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病魔の果てに
意志の力
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クミルの献身が、病の進行を遅らせた様に。さくらの子供達を想う気持ちが、病に抗わせている様に。神に祈れば、願いが叶うのではない。住人達の想いが、さくらを支える。
奇跡を起こすのは、いつでの時でも心だ。
さくらの容体は、複数の合併症を起こし、手の施しようが無い状態だった。
それが、少しずつでも回復に向かっている。たった一日で、抗生物質が効くとは思えない。
ギイとガアが病室に届けた笑顔は、明確に効果を表した。
元より貞江は、隣の市に有る設備が整っている病院へ、さくらを搬送するつもりだった。
運転をする孝道に指示をし、受け入れの連絡を取ろうと、スマートフォンを取り出した時だった。
さくらは、掠れた声で貞江に語り掛けた。
「あんたに治せない病気が、ごほっごほっがはっ、他の医者が治せるのかい? あたしが用意した設備を、ごほっがはっがはっ、未だ使い熟せてないのかい? ごほっごほっ、そんなはずないだろ?」
その言葉は奇しくも、さくらが信川村に移住して直ぐに、かけられた言葉に酷似していた。
☆ ☆ ☆
貞江の診療所は、さくらが信川村に訪れてから改築された。その際に、診療や処置に関する設備も一新された。
その資金を提供したのは、さくらである。
貞江が診療所を開設した頃は、まだ村には若者がいた。元々小さな村であったが、過疎と呼べる人口では無かった。
商店街には威勢の良い声が響き、人が溢れていた。
休耕地にするほど土地が余っておらず、田畑には競う様に実りをつけていた。
時代の変遷と共に、段々と若者が都会に出ていく。そして、老人だけが残される。
患者数の減少を受けて、診療所の経営は立ち行かなくなり、閉鎖になってもおかしくなかった。
それでも、貞江は医者で有り続けた。
定期的な往診で、村人たちの健康管理を行う。そして、健康を保つ為の知識を伝える。また適宜、薬を処方し治療を行う。
貞江の地道な活動に支えられ、信川村の住民達は健康を維持していた。
五年前、信川村に移住して来たさくらが、最初に行ったのは、診療所の改築と設備の改善であった。
貞江は村の中で若い部類に入る、それでも六十歳になる。段々と、無理が利かなくなってくる歳だ。
貞江の医療活動を補助する為に、さくらは個人的な資産を投じようとした。
幾らさくらが、多くの資産を有していても、それに甘える訳には行くまい。
当時、貞江は診療所の改築を固辞した。そんな貞江に、さくらは言い放った。
「こんな事までしてもらう訳にはいきません!」
「いいや、今の現状で誰を救えるんだい? あんたは、いつぶっ倒れるんだい?」
「私はこの村に骨を埋めると決めた時、自分が出来る事を全力でやると決めました」
「それなら、尚更だよ。あんたは今、全力を出せているのかい?」
「それは……」
「そうだろ。あんたほどの腕と知識が有るなら、とっくに理解出来ているはずさ。いずれ、今の設備では救えない命が出てくる」
「でも!」
さくらの言葉は、尤もだった。
村から近くの緊急病院まで、どの位の時間がかかるというのだ。多くが、搬送中に命を落とす。
誰もが高齢を理由に諦める中、貞江だけが唇を噛みしめていた。
仕方ないでは、到底受け入れられない。
設備さえ整っていれば、救えた命があった。それが、どれだけ悔しかったか。何度、後悔の涙を流したか、力不足を嘆いたか。
何もかもが、この村には不足している。設備、人材、技術、知識、環境、挙げれば切りがない。
さくらは、問いかけている。
悔しさを乗り越えても、医者であろうとするのか? それに必要なのは、プライドか? それとも医者としての矜持か?
さくらの厳しい視線は、貞江を容赦なく突き刺す。
もし、些末なプライドに拘るなら、人の命を救うなど二度と言うな!
さくらの視線に晒され、貞江は身が縮む思いに駆られた。
怖かった。だが、目を逸らしたくなる怖さを乗り越え、さくらの瞳を見れば、強い信念が見える。
その時、貞江は理解した。これが、人を救う覚悟というものだ。
「まぁ、あんたの気持ちは、わからないでもないさ。でも今は甘えな。もし、あんたの気が済まないなら、あたしが病気になった時、あんたが治しておくれ」
「宮川さん……」
「あたしだって、棺桶に片足を突っ込んでるババアだよ。あたしはあたしの為に、診療所を改築するんだ。それなら、文句はないだろ?」
「宮川さん。ありがとうございます」
さくらが診療所を立て直さなければ、三笠はもっと早く亡くなっていた。最後に教師へ戻り、充実した日々を送る事は無かった。
さくらが村に齎したのは、医療現場の改善だけではない。
村に残ったのは、いつ消えるかわからない、小さな灯の集まりだった。その一つが消えた所で、周りの灯にしか気が付かれない。
国から忘れられ、姥捨て山と呼ばれ、やがて誰もいなくなるはずだった。
そんな村に、さくらは希望を齎した。
それは明日への希望、未来への希望、寿命が尽きても後を託せる希望だ。
もうこの信川村は、姥捨て山ではない。これからもっと変わっていく。
いつ誰が、亡くなるかわからない。しかし、少しでも長く幸せな時間を味わって欲しい。
そう思える様になったのは、さくらのおかげだ。だからこそ、村の未来にはさくらが必要なのだ。
「まだ! まだ死なせない! さくらさん、あなたにはまだ生きなきゃいけない! 私が、私が絶対にあなたを救って見せる!」
☆ ☆ ☆
ギイとガアは、翌日も見舞いに来た。そして、僅かな会話を交わすと帰っていく。
子供達と、また一緒に暮らしたい。そう思わせる事が大きいのだろう。
短い面会でも、さくらに元気を与える。
ギイとガアだけではない、クミルや孝則、郷善らが訪れ、窓ガラス越しに声をかける。
頑張れ、負けるな、そんな声が力になる。
そして、見舞いに訪れた者達は知る。
さくらの瞳は、死を受け入れた者のそれではない。
かかってきな!
あたしを殺せるもんなら、殺してみな!
あたしは、まだ終わらないよ!
死神が迎えに来ようが、追い返す。そんな目をした者が、病に屈するとは到底思えない。
さくらは、死を目の前にして尚、抗っているのだ。例え、ここで果てるのが運命だったとしても、覆そうとするのだろう。
さくらは、元から強かったのではない。強くあろうとしただけだ。
戦後の混乱で、親を失った子供達を守ってきた。彼らと共に成長し、会社を立ち上げ大きくした。
子供達だけでは、生きる事が難しい時代を乗り越えた。さくらが守ってきた多くの子供達が、社会を動かしてきた。
守り守られ、守られ守る。
そうして命は巡る、想いは引き継がれる。
だが、老いさらばえて尚、さくらには守りたいものが有る。
食事が喉を通らずやつれ始めても、病が進行し自力で立てなくなっても、さくらはクミルを案じた。
ギイとガアが、さくらに会いたいと望むから、貞江の手を借り、気力を振り絞って窓際まで歩く。
必要とされるから、それに応えてきた。これからも、力を尽くす。だから、終わらない。
生き足掻くよ! 何が何でもしがみつくよ! 子供達が待ってるんだ! あたしは帰るんだ!
あの家に、あの笑顔の中に!
不可能を可能にするなど、出来るはずがない。それが出来るのは、神の御技か異形の力だ。
しかし、さくらの強い意志は、ほんの僅かな間でも、命を繋ぎ止める。
それこそが、意志の力が起こす、奇跡なのかも知れない。
奇跡を起こすのは、いつでの時でも心だ。
さくらの容体は、複数の合併症を起こし、手の施しようが無い状態だった。
それが、少しずつでも回復に向かっている。たった一日で、抗生物質が効くとは思えない。
ギイとガアが病室に届けた笑顔は、明確に効果を表した。
元より貞江は、隣の市に有る設備が整っている病院へ、さくらを搬送するつもりだった。
運転をする孝道に指示をし、受け入れの連絡を取ろうと、スマートフォンを取り出した時だった。
さくらは、掠れた声で貞江に語り掛けた。
「あんたに治せない病気が、ごほっごほっがはっ、他の医者が治せるのかい? あたしが用意した設備を、ごほっがはっがはっ、未だ使い熟せてないのかい? ごほっごほっ、そんなはずないだろ?」
その言葉は奇しくも、さくらが信川村に移住して直ぐに、かけられた言葉に酷似していた。
☆ ☆ ☆
貞江の診療所は、さくらが信川村に訪れてから改築された。その際に、診療や処置に関する設備も一新された。
その資金を提供したのは、さくらである。
貞江が診療所を開設した頃は、まだ村には若者がいた。元々小さな村であったが、過疎と呼べる人口では無かった。
商店街には威勢の良い声が響き、人が溢れていた。
休耕地にするほど土地が余っておらず、田畑には競う様に実りをつけていた。
時代の変遷と共に、段々と若者が都会に出ていく。そして、老人だけが残される。
患者数の減少を受けて、診療所の経営は立ち行かなくなり、閉鎖になってもおかしくなかった。
それでも、貞江は医者で有り続けた。
定期的な往診で、村人たちの健康管理を行う。そして、健康を保つ為の知識を伝える。また適宜、薬を処方し治療を行う。
貞江の地道な活動に支えられ、信川村の住民達は健康を維持していた。
五年前、信川村に移住して来たさくらが、最初に行ったのは、診療所の改築と設備の改善であった。
貞江は村の中で若い部類に入る、それでも六十歳になる。段々と、無理が利かなくなってくる歳だ。
貞江の医療活動を補助する為に、さくらは個人的な資産を投じようとした。
幾らさくらが、多くの資産を有していても、それに甘える訳には行くまい。
当時、貞江は診療所の改築を固辞した。そんな貞江に、さくらは言い放った。
「こんな事までしてもらう訳にはいきません!」
「いいや、今の現状で誰を救えるんだい? あんたは、いつぶっ倒れるんだい?」
「私はこの村に骨を埋めると決めた時、自分が出来る事を全力でやると決めました」
「それなら、尚更だよ。あんたは今、全力を出せているのかい?」
「それは……」
「そうだろ。あんたほどの腕と知識が有るなら、とっくに理解出来ているはずさ。いずれ、今の設備では救えない命が出てくる」
「でも!」
さくらの言葉は、尤もだった。
村から近くの緊急病院まで、どの位の時間がかかるというのだ。多くが、搬送中に命を落とす。
誰もが高齢を理由に諦める中、貞江だけが唇を噛みしめていた。
仕方ないでは、到底受け入れられない。
設備さえ整っていれば、救えた命があった。それが、どれだけ悔しかったか。何度、後悔の涙を流したか、力不足を嘆いたか。
何もかもが、この村には不足している。設備、人材、技術、知識、環境、挙げれば切りがない。
さくらは、問いかけている。
悔しさを乗り越えても、医者であろうとするのか? それに必要なのは、プライドか? それとも医者としての矜持か?
さくらの厳しい視線は、貞江を容赦なく突き刺す。
もし、些末なプライドに拘るなら、人の命を救うなど二度と言うな!
さくらの視線に晒され、貞江は身が縮む思いに駆られた。
怖かった。だが、目を逸らしたくなる怖さを乗り越え、さくらの瞳を見れば、強い信念が見える。
その時、貞江は理解した。これが、人を救う覚悟というものだ。
「まぁ、あんたの気持ちは、わからないでもないさ。でも今は甘えな。もし、あんたの気が済まないなら、あたしが病気になった時、あんたが治しておくれ」
「宮川さん……」
「あたしだって、棺桶に片足を突っ込んでるババアだよ。あたしはあたしの為に、診療所を改築するんだ。それなら、文句はないだろ?」
「宮川さん。ありがとうございます」
さくらが診療所を立て直さなければ、三笠はもっと早く亡くなっていた。最後に教師へ戻り、充実した日々を送る事は無かった。
さくらが村に齎したのは、医療現場の改善だけではない。
村に残ったのは、いつ消えるかわからない、小さな灯の集まりだった。その一つが消えた所で、周りの灯にしか気が付かれない。
国から忘れられ、姥捨て山と呼ばれ、やがて誰もいなくなるはずだった。
そんな村に、さくらは希望を齎した。
それは明日への希望、未来への希望、寿命が尽きても後を託せる希望だ。
もうこの信川村は、姥捨て山ではない。これからもっと変わっていく。
いつ誰が、亡くなるかわからない。しかし、少しでも長く幸せな時間を味わって欲しい。
そう思える様になったのは、さくらのおかげだ。だからこそ、村の未来にはさくらが必要なのだ。
「まだ! まだ死なせない! さくらさん、あなたにはまだ生きなきゃいけない! 私が、私が絶対にあなたを救って見せる!」
☆ ☆ ☆
ギイとガアは、翌日も見舞いに来た。そして、僅かな会話を交わすと帰っていく。
子供達と、また一緒に暮らしたい。そう思わせる事が大きいのだろう。
短い面会でも、さくらに元気を与える。
ギイとガアだけではない、クミルや孝則、郷善らが訪れ、窓ガラス越しに声をかける。
頑張れ、負けるな、そんな声が力になる。
そして、見舞いに訪れた者達は知る。
さくらの瞳は、死を受け入れた者のそれではない。
かかってきな!
あたしを殺せるもんなら、殺してみな!
あたしは、まだ終わらないよ!
死神が迎えに来ようが、追い返す。そんな目をした者が、病に屈するとは到底思えない。
さくらは、死を目の前にして尚、抗っているのだ。例え、ここで果てるのが運命だったとしても、覆そうとするのだろう。
さくらは、元から強かったのではない。強くあろうとしただけだ。
戦後の混乱で、親を失った子供達を守ってきた。彼らと共に成長し、会社を立ち上げ大きくした。
子供達だけでは、生きる事が難しい時代を乗り越えた。さくらが守ってきた多くの子供達が、社会を動かしてきた。
守り守られ、守られ守る。
そうして命は巡る、想いは引き継がれる。
だが、老いさらばえて尚、さくらには守りたいものが有る。
食事が喉を通らずやつれ始めても、病が進行し自力で立てなくなっても、さくらはクミルを案じた。
ギイとガアが、さくらに会いたいと望むから、貞江の手を借り、気力を振り絞って窓際まで歩く。
必要とされるから、それに応えてきた。これからも、力を尽くす。だから、終わらない。
生き足掻くよ! 何が何でもしがみつくよ! 子供達が待ってるんだ! あたしは帰るんだ!
あの家に、あの笑顔の中に!
不可能を可能にするなど、出来るはずがない。それが出来るのは、神の御技か異形の力だ。
しかし、さくらの強い意志は、ほんの僅かな間でも、命を繋ぎ止める。
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