるのだけど、物凄く低姿勢だ。

 慌てて俺もお祈りポーズをして微笑んでおく。会う人会う人にこのポーズをされるので、俺も部屋で練習した。
 膝を曲げて、ワースさんより目線が高くならないように気をつける。

「今日からお世話になります。初めてなので至らない点も多いかと思いますが、精一杯努めさせて頂きますので、ご指導よろしくお願い致します」

 無難な挨拶を述べて、ニコッと微笑んでおく。笑顔は潤滑油!
 四十代のおっさんで、この世界の常識や文字すら知らないというハンデまであるのだ。愛嬌や性格で弾かれることが無いようにしたい。

「お、おお…」

 しばらく動かなくなったと思ったら、ワースさんがいきなり男泣きし始めた。

「アスラン!神に祈られた!わ、私はどうすれば…っ」
「落ち着いて下さい。落ち着いて下さい。タスク様を新人の見習いボーイとして、丁寧に指導すればよいと思います」

 一昨日の挨拶時以上の様子にも、声を掛けられたアスランさんは動じていない。今日も抜群の安定感だ。

 的確すぎる内容に俺もうんうんと頷いておく。「タスク様は笑顔で頷かれていれば大抵なんとかなります」ってアドバイスももらったからね。

『タスク様が働くことで祈られたり泣かれたり倒れ伏したりする者がいるかもしれませんが、お気になさらず。きっと周りがどうにかしますので』
『何それ、怖いよ?!』

 というやりとりもあって、本当になんで?と思うけど、ワースさんの様子を見ると本当かもしれない。ひとまず会社員生活で培った『意味がわからないことも目を瞑れる』スキルで、気にしないことにしておく。

「新人、それも素人の新人ですので、雑用でもなんでもやらせて頂きます。些事でも構いませんので、気兼ねなく仰って頂ければと思います」

 名前もタスク、と呼んで下さいと伝えると、何故かワースさんの男泣き、アスランさんの的確な指示という2周目が始まったのでした。




「タスク様、こちらをお味見下さい」
「美味しいです。シャキシャキした食感と香りがすごくよくて」
「召し上がって頂いた前菜の中ではどれが一番お好みですか」
「うーん、一番なら野菜のムースでしょうか。口当たりがすごくよかったんです」

 ふんわりした薄いピンクのムースはひんやりとして口の中で溶けるようで、とても美味しかった。
 では次にこちらを、と差し出された小皿から口に含みながら、俺は内心首を傾げてしまう。
 仕事というと皿洗いや皮剥き、なんなら最初は掃除やゴミ捨てといった雑用を回されると思っていたのだ。

 厨房にお邪魔したのは時間で言うと午前10時ごろ。忙しい朝の時間に訪れるのも、ということでワースさんに挨拶後、スタッフさん達に挨拶させてもらって厨房に入った。
 うん、挨拶をしたらスタッフさん全員にお祈りポーズをされてビックリもしたけど、お祈り返しでなんとか乗り切った。

 最初は厨房内を案内してもらってたんだけど、俺が行くと皆さん手を止めちゃうんだよね。料理長ワースさんが案内してるからかもしれないけど。
 
 中断させて申し訳ない気分で早く仕事をしたい、と思っていたら、最初に指示されたのは銀のカトラリーをしまうことだった。

 銀ってすぐ黒くなるイメージがあったんだけど、出されていたカトラリーはどれもぴかぴかで、曇りひとつない。説明通り、布越しに手を触れないようにしながら専用の保存袋に1本1本いれていく。

 量があったので集中してやっていたんだけど、厨房は昼食の準備でかなり忙しい様子だった。 
 『バカっ、火加減!』とか『味付けがおかしい!』とか、時には悲鳴や何か取り落とすような音とか。怪我でもしたのか、なぜかしゃがんで蹲っている人とか。
 日本でもレストランの厨房は戦場だ、と聞いたことがある。だからこういうものなのかもしれないが、なかなか壮絶だった。

 カトラリーを仕舞い終えてから、よし、次は――と思ったところで、ワースさんから声を掛けられた。

「タスク様。タスク様にしかできないお仕事をお願いしてよろしいでしょうか」

 勿論、と返事をした後は厨房から出て今の席に着席。
 なぜか食の好みをあれこれ聞かれ、また途中から今のように料理が少量ずつ出されて意見を聞かれている。
 少しずつだけどこんなに食べていったらお昼ご飯いらなくなりそう。




 結局アスランさんが迎えに来てくれた午後五時ごろ、釈然としない気持ちで部屋に戻った。

「タスク様、いかがでしたか。お疲れになったのではありませんか」
「いや、全然疲れてない。というか働かせてもらってない」

 そう、結局いろいろな料理の"味見役"ということで、前菜から始まりメインやデザートまで、手の込んだ味付けのものを少量ずつ時間をかけて食べたのがほとんどだった。
 お茶まで複数嗜んで(お酒は業務中だから断った)、用足しも2回して、お昼替わりのそれが終わった後は辺境伯家にある銀器の説明や食器の歴史などを聞いて終わった。

 落ち人でこちらの世界のことを知らないから、という配慮…だったのだろうか。だがともかく、新人がやる仕事では絶対になかったと思う。

 やや愚痴っぽくなる俺の報告を聞いてくれた後、部屋で夕飯をとって、またアスランさんが仕事一覧の紙を持ってきた。

「タスク様、他にやってみたいものを選んで頂けますか?」
「厨房で続けて働くんじゃないの?」
「適正があるものを見つけることが第一、とシラン様から言われておりますので。いくつかご体験頂くのがよろしいかと思います」

 そうアスランさんは言ってくれたけど、なんとなく、働くのはやめてくれって言われたんじゃないかって気がする。
 何が悪かったのかもわからず、悄然しょうぜんとしながら一覧を眺める。

「じゃあ、これかこれ」
「こちら…でございますか。ちなみに理由をお伺いしても?」
「厨房と同じで、掃除や洗濯なら文字が書けなくてもできるかなって」

 選んだのはハウスボーイとランドリーボーイ。ほとんどは女性らしいけど、アスランさん曰く男性でも働けるらしい。

「参考までに、その次にやってみたいとなりますのは」
「それなら、これかなぁ。馬と一緒に仕事してみたい」

 会社員として最近はインドアな仕事ばかりやってきたので、室内でできる仕事を選んでいたけど、難しいならと思い切ってやってみたいのを指差した。

 日本語で言うなら馬丁の仕事、だろうか。だけどこれは専門性が強そうで無理かもしれない。なら庭師の下で庭の整備係とか?そんな意見を述べてみる。

「……なるほど」
「うん。何かまずい?」
「いえ、どうでしょう。やってみないとわかりませんから」

 そんなやりとり後、ボーイとしてメイドがしらの下で働いた日も、見習いとして厩舎に行った日も、ほぼ働けずに終わるという似たような待遇が結局続いた。

 今日はお休みです、とアスランさんに言われてがっくりしながら部屋にいる。
 落ち込んでて出歩く気分にもならないけど、部屋にこもり切りも嫌で、バルコニーではぁ、と息を吐く。
 じんわりと暑いけど、そよそよと吹く風が気持ちいい。

 ここまでうまくいかない理由がわからない。俺が部外者だからなのか、落ち人として得体が知れないからなのか。ただそれだけで片付けるには釈然としない。皆の態度を見ても、どうも『何か』があるのだけど、その何かが欠けたピースのようによくわからない。

 ぶんぶん、とネガティブに寄りそうな頭を振る。やめやめ。悩んでいても仕方ない。年をとって良かったことは、図々しくなれるようになったことと必要ないところは鈍感になれることだ。

「タスク様、ロシュバルト様がいらっしゃいます」

 部屋の中から掛けられたアスランさんの声に、ロシュバルト様?と首を傾げる。
 意識を取り戻した時に会ったきりだ。何か用事でもあるんだろうか。

 バルコニーの窓から中に入ると、ちょうどロシュバルト様とシランさんがドアから入ってくるところだった。こちらに顔を向けられたので、癖みたいになりつつある挨拶(?)をする。もう大分慣れた。
 手を組んでー、膝を曲げてー、にっこり!

「…………………………タスク、……」

 はい、タスクです。
 ロシュバルト様が俺の名前をつぶやいて、何故か固まっている。
 こういう反応ももう大分慣れたけど、この挨拶地味に足が辛いんだよね。

「ロシュバルト様、どうかされたんですか?」

 さりげなく姿勢を戻しながら訪ねる。最初に会った時は普通だったのに、どうしたんだろうか。

「…………………………………髪を、切ったのだな」
「はい、ディーラさんに切って頂きました!髭も剃って頂いて、スッキリです」
「……っ」

 長い沈黙の後に、間髪いれずに返してみたけどまた固まっている。こちらはにこにこ、とスマイルを崩さない。ロシュバルト様はここのトップ、俺の生殺与奪権を握っているような人だからな。失礼はできない、と気を引き締める。

「ロシュバルト様、タスク様の仕事の話しでしょう」
「あ、ああ、そうだった」

 シランさんに水を向けられて、ロシュバルト様はそうだ、そうだったな、と若干しどろもどろながら調子を取り戻したようだ。仕事、と聞いて俺は憂鬱だ。

「タスクの仕事について――そう、この3日仕事に出てもらったわけだが、聞いていると向いていないのではないかと思った。どういう基準で選んだか、聞かせてほしい」

 そう聞かれて、俺はアスランさんに話したのと同じことを答える。文字が読んだり書けなくても、実務ならやり易いんじゃないかと考えたこと。シランさんが軽く頷いて聞いてくれている。

「考え方はわかった。だがそもそも、タスクは元の世界でどの様な仕事をしていたのだ?」
「最初は営業で、一緒に販売もしてました。途中から営業支援のサポート系部署ですね」

 営業と一緒に商談同行もしたりと、どっちかというと営業寄りのポジションだった。実際にどんなことをしていたかロシュバルト様とシランさんに話すが、あれは自社商品やシステムをよく知っているから出来ることだったしなぁ。商談や交渉と、話すこと自体は割と慣れているので物怖じせずできると思うけど。
 と思いつつ、シランさんがまた上手に質問してくれるので、ついつい熱が入って語ってしまう。

「あと、神に祈りを捧げてもらったと話しが出ている。タスクが先ほど私に行った動作だろう。どういう意図でこんなことを?」

 祈り?あれ、やっぱりお祈りに見えるんだ。皆が日常的にお祈りする文化なのかと首を傾げる。

「えっと、皆が俺にやってくれるから、同じように返そうと思ってやるようにしたんですけど。挨拶みたいなものかな、と」
「…挨拶では無いな」

 そう言ったロシュバルト様が深くため息をついた。

「タスクは自分が働きに出て、問題が起こるとは考えなかったのか?」
「問題?落ち人だから得体が知れないって警戒されるってことですか?」

 四十代おっさんが働きに出て起こる問題。新人よりもモノを知らないかもしれないってこととか?あとはどう見ても顔立ちや骨格が違うから、人種差別も最初は考えた。けどそれより落ち人だからってことの方が警戒される要因に思える。

「自覚無しか。説明した方が早いな。シラン」
「そうですな。タスク様、こちらにおいで下さい」

 そう言われ付いていった先は建物中央、礼拝堂へ向かう大廊下だった。大廊下にふさわしい高く広い壁に、これまた大きな絵画が飾られている。油彩の宗教画、だと思う。

「この世界は創造の女神クレアシオン様が創られました。この絵は天や地、水に火に風、動植物を作り最後に人間と感情を創られたところを描いております。この絵を見て何かお気づきになることがありませんか」

 そう、実は前から明らかに気になっていたというか、違和を感じていた部分がある。

「あの、女神様は顔立ちの系統が違いますよね。人種が違うというか」

 女神様の顔がアッサリしてるのだ。
 左右対称、綺麗に整っているけど、うすーい顔立ち。日本人からしたら親しみを覚える顔。この世界に来てからこういった顔立ちは見たことがない。だからこそ通りがかる度に見てしまい印象に残っていた。
 
「クレアシオン様は創造の女神と同時に、美の女神とも言われています。そしてこの絵のクレアシオン様は顔立ちが大変美しいと評判なのです。つまり、クレアシオン様に似たお顔立ちのタスク様も大変に美しい、ということです」

 はい?

「すみません、もう一度いいですか」
「タスク様は大変、お美しい。神秘的で神々しいとすら言えます」

 おかしな幻聴が聞こえた気がして、思わず素で問い返すも内容が変わらなかった。いやいや。

「ご自覚をお持ちで無いようですので、もう一度。タスク様はお美しいのです」

 いやいや、いやいや。いるのはごく平凡な見た目のおっさんです。
 多少こざっぱりしたかもしれないけど、美しいとか言われたことないから!
 
「失礼致します。タスク様、事実でございます」
「いや、何かがおかしいとは思ってたけど」

 魂が口から飛び出た俺を見兼ねたのか、アスランさんがロシュバルト様とシランさんに断りを入れながら声を掛けてくれた。叔父姪の立場もあるからか、一歩踏み出してくれるアスランさんはそれこそ救いの女神に見える。

「タスク様が神がかってお美しいので、皆感謝の祈りを捧げたり泣き出したり、硬直したり倒れ伏したり平静を保てなかったりするのです」
「確かに色々おかしいとは思ってたけど!」

 そんな頼もしさと裏腹に、告げられる内容はむしろパワーアップしてきた。 
 わからなかった欠けた1ピース。
 その『何か』が、アッサリ地味顔のおっさんが美しい、とは斜め上過ぎない?

「この数日の報告を聞いただけでもタスク様の選んだような仕事で働くのは難しいでしょう。タスク様が平穏に生きていくには、貴族の後見人を見つけるべきですな」
「き、貴族…?後見人?」
「それもできるだけ高位が望ましい。タスクを欲した者が圧力を掛けてくることも考えられる」
 
 下手なものでは貴族同士で争いになる、と呟くロシュバルト様に呆然とする。
 なんだか、傾国の美女みたいな扱いになってませんか!??

「一つ、丁度いい立場がありますな。ロシュバルト様の婚約者の席が空いております」

 こんにゃく?こんやく?こんやく?『婚約』、の文字に変換されるまで時間がかかった。
 すごい、こんな落ち着いた物腰でシランさんって冗談しか言わない人だったのかな。

「ロシュバルト様は前国主。その婚約者となればおいそれとは手出しできません」
「すみません、理解が追い付かないです。そもそも俺、男ですし」

 衝撃的すぎて、なんかもう色々取り繕えなくなってきている。思いついた疑問が、考える間もなく口から飛び出る。

「おや、タスク様の世界では同性間の婚姻は珍しかったのですかな。この世界ではよくあることです。ロシュバルト様は訳あって子を生さないと宣言されておりますので、男性の方が望ましい、という面もあります」

 ええええ。そうなの。全く問題にされないことにも軽くパニックだ。

「確かに悪くも無い、か」

 呟かれた当のロシュバルト様の言葉に思わず振り仰いだ。表情の無い顔はもう最初の印象と変わらない。

「すぐに信頼に足る後見人を迎えるのは難しい。私の婚約者として釣り合う身分の養子先を探している、という建前で探すこともできる」

 目を白黒させている俺に、同情のような視線を向けられる。

「自覚が無いなら気の毒だが――単に後見人では、無理やり手籠てごめにした事実を基に婚約を訴えるような者が出てもおかしくないのだ。美しすぎる」

 てごめ。手籠め。またしても衝撃的すぎて言葉を失う。いや、犯罪だよね?めちゃめちゃ犯罪だよ!??

「婚約者とするなら相応しい教育を受けさせることもできる。文字の読み書きも当然必要だな」

 思ってもみない条件メリットも提示されて、ハッとする。文字の読み書き。この世界で生きていけるだけの知識。それは頼み込んででも習いたいことだった。でも。

「すごく、有難いですけど…そちらにメリットがないのでは」
「争乱の種にならない。それがメリットだ。ようやく国の情勢が落ち着いてきたところに、余計な火種を持ち込みたくない」

 バッサリと言うロシュバルト様に、さっきシランさんが前国主と言ってたなと思い出す。なんだかもう色々付いていけないが、俺は争乱の種になるのか。迷惑しかかけていない気がするが、この世界を碌に知らない俺から他にいい案が出るわけもない。
 
 ロシュバルト様にお願いします、と頭を下げた。







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