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ゴブリンが、現代社会で平和に暮らすには
夢の中で
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ギイとガアが診療所に運ばれた時に、計った熱は三十八度だった。
人間であっても、それほど珍しい高温ではない。
敏和が訪れた後に計った熱は、四十二度だった。もう人間ならば、立って歩く事が困難になる。
冷却材だけでは、熱を下げる事が出来ない。しかし解熱剤は、怖くて使えない。
この時点で貞江は、敏久にもう一度連絡をして、救急車両を呼ぶ様に手配をした。
敏和が診療所を出た頃に計ると、ギイとガアの熱は四十五度を超えていた。
敏和が訪れていた時には、起きて走る事が出来た。そのギイ達でも、流石に呼吸を荒く辛そうにしている。
そして連絡を受けた敏久は、直ぐにギイとガアの受け入れ準備を、病院側に整えさせる。
ギイとガアの急変は、村中に知れ渡る。皆が診療所に集まり、心配そうにギイ達の顔を覗き込む。
そして日が暮れる頃に、緊急車両が到着した。
緊急車両に同乗したのは、主治医の貞江とクミルであった。敏和は孝則と共に、別の車両に乗り込み、緊急車両を追走する。
緊急車両の中でギイとガアは、ハアハアと荒い呼吸をしながらも、何かを呟いていた。
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
「ばあちゃ、ばあちゃ」
ギイとガアは、うわ言の様にさくらの名を呼ぶ。そして貞江とクミルは、その小さな手を握りしめた。
「駄目よ。そっちには、行っちゃ駄目! 戻って来て、ギイちゃん、ガアちゃん!」
「ぎい、があ、しっかりする。さくらさん、しんぱいかけない、やくそく」
貞江とクミルが、幾ら声をかけようとも、ギイとガアは反応を示さない。
時間を追う毎に、呼吸が荒くなる。
人間の患者なら、救急隊員も処置が出来ただろう。
隊員が出来るのは、貞江からギイとガアの情報を聞く事と、いち早く病院へ届ける事だろう。
励ます事しか出来ず、歯痒い思いを感じているのは、貞江だろう。それは、隊員のそれとは比較にはなるまい。
それでも、声を掛けるしか無いなら、生きる気力を呼び覚ます為、声を枯らすしかない。
また、貞江と同様に、声を掛けていたクミルは、ネックレスの欠片を握りしめていた。
奇跡は、二度と訪れない。欠片には、母の力は残されていない。
さくらの死を前にして、ギイとガアの声帯が変化したのは、集まった住人達の想いが、欠片を媒介にして解き放たれただけだろう。
それでも、願わずにはいられない。
クミルにとって、ギイとガアは、この世界における心の拠り所なのだ。
そして、うなされる様に、さくらの名前を呼ぶギイとガアは、不思議な場所に居た。
☆ ☆ ☆
そこは風が無く、匂いが無い。全てが真っ白で、一メートル先も見えない。唯一視認出来るのは、己の体と隣に存在する兄妹だけ。
足下には、白い床の様な物が有る。柔らかいのか硬いのか、それすらもあやふやだ。
立っている感覚さえ、よくわからない。足を踏みしめても跡が残らない。
この場所がどこまで続いているのか、想像のしようも無い。しかし不思議な事に、進むべき方角だけはわかる。
そんな場所を、ギイとガアは手を繋ぎながら歩いていた。
何故か、繋いだ手の感触を感じない。息を吸っても、互いの頬をつねっても、何も感じない。
そして、覚えているのは自分達の名前と、ほんの僅かな過去の記憶。後は、その名を付けてくれた大好きなあの人だけ。
それ以外は何も思いだせない。
向かう先に何が有るのか、見えもしないし、興味もわかない。わからない尽くしの中で、不安や恐怖すら感じる事が許されない。
かつて、里を襲われた時の感覚。命からがら逃げた、言い表しようもない、不安と恐怖。それすらも、今は感じない。
そんな奇妙さを覚えながらも、気が付くとギイ達は、大好きな人の名を呼んでいた。
なぜ呼ぶのか、その理由が理解出来ない。それでも、呼び続ける事が止められなかった。
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
「ばあちゃ、どこ? ばあちゃ、どこ?」
歩いても、歩いても、景色は変わらない。どれくらい歩いたのか、全くわからない。
どれだけ時間が経過したのか、全くわからない。
暫くすると、ぼんやりと頭の中に、何か音がする。それは、次第にはっきりとして来る。
少しずつ明確になってくる音は、自分達の名を呼んでいる声だと思えた。
そこからは歩く毎に、朧気だった声が、明確になっていく。それは、自分達を呼ぶ声だった。それも、大好きなあの人の声だった。
そして、ふっと遠くに現れる。
大好きな、大好きな、あの人の姿が見える。
ギイとガアは、走っていた。無我夢中で走っていた。
そして、大好きな人にしがみつく。会いたかったあの人にしがみつく。
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
どうしようもなく切なく、どうしようもなく愛おしい。そんな感情が溢れ出し、ギイとガアの瞳から涙が流れた。
離れたくない。もう二度と離さない。ギイとガアの腕に、力が籠る。
そしてあの人は、いつもの優しい笑顔を向け、ギイとガアの頭を撫でた。
「馬鹿だね、あんた達は。来ちゃ駄目だって言っただろ? いつからそんな、聞き分けの無い子になったんだい?」
咎める様な言葉は、限りない愛に満ち、柔らかくギイとガアを包む。
「いいかい。振り向いたら、真っすぐ歩いていくんだよ。こっちを向いちゃいけないよ。真っすぐ、真っすぐ歩いていくんだ。出来るね?」
「いや! ばあちゃ、いっしょ!」
「ばあちゃ、ばあちゃ。いっしょ、いて」
「駄目だよ。あんた達は、まだ生きなきゃ駄目だ。もっと幸せにならなきゃ駄目だ」
「ばあちゃがいい。ばあちゃがいい」
「ガアもばあちゃ、いたい。ばあちゃ、いっしょだめ?」
「まだ駄目だよ。行きなさい。生きなさい。ほら、行くんだよ」
強引に体から引きはがされ、ギイとガアは元来た方角へ向かされる。そして、強く背中を押される。
嫌だった。一緒に居たかった。なぜ、一緒に居られないのか、わからなかった。
元の場所には戻りたくなかった。もう二度と手を離したくなかった。でも、行けと言う。生きろと言う。
何処に行けばいい? そんな事よりも、一緒に居たいのに。それだけで、充分に幸せなのに。
「さぁ、みんなが心配いているよ。帰ってあげな」
その言葉を聞いた瞬間、優しい信川村の人々の声が、聞こえるような気がした。
「わかるだろ? 聞こえるだろ? 帰ってあげな。あたしになら、いつでも会える。だから今は、帰るんだよ」
「ほんと? またあえりゅ?」
「ばあちゃ。うそ、ない?」
「あたしが、嘘をつくはずがないだろ? さあ、おいき」
そしてギイとガアが、元の場所へと一歩を踏み出した時、その空間は消える。
気が付いた時、ギイとガアの視界に飛び込んで来たのは、貞江とクミルの顔であった。
そして、近くで知らない誰かが、何かを言っている。
「脈拍、戻りました。呼吸も安定してます」
「確認しました。良く帰って来たね、ギイちゃん、ガアちゃん」
「よかった。ぎい、があ、しんぱいした」
貞江は、ギイとガアから視線を外して、振り返りながら会話をし始めた。
そしてクミルは、小さな板をギイとガアに見せる。その板には、信川村の人達が映って、自分達に呼びかけている。
「クミリュ、かなしい?」
「かなしい、なんで? ガア、ついてる」
「みんな、ちいさい? ここ、どこ?」
「ガア、としかじゅ、おてまかけすりゅ。としかじゅ、いない?」
ギイとガアは小さな手を伸ばし、涙で濡れたクミルの頬を撫でる。そして、掠れた声で話し掛ける。
その後、住人達が映る板に視線を向けた後、周囲を見渡す。
「としかずさん、いる。でも、からだ、やすめて」
「そうだよ、ギイちゃん、ガアちゃん。これから、あなた達を治療するからね。元気になったら村に帰って、お祝いしようね」
「ギイ、おいわい、すき」
「ガアもすき」
ギイとガアが、うわごとの様に呟いていた声は、皆の耳に残っている。
間違いない、ギイ達はさくらと会っていたんだ。そして、さくらが帰る様に言ってくれたんだ。
モバイル越しに一部始終を見て、ギイ達に声をかけ続けた住人達は、涙が止まらずにいた。
追走している孝則と敏和の瞳からも。
人間であっても、それほど珍しい高温ではない。
敏和が訪れた後に計った熱は、四十二度だった。もう人間ならば、立って歩く事が困難になる。
冷却材だけでは、熱を下げる事が出来ない。しかし解熱剤は、怖くて使えない。
この時点で貞江は、敏久にもう一度連絡をして、救急車両を呼ぶ様に手配をした。
敏和が診療所を出た頃に計ると、ギイとガアの熱は四十五度を超えていた。
敏和が訪れていた時には、起きて走る事が出来た。そのギイ達でも、流石に呼吸を荒く辛そうにしている。
そして連絡を受けた敏久は、直ぐにギイとガアの受け入れ準備を、病院側に整えさせる。
ギイとガアの急変は、村中に知れ渡る。皆が診療所に集まり、心配そうにギイ達の顔を覗き込む。
そして日が暮れる頃に、緊急車両が到着した。
緊急車両に同乗したのは、主治医の貞江とクミルであった。敏和は孝則と共に、別の車両に乗り込み、緊急車両を追走する。
緊急車両の中でギイとガアは、ハアハアと荒い呼吸をしながらも、何かを呟いていた。
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
「ばあちゃ、ばあちゃ」
ギイとガアは、うわ言の様にさくらの名を呼ぶ。そして貞江とクミルは、その小さな手を握りしめた。
「駄目よ。そっちには、行っちゃ駄目! 戻って来て、ギイちゃん、ガアちゃん!」
「ぎい、があ、しっかりする。さくらさん、しんぱいかけない、やくそく」
貞江とクミルが、幾ら声をかけようとも、ギイとガアは反応を示さない。
時間を追う毎に、呼吸が荒くなる。
人間の患者なら、救急隊員も処置が出来ただろう。
隊員が出来るのは、貞江からギイとガアの情報を聞く事と、いち早く病院へ届ける事だろう。
励ます事しか出来ず、歯痒い思いを感じているのは、貞江だろう。それは、隊員のそれとは比較にはなるまい。
それでも、声を掛けるしか無いなら、生きる気力を呼び覚ます為、声を枯らすしかない。
また、貞江と同様に、声を掛けていたクミルは、ネックレスの欠片を握りしめていた。
奇跡は、二度と訪れない。欠片には、母の力は残されていない。
さくらの死を前にして、ギイとガアの声帯が変化したのは、集まった住人達の想いが、欠片を媒介にして解き放たれただけだろう。
それでも、願わずにはいられない。
クミルにとって、ギイとガアは、この世界における心の拠り所なのだ。
そして、うなされる様に、さくらの名前を呼ぶギイとガアは、不思議な場所に居た。
☆ ☆ ☆
そこは風が無く、匂いが無い。全てが真っ白で、一メートル先も見えない。唯一視認出来るのは、己の体と隣に存在する兄妹だけ。
足下には、白い床の様な物が有る。柔らかいのか硬いのか、それすらもあやふやだ。
立っている感覚さえ、よくわからない。足を踏みしめても跡が残らない。
この場所がどこまで続いているのか、想像のしようも無い。しかし不思議な事に、進むべき方角だけはわかる。
そんな場所を、ギイとガアは手を繋ぎながら歩いていた。
何故か、繋いだ手の感触を感じない。息を吸っても、互いの頬をつねっても、何も感じない。
そして、覚えているのは自分達の名前と、ほんの僅かな過去の記憶。後は、その名を付けてくれた大好きなあの人だけ。
それ以外は何も思いだせない。
向かう先に何が有るのか、見えもしないし、興味もわかない。わからない尽くしの中で、不安や恐怖すら感じる事が許されない。
かつて、里を襲われた時の感覚。命からがら逃げた、言い表しようもない、不安と恐怖。それすらも、今は感じない。
そんな奇妙さを覚えながらも、気が付くとギイ達は、大好きな人の名を呼んでいた。
なぜ呼ぶのか、その理由が理解出来ない。それでも、呼び続ける事が止められなかった。
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
「ばあちゃ、どこ? ばあちゃ、どこ?」
歩いても、歩いても、景色は変わらない。どれくらい歩いたのか、全くわからない。
どれだけ時間が経過したのか、全くわからない。
暫くすると、ぼんやりと頭の中に、何か音がする。それは、次第にはっきりとして来る。
少しずつ明確になってくる音は、自分達の名を呼んでいる声だと思えた。
そこからは歩く毎に、朧気だった声が、明確になっていく。それは、自分達を呼ぶ声だった。それも、大好きなあの人の声だった。
そして、ふっと遠くに現れる。
大好きな、大好きな、あの人の姿が見える。
ギイとガアは、走っていた。無我夢中で走っていた。
そして、大好きな人にしがみつく。会いたかったあの人にしがみつく。
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
「ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ、ばあちゃ」
どうしようもなく切なく、どうしようもなく愛おしい。そんな感情が溢れ出し、ギイとガアの瞳から涙が流れた。
離れたくない。もう二度と離さない。ギイとガアの腕に、力が籠る。
そしてあの人は、いつもの優しい笑顔を向け、ギイとガアの頭を撫でた。
「馬鹿だね、あんた達は。来ちゃ駄目だって言っただろ? いつからそんな、聞き分けの無い子になったんだい?」
咎める様な言葉は、限りない愛に満ち、柔らかくギイとガアを包む。
「いいかい。振り向いたら、真っすぐ歩いていくんだよ。こっちを向いちゃいけないよ。真っすぐ、真っすぐ歩いていくんだ。出来るね?」
「いや! ばあちゃ、いっしょ!」
「ばあちゃ、ばあちゃ。いっしょ、いて」
「駄目だよ。あんた達は、まだ生きなきゃ駄目だ。もっと幸せにならなきゃ駄目だ」
「ばあちゃがいい。ばあちゃがいい」
「ガアもばあちゃ、いたい。ばあちゃ、いっしょだめ?」
「まだ駄目だよ。行きなさい。生きなさい。ほら、行くんだよ」
強引に体から引きはがされ、ギイとガアは元来た方角へ向かされる。そして、強く背中を押される。
嫌だった。一緒に居たかった。なぜ、一緒に居られないのか、わからなかった。
元の場所には戻りたくなかった。もう二度と手を離したくなかった。でも、行けと言う。生きろと言う。
何処に行けばいい? そんな事よりも、一緒に居たいのに。それだけで、充分に幸せなのに。
「さぁ、みんなが心配いているよ。帰ってあげな」
その言葉を聞いた瞬間、優しい信川村の人々の声が、聞こえるような気がした。
「わかるだろ? 聞こえるだろ? 帰ってあげな。あたしになら、いつでも会える。だから今は、帰るんだよ」
「ほんと? またあえりゅ?」
「ばあちゃ。うそ、ない?」
「あたしが、嘘をつくはずがないだろ? さあ、おいき」
そしてギイとガアが、元の場所へと一歩を踏み出した時、その空間は消える。
気が付いた時、ギイとガアの視界に飛び込んで来たのは、貞江とクミルの顔であった。
そして、近くで知らない誰かが、何かを言っている。
「脈拍、戻りました。呼吸も安定してます」
「確認しました。良く帰って来たね、ギイちゃん、ガアちゃん」
「よかった。ぎい、があ、しんぱいした」
貞江は、ギイとガアから視線を外して、振り返りながら会話をし始めた。
そしてクミルは、小さな板をギイとガアに見せる。その板には、信川村の人達が映って、自分達に呼びかけている。
「クミリュ、かなしい?」
「かなしい、なんで? ガア、ついてる」
「みんな、ちいさい? ここ、どこ?」
「ガア、としかじゅ、おてまかけすりゅ。としかじゅ、いない?」
ギイとガアは小さな手を伸ばし、涙で濡れたクミルの頬を撫でる。そして、掠れた声で話し掛ける。
その後、住人達が映る板に視線を向けた後、周囲を見渡す。
「としかずさん、いる。でも、からだ、やすめて」
「そうだよ、ギイちゃん、ガアちゃん。これから、あなた達を治療するからね。元気になったら村に帰って、お祝いしようね」
「ギイ、おいわい、すき」
「ガアもすき」
ギイとガアが、うわごとの様に呟いていた声は、皆の耳に残っている。
間違いない、ギイ達はさくらと会っていたんだ。そして、さくらが帰る様に言ってくれたんだ。
モバイル越しに一部始終を見て、ギイ達に声をかけ続けた住人達は、涙が止まらずにいた。
追走している孝則と敏和の瞳からも。
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