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キス×キス×キス
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それは事故だった。
ミズキの先を歩いていて、階段の上で振り返ったらバランスを崩した。
すぐにミズキが支えてくれたのだが、はずみで唇が触れた。
一瞬の事だったし、触れたのも唇の三分の一位だったと思う。
けれど気まずさはマックスだった。
「えっと、あ、ありがとう……そのゴメン」
了は自分の唇に触れながら謝った。
ミズキはいつもと変わらない表情で呟く。
「何がゴメンなの?」
了は動揺する。
「何がって、えっと、その唇が触れたかなって、いや、ほんのちょっとだったし、ミズキが触れたって思ってないなら、うん、良いんだ。触れてないよ」
「触れてたよ」
「……」
了は階段の途中で固まった。どう対処して良いか分からない。
すると珍しくミズキが饒舌に話し出す。
「俺はリョウが階段から落ちなくて良かったと思うし、リョウを支える事が出来て良かったって思ってる。唇が触れたのは偶然だけど、リョウに触れられて嫌な場所なんかないから、謝られる必要はないよ」
ミズキの言ってる事はわかるが、了としてはいたたまれない。
「で、でもキスする形になっちゃったし……」
「今のはキスにカウントして良いの?」
真顔で聞かれて言葉に詰まった。
今のは事故だ。カウントには入らない。と思いたいが、それを決めるのは自分ではないのではないか。
「えっと、ミズキはどう思ってるの?」
「俺はキスにカウントしたい」
了は頭を押さえてしゃがみ込んだ。
暫くそうしていたがふいに気付いて立ち上がる。
「もしかして、今のキスがミズキのファーストキスだったりしない?」
「うん、そうだね、初めてのキスだ」
ショックを受けた。
ミズキの大事なファーストキスを、事故という形で台無しにしてしまった。
「ご、ごめん、やっぱり、謝らせて」
了はミズキの肩をつかんだ。
一段上にいるので、目線は了の方が若干高い状況だ。
「ファーストキスなんて大事な物が、事故で、意思にそぐわないモノになるなんて最悪だよな? 本当にごめん。出来る事なら5分前に戻りたい」
了は本気で落ち込んだ。
自分はファーストキスではないし、どうでもいい。
でもミズキにとっては大事なファーストキスだ。
これは土下座謝罪案件だ。
暫くミズキは無言で了を見つめていた。
おそらくミズキは怒ってはいない。こんな事で怒るような心の狭い人間ではない。
でもミズキはミズキなりに、初めてのキスに夢があったのではないだろうか?
映画館でデートした後で。あるいは遊園地の観覧車で。
そういう何かしらの夢を壊してしまったんだと思うと胸が痛む。
「ミズキごめん! 映画見た後でキスとか、観覧車の中でキスとか、お前の夢を壊して!」
「いや、別にそんなシチュエーション夢見てないよ?」
「で、でも初めてはデートの後でとか、放課後の教室でとか、理想があっただろう?」
「リョウは分かってないね」
ミズキは少し首を傾げた。
「キスはどこでするかが問題じゃないよ。誰とするかが問題。それで言ったら俺は希望の人と出来たんだから、謝られる必要はない」
ミズキの言葉が胸に刺さった。
相手が自分で良かった。それならまだ不幸中の幸いだ。だが……。
「でも……それでもゴメン」
了は謝った。
自分で良かったと言ってもらえるのは嬉しいが、それでもダメだ。
『相手』も大事な事だと思うが、それより大事なのは『気持ち』だ。
良い意味でも悪い意味でも、なんの気持ちもこもっていない『事故』は一番いけない。
それなら好きが暴走して無理やりのほうが、まだ良い位だと思えた。
『気持ち』が入っている分『事故』より良い。
黙っているとミズキが息を吐いた。
「リョウが納得いかないって言うなら、こうしよう」
ミズキの手が了の頬に触れた。
「え?」
ミズキの瞳を覗きこむと、その目が近づいた。
唇に触れるだけのキスをされた。
時間としては一瞬だった。
けれど了には時間が止まったように感じた。
思考が働かず、呆然と突っ立っているとミズキが言う。
「これで同罪って事で良いかな?」
「同罪?」
「うん、リョウは俺のファーストキスを奪ってしまった事に罪悪感があったんでしょう? でも、今度は俺が勝手にキスをした。これでリョウは被害者だから、もう罪の意識はいらないよ。これでお互い様って事でもう謝らないでよ」
いろいろ言いたい事があったが、了はすべて吞み込んで頷いた。
これ以上、この話題を続けるのは危ない気がしていた。
「そろそろ行かないと、移動教室に送れるよ」
ミズキに言われ、再び階段を上る。
次は音楽室での授業だ。
他の生徒と先に移動した響が教室で待っているだろう。
そう考えながらも、了は立ち止まった。
一段先にいたミズキが振り返る。
了は下から上目遣いで訊ねる。
「あのさ、さっきのキスの事、カナデには言わないよな?」
ミズキは了の顔を見つめて、ゆっくりと首を振った。
「話すよ」
「え、何で?」
動揺する了に、ミズキは淡々と言う。
「俺とカナデにリョウの事で秘密はないんだ。この事ももちろん報告するよ。俺達はライバルだけど親友だからね、隠し事はしたくないんだ」
二人の友情に感動した。了が思っている以上に、二人の信頼関係は強い。嫉妬を覚え、憧れてしまう位に。
ふいに了は気付いた。
「え? あれ、えっと、もしかしてミズキって、もしかして知ってるの?」
「何を? ああ、カナデとリョウのキスの事?」
顔が熱くなった。
「知ってたの?」
了は動揺して訊ねたが、ミズキは冷静だった。
「うん。カナデが話してくれたからね。少しショックだったけど、カナデの気持もわかるし、それはそれって思ってる」
それはそれって? と思ったが、つっこむのはやめた。
深く掘り下げると追い詰められるのは自分のような気がした。
ミズキとのキスのあと、奏に会うのは気まずかった。
けれど四人で会う昼食や帰宅時も、奏は今までと変わりがなかった。
携帯に何か連絡が来るかとも思っていたが、それもなかった。
数日後。
その日は響が他の友人と約束があるとの事で、奏と二人で帰宅となった。
ミズキは部活でいない。
了は緊張しつつ奏と通学路を歩いた。
横を歩く奏はいつもと同じに見えた。
もしかしてミズキに何も聞いていないのではないかと思った。
何でも話しているとは言っても、すぐにとは限らない。
まだミズキにキスの事を聞いていない可能性もある。
そう思っていると奏が口を開いた。
「今日は風が強いね。リョウ、寒くない?」
「え、ああ、うん、大丈夫」
何も考えず反射的に答えた。すると奏がため息のように大きく息をつく。
「え、何?」
「いや、ここは寒いって言って欲しかったの。そうしたら、じゃあ手を繋ごうか? とか進展できるでしょ?」
「え、ああ、なる程って、え?」
動揺する了を見て奏は笑った。
「やっとリョウ、こっちを見てくれた」
言われた言葉が刺さった。
「えっと、俺、カナデを見てなかった?」
「うん、心ここにあらずって感じだった」
奏は悲しそうに目を伏せた。罪悪感がわいた。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。ちょっと考え事があって……」
「ミズキの事考えてたの?」
「え?」
驚いて立ち止まる。黄色に染まったイチョウの葉が数枚落ちてくる。
「なんでミズキの名前が出てくるの?」
聞くと奏は淋しそうな顔で笑った。
「キスしたって聞いてたから、それからずっとミズキの事考えてるのかなって思った。キスしてミズキの事が好きだって気付いたのかなって……」
「違うよ!」
了は大きな声で否定した。
奏が驚いたように目を瞬く。
「え、そうなの? リョウが俺と目を合わせないからてっきりそういう事かと思ってた……」
了は手を振って否定する。
「確かにミズキとキスはしたけど、それは事故だったし、友情に変化があったワケじゃないんだ」
「じゃあ、何でリョウは俺と目を合わせなかったの?」
「えっと……」
言葉につまった。
落ち葉を踏みながら奏は了に近づく。
了は頭を下げた。
「ごめん、実はカナデが聞いたら、自分にもキスして欲しいとか言われるかもって思ってビクビクしてた!」
「え?」
顔をあげると奏は驚いたように了を見ていた。
了は恥ずかしさに顔を赤くしながら言う。
「いや、本当にごめん。カナデの事、信用してないって思われても仕方ないよな? 本当にごめん。でも実際にそうなったら断れるか自分でも不安で……」
奏は苦笑した。
「リョウって流されやすい?」
「いや、わかんない、どうだろう? でも実際カナデとキスするのが絶対嫌ってワケじゃないから困るんだ」
「え、それって期待しても良いって事?」
手をつかまれた。了は一歩後退する。
「カナデだけじゃなくてミズキも嫌じゃないから!」
奏は掴んでいた手を放した。
「うーん、公平に嫌じゃないか。複雑な気持ちだ」
奏は頭をかいた。
「でもリョウが用心するのはわかるよ。俺も絶対にそういうセリフを言わないって、自信ないからさ」
「え?」
了が見つめると奏は微笑んだ。
「俺にもキスしてって言いたかったけど、我慢してたんだ。あんまりしつこいと嫌われちゃいそうだし、それに俺とキスしたら、またミズキともキスしてってエンドレスでしょ? だから我慢してました」
了は正直に話す奏を見つめた。
「真実がわかって良かったよ。取り合えず、リョウがまだミズキを選んだワケじゃないと知って安心したよ。リョウは俺の本心聞いたあとだけど、俺のこと避けたりしない?」
「しないよ」
緊張が解けた。
ミズキとキスをしたが、三人の関係はこれからも変わらない。
そう思うとほっとした。
家に帰ると隼人がいた。
「小清水さん、本当にうちが好きですね? いっそ、もううちの子になったらどうですか? 父さんの養子になったら良いんじゃないですか?」
了が言うと隼人はソファから立ち上がり、手を差し伸べた。
「君のプロポーズを受けよう!」
「プロポーズしてませんけど!?」
「いや、家族になろうって言われたと思うが?」
「父さんの養子にって言っただけです! 俺があなたに告白したワケではありません!」
隼人は前髪をかきあげた。
「それは遠回しのプロポーズじゃないかな?」
「遠回しでもなんでもないです! っていうか、ワザとですよね! その勘違い!」
「ああ、そうか、結婚の前にお付き合いが必要か。お付き合いと言えばキスだね。さぁ、キスしよう!」
隼人は顔を寄せてきた。
了はそれから逃れて叫ぶ。
「俺の大事な唇を簡単に奪おうとしないで下さい!」
隼人は小首を傾げた。
「おや、おかしいな。報告では君は意外と簡単にキスさせてくれると聞いたんだが?」
「報告ってなんですか!? というか、俺はそんなに軽くないです!」
「本当かな?」
「本当でっ……」
言い切ろうとして躊躇した。
いや、意外といろんな人としてしまっている。しかも付き合っていないのに。
自分で自分の行動に驚いてしまった。
ショックを受けている了に隼人が声をかける。
「どうやら自分の淫乱さに気付いてしまったようだな」
「淫乱とか言わないで下さい! それは言いすぎです! っていうか、なんで俺がキスしたとかしてないって小清水さんが知ってるんですか!?」
隼人は携帯を翳して見せた。
「俺には下僕がいる」
「みどりさんの事ですか? もしや……」
隼人は頷く。
「そうだ。彼女には君の身辺警護を依頼してある」
「何か聞こえが良い言い方しましたが、単に尾行させてたんですね!?」
「ま、簡単に言うとそうだ。ストーカーでも良い」
「言い方隠さなくなりましたね!」
隼人は気にせず髪をかきあげる。
「なるべく君達の動向を探り、なにかBL的な美味しい写真が撮れそうなら送ってくるように指示してある」
「そう言えばそうでしたね!」
前にもみどりにミズキとの写真を撮られた事があった。
「えっと、もしかして、もしかしなくてもミズキとのアレを見たんですか?」
「ああ、キスだな。ほら、この通り」
隼人は携帯を翳して見せた。
「うわー! 見せないで下さい!」
自分のキスシーンなんか見たくない。そう思って顔を押さえたのだが、若干目に入ってしまった。
写真はギリギリ唇が触れていないものだった。
「あ、なんだ、セーフじゃないですか」
つい冷静になってしまった。
隼人は悲しそうに額を押さえる。
「みどり君が連写にしなかったせいで、決定的瞬間が撮れなかった」
了はほっとした。けれど隼人はめげない。
「だがだいたいの事は予想がついている! 階段から落ちた君達は『事故チュー』というBL漫画のお約束に遭遇した。そこでなんやかやと話し合いをし、再びキスしたと、つまりはそういう事だろう!?」
了は答えなかった。
みどりは会話が聞こえる距離にはいなかったようだ。
「えっと、父さんはどこかな?」
「誤魔化すな」
書斎に行こうとした了の手を、隼人が掴んだ。その顔は真剣なものだった。
その目にドキリとする。
「それで? キスしたって事はミズキ君と付き合うのかな?」
「付き合わないです」
了は即答した。
すると何故か嬉しそうに隼人は微笑んだ。
意外だった。隼人なら残念がるかと思った。
「あの、えっと?」
動揺していると、隼人は笑いだした。
「はは、そうでなきゃな! 君が誰か一人のモノになったら他の妄想がしにくくなる! 君にはたくさんの攻めに口説かれるという状況にいてもらわないとな!」
「自分の趣味を押し付けないで下さい!」
隼人の真顔に、何か深い意味があるのかと思ってしまった事を後悔した。
「あの、もしかして小清水さんて、この確認の為に今日は俺に会いに来たんですか?」
「そうだよ。先生には君とゆっくり話してくれと言われている」
了はため息をついた。
「生徒会長って暇なんですか?」
隼人は微笑んでソファに座る。
「道を踏み外す生徒がいなければ、暇なものだよ」
世直し先生みたいな事は生徒会長の仕事ではないんでは、と思ったが黙っていた。
隼人のお陰で救われている人間はたくさんいるのだ。
了はお茶を淹れると隼人の前に座った。
自分に会いに来たらしいので、放置するわけにもいかない。
「紅茶、淹れたんでどうぞ」
了は隼人に新しいお茶を出した。
「ああ、ありがとう。先生に頂いたのは飲んでしまってたんだ」
「俺は父さんほど美味しくは淹れられないですけどね」
宗親はきちんとティーポットを温めたり、時間を計ってから紅茶を出すが、了はそこまではしていない。
「ああ、大丈夫だ。俺は人に出されたものは礼儀として泥水でも飲み干す事にしている」
「泥水出す人はいないと思いますよ。てか、泥水出されたら捨てて下さい」
「まぁ、そういう心構えという意味だよ」
真面目な人だなと思う。
嫌いな物が出てきても、きっと文句も言わず食べるのだろう。
「それで、ミズキ君とのキスがバレて、カナデ君にもキスを強請られたのかな?」
「ぶっ」
飲んでいたお茶をふきだす所だった。
隼人は涼しい顔でお茶を飲みながら言う。
「なんでそれを? と思っているんだろう? 簡単な推理だよ」
「またみどりさんがストーキングしてたんじゃないんですか?」
「それもあるが、簡単に想像出来る事だよ。それでキスしたのかな?」
「してないです!」
了はきっぱりと言い切った。
「それは意外だな。君はカナデ君に強請られれば簡単にキスしそうなのに」
「カナデは強請ったりしませんでした。ちゃんと我慢してくれました。っていうか、俺ってそんなに簡単にキスしそうですか!?」
隼人はカップを置いて頷く。
「めちゃくちゃ簡単に出来そうに見えるよ。流されやすいし」
「なんですか、その言い方。俺は誰とでもキスする人間に見えるんですか!?」
そうだとしたらショックだ。そんなに軽い人間に見られているのだろうか。
「誰にでもではないが、でも気を許した友人には本気で抵抗しないだろう?」
「え?」
言われてはっとした。
確かに今までキスしたのは仲が良い友人ばかりだ。
「それは……」
「ほら、レン君ともキスしてたじゃないか」
「どうしてそれを……って父さんが送った画像か!?」
蓮太郎にキスされた時に写真を撮られ、宗親が隼人にその画像を送っていた事を思いだした。
「君は基本的に押しに弱い。しかも人が良いから、キスされても本気で怒ったり縁を切ったりもしない」
「それは……」
確かにキスされたからと言って縁を切るほど怒る事はない。
そこまで嫌かといえば嫌ではない。それが困る所でもあった。
「あの……」
了は上目遣いに隼人を見る。
「その……誤解しないで欲しいんですけど、真面目な話、そんなにキスするのは嫌じゃないんですよ」
隼人はふざけたりしないで、真面目な顔で了を見る。
「恋人でもない人とキスするって、おかしいと思うし、基本的にはしたいワケではないんですが、どうしてもって言われたら相手を悲しませてまで断るのも悪いかなって思っちゃうんです。それで今回みたいにキスして、それがカナデにバレて、カナデはキスを強請ったりしなかったけど、でも実際強請られてたら断り切れる自信がなくて……その、俺ってやっぱり変ですか? 嫌なヤツですか?」
了は恐々と隼人を見上げた。
隼人はまだ真面目な顔をしていた。
「君がまだ、誰の事も好きじゃないからだろう?」
了はまっすぐに隼人を見た。
「好きな人がいれば、その人の事が気になって、他の人間とキスしたら嫌われるかもしれないという心配もするだろう? それがないって事は、まだ君が本気で好きな人はいないという事だ」
「確かに、そうですね……」
了に好きな人はいない。
でもいたら確かに他の人とキスするのが今より怖くなるだろう。
隼人は髪をかきあげて微笑んだ。
「フ、良かったよ。君に好きな人がいなくて。お陰で君の総受けの妄想が楽しめる」
「俺、真剣に相談してたんですよ!?」
隼人がいつものノリに戻ったので、つい了も突っ込んでしまった。
「真剣に相談に乗ったじゃないか? で、結論が出たから良いだろう?」
「結論出てました?」
「ああ、好きな人が出来るまでは誰とでもキスOKという結論だったな」
「誰とでもしませんから!」
「ああ、仲の良い友人だけだったな」
「そういう基準じゃなくて、状況による感じです! 誰とでもするワケじゃないです! っていうか、俺のしたキスはそんなすっごいキスでもないから誤解しないで下さい!」
「すごいキス?」
隼人は顎をつまんで呟いた。
「そうですよ、俺がしたのは唇がほんのちょっと触れただけのヤツです! 舌とか絡んだ濃厚なのじゃないです!」
「ああ、なんだ、そうか……残念だ」
「なんであなたが残念がるんですか!?」
「それは当然だろう。君の総受けが俺の生きがいだ」
「あなたの生きがいは世直しじゃないんですか!? 非行に走りそうな生徒をすくってましたよね!? なんで俺だけ逆なんですか?」
「俺は君の幸せを純粋に願っているよ」
真顔で言われて一瞬ドキリとした。
「君の素晴らしいハッピーBLライフを」
「ああ、そうでしょうね!」
了は突っ込み疲れた。
その時、つけっぱなしだったテレビから、かわいらしいCMソングが流れてきた。
了も隼人も画面を見つめる。
かわいい猫がおやつのスティックを舐めている、何度見ても心癒されるCMだった。
隼人がCMを見たまま呟いた。
「君は猫にキスするタイプか?」
「え?」
了は思いだした。子供の頃、地域猫にキスしていた。
さすがに今は衛生的にどうかと思うのでしないが、気分的にはしたくなる。
「昔はしてましたね。かわいいからついキスしたくなります」
了が言うと、隼人は何度もうなずいた。
「そうか、ならミズキ君やカナデ君も猫だと思えば抵抗もないだろう。いや、ヒビキ君でもシオンさんでも良い。猫と出来るなら誰とでも出来るだろう?」
「そういう問題じゃないです! てか俺のキスをどんどん安売りしようとしないで下さい!」
「それは違うぞ!」
隼人は大きな声で否定した。
「君のキスは俺にとっては大事なモノだ! 君がキスする度に俺のテンションも幸福度も上がるんだ!」
「俺以外の推しを見つけて下さい!」
告白を断る人のように、了は大きく頭を下げていた。
「相変わらず楽しそうだな」
微笑みながら宗親がやってきた。仕事が終わったのか、廊下で大きく伸びをしている。
「そろそろ晩御飯の用意するけど、ハヤト君もたまには食べてく?」
「いえ、ご迷惑なのでもう帰ります。今日もリョウのおかげでたくさんのBL成分を摂取出来ましたから」
「え、そうなの? でも俺はまだBL成分摂取出来てないんだよな」
宗親が意味ありげに了を見た。
隼人は立ち上がると了の顎を持ち上げた。
「先生のためだ。キスさせてもらう」
唇が近づいた。
「するわけないじゃないですか!」
「大丈夫だ。舌は入れない。それならOKだったよな?」
「OKじゃないです!」
了は叫んで隼人から逃げた。
「先生、すみません、作戦は失敗でした」
隼人は振り返って言ったが、宗親はスマホを持って満足そうに微笑んでいた。
「大丈夫だよ。良い写真が撮れた。ほら、この角度だとキスしているように見えるからね。後で拡大して廊下の壁に飾ろう」
「データを送ってもらえるのを待ってます」
二人は硬い握手を交わしていた。
「もうあんた達二人が付き合えよ! お似合いだよ!」
了は叫んでいた。
この日、了は生徒会室に呼び出されていた。
今日は生徒会で集まる日ではなかったが、隼人からの呼び出しがあった。
何か仕事でもあるんだろうかと思いながら廊下を進む。
了は隼人と宗親の事が気になっていた。
二人ともミステリーとBLが好きで、価値観がほぼ一致している。
頭が回る所や、意外と面倒見が良いのも似ている。
「あの二人で付き合ったら良いのに……」
呟いてから首を傾げた。
「いや、似てるからって付き合っても、上手くいくとは限らないのか?」
誰かと付き合った事がない了にはよく分からなかった。
生徒会室につくと、ノックしてから扉を開けた。
「え?」
そこには予想外の人物がいた。
ミズキと奏の二人が、それぞれ左右に分かれて座っている。
正面のいつもの席には隼人の姿があった。
「え、なんで二人がいるの?」
了が呟くと、ミズキと奏がそれぞれ答えた。
「会長に呼び出されたんだ」
「同じく。リョウについて大事な話があるっていうから来たんだ」
「俺について?」
了が怪訝に思っていると隼人が近づいてきた。
「君達三人の関係が見ていてちょっと歯がゆくてさ」
隼人は了の前で立ち止まった。
そして全校生徒に演説でもするかのように悠々と語りだす。
「ミズキ君もカナデ君も人が良すぎるよ。友情は素晴らしいがライバルに気を遣いすぎるのは良くない」
「えっと、会長ってミズキとリョウがキスした事を知ってるんですか?」
少し引きぎみに奏が訊ねた。
隼人は悲し気に目を伏せる。
「ああ、知っているよ。君がそのあとリョウにキスを強請る事もなく、そのまま事件が終わろうとしている事も」
「いや、事件なんかなくて良いんじゃないですか?」
了の突っ込みを無視して隼人は続ける。
「こういう場合、カナデ君がキレてリョウを襲うのがBLのテッパン展開なんだ!」
「冷静になって下さい。ここはBL漫画や小説の世界ではありません」
了の冷静な突っ込みも隼人には届かない。
「キレたカナデ君がリョウを襲い、それを知ったミズキ君がリョウを襲う! さらにそれを知ったカナデ君がリョウを監禁して、それを知ったミズキ君が……ってエンドレスになる展開なんだ!」
「監禁はもう犯罪ですよ!?」
了の突っ込みに隼人が黙った。
珍しく話が通じたんだろうかと思っていると、隼人は了を見た。
「ミズキ君もカナデ君も真面目で良い子すぎるんだよ」
「いや、真面目で良い人なのが一番でしょ?」
隼人は額を押さえて首を振った。
「いや、たまには悪人も必要なんだよ。物語を進めるには」
「えっと、なんの話ですか?」
了が隼人の思考にちょっとついていけないと思っていると、肩をつかまれた。
「だからこれは必要な事なんだよ」
「え?」
何が? と聞こうとして、開いた唇にキスされた。
隼人との初めてのキスだった。
ミズキの先を歩いていて、階段の上で振り返ったらバランスを崩した。
すぐにミズキが支えてくれたのだが、はずみで唇が触れた。
一瞬の事だったし、触れたのも唇の三分の一位だったと思う。
けれど気まずさはマックスだった。
「えっと、あ、ありがとう……そのゴメン」
了は自分の唇に触れながら謝った。
ミズキはいつもと変わらない表情で呟く。
「何がゴメンなの?」
了は動揺する。
「何がって、えっと、その唇が触れたかなって、いや、ほんのちょっとだったし、ミズキが触れたって思ってないなら、うん、良いんだ。触れてないよ」
「触れてたよ」
「……」
了は階段の途中で固まった。どう対処して良いか分からない。
すると珍しくミズキが饒舌に話し出す。
「俺はリョウが階段から落ちなくて良かったと思うし、リョウを支える事が出来て良かったって思ってる。唇が触れたのは偶然だけど、リョウに触れられて嫌な場所なんかないから、謝られる必要はないよ」
ミズキの言ってる事はわかるが、了としてはいたたまれない。
「で、でもキスする形になっちゃったし……」
「今のはキスにカウントして良いの?」
真顔で聞かれて言葉に詰まった。
今のは事故だ。カウントには入らない。と思いたいが、それを決めるのは自分ではないのではないか。
「えっと、ミズキはどう思ってるの?」
「俺はキスにカウントしたい」
了は頭を押さえてしゃがみ込んだ。
暫くそうしていたがふいに気付いて立ち上がる。
「もしかして、今のキスがミズキのファーストキスだったりしない?」
「うん、そうだね、初めてのキスだ」
ショックを受けた。
ミズキの大事なファーストキスを、事故という形で台無しにしてしまった。
「ご、ごめん、やっぱり、謝らせて」
了はミズキの肩をつかんだ。
一段上にいるので、目線は了の方が若干高い状況だ。
「ファーストキスなんて大事な物が、事故で、意思にそぐわないモノになるなんて最悪だよな? 本当にごめん。出来る事なら5分前に戻りたい」
了は本気で落ち込んだ。
自分はファーストキスではないし、どうでもいい。
でもミズキにとっては大事なファーストキスだ。
これは土下座謝罪案件だ。
暫くミズキは無言で了を見つめていた。
おそらくミズキは怒ってはいない。こんな事で怒るような心の狭い人間ではない。
でもミズキはミズキなりに、初めてのキスに夢があったのではないだろうか?
映画館でデートした後で。あるいは遊園地の観覧車で。
そういう何かしらの夢を壊してしまったんだと思うと胸が痛む。
「ミズキごめん! 映画見た後でキスとか、観覧車の中でキスとか、お前の夢を壊して!」
「いや、別にそんなシチュエーション夢見てないよ?」
「で、でも初めてはデートの後でとか、放課後の教室でとか、理想があっただろう?」
「リョウは分かってないね」
ミズキは少し首を傾げた。
「キスはどこでするかが問題じゃないよ。誰とするかが問題。それで言ったら俺は希望の人と出来たんだから、謝られる必要はない」
ミズキの言葉が胸に刺さった。
相手が自分で良かった。それならまだ不幸中の幸いだ。だが……。
「でも……それでもゴメン」
了は謝った。
自分で良かったと言ってもらえるのは嬉しいが、それでもダメだ。
『相手』も大事な事だと思うが、それより大事なのは『気持ち』だ。
良い意味でも悪い意味でも、なんの気持ちもこもっていない『事故』は一番いけない。
それなら好きが暴走して無理やりのほうが、まだ良い位だと思えた。
『気持ち』が入っている分『事故』より良い。
黙っているとミズキが息を吐いた。
「リョウが納得いかないって言うなら、こうしよう」
ミズキの手が了の頬に触れた。
「え?」
ミズキの瞳を覗きこむと、その目が近づいた。
唇に触れるだけのキスをされた。
時間としては一瞬だった。
けれど了には時間が止まったように感じた。
思考が働かず、呆然と突っ立っているとミズキが言う。
「これで同罪って事で良いかな?」
「同罪?」
「うん、リョウは俺のファーストキスを奪ってしまった事に罪悪感があったんでしょう? でも、今度は俺が勝手にキスをした。これでリョウは被害者だから、もう罪の意識はいらないよ。これでお互い様って事でもう謝らないでよ」
いろいろ言いたい事があったが、了はすべて吞み込んで頷いた。
これ以上、この話題を続けるのは危ない気がしていた。
「そろそろ行かないと、移動教室に送れるよ」
ミズキに言われ、再び階段を上る。
次は音楽室での授業だ。
他の生徒と先に移動した響が教室で待っているだろう。
そう考えながらも、了は立ち止まった。
一段先にいたミズキが振り返る。
了は下から上目遣いで訊ねる。
「あのさ、さっきのキスの事、カナデには言わないよな?」
ミズキは了の顔を見つめて、ゆっくりと首を振った。
「話すよ」
「え、何で?」
動揺する了に、ミズキは淡々と言う。
「俺とカナデにリョウの事で秘密はないんだ。この事ももちろん報告するよ。俺達はライバルだけど親友だからね、隠し事はしたくないんだ」
二人の友情に感動した。了が思っている以上に、二人の信頼関係は強い。嫉妬を覚え、憧れてしまう位に。
ふいに了は気付いた。
「え? あれ、えっと、もしかしてミズキって、もしかして知ってるの?」
「何を? ああ、カナデとリョウのキスの事?」
顔が熱くなった。
「知ってたの?」
了は動揺して訊ねたが、ミズキは冷静だった。
「うん。カナデが話してくれたからね。少しショックだったけど、カナデの気持もわかるし、それはそれって思ってる」
それはそれって? と思ったが、つっこむのはやめた。
深く掘り下げると追い詰められるのは自分のような気がした。
ミズキとのキスのあと、奏に会うのは気まずかった。
けれど四人で会う昼食や帰宅時も、奏は今までと変わりがなかった。
携帯に何か連絡が来るかとも思っていたが、それもなかった。
数日後。
その日は響が他の友人と約束があるとの事で、奏と二人で帰宅となった。
ミズキは部活でいない。
了は緊張しつつ奏と通学路を歩いた。
横を歩く奏はいつもと同じに見えた。
もしかしてミズキに何も聞いていないのではないかと思った。
何でも話しているとは言っても、すぐにとは限らない。
まだミズキにキスの事を聞いていない可能性もある。
そう思っていると奏が口を開いた。
「今日は風が強いね。リョウ、寒くない?」
「え、ああ、うん、大丈夫」
何も考えず反射的に答えた。すると奏がため息のように大きく息をつく。
「え、何?」
「いや、ここは寒いって言って欲しかったの。そうしたら、じゃあ手を繋ごうか? とか進展できるでしょ?」
「え、ああ、なる程って、え?」
動揺する了を見て奏は笑った。
「やっとリョウ、こっちを見てくれた」
言われた言葉が刺さった。
「えっと、俺、カナデを見てなかった?」
「うん、心ここにあらずって感じだった」
奏は悲しそうに目を伏せた。罪悪感がわいた。
「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだ。ちょっと考え事があって……」
「ミズキの事考えてたの?」
「え?」
驚いて立ち止まる。黄色に染まったイチョウの葉が数枚落ちてくる。
「なんでミズキの名前が出てくるの?」
聞くと奏は淋しそうな顔で笑った。
「キスしたって聞いてたから、それからずっとミズキの事考えてるのかなって思った。キスしてミズキの事が好きだって気付いたのかなって……」
「違うよ!」
了は大きな声で否定した。
奏が驚いたように目を瞬く。
「え、そうなの? リョウが俺と目を合わせないからてっきりそういう事かと思ってた……」
了は手を振って否定する。
「確かにミズキとキスはしたけど、それは事故だったし、友情に変化があったワケじゃないんだ」
「じゃあ、何でリョウは俺と目を合わせなかったの?」
「えっと……」
言葉につまった。
落ち葉を踏みながら奏は了に近づく。
了は頭を下げた。
「ごめん、実はカナデが聞いたら、自分にもキスして欲しいとか言われるかもって思ってビクビクしてた!」
「え?」
顔をあげると奏は驚いたように了を見ていた。
了は恥ずかしさに顔を赤くしながら言う。
「いや、本当にごめん。カナデの事、信用してないって思われても仕方ないよな? 本当にごめん。でも実際にそうなったら断れるか自分でも不安で……」
奏は苦笑した。
「リョウって流されやすい?」
「いや、わかんない、どうだろう? でも実際カナデとキスするのが絶対嫌ってワケじゃないから困るんだ」
「え、それって期待しても良いって事?」
手をつかまれた。了は一歩後退する。
「カナデだけじゃなくてミズキも嫌じゃないから!」
奏は掴んでいた手を放した。
「うーん、公平に嫌じゃないか。複雑な気持ちだ」
奏は頭をかいた。
「でもリョウが用心するのはわかるよ。俺も絶対にそういうセリフを言わないって、自信ないからさ」
「え?」
了が見つめると奏は微笑んだ。
「俺にもキスしてって言いたかったけど、我慢してたんだ。あんまりしつこいと嫌われちゃいそうだし、それに俺とキスしたら、またミズキともキスしてってエンドレスでしょ? だから我慢してました」
了は正直に話す奏を見つめた。
「真実がわかって良かったよ。取り合えず、リョウがまだミズキを選んだワケじゃないと知って安心したよ。リョウは俺の本心聞いたあとだけど、俺のこと避けたりしない?」
「しないよ」
緊張が解けた。
ミズキとキスをしたが、三人の関係はこれからも変わらない。
そう思うとほっとした。
家に帰ると隼人がいた。
「小清水さん、本当にうちが好きですね? いっそ、もううちの子になったらどうですか? 父さんの養子になったら良いんじゃないですか?」
了が言うと隼人はソファから立ち上がり、手を差し伸べた。
「君のプロポーズを受けよう!」
「プロポーズしてませんけど!?」
「いや、家族になろうって言われたと思うが?」
「父さんの養子にって言っただけです! 俺があなたに告白したワケではありません!」
隼人は前髪をかきあげた。
「それは遠回しのプロポーズじゃないかな?」
「遠回しでもなんでもないです! っていうか、ワザとですよね! その勘違い!」
「ああ、そうか、結婚の前にお付き合いが必要か。お付き合いと言えばキスだね。さぁ、キスしよう!」
隼人は顔を寄せてきた。
了はそれから逃れて叫ぶ。
「俺の大事な唇を簡単に奪おうとしないで下さい!」
隼人は小首を傾げた。
「おや、おかしいな。報告では君は意外と簡単にキスさせてくれると聞いたんだが?」
「報告ってなんですか!? というか、俺はそんなに軽くないです!」
「本当かな?」
「本当でっ……」
言い切ろうとして躊躇した。
いや、意外といろんな人としてしまっている。しかも付き合っていないのに。
自分で自分の行動に驚いてしまった。
ショックを受けている了に隼人が声をかける。
「どうやら自分の淫乱さに気付いてしまったようだな」
「淫乱とか言わないで下さい! それは言いすぎです! っていうか、なんで俺がキスしたとかしてないって小清水さんが知ってるんですか!?」
隼人は携帯を翳して見せた。
「俺には下僕がいる」
「みどりさんの事ですか? もしや……」
隼人は頷く。
「そうだ。彼女には君の身辺警護を依頼してある」
「何か聞こえが良い言い方しましたが、単に尾行させてたんですね!?」
「ま、簡単に言うとそうだ。ストーカーでも良い」
「言い方隠さなくなりましたね!」
隼人は気にせず髪をかきあげる。
「なるべく君達の動向を探り、なにかBL的な美味しい写真が撮れそうなら送ってくるように指示してある」
「そう言えばそうでしたね!」
前にもみどりにミズキとの写真を撮られた事があった。
「えっと、もしかして、もしかしなくてもミズキとのアレを見たんですか?」
「ああ、キスだな。ほら、この通り」
隼人は携帯を翳して見せた。
「うわー! 見せないで下さい!」
自分のキスシーンなんか見たくない。そう思って顔を押さえたのだが、若干目に入ってしまった。
写真はギリギリ唇が触れていないものだった。
「あ、なんだ、セーフじゃないですか」
つい冷静になってしまった。
隼人は悲しそうに額を押さえる。
「みどり君が連写にしなかったせいで、決定的瞬間が撮れなかった」
了はほっとした。けれど隼人はめげない。
「だがだいたいの事は予想がついている! 階段から落ちた君達は『事故チュー』というBL漫画のお約束に遭遇した。そこでなんやかやと話し合いをし、再びキスしたと、つまりはそういう事だろう!?」
了は答えなかった。
みどりは会話が聞こえる距離にはいなかったようだ。
「えっと、父さんはどこかな?」
「誤魔化すな」
書斎に行こうとした了の手を、隼人が掴んだ。その顔は真剣なものだった。
その目にドキリとする。
「それで? キスしたって事はミズキ君と付き合うのかな?」
「付き合わないです」
了は即答した。
すると何故か嬉しそうに隼人は微笑んだ。
意外だった。隼人なら残念がるかと思った。
「あの、えっと?」
動揺していると、隼人は笑いだした。
「はは、そうでなきゃな! 君が誰か一人のモノになったら他の妄想がしにくくなる! 君にはたくさんの攻めに口説かれるという状況にいてもらわないとな!」
「自分の趣味を押し付けないで下さい!」
隼人の真顔に、何か深い意味があるのかと思ってしまった事を後悔した。
「あの、もしかして小清水さんて、この確認の為に今日は俺に会いに来たんですか?」
「そうだよ。先生には君とゆっくり話してくれと言われている」
了はため息をついた。
「生徒会長って暇なんですか?」
隼人は微笑んでソファに座る。
「道を踏み外す生徒がいなければ、暇なものだよ」
世直し先生みたいな事は生徒会長の仕事ではないんでは、と思ったが黙っていた。
隼人のお陰で救われている人間はたくさんいるのだ。
了はお茶を淹れると隼人の前に座った。
自分に会いに来たらしいので、放置するわけにもいかない。
「紅茶、淹れたんでどうぞ」
了は隼人に新しいお茶を出した。
「ああ、ありがとう。先生に頂いたのは飲んでしまってたんだ」
「俺は父さんほど美味しくは淹れられないですけどね」
宗親はきちんとティーポットを温めたり、時間を計ってから紅茶を出すが、了はそこまではしていない。
「ああ、大丈夫だ。俺は人に出されたものは礼儀として泥水でも飲み干す事にしている」
「泥水出す人はいないと思いますよ。てか、泥水出されたら捨てて下さい」
「まぁ、そういう心構えという意味だよ」
真面目な人だなと思う。
嫌いな物が出てきても、きっと文句も言わず食べるのだろう。
「それで、ミズキ君とのキスがバレて、カナデ君にもキスを強請られたのかな?」
「ぶっ」
飲んでいたお茶をふきだす所だった。
隼人は涼しい顔でお茶を飲みながら言う。
「なんでそれを? と思っているんだろう? 簡単な推理だよ」
「またみどりさんがストーキングしてたんじゃないんですか?」
「それもあるが、簡単に想像出来る事だよ。それでキスしたのかな?」
「してないです!」
了はきっぱりと言い切った。
「それは意外だな。君はカナデ君に強請られれば簡単にキスしそうなのに」
「カナデは強請ったりしませんでした。ちゃんと我慢してくれました。っていうか、俺ってそんなに簡単にキスしそうですか!?」
隼人はカップを置いて頷く。
「めちゃくちゃ簡単に出来そうに見えるよ。流されやすいし」
「なんですか、その言い方。俺は誰とでもキスする人間に見えるんですか!?」
そうだとしたらショックだ。そんなに軽い人間に見られているのだろうか。
「誰にでもではないが、でも気を許した友人には本気で抵抗しないだろう?」
「え?」
言われてはっとした。
確かに今までキスしたのは仲が良い友人ばかりだ。
「それは……」
「ほら、レン君ともキスしてたじゃないか」
「どうしてそれを……って父さんが送った画像か!?」
蓮太郎にキスされた時に写真を撮られ、宗親が隼人にその画像を送っていた事を思いだした。
「君は基本的に押しに弱い。しかも人が良いから、キスされても本気で怒ったり縁を切ったりもしない」
「それは……」
確かにキスされたからと言って縁を切るほど怒る事はない。
そこまで嫌かといえば嫌ではない。それが困る所でもあった。
「あの……」
了は上目遣いに隼人を見る。
「その……誤解しないで欲しいんですけど、真面目な話、そんなにキスするのは嫌じゃないんですよ」
隼人はふざけたりしないで、真面目な顔で了を見る。
「恋人でもない人とキスするって、おかしいと思うし、基本的にはしたいワケではないんですが、どうしてもって言われたら相手を悲しませてまで断るのも悪いかなって思っちゃうんです。それで今回みたいにキスして、それがカナデにバレて、カナデはキスを強請ったりしなかったけど、でも実際強請られてたら断り切れる自信がなくて……その、俺ってやっぱり変ですか? 嫌なヤツですか?」
了は恐々と隼人を見上げた。
隼人はまだ真面目な顔をしていた。
「君がまだ、誰の事も好きじゃないからだろう?」
了はまっすぐに隼人を見た。
「好きな人がいれば、その人の事が気になって、他の人間とキスしたら嫌われるかもしれないという心配もするだろう? それがないって事は、まだ君が本気で好きな人はいないという事だ」
「確かに、そうですね……」
了に好きな人はいない。
でもいたら確かに他の人とキスするのが今より怖くなるだろう。
隼人は髪をかきあげて微笑んだ。
「フ、良かったよ。君に好きな人がいなくて。お陰で君の総受けの妄想が楽しめる」
「俺、真剣に相談してたんですよ!?」
隼人がいつものノリに戻ったので、つい了も突っ込んでしまった。
「真剣に相談に乗ったじゃないか? で、結論が出たから良いだろう?」
「結論出てました?」
「ああ、好きな人が出来るまでは誰とでもキスOKという結論だったな」
「誰とでもしませんから!」
「ああ、仲の良い友人だけだったな」
「そういう基準じゃなくて、状況による感じです! 誰とでもするワケじゃないです! っていうか、俺のしたキスはそんなすっごいキスでもないから誤解しないで下さい!」
「すごいキス?」
隼人は顎をつまんで呟いた。
「そうですよ、俺がしたのは唇がほんのちょっと触れただけのヤツです! 舌とか絡んだ濃厚なのじゃないです!」
「ああ、なんだ、そうか……残念だ」
「なんであなたが残念がるんですか!?」
「それは当然だろう。君の総受けが俺の生きがいだ」
「あなたの生きがいは世直しじゃないんですか!? 非行に走りそうな生徒をすくってましたよね!? なんで俺だけ逆なんですか?」
「俺は君の幸せを純粋に願っているよ」
真顔で言われて一瞬ドキリとした。
「君の素晴らしいハッピーBLライフを」
「ああ、そうでしょうね!」
了は突っ込み疲れた。
その時、つけっぱなしだったテレビから、かわいらしいCMソングが流れてきた。
了も隼人も画面を見つめる。
かわいい猫がおやつのスティックを舐めている、何度見ても心癒されるCMだった。
隼人がCMを見たまま呟いた。
「君は猫にキスするタイプか?」
「え?」
了は思いだした。子供の頃、地域猫にキスしていた。
さすがに今は衛生的にどうかと思うのでしないが、気分的にはしたくなる。
「昔はしてましたね。かわいいからついキスしたくなります」
了が言うと、隼人は何度もうなずいた。
「そうか、ならミズキ君やカナデ君も猫だと思えば抵抗もないだろう。いや、ヒビキ君でもシオンさんでも良い。猫と出来るなら誰とでも出来るだろう?」
「そういう問題じゃないです! てか俺のキスをどんどん安売りしようとしないで下さい!」
「それは違うぞ!」
隼人は大きな声で否定した。
「君のキスは俺にとっては大事なモノだ! 君がキスする度に俺のテンションも幸福度も上がるんだ!」
「俺以外の推しを見つけて下さい!」
告白を断る人のように、了は大きく頭を下げていた。
「相変わらず楽しそうだな」
微笑みながら宗親がやってきた。仕事が終わったのか、廊下で大きく伸びをしている。
「そろそろ晩御飯の用意するけど、ハヤト君もたまには食べてく?」
「いえ、ご迷惑なのでもう帰ります。今日もリョウのおかげでたくさんのBL成分を摂取出来ましたから」
「え、そうなの? でも俺はまだBL成分摂取出来てないんだよな」
宗親が意味ありげに了を見た。
隼人は立ち上がると了の顎を持ち上げた。
「先生のためだ。キスさせてもらう」
唇が近づいた。
「するわけないじゃないですか!」
「大丈夫だ。舌は入れない。それならOKだったよな?」
「OKじゃないです!」
了は叫んで隼人から逃げた。
「先生、すみません、作戦は失敗でした」
隼人は振り返って言ったが、宗親はスマホを持って満足そうに微笑んでいた。
「大丈夫だよ。良い写真が撮れた。ほら、この角度だとキスしているように見えるからね。後で拡大して廊下の壁に飾ろう」
「データを送ってもらえるのを待ってます」
二人は硬い握手を交わしていた。
「もうあんた達二人が付き合えよ! お似合いだよ!」
了は叫んでいた。
この日、了は生徒会室に呼び出されていた。
今日は生徒会で集まる日ではなかったが、隼人からの呼び出しがあった。
何か仕事でもあるんだろうかと思いながら廊下を進む。
了は隼人と宗親の事が気になっていた。
二人ともミステリーとBLが好きで、価値観がほぼ一致している。
頭が回る所や、意外と面倒見が良いのも似ている。
「あの二人で付き合ったら良いのに……」
呟いてから首を傾げた。
「いや、似てるからって付き合っても、上手くいくとは限らないのか?」
誰かと付き合った事がない了にはよく分からなかった。
生徒会室につくと、ノックしてから扉を開けた。
「え?」
そこには予想外の人物がいた。
ミズキと奏の二人が、それぞれ左右に分かれて座っている。
正面のいつもの席には隼人の姿があった。
「え、なんで二人がいるの?」
了が呟くと、ミズキと奏がそれぞれ答えた。
「会長に呼び出されたんだ」
「同じく。リョウについて大事な話があるっていうから来たんだ」
「俺について?」
了が怪訝に思っていると隼人が近づいてきた。
「君達三人の関係が見ていてちょっと歯がゆくてさ」
隼人は了の前で立ち止まった。
そして全校生徒に演説でもするかのように悠々と語りだす。
「ミズキ君もカナデ君も人が良すぎるよ。友情は素晴らしいがライバルに気を遣いすぎるのは良くない」
「えっと、会長ってミズキとリョウがキスした事を知ってるんですか?」
少し引きぎみに奏が訊ねた。
隼人は悲し気に目を伏せる。
「ああ、知っているよ。君がそのあとリョウにキスを強請る事もなく、そのまま事件が終わろうとしている事も」
「いや、事件なんかなくて良いんじゃないですか?」
了の突っ込みを無視して隼人は続ける。
「こういう場合、カナデ君がキレてリョウを襲うのがBLのテッパン展開なんだ!」
「冷静になって下さい。ここはBL漫画や小説の世界ではありません」
了の冷静な突っ込みも隼人には届かない。
「キレたカナデ君がリョウを襲い、それを知ったミズキ君がリョウを襲う! さらにそれを知ったカナデ君がリョウを監禁して、それを知ったミズキ君が……ってエンドレスになる展開なんだ!」
「監禁はもう犯罪ですよ!?」
了の突っ込みに隼人が黙った。
珍しく話が通じたんだろうかと思っていると、隼人は了を見た。
「ミズキ君もカナデ君も真面目で良い子すぎるんだよ」
「いや、真面目で良い人なのが一番でしょ?」
隼人は額を押さえて首を振った。
「いや、たまには悪人も必要なんだよ。物語を進めるには」
「えっと、なんの話ですか?」
了が隼人の思考にちょっとついていけないと思っていると、肩をつかまれた。
「だからこれは必要な事なんだよ」
「え?」
何が? と聞こうとして、開いた唇にキスされた。
隼人との初めてのキスだった。
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