信川村の奇跡

東郷 珠

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ゴブリンが、現代社会で平和に暮らすには

労働の価値

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 孝則と郷善、そして幸三は、時に剥き出しの感情をぶつけ合う。

 歯に衣着せぬ言い回しをするから、気持ちが伝わるのではない。
 他者の思いを汲み取り、受け止める度量が必要なのだ。
 それが無ければ、下らない喧嘩だ。言葉による暴力であり、ただの虐めだ。

 孝則らに対し、みのりと華子は大きく包み込む。
 それも心の現れだ。

 他人を思い、他人の為に行動する。
 苛烈な言葉も、受け止める事も、そこに有るのは心だ。そして心は、必ず形になって現れる。
 表情、声色、態度、どれだけ繕っても、心のない行動は表面に出る。
 
 心という存在が、希薄になった世の中で、信川村は数少ない温かさが有る場所だ。
 そして、そんな場所を作り上げたのは、そこに住む住人達だ。

 昨日、四十九日の法要を終え、住人達の意思統一を図った。
 そして一夜が明け、敏久は満ち足りた気分になっていた。

 それは、久しく忘れていた感覚なのだろう。
 顧客から、感謝の手紙を貰った時、どれだけ嬉しいと思ったか。
 助かった、次も宜しく。そんな取引先の言葉に、どれだけ励まされたか。
 もっと喜んで欲しい。そんな気持ちで、仕事にのめり込んだ。

「この歳になって、改めて学ばせて貰ったな。本当に良い村だ。お袋が愛した理由がわかる」

 敏久は体を起こすと、縁側に面した襖を開ける。
 そして、全面の窓を開け放つと、朝の新鮮な空気を吸い込んだ。
 
 やがて、バタバタと足跡が聞こえる。玄関へ続く廊下側の襖が開き、二つの小さな頭が見え隠れする。

「ちち、おきる」
「ちち、おきてた」
「ギイ、ガア。おはよう」
「ちち、おはやく、ない。ねぼすけ」
「ちち、ごはん、できた」

 恐らく、洋子に言われて来たのだろう。
 起こしに来るはずが、襖を開けると、敏久は既に目を覚ましている。それが、不思議だったのだろう。
 コテンと、首を傾けて話すギイとガアを眺めると、敏久に笑みが溢れる。

「布団を片付けるから、先に行ってくれるかい? 一緒にご飯を食べよう」
「ギイ。わかった」
「ガアもわかった」

 皆が集まり、朝食を取る。賑やかな、時間はあっという間に過ぎ去る。

 敏久は忙しい身だ、法要の時間を捻出するにも、労力を要する、役員達にも負荷をかける。
 朝食を食べ終わると、敏久と洋子は支度に取り掛かる。

「ちち、はは。かえりゅ?」
「ちち、はは。いつあえう?」 
「ごめんね。ギイちゃん、ガアちゃん。また会いに来るからね」 
「ギイ、ガア。ばあちゃのパソコンを、使える様にしたからね。顔をみながら、話が出来るよ」

 ギイとガアは、寂しそうな表情で、裾を掴む。
 その小さな手を、振りほどくのが忍びない。敏久と洋子は、小さな頭を優しく撫でる。
 そしてギイとガアは、少し俯いて裾から手を離す。

 物分りが良いのが、余計に心を締め付ける、離れ難くなる。
 東京に戻る際、母も同じ思いをしたのだろうか。
 
「ギイ、ガア。俺は残るからな。駄目か?」
「ギイ。としかじゅ、すき」
「ガアも、としかじゅ、すき」
 
 敏和は、昨晩の内に車のトランクから、大きめのキャリーバッグを降ろしている。
 
「クミルさん。暫くの間、敏和が厄介になりますが、よろしくお願いします」
「としかずさん、おせわなる、わたし」
「おうよ! 任せとけ!」
「調子に乗るな敏和! だが、村の事は、任せるぞ。他の根回しは、私がやる」
「あぁ、良い報告が出来る様にするよ」 

 実際に、企業が資金をつぎ込むのは、最終的に利益となるからである。
 例えば近年では、企業の社会貢献が話題に上がる事が有る。それとて漠然と企業が、社会貢献に時間と金を費やす事はしない。

 社会貢献活動によるブランドイメージの向上、これは時として広告よりも大きなリターンを得られる事が有る。

 信川村再生計画は、宮川家にとって村への恩返しとなろう。
 ただし、企業としては一定の利益を確保出来なければ、プロジェクト自体が破棄される可能性が高い。

 役員会の承認を得て始動しても、さくらが残したのは、あくまでも草案だ。
 村長の孝則を始め、住人達の意見を吸い上げ、調整する必要がある。また、さくらの調査結果と、現状の差異を確認する必要がある。
 その為に、敏和は信川村へと残った。

 ☆ ☆ ☆

「ちち、はは。またね」
「ちち、はは。またね」
「としひささん、ようこさん。きをつけて」

 ギイ達に見送られ、車は走り去る。

「じゃあ、俺はこのまま、役場に行くからな」
「ギイ。おてつだいは?」
「ガアのおてつだいは?」
「今日は大丈夫だから、普段通りに過ごしてくれ」
「としかずさん。おひる、もどる?」
「いやぁ、ごめん。わからないな」
「わかった。としかずさんの、れいぞうこ、いれておく」
「あぁ。助かるよ、クミル」

 そして敏和は、役場に足を運ぶ。
 それは孝則、佐川、江藤といった、プロジェクトの重要ファクターとなる者と、意見交換をする為である。

「おう、早かったな。まあ座れや」

 敏和が役場を訪れると、孝則が気さくな態度で挨拶をする。
 敏和は一礼をし、勧められるがままに、会議室とは名ばかりの、ソファーへと腰を下ろした。

 それから直ぐに、孝則と佐川が敏和の対面に腰を下ろした。
 佐川は、幾つかの資料らしき物を手にしている。敏和はそれを手渡される。
 そして軽く目を通した後、佐川へと視線を送った。

「佐川さん、これは?」
「さくらさんの指示を受けて、江藤さんが作成した物です」
「こんな物が有ったとは」
「すみません。だいぶ前に、資料を貰っていました。すっかり失念しておりました」

 資料を目にした敏和は、違和感を感じた。
 企画書と言うより、確かに資料だ。中には、企業誘致や住民の増加、それに伴う改修工事等にかかる費用、それらの試算が記載されている。

 それ自体には、違和感はない。問題は、敏和が提示された資料を、目にした記憶がない事だ。

 数字で表す事により、計画内容をわかり易く明示化する。
 これは村長と助役、村の行政を担う者達の、理解度を高める事を目的とした、説明用の資料だ。
 
 だから江藤は、書類を敏久に転送せず、説明した旨だけを報告したのだろう。
 ただ如何せん、年月が経過し、意味を成さない内容も存在する。
 
「ざっと目を通しただけですが」

 そう前置きをした上で、敏和は目に付いた箇所の指摘をする。

「おわかりだと思いますが、一気に住民を増やせる訳ではありません。段階的な誘致が肝要です。後、助成金に関しては、既に終了しているのもあります。他にも、幾つか気になる点があります。それ等を含めて、再検討の必要が有りそうですね」

 孝則と佐川は、敏和のギイ達に対する態度を見て、たかをくくっていたのだろう。
 先制パンチとして、効果は充分だった。この時、敏和に感じていた軽薄なイメージは、孝則らの中で一新された。
 
「なんて言うかよ。悪かったな」
「何がでしょう、桑山村長」
「正直に言うと、お前を少し馬鹿にしてた」
「いえ。まだまだ、未熟者です」
「そんな事はねぇ。謙遜すんな」
 
 流石に照れ臭かったのだろう、敏和は一瞬だけ資料に視線を落すと、孝則に顔を向ける。

「江藤さんがいらっしゃったら、最初にゴール地点のイメージ共有から、始めましょう。続いて、プロジェクトの大まかな流れを共有して、今日はお開きにしましょう」

 江藤が訪れるまで、敏和は現状で村が抱えている問題をヒヤリングした。
 そして、取ったメモを見返し、頭の中で情報を整理する。

 それから十分ほど経過し、江藤が役場を訪れる。
 江藤は、遅刻したのではない。敏和が予定時間より、早く役場に来たのだ。
 それでも江藤は、簡単な謝罪をしてから、席に着いた。

 そして、打ち合わせが始まる。口火を切ったのは、敏和であった。

「基本的には、昨日お渡しした資料のおさらいになります」
「そうか、続けてくれ」
「ありがとうございます、村長。先ず、本プロジェクトのイメージは、自然と文化の融合です」
「あぁ。それは、理解してる。だけどよぉ、具体的にはどうするつもりだ?」
「一つ目は、皆さんの後継者を育成する事です」
 
 休耕地が増えているのが現状だ。確かに後継者の育成は、急務だろう。
 ただ、これに関しては見込みが有る。大学との共同研究だ。

「大学の奴らを、引き入れるのか? 上手く行くか? あそこには、親の仕事を受け継ぐのもいるだろ?」
「それだけではありませんよ。農業関連の学校だけでなく、他の学部の学生にも、アンケートを取りました。興味のある学生も少なくは無いんです」
「そういう奴らをどうやって雇う。面倒なんか、見切れねえぞ」
「その為の会社を、設立します。一定の農地を買い取り、卒業見込み学生を従業員として、雇い入れます。勿論、短期アルバイトも視野に入れて」
「敏和。それは農家ってより、会社員って事か?」
「仰る通りです。学生にとっては、メリットの方が多いでしょう。自営業よりも、福利厚生の整った企業に所属するんですから」
「それは、あんたらの子会社って事か?」
「いえ、関連企業ではない会社を、新たに設立します。納税地は信川村になります。軌道に乗れば、ある程度の税収も期待できるでしょう」

 それは、村の人間には出来ない発想だろう。
 確かに、様々な保障を得られる企業に所属する事は、自営業より安心だ。
 天候に変動を受けるのだ、流石に固定給とは行くまい。しかし、企業のバックアップが見込めるなら、収入以上に心強さを感じるはずだ。

「なぁ敏和。さっき、自然と文化の融合って言ったな。文化は、農業だけか?」
「近年、伝統芸能の後継者不足が、懸念されています。伝統芸能に関わる方々を招くと共に、後継者の斡旋も行います」
「見込みはあるのか?」
「既に打診をしています。快い返事を頂戴している方も、数名いらっしゃいます」
「そいつらの、住む所はどうすんだ?」
「我が社が国有地を買収し、住居を建設します。お招きした方々に、賃貸として貸し出します」

 住民の増加、企業の設立、他にも企業誘致、これらが進めば信川村の税収は、多少なりとも安定する。
 これに合わせて、助成金を活用すれば、多少でもランニングコストを圧縮出来るはずだ。

「敏和、大まかな所は理解した。でもな、それだけじゃ、村の税収は上がんねぇぞ!」
「えぇ、ご懸念は勿論です。ですから、如何に早く住民を集めるかが、課題となるでしょう。それに加えて環境整備による、観光推進も同時進行で行う必要が有ると考えています」
「でもよ。自衛隊の基地が出来るんだろ? その辺の兼ね合いは?」
「勿論、各所と連携を取りながら、進める必要が有ります」
「流石にそれは、時間がかかるな」
「仰る通りです。なので観光事業は、第二フェイズです。暫くは、住民を増やす事に念頭を置いて、進めるべきでしょう」

 人が増えれば、環境は荒れる。有識者から意見を聞きながら、対策を講じるべきだろう。
 そして、現在の産業拡大を優先するのは、尤もな意見だ。

 品質には満足をしているが、決まった食材しか仕入れられない。それに、仕入れ量も限られている。
 事実、提携しているレストラン等からは、そんな意見が届いている。
 
 もし、顧客が求める品質の良い品を、要望通りに供給出来たら。それを可能にする、生産体制を整えられたら。
 農業に関しては、拡大が見込めるだろう。

「後は、ギイとガアか。前みたいな問題にならなきゃいいけどな。だからといって、窮屈な思いはさせたくねぇぞ」
「その辺に関しては、少し時間を下さい。現在、阿沼大臣と打ち合わせを重ねています。より良い対処方法が検討出来ればと思います」
「敏和。ギイとガアに関しては、逐一報告してくれねぇか? あいつらは家族なんだ。家族を無下にはしたくねぇ」
「仰る事は、よくわかっています。私も同じ気持ちです」
「頼むぜ」
「かしこまりました」

 凡そここまで、孝則が質問し、敏和が返答した。同席した佐川と江藤は、意見を発してない。
 敏和は、二人に視線を送る。それを援護する様に、孝則は口を開いた。

「取り敢えず、今日はこんな所か? 江藤、佐川。お前らから、何か有るか?」
「今の段階で、内容の補足は、特に有りません。試算に関しては、引き続き私が行いましょう。それと、補助金等の確認もお任せ下さい」
「佐川、お前は?」
「懸念点は有りますが、再試算をしてから、詰めましょう。今日は、イメージの共有が出来た。それで充分です」

 参加者の意思確認が出来た所で、敏和は頭を下げて立ち上がる。
 それに続く様に、江藤も立ち上がった。

「本日は、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございます。このまま、村を見て周りたいので、失礼させて頂きます」
「村長。私は調べ物に取り掛かります。私も失礼します」
 
 そうして、敏和と江藤は席を立ち、役場から出ていく。それを見届けると、孝則はソファに背を持たれて、大きく息を吐いた。

「さくらの関係者は、どうしてこうも優秀なんだ? 入念な下調べをして、ここに来たんだろ?」
「その様ですね。さくらさんと敏久さんの教育が、良かったんでしょうか?」
「本人が優秀なんだよ、将来有望だな。あんな奴を見てると、俺達がどれだけ暢気だったか、思い知らされるぜ」
「本当に、仰る通りですよ、村長」
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