もっと前から!

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前編

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学校の図書室で、坂本克己はその人に出会った。茶色がかった柔らかそうな髪に包まれた、美しい顔の少年。
制服のネクタイの色で、彼が上級生だと分かった。彼は長く細い指で、上製本のページを捲った。その優雅さについ見惚れて、自分の選んだ本を取り落とした。バサっと音を立てて、本は開いた形で落ちていた。
「あちゃー」
呟いてしゃがみ込んだ。その際に体が他の本にひっかかった。バサバサと更に本は落下した。
なんだかな、もう。そう思いながら拾おうとすると、先に本を掴んで渡してくれた人物がいた。
「はい」
「あ、ありがとうございます」
顔を上げて驚いた。そこにはたった今、見惚れていた少年がいた。途端に克己の顔が熱くなる。
「わ!」
動揺して後ろに尻もちをついた。少年は首を傾けて訊ねる。
「大丈夫?」
「え、あ、はい」
「そう、良かった。所でこのあと時間ある?」
「え?」
少年は微笑んだ。
「俺は二年の椎名要、良かったらお茶しに行かない?」
「え、ええ?」
「ダメ?」
「いや、別にダメってことは……」
克己は要の整った顔を見つめながら頷いた。
「はい、行きます!」
それが克己が要と付き合いだすきっかけになった。


椎名要は恐ろしく顔の整った男だった。熱血というより優雅。運動部というより芸術家。さわやかというより妖艶。そんな雰囲気の少年だった。

「要さんて、どうして俺なんかと付き合ってるんですか?」
喫茶店でアイスティーのストローを弄びながら克己が訊ねると、要はフっと微笑んだ。
「なんでって、好きだからに決まってるでしょう?」
「好きって、俺のどこが……ですか?」
ちょっと緊張しながら克己は訊ねた。
「どこ? ああ、そうだね、まずはその顔だね」
「顔?」
「うん、顔、あれ、どうしたの?」
克己は困ったように頭をかいた。
「いや、だって、そこはまず、やさしいとか、思いやりがあるとか、性格の方を褒めるんじゃないですか? 顔ってなんか……。せめてもっと、かわいらしい雰囲気とか言われる方が救われるっていうか」
上目遣いで見ると、要は飲んでいた紅茶のカップを優雅な仕草でソーサーに戻した。
「でも、カツミだって、俺の顔が好きなんでしょ?」
至近距離で見つめられて、克己は赤くなる。つい顔をそらし、喫茶店の中を意味もなく見渡す。
どこを見ても、目の前の人間より、美しい人はいなかった。
「まぁ、確かに、カナメさんの顔、好きですけど……」
克己は視線を戻して答えた。
「でも、顔だけっていうか、ちょっと強引なとことか魅力的だと思いますし、他人に少し意地悪なのも気になるっていうか」
「君は俺の事を褒めているのか、けなしているのか分からないね」
要が頬杖をついて見つめるので、克己は赤くなった。
うう、確かにこの顔には弱いんだよね……。

「ねぇ、カツミ」
要はテーブルの上の克己の手に指で触れた。手の甲をなぞるような、妖しい指の動きに克己の体が熱くなる。心臓がドキドキするんですけど? この人、どうしてこう人を煽るの上手いの? 女慣れとかしてるの?  
確かにモテそうなので、経験値はいっぱいありそうだと思い、少し悲しくなった。
「このあと、家に来ない?」
思考が止まった。
「家、家ですか?」
「うんそう、家。もう克己と付き合ってから一カ月たつし、そろそろ次のステップに進んでも良いと思うんだ」
「わ! ちょっと待って下さい、次のステップってなんですか!? というか、まだ付き合って3週間位です。出会ったのが9月半ばで今まだ10月初旬ですから一カ月たってません! だいたい先輩手が早いんです! 初めてのデートっていうか、出会ったその日にキスとか、普通ありえないんですから!」
「ダメなの?」
首を傾げて言われてしまった。そんな顔で言われると困ってしまう。

「……い、家に遊びに行くだけなら」
「そう、じゃあ決定ね」
言うと要は伝票を持って立ち上がった。
「わ、待って下さい。まだアイスティー飲みかけで……」
「そんなのは残せば良いよ。カツミの気が変わらないうちに、さっさと家に行かないとね」
「わー、でももったいないし!」
克己がまだ未練たらしくストローを掴んでいると、要は小声で囁いた。
「言う事聞かないと、ここでキスするよ」
「!」
克己は大人しく紅茶を放して立ち上がった。


要の家は住宅街の中にある一戸建てだった。団地暮らしの克己からすると、一戸建ての家というだけでお金持ちというイメージがあった。
「良いですね、一戸建て! お父さんはどこかの社長ですか?」
克己の言葉に、要はクスクスと笑う。
「社長じゃないよ。ま、でもサラリーマンの成功例ではあるよ。有名企業の役員だからね」
「ほ、本当ですか!?」
漫画とかドラマみたいな家があるんだなと思った。

「お邪魔します」
少し緊張しながら家の中に入った。玄関横に鏡があり、思わずそこで自分の前髪などを直してしまう。二階に案内されると、扉の一つを開かれた。
「どうぞ、こっちが俺の部屋だから間違わないようにね」
言われて隣の扉を見た。ここにも誰かいるのだろうか? そう思っていると中からバンっという、壁を殴るような音が聞こえた。
「ああ、どうやらご機嫌斜めのようだな」
「誰か居るんですか?」
訊ねると要は微笑した。
「ああ、うちの犬がちょっとね。さ、部屋に入って」
犬? 気にはなったが、促されて部屋の中に入った。

「適当に座っていいよ。なんなら今すぐ裸になって、ベッドの中に入ってくれても構わないけど」
「しないです!」
克己はつい叫んでいた。
「あはは、冗談だよ。初めてなんだから、ちゃんと俺がじっくりと肌を観察しながら、脱がしてあげるから安心してくれよ」
「それ、安心出来ないんですけど!」
克己はつい閉まっている制服のジャケットを、掴んで合わせてしまった。

「どうしてそんなに身構えてるのかな?」
「どうしてって、だって……」
克己は顔を赤らめて俯く。
「俺達は付き合っているのに、克己は恋人の俺にも、何かされるの嫌なの?」
要はジャケットを脱いでハンガーにかけると、克己の横にしゃがみ込む。
「ほら、顔そむけてないで、俺を見てよ」
要は克己の顎を捉えて上向けさせる。心臓がドキドキと激しく脈打っていた。目を向けると要の整った顔が見えた。こんな綺麗な人間と、自分が付き合っているのが不思議だった。望めばどんな美女とも、もっと美少年とも付き合えると思うのに、どうして自分なんかが良いんだろう?

「カナメさん、俺の顔が好きって言ってましたけど、俺より顔が良い人っていっぱいいますよ。俺の友達の立花とか、人外じゃないかって位綺麗ですし、そうじゃなくても中井とかも美形で」
「他の人間はどうでも良いよ。綺麗でも関係ない。俺はカツミの顔が好みなんだ」
胸がきゅんとした。けれどそれを誤魔化すように、克己は更に訊ねる。

「でもじゃあ、もっと好みの顔の人間が出てきたらどうします?」
「もうカツミと出会ってるから関係ないよ。俺のキャパはもういっぱいなんだよ」
「キャパ?」
首を傾げると、要はその頬に手で触れた。

「そう、俺は誰かを好きになると、その人間だけでいっぱいになるんだよ。他の人間が割り込む隙間がないし、好きな子が入れ換わる事もない」
「えっと、それじゃあ、ずっと俺の事好きって事ですか?」
「そうだよ」
「でも、じゃあどうして今までの恋人と別れたんですか? その方式じゃ別れないんじゃないですか?」
「え? だって俺、好きで付き合った子って今までいないよ。俺、自分から好きになったのなんてカツミだけだよ」
「わ、嬉しいって……なんかおかしくないですか? 今のセリフ」
「ん、何が?」
克己は冷静になって考える。

「いや、だって、それじゃ今まで付き合った人、誰も好きじゃなかったような……しかもカナメさん経験豊富そうって、それってつまり好きじゃない人と付き合って、好きじゃない人とエッチしてきたってそういう事に……」
「細かい事は良いよ、気にするな」
言うと要は克己の肩を掴んで顔を寄せた。

「ちょ、誤魔化そうとしてますね! というか認めたって事ですよね!」
「良いからキスさせろ」
「カナメさん、それは横暴なんじゃ!? いつものスマートでロマンチックな所はどうしたんですか!?」
「この俺にお預けをする気か? 俺にそんな事するのは、本当にカツミ位だよ」
要は克己に顔を寄せる。

「わ、だからカナメさん、ちょっと待って心の準備が!」
「いいじゃん、キス、初めてでもないんだから」
確かに初めてではない。そもそも一番最初のキスも不意打ちに近かった。
要に連れていかれた喫茶店で、さっきと同じように紅茶をご馳走になった。その帰りに要は克己の家まで送ってくれた。要は別れ際にお辞儀をした克己の頬をつかんで、ほとんど不意打ちのようにキスをしたのだ。しかも動揺して赤くなっている克己に、更にもう一度、舌を絡めたキスをしかけてきた。
初めてのデートで二回も、しかも舌を絡めたキスをされ克己は茫然としていた。それからは毎日要に呼び出され、現在部活にも入っていない克己は、放課後デートを繰り返していた。


要はとにかく手が早かった。会えば必ずキスをする、どころではない。何か一つ動作があれば、必ずキスするという感じだった。席を立ちあがる時にキス、通学路に花が咲いていると立ち止まれば、そこでキス。カラオケに行っても、放課後の図書室でも、どこに行っても、何をしても、キスだった。

「そ、そりゃ初めてじゃないですけど……」
でも、今ここでキスをすると、そのまま押し倒されてエッチな事をされてしまう。今までも軽くいろいろされてきたのだが、今日はすぐ横にベッドまであるのだ。おいしく頂かれてしまうに決まっている。
克己はまだそこまでの覚悟が出きていなかった。

「カツミ、俺がキスしたいんだ。カツミはそれでも嫌なのか?」
至近距離で聞かれ、赤くなった。こんな綺麗な顔でそんな事言われると、嫌だなんて言えなくなる。
「嫌……じゃ……」
嫌じゃないです。そう言おうとした時だった。

「何やってんだよ! あんたはいつから嫌がる人間を襲うようになったんだよ!」

扉が開いて一人の少年が現れた。克己は茫然とその人物を見つめた。
黒い髪に黒い瞳。その目はとても意思の強そうなものだった。いや、それは彼が今、とても怒っているからなのだろうか?
そう思っていると、目があった。少年は微妙な顔をすると、克己から視線をそらし、要を睨みつけた。
「あんたは男を連れ込んで、何やってんだよ!」
「ヘンな言い方はしないで欲しいな。恋人を家に招待した。それのどこがいけない?」
要は言いきった。ちょっと待って、要さん、今、俺の事恋人だって紹介しちゃったよ。
動揺している克己を無視して、二人は会話を続ける。

「恋人って言うけど、そいつは嫌がってるじゃないか!」
「まったくだからリュウは子供なんだよ。嫌がるなんて、恋人同士の駆け引きじゃないか? 俺達が楽しんでいるのが分からないのか?」
言われて少年は克己を見る。克己はドキリとした。確かに本気で嫌がっていたわけではない。

「だいたいお前の方こそ、勝手に人の部屋を開けるなよ」
「お、俺はお茶を持ってきたんだよ! そいつ、お客さんなんだろ!」
少年は廊下に置いてあったお盆を手に持って、部屋に入ってきた。
「頼んでないんだけどな……」
不機嫌そうに要は言ったが、少年は無視して茶器をテーブルに並べた。
「しかも、今まで誰が来たってお茶なんか持ってきた事ないだろう?」
「……」
少年は要を無視して立ち上がった。部屋から出る時、一瞬、克己は彼と目が合った。その瞬間、眉を顰められてしまった。なんか俺、嫌われてるっぽい? 
二人きりになると、要は溜息をついた。

「まったく、邪魔しに来るとはな」
「えっと、今のは?」
「ああ、俺の弟のリュウ、椎名流だ」
「リュウ……くん」
「因みに同じ学校だから、お前と同級生だな」
「え、そうなの?」
「ああ」
「そ、そっか……でも、それなら最初から弟がいるって教えてくれても良かったのに」
克己が言うと、要は髪をかきあげた。

「なんで自分の恋人に、他の男紹介しなきゃいけないんだよ?」
「え?」
要の横顔を眺める。もしかして要は妬いたりしてくれるんだろうか?

「俺は恋愛に関しては、かなり心が狭いんだよ。自分の恋の為なら、他人なんか思いやる事も、優しくしてやる事もできない」
「えっと……カナメさん、恋愛以外でも、そうじゃないかと……」
「言ってくれるねぇ」
要は克己の顎を摘まむと、そのまま顔を寄せる。
「あ……」
唇が触れた。克己はまだキスに慣れずにドキドキと緊張していた。要の舌が入りこみ克己の舌に絡まる。それと同時に強く抱きしめられた。
「ん……」

克己は要にすべて任せていた。もう抵抗しようとは思わなかった。要にこうやって抱きしめられるのは、気持ち良かった。要が体重をかけて、克己を床に押し倒す。要はキスをしながら、克己の体に沿って手を這わせる。服の上から撫でられただけなのに気持ち良かった。性的な興奮というより、愛情を感じる優しい愛撫で心地良い。このままやらしい事をしないで、こうして抱き合うだけで幸せで、十分だと思った。
でもこの心地良さの延長線上に、セックスがあるのなら、それも構わないような気がしていた。
でも、やっぱり今日じゃなくて、別の日が良いな。弟のいる家でなんて、絶対無理だよ。
そう思いながらも、心地良いキスに酔っていた時だった。ガチャリと扉が開いた。

「え?」
顔を向けると足が見えた。更に視線を上げていくと、険しい顔をした流の顔があった。

「親が帰ってきたら、言いつけてやる」
克己は慌てて要を突き飛ばした。
「いや! これは違うんで! 俺達エッチしようとしてたワケじゃないんで! そもそもまだ、そういう関係にはなってなくて、だからその……」
慌てて言い訳する克己を、流は冷ややかに見つめた。要の方は乱れた髪を直しながら、流を睨む。

「今度はなんだよ?」
「ああ、ケーキ持ってきてやった」
「頼んでないが」
「遠慮すんなよ。ついでに食うの手伝ってやっても良いぜ」
座りこもうとする流を、要は掴んで部屋の外に追い出した。
「邪魔すんなよ」
「嫌だね。つーか兄貴、俺にそんな事言える立場かよ?」
一瞬要は眉を顰めたが、そのまま流を押しだす。
「ああ、言えるね。お前は弟で俺は兄貴。それにカツミは俺の恋人なんだ」
ピシャリと言うと、要はドアをしめた。廊下から蹴られたようにドンと音がしたが、すぐに気配は消えた。茫然と眺めていた克己は、床に座った要に声をかける。

「あの、俺、帰った方が良いですか?」
「いや、そんな必要ないよ、まぁゆっくりエッチは出来なそうだけど、お茶は飲むだろう?」
要はティーカップを克己の前に置いた。
「じゃあ、頂きます」
克己は注がれた紅茶を飲んだ。
「残念だけど、エッチは次に取っておくよ」
そのセリフにどう答えたら良いか。そう思っていたら、要はサラリと言った。
「じゃ、予定入れようか、何日が良い? 明日とかどうかな?」
「そのへこたれなさは何ですか!?」
スケジュール帳まで取り出した要に、克己はつい叫んでいた。




翌日、克己は教室でクラスメイトに声をかけた。
「瀬川ってさ、他のクラスに友達いる?」
「は、いきなり何だよ?」
瀬川は背の高い、野球部の少年だった。
「うん、野球部って部員多いし友達多そうだなって思って」
「いや、お前だって部活やってなかったっけ?」
一瞬眉を顰めたが、克己は言う。
「俺はもう部活辞めたから」
「そうなんだ。友達ね、ま、確かに各クラスに一人はいるかな」
「じゃあさ、椎名流って知ってる?」
「ああ、リュウか、知ってるよ。別にあいつは野球部でもないけどな」
「そのリュウって何組?」
「5組だよ。お前の友達のテニス部の石綿と、同じクラス」
「ああ、石綿と同じなのか。ちなみに椎名流ってどんな人?」
克己に聞かれ、瀬川は自分の顎をつまむ。
「どうって、まぁ、まずムカつく程顔が良いよな」
それは知っている。要とはタイプがまるで違うが、美形であった事は確かだ。
要が飄々として、何事も流すタイプなのに対して、流は弾丸のような性格に思えた。

「ああ、あとあいつ、アレで結構真面目なんだよ」
「真面目……」
昨日のアレは真面目ゆえに、不純同性交友をやめさせようとしていたのだろうか? 自宅でヘンな事をされては堪らないと言う、潔癖さからの行動だろうか?

「えっと、恋人とかはいるのかな?」
「は? ここ男子校だぜ?」
「いや、だからうちの学校の外にさ」
「ああ、なんだ、そういう事ね。てっきりお前がリュウの事好きなのかと思ったよ」
「ち、違うよ!」
慌てて否定したが、その兄と付き合っているので、それ以上その話題はしたくなかった。

「その、リュウってさ、良い人?」
克己の問いに瀬川は頷いた。
「ああ、それは間違いなく良い奴だな。ちょっと暗い性格な気もするが、間違った事は言わないし、弱い者イジメもしないよ」
「そ、そっか、良かった」
「ん? 何が良かったんだ?」
首を傾げる瀬川に礼を言って、克己は自分の席に戻った。とりあえず流が良い奴であるのならば、自分と要の事を悪く言いふらしたりはしないだろう。それに弱い者イジメをしないのであれば、自分をイジメたりもしないという事だ。俺は弱いもんな、うん。
「でも……」
克己は一度、流と直接会って話したいと思っていた。




昼休み。食事を終えた克己は、友人に声をかけると一人で教室を出た。向かったのは5組だった。
いきなり流に声をかけるのは躊躇われたので、友人である石綿に声をかけた。

「なんだよ、カツミ、久しぶりじゃん」
「うん、そうだね」
石綿は明るく気さくな人柄だった。かつて克己が所属していた、テニス部での友人だ。

「お前今は? 帰宅部?」
「え、うん」
「そうなんだ。もう具合は良いの?」
「うん……」
克己は微かに視線をそらして答えた。すると石綿は慌てて謝る。
「あ、ごめん」
「いや、気にしてないよ」
克己は入部したテニス部を、ケガを理由に一学期で辞めていた。
夏休みが終わり、9月となった今、克己は部活には所属していなかった。

「それでさ、悪いんだけど、椎名流呼んでもらえる?」
「え、椎名? いいけど友達?」
「うーんと、知り合い」
「そっか、ちょっと待ってて」

石綿は流の席まで行って、克己を指差した。
流は驚いたように克己を見たが、すぐに廊下に向かって歩いてきた。克己は緊張していたが、まっすぐに流に向かうと言った。

「ちょっと、話したいんだけど、良いかな?」
「ああ」
流は答えると、克己に並んで歩きだした。
考えた結果、克己は流を美術室前の廊下まで連れて行った。特別教室は普通のクラスと階が違うので、人が来る事はまずない場所だった。

ここで要さんとよくキスしてる、なんて知ったら、怒られそうだけどなぁ。そう思いながら克己は流を見つめた。その瞬間、少しだけ流が戸惑ったような顔をした。
首を傾げると、流はいつもの険しい顔に戻っていた。

「話ってなんだよ?」
「え、ああ、その……」
口にするのはやはり抵抗があった。恥ずかしい。けれど克己は思い切って言う。

「昨日見たアレの事だけど、その……他の人に言ったりしないでもらいたいなって思って」
「言わないよ」
きっぱりと流は言いきった。その目は真剣なものだった。

「昨日のアレもだけど、あんたと兄貴が付き合ってるっていうのも、言うつもりないから」
「そっか、ありがとう、助かるよ」
克己は笑顔を向けたが、流は眉を顰めた。

「でも、俺はあんたが兄貴と付き合うのには反対だ」
克己は流を見つめた。それはそうだろうと思う。誰だって、自分の兄が同性愛とか、間違った道に入って欲しくないだろう。けれど自分は本気で要と付き合っているんだ。ここで簡単には引けない。

「同性愛が嫌だとか、理解できない気持ちはわかるよ。でも俺は……」
「違うよ!」
途中で言葉を遮られた。
「え?」
流は相変わらず睨むような難しい顔で、克己を見る。
「俺はあんたのために言ってるんだよ」
「俺のため?」
流は頷く。

「あいつは、要は昔から人とまともに付き合った事がないんだよ。告白されて、好きでもないのに付き合って、自分がやりたい事を全部したら、後は用済みって感じで捨てるんだよ」
「……」

過去の事は気にしても仕方ないと思っていた。
けれどこんな風に聞かされると、やっぱり胸が痛んだ。

「要は誰の事も好きじゃないんだ。ただ見た目が好みだったから、とりあえず付き合ったとか、そういうんだよ。あんただってあいつにそのうち簡単に捨てられるのがオチだ。まだ関係を持ってないなら、今のうちに別れた方が良い」
「でも、カナメさん、ちゃんと俺の事好きだって言ってくれてるし」

克己は自分を励ますようにそう言った。今まではそうだったかもしれないが、今は自分にちゃんと向き合ってくれているのではないかと。

「そんなの、ヤる前には、それ位のセリフは言うだろ。あいつも性格は悪いが、バカではないんだから」
ズキンと胸が痛んだ。そして実の弟のはずなのに、流が要を悪く言うのが気になった。

「どうしてリュウは、カナメさんの事、そんなに悪く言うんだ?」
流は黒い前髪をかきあげた。
「そんなのガキの頃からの付き合いなんだ。あいつの性格位、知ってるに決まってんだろう。あいつは俺の物でも平気で奪い取るんだよ。例えばそうだな、俺の買ったゲームを勝手に使ったり、服だって自分の物のように着ていく」
克己は息を吐いた。
「なんだ、そんな事」
「そんな事って!」
克己の言葉に流はむきになる。

「えっと、そんな事とか言ってごめん。思ったほど大ごとじゃなかったから、安心しちゃって。確かにされた方からしたら嫌だろうけど、でも誰かを傷つけたわけでも、裏切ったわけでもないし」
「裏切ってんだよ!」
今までとは違う、切実な叫びに、克己は言葉をなくす。

「あいつは俺の事を裏切ってんだよ。俺に気付かれないように、俺の大事なモノを勝手に……」
流は悔しそうに手を握りしめていた。
克己はそれ以上、踏み込んで聞いてはいけない事だと悟った。

「ごめん、嫌な思いさせて」
克己が謝ると、我に返ったのか、冷静さを取り戻し流は呟く。
「こっちこそ、大声だしてごめん」
その素直な反応に、流は瀬川の言う通り、性格が良いのだと思った。

「急に呼び出して悪かったな。じゃあ俺、戻るから」
歩きだそうとした時、流は克己の腕を掴んだ。
「待ってくれ!」
克己は振り返る。すると先程までと違い、顔を少し赤く染めた流がいた。

「あのさ、俺と友達になってくれ!」
克己は面食らったが、すぐに頷いた。
「ああ、もちろん良いよ。ていうか、カナメさんの事で、嫌われてるのかと思ってたから、そう言ってもらえて嬉しいよ」
要の名前に、流はピクリと反応した。

「兄貴は関係ない」
「え……」
克己は流の顔を見つめる。その顔はまた真剣な物になっている。

「俺は兄貴と関係なく、あんたと仲良くしたい」
「カナメさんと関係なく?」
思わず克己はゴクリと唾を飲み込む。
「そうだ、俺は兄貴の恋人のあんたと友達になりたいワケじゃない。ただ同じ学年の坂本克己と友達になりたいんだ」
なんで流がここまで真剣な瞳をしているのか、克己には不思議だった。友達になるのが、まるですごく重要事項みたいな、そんな目だった。けれど断る理由も特にない。克己は素直に頷く。

「それは別に構わないけど……」
「よし! じゃあ俺とあんたは今から友達だ!」
「あ、うん」
流は克己の手を掴んで持ち上げた。

「できれば親友になろう!」
「親友?」
流石に克己は首を傾げる。なんで親友? まあ、軽く表面だけの付き合いをするより、それ位の気持ちで付き合った方が良いかもしれないと思った。

「……うん、じゃあ、徐々に……」
克己の言葉に流は力強く頷いた。

「よし! じゃあ、親友としての助言だ! 要とは別れた方が良い!」
「え……」
「なるべく早く間違いには気付いた方が良い! その方が断然傷は浅いからな! なんなら、あいつの今までの素行の悪さを、俺がリストアップしてレポートにまとめても良い! それを読めば、あんたもあいつの事、嫌になるハズだ!」
冗談なのか本気なのか、流はすごい勢いで話した。

「ちょ、ちょっと待った! 俺、カナメさんの事、嫌いになりたくないよ! 頼むから余計な事はしないでくれよ!」
克己の声に、流は顔を歪めた。けれど言葉は通じたようで、うなだれるように頷く。

「分かったよ。今は引く」
今は? ちょっと気にはなったが、流がおとなしくなったので、克己は安堵する。

「じゃあ、教室戻ろうぜ、そろそろ予鈴も鳴るだろうし」
流はそう言うと克己の手を掴んだまま歩き出した。
「わ、え」
「なんだよ、教室戻んないのか?」
「そうじゃなくて手! 手ーー!」
克己が赤くなって叫ぶと、流はハっとした顔をする。
「あ、ごめん……」
呟いたが、流は手を放さず、じっとその手を見つめていた。
「リュウ?」
「あ、いや、何でもない」
流はやっと手を放したが、その顔は少し赤くなっていた。




放課後、克己は要と図書室で待ち合わせていた。要の方が一時間授業が多かったので、本を読んで時間をつぶす事にした。書架の間に入ると、克己は児童書のコーナーに行く。一時間で読み切れる本は、文字の大きい児童書や絵本だろうと思った。なんとなくタイトルを知っている本を選ぶと、窓際の席に向かった。
そこは最初に会った日に、要が座っていた席だった。
椅子に座って本を読もうとした時、窓の外が目に入った。克己はつい窓枠に手をかけた。窓の外にはテニスコートが見えた。


「カツミ、その本、そんなに面白い?」
声をかけられ、顔を上げた。机の向こうに要が立っていた。
「カナメさん!」
「俺が来たのにも気づかず読んでるなんてね」
「あ、すみません」
「それ、なんの本?」
「ただの絵本です。これなら時間までに読み終わると思って選んだんですけど、でも計算違いです。あとちょっとなのに読み終わらなかった」
「じゃあ、続き読みなよ」
「え?」
「話の途中でやめるのは、ちょっと気分悪いだろう? 読みきってからどこか行こう」
「でも良いんですか? カナメさん、暇じゃないですか?」
「良いよ、それにカツミが読んでる間、俺も好きなモノ、見てるから」
「ありがとうございます。じゃあ、ちょっと読んじゃいます」
克己は再び本に集中する。残るページは僅かだった。要は本を選びに行く事もせず、克己の向かいの席に座った。

暫く時間が過ぎた。本を読み終え、克己はふっと息を吐いた。そして本を閉じて正面を見て驚いた。
頬杖をついて要が自分を見ていた。
「な、なにこっち見てるんですか?」
顔を赤く染めて克己は訊ねた。要はクスリと微笑む。

「だから、カツミを見てるって言っただろう?」
「言ってないですよ! 見てるって言ったら、普通本だと思うじゃないですか!?」
「それはカツミの勝手な思い込みだね」
「いや、俺のが普通です。ていうか、なんで俺なんか見てるんですか?」
「なんで見てちゃダメなの?」
からかうように要は聞く。
「なんでって恥ずかしいじゃないですか……」
「フフ、俺はそんなカツミを見るのが楽しくて仕方ないよ。それにカツミを見つめるのが、俺の日課だからね」
要は手を伸ばすと克己の頬に触れた。そしてそのままキスをする。
甘いキスに蕩けそうになったが、気付いた。
「ちょ、ここ図書室!」
「ああ、大丈夫、誰もいないの確認してキスしたし」

確かに周りを見渡しても誰の姿もない。カウンターは出口の方で、ここからは見えない。
「俺がそんなヘマするワケないだろう?」
「で、でも、窓の外からとか!」
言って克己は指差す。
「ここ3階だし、下からは見えないよ」
確かにと思った。
「はい、じゃあ、もう一回」
言って要が顔を寄せるので、克己は慌てて逃げた。

「だ、ダメです、ここじゃ!」
「ここじゃね、じゃあ、どこに行こうか?」
克己は赤い顔のままで呟く。
「人がいないトコなら……」
要はニコリと笑顔を浮かべた。


「あの、カナメさん、思うにここって問題があるんじゃないですか……?」
克己は引きつった顔で訊ねた。どこか二人きりになれる所に行こうと言って、要が連れてきたのは、またも自宅だった。

「なんで?」
聞きながら要はティーカップをテーブルに置く。
「なんでって、だってまたリュウが邪魔しに来るんじゃないですか?」
「リュウ?」
呼び捨てにした事に、要が反応する。

「あ、その、同じ学年ですから」
「なんか俺より親しげな呼び方だな……」
「ええ!? そんな事ないですよ!」
慌てる克己の頬に、要は微笑んで手を添える。

「冗談だよ、俺、カツミにカナメさんって呼ばれるの、好きだもん」
克己はうっとりと要の顔を見つめる。
「俺、愛情込めて言ってますから」
要は嬉しそうに笑った。
「あは、カツミすごいかわいい」
要の顔が近付くので、克己は目を閉じた。
唇が触れ、そっと口の中に舌を挿しこまれた。克己はそのキスに必死で応える。気がつくと、克己は床に倒されていた。シャツのボタンを開きながら、要が囁く。

「今日は、最後までしても良いかな……?」
胸がドキドキと激しく脈打っていた。
「カナメさんの、好きにして下さい」
要は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、最後まで頂いちゃおうかな」
要の手が克己のズボンに伸びた。それとほとんど同時だった。

「カツミ、来てるのか!?」
怒鳴り声と共に、流が部屋に入ってきた。克己はまたも要を突き飛ばして、シャツを押さえる。要は壁に頭をぶつけて押さえこんでいた。

「カツミ! また兄貴に襲われたのか!?」
顔を寄せる流に、克己は引きつりつつ答える。
「いや、だから、襲われたワケじゃなくて、合意だから……」
「今はそう思っていても、後で後悔するのはカツミだよ! だから今すぐ、こいつに関わるのはやめるんだ!」
「こいつ呼ばわりは酷いな」
まだ頭を押さえながら、要は流に向き直った。

「お前のせいで頭にコブが出来たじゃないか」
「いいキミだ」
「わ、カナメさん、すみません!」
克己が慌てて手を伸ばすのを見て、流は眉を顰めた。
「ああ、お茶、もう入ってるんだな」
流は床に座り、カップに入った紅茶を飲んだ。

「なんでお前が、俺の分の紅茶を飲むんだ? つーか、どうしてそこに座っている?」
「ああ、克己が帰るまで、俺もここにいる」
「え?」
呟いたのは克己だった。すると流は克己を真っ直ぐに見て訊ねる。

「あんたは親友が一緒にいたいと言ったら、迷惑だって思うのか?」
「え、いや、そんな事は……」
チラリと要の方を見てみた。
「カツミ、リュウと親友になったんだ?」
「あ、いや、うん……これからなる所」
「ふーん」
流は要に向き直ると、楽しそうに笑った。

「さすがの兄貴も、ここに俺がいたら、カツミに手を出せないな」
「ああ、そういうこと」
呟いたと思ったら、要は克己の腕を掴んで抱き寄せた。
「え?」
流が止めるより、克己が疑問を口にするより早く、要は克己にキスをした。
流の目の前でのキスに、克己の体がカっと熱くなる。

「バカ! 何やってんだよ!」
流は要に向かってクッションを投げた。それを軽く手でガードしながら要は言う。

「危ないな、カツミにぶつかったらどうするつもりだ?」
「ちゃんと、カツミは避けて、兄貴にあたるようにしてるよ」
「ふーん、そっか、じゃあ、これでどうだ?」
要は克己の体を前にした。

「あんたは鬼か!? どこのバカが自分の恋人を盾にするんだよ!?」
「だって、これでお前は俺に攻撃できないだろう?」
「ふざけんな!」
流は叫んでから、克己に聞く。

「な、カツミ、そいつの性格が分かっただろう? そいつは恋人を自分のために利用する、最低最悪の嫌な奴なんだよ!」
克己はポリポリと頬をかいた。

「うん、まぁ、確かに酷い気はするよな。でも実際なにも被害受けてないし、なんかそういう発想が要さんらしくて、ちょっと面白いと思うし」
「バカ、カツミ! あんたはドエムなのか!? 良いか、そいつに良い顔するとつけ上がるだけだからな!」
「フフン、そんな事言っても、カツミの愛は俺にあるんだよ。分かったのなら、お前はさっさと自分の部屋に帰れ」
「お前マジムカつく!」
流は敷いてあったクッションも投げようとした。けれど要が克己の体を掴んで前に押し出す。
「くっ……卑怯な……」
「フフフ……君は甘いんだよ、弟君。この俺にお前が勝てると思うなよ」
「マジ、後で殴ってやる」
流は拳を握りしめて言った。克己はそんな二人を見て呟いた。

「あんた達兄弟、本当に面白いと思うよ」

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