上 下
1 / 1

漢字一文字タイトルシリーズ №4 「杯」

しおりを挟む
 葬儀社に勤務して30年。いまだかつてない光景に、今回私は遭遇した。

 今回亡くなったのは、結婚を三日後の今日に控えた31歳の男性である。死因は酒気を帯びたドライバーが運転する4トントラックに撥ねられ、即死。
ああ、何てことだろう。折角晴れの日を迎え様としていたのに。本来、披露宴として招待されたお客さんが、皮肉にも弔客として来訪するのは、何とも遣り切れず堪らない思いで一杯だろう。しかし私が驚いたのは、状況が逆転したことではない。

 まずは読経を上げる人物である。20世紀までは、寺の坊主が金をもらってダミ声で拝むのが相場だった。「坊主丸儲け」と言う言葉がある通り、それこそお布施は法衣の懐に入るのが、常套であり自然のことだった。余談だが末寺は宗教法人の一端を担っているので、納税は軽減されている。葬儀社とは言え一介の企業に勤務している私にしてみれば、法人税が高く付くのが正直癪に触る。しかし今回、読経を上げるのは聖職者ではなく、導師と呼ばれる人で、言い方は悪いが何処にでもいる一介の人物である。ちなみにこの導師の方は、現在でも生活の一部として宗教活動を行い、儀典においては会場に於いて読経を読み上げる。ただし一種のボランティアであり、お布施は決して頂いていない。人の弔いを生業としている立場上、矛盾な物言いではあるが余程そちらの方が、健全で崇高な行為だと私は思った。その導師は黒いスーツを着た初老の男性で、祭壇前に座ると数珠を両掌に掛ける。鈴(りん)を鳴らすと、会場に響き渡るほどの音声で経文を唱え始めた。また一部の弔客で、導師と同じ宗派を信仰している人も合わせて声を出し、声量豊かに唱えた。その様相は決して悲しいものではなく、寧ろ温かい気持ちの中で、亡き者を送り出す優しい雰囲気だった。
 
 ところがである。私も予測していなかった不測の事態が発生した。焼香が始まった際、この会場にまったく相応しくない弔客が来場した。その人は白い角隠しを被り、首から下が白無垢で覆われた女性だ。しかも腹部がやけに膨らんでいる。一目に身重であることが判った。当然、読経が止まり弔客は勿論のこと導師もその異様な姿に、眼を皿にして息を呑んだ。導師は立ち上がり、その女性に詰め寄ろうとした。私は両者の間に入り、取り敢えず導師を制止した。導師は「止めるな」と言わんばかりに、厳しい視線を私に送った。
 しかし彼女なりに、意図が有ってその様な出で立ちをチョイスしたのだろうと推測し、訊いてみた。実はこの日、本来ならば結婚式及び披露宴を開く予定だった。ところが前述通り、彼が急死して結婚式は中止。まさか最愛の人が突然目の前から消えたのは、彼女にしてみれば想定外であったはずだ。ただでさえ未曾有な暗渠の中で、もがいているに違いない。ただ葬儀とは言え、温かい雰囲気で執り行われていたのに、突如空気を一変させたのは事実だ。おそらく弔客から「この落とし前はどう着けるんだ?」とクレームを受けても不思議ではない。
 そこで彼女は白無垢の袂から、真紅の杯を私に差し出した。もし彼が存命であれば、永遠の契りを交わしたかったのであろうと、私は悟った。私は祭壇に供えられた日本酒の敏を下ろした。そして不釣り合いながらも、

「これより契りの杯を今は亡きご主人に捧げたいと思います。皆様、御同意お願い致します」

 一部の弔客はさすがに呆れて、席を外し会場のエントランスへ向かった。常識のある方の正当な態度だと思った。しかし男性の親族や由縁のある人たちはその場に残った。
 私は真紅の杯に酒を注ぎ、女性は口を着けて杯を揚げながら飲み干した。女性の唇から杯が離れると、誰だろうかゆっくりと掌を叩いた。さらに二人、三人と続き、やがて多数の弔客が祝福し、会場は拍手の渦に包まれた。
 確かに考えてみれば、葬儀会場で祝言を挙げることは非常識も甚だしい。しかしこよなく愛した人の今生の別れを、葬儀のセオリー通りに送り出すのは些か疑問が有ったのも事実だ。
 これは一個人の意見だが、この世に生を受けるのも歓喜であれば、亡き者が再び新しい命として生まれ変わるのも歓喜であろう。結果、私はこの式を温かく演出する一助を託したにしか過ぎないのだ。

 会場から男性の棺が出され霊柩車に納められると、花嫁は火葬所へ向かう合図を知らせる為、真紅の杯を叩き割った……。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...