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トモダチ
挑戦
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会話に熱中したせいか、隆が帰宅をしたのは、昼を過ぎてからであった。帰りが遅い事を心配した正一と園子が、庭先まで出て隆を待っていた。
クミル達が付き添っている。だから、心配はない。頭では理解していても、不安は拭えない。
隆を見つけた正一は、思わず声を荒げそうになる。だが、隆の表情を見て、言葉を呑み込んだ。
そして、隆は祖父母の存在を感じると、頭を下げる。
「おじいちゃん、おばあちゃん。欲しい物が有るんだ」
その声は、昨日と別人の様に張りが有る。そして、今朝より遥かに、晴れやかな表情をしている。
隆は、何かを見つけたのだ。
それを理解し、正一と園子は、目頭が熱くなるのを感じていた。
「何でもいい。言ってみなさい」
「あのね。絵を描く道具が欲しいんだ。画板とか絵の具とか」
「そんな物でいいのか?」
「うん。僕、絵を描くんだ! 今日あった事を、絵で残したいんだ!」
「そうか、そうか。わかった、直ぐに買ってきてやろう」
「ありがとう、おじいちゃん」
「その前に、隆。お昼ご飯を食べなさい。お腹空いたでしょ?」
「うん! お腹減ったよ!」
「クミル、ギイ、ガア、お前達も食べていけ。さくらには連絡しておく」
「ありがとう、しょういちさん」
正一と園子は、昼ご飯を食べずに待っていたのだろう。それは、さくらも一緒のはずだ。
正一は、直ぐにさくらへ連絡をする。そして園子は、おかずを温め直す。
食事の最中、隆は今日の出来事を祖父母に、話して聞かせた。
楽しそうな隆の様子を見れば、正一と園子の心は躍る。いつもより、三堂家の食卓が賑やかになる。
食事を終えると、隆は正一に画材の説明を行う。
ただ、隆が望んだのは、筆や絵の具のセットにパレット、スケッチブック等の、最低限の道具であった。
描き始めれば、必要な物は増えて来るだろう。道具は都度、増やしていけばいい。正一は、無理やりに自分を納得させて、車を飛ばす。
そして、あまり長居しては、隆を疲れさせると判断したクミルは、後片付けを手伝った後、ギイとガアを連れて自宅へ戻った。
その日の夕方には、正一が戻って来る。
また、物足りなさ故だろうか、正一は画材と共に、ケーキを買って帰ってきた。
実際に画材を手に取ると、実感が湧いたのだろう。直ぐにでも描きたいとばかりに、隆はスケッチブックを開く。
「隆。ケーキを食べないか?」
「おじいちゃん、ケーキは後で良いよ。それより鉛筆を削って。芯を眺めに出す様な感じで」
「わかった。でもその、なんだ。絵の具は、使わないのか?」
「慣れてからにするよ」
「ごめんな、隆。おじいちゃん、あんまり詳しくないからな。イーゼルだっけ、そんなのも買いたかったんだけど、どれが良いのかわからなくてな」
「今はこれだけで、すっごく嬉しいんだ。おじいちゃん、ありがとう」
確かにケーキより、今は絵を描きたいのだろう。
正一は、少し苦笑いを浮かべて鉛筆を削り、隆に手渡す。そして隆は、イメージを膨らませる。
最初の絵は、千日紅。ギイに摘んで貰ったのを見本にし、感触を確かめる。
決して、自分の想像通りの出来にならないだろう。そんな事は、わかりきっている。
だから描く。だから、挑戦し甲斐が有る。
「隆。お前、上手いな」
「そうかな?」
「ええ。凄く上手だね、隆」
「でもさ、おじいちゃんとおばあちゃんは、身内びいきなだけじゃない?」
「それなら明日、クミル達が来たら、見せてやれ。俺と同じ事を言うと思うぞ」
「うん!」
そして翌日、隆の絵を見たクミルは、思わず言葉を失った。
「クミルさん。クミルさん? どうしたんです? クミルさん!」
呆然とするクミルの代わりに、ギイとガアが隆の体を揺さぶる。
ギイとガアが、興奮している。言葉が無くとも、気持ちが伝わる。
「たかしさん……すごい……。せんにちこ、ほんもの、そっくり。はな、おおきい。このえ、とても、はくりょくある」
「隆。ほら、言っただろ。褒めてるじゃないか」
「そうだね、おじいちゃん」
言いようも無い充実感が、隆の中にこみ上げてくる。それは、隆の心を高鳴らせる。
「さくらさん、あんたからも、感想を貰えないか?」
「正一、あたしで良いのかい?」
「あぁ、頼むよ」
「隆、あんたはどうなんだい?」
「ご意見が聞きたいです。さくらさん、お願いします」
さくらが同席していたのは、全くの偶然だ。散歩のついでに、隆の様子を見に寄っただけ。
偶然であろうと、好機であると正一は判断したのだろう。
さくらは様々な物に精通しているはず、自分達よりも専門的な意見が聞けるだろう。
それは、隆にとって有益なはずだ。同様の事を、隆も感じたのだろう。
隆は唾を呑んで、さくらの言葉を待った。
「誰が見ても、これが千日紅だって、わかるだろうね。あんたの状況を考えれば、百点どころか、二百点でも三百点でも、あげたいよ」
隆の表情が、更に明るくなる。
中学生の隆でも、宮川グループを知っている。その元会長から、褒められたのだ。さぞ、誇らしく感じた事だろう。
しかし、さくらの感想は、それだけでは終わらなかった。
「練習だからって、構図はもう少し考えた方がいいね。綺麗に描かれてるけど、千日紅の魅力を引き出してはいないよ」
厳しい言葉かもしれない。
隆なりに、構図は考えただろう。しかし、光を失って初めて描いた絵だ。形になっているだけで、充分なはずだ。
ましてや隆は、誰もが想像し得ない事を成し遂げたのだ。クミルが絶句するのも無理はない。これ以上を求める必要は無かろう。
だが、さくらは敢えて告げた。
絵を見れば、隆がどれだけ真剣に取り組んだのかがわかる。そんな隆に送るのは、ただ褒めるだけの言葉ではあるまい。
「さくらさん、こうず、なに?」
「クミル。あんたは、この絵を見て、迫力が有るって言ったね」
「はい、いった」
「この花の魅力は、どんな所だと思うんだい?」
「かわいらしい、おもう」
「この絵に、可愛らしさが有ると思うかい?」
「ちがう。ちからづよさ、かんじる」
「例えば、ダリアって花は、大輪の花を咲かせる物から、小さい玉の様な花をつける物まであるんだ。同じ花でも色んな種類が有る様に、描き方次第で幾らでも変わるんだ」
「え、むずかしい」
「そうだよ、難しいんだ。これは上手に描けてる、けどそれだけさ」
そして、ひと呼吸を置くと、さくらは言葉を続ける。
「隆。写実にこだわる必要はないよ。色んな手法に挑戦してみな。あんたの気持ちを、ぶつけてみな。その内、風景画だって描けるようになるさ。頑張りな」
「はい! 頑張ります!」
恐らく、最高の褒め言葉だったのだろう。
なにも上手く描く必要は無い。楽しく描けたら、それでいい。イメージを紙に乗せる事が出来れば、もっといい。
隆は、声を張り上げて、さくらに答えた。
☆ ☆ ☆
ギイとガアには、難しかったのかもしれない。隆に寄り添ったまま、黙ってさくらの話しを聞いていた。
それは、自分を心配していると、隆はとらえたのだろう。
「ギイさん、ガアさん。また、散歩に連れて行ってくれますか?」
その問いかけに反応し、ギイとガアは優しく隆の手を取る。
「たかしさん、いきましょう。きょうは、かわ、どうです?」
「良いですね。行きたいです」
「さくらさんも、いっしょ、いきましょう」
「あたしは、いいよ。あんた達だけで、行っといで」
「俺達も出掛けるか」
「そうね。隆、楽しんでおいで」
「うん!」
さくらは、手をひらひらと振ると、玄関へと向かう。後に続く様にして、正一と園子も家を出る。
それから少し経ち、ぎいとガアに手を引かれ、隆も外に出る。
道中、クミルが気を付けたのは、景色を出来るだけ細かく説明する事。恐らく、隆の絵を見て気が付いたのだろう。
実際、隆がイメージし易い様に伝えるのは、かなり重要だ。だが問題はそれだけではない。
そもそも、隆は色を判別できない。
絵の具をパレットに絞り出す位は、指示すればいい。問題はそこからだ。
絵の具を混ぜても、それがイメージした色になっているか全くわからない。また、言葉で説明するのも、困難を極めるだろう。
そんな状態で、どうやって色で表現すればいい。隆が千日紅の絵を、線画だけに留めたのは、それが理由である。
隆は、クミルの説明を聞きながらも、描き方を模索する。
どの道、補助が無ければ水彩画どころか、線画自体も覚束ないのだ。
千日紅を描いた時は、手元に現物が有った。
触感と記憶にある映像を結び付ければ、イメージはし易い。後は、手元を意識しながら、鉛筆を走らせるだけ。
隆は、毎日の様にイラストを描いてのだ。条件が揃っていれば、デッサン自体はそこまでハードルが高くなかろう。
だが、見た事も無い物を、どうやってイメージする? それをどう表現する?
不可能を可能にする事は出来ない。例え可能に出来たとしても、相応の努力無くして、成し得ない。
考えれば考える程、迷路に迷い込んだ感覚に陥るだろう。
段々と、隆の返事が曖昧になる。やがて無口になる。
そんな隆を、案じたのだろう。ギイとガアは、クミルに視線を送る。
クミルはギイとガアの意識を感じ取り、休憩する事を提案した。
木陰に座って休憩している間、クミルは口を噤み、思考に没頭する隆の反応を待った。
それは、僅かでも感情が読み取れるクミルだから、出来る事なのだろう。
ギイとガアは知らず知らずのうちに、繋いだ手に力を籠めていた。
ただ、そんなギイとガアの行動が、隆の記憶を呼び覚ます。
それは、さくらに言われた言葉。それこそが隆の迷走を止める。
「そうか! いいんだ。写実的である必要がない! 抽象的でもある必要もない。僕は、クミルさんから貰った感動を、そのまま紙にぶつければいい! 簡単じゃないか!」
突然、隆は声を張り上げる。流石のギイとガアも、慌てて隆にしがみ付く。
「ごめんなさい、ギイさん、ガアさん。心配させちゃいました?」
隆の問いに、ギイとガアは首を横に振る。
隆には、ギイ達の仕草は見えまい。だが、ギイ達の体から伝わる振動で、何となく様子が把握できる。
それに合わせて、クミルが補足する。
「たかしさん。ぎいとがあ、きにしてない。それより、なやみ、かいけつした?」
「はい。クミルさん、ありがとうございます」
「やっぱり、たかしさん、すごい。じぶんで、かいけつ、すごい」
「そんな。さくらさんからヒントを貰ってたのに、直ぐに気が付かなかったんですし」
「でも、かいけつした」
「はい」
「ところで、なやみ、なに? おしえても、だいじょうぶ?」
「えぇ。実は」
クミルには、隆が考えていた事を、大まかに把握していた。しかし、敢えて問いかけた。
頭の中だけでなく、言葉にした方が、考えは整理出来る。それは、村の住人達から教えられた事だ。
それから隆は、目的地に辿り着くまで、語り続けた。
隆の悩みを理解した上で、何が出来るのか?
クミルが、隆の感情を読み取って補助をするなら、出来る事は増えるだろう。
だが、それに何の意味が有る。隆の真剣を、踏みにじってどうする。
出来る事は限られている。
それに、クミル達が主体となってはいけない。隆がそうでなくてはいけない。
「クミルさんが細かく説明してくれるので、鮮明に想像する事が出来ます。ギイさんとガアさんが、色んな物に触らせてくれるので、理解が深まります」
そして隆は、柔らかな笑顔を浮かべる。
「今の僕は、光を失ってます、色が無くなりました。でも、クミルさん達のおかげで、再び僕の中に色が生まれました。その感動を、出来るだけ形にしたい。イメージ通りに描くには、時間がかかるとおもいますけどね」
その言葉は、クミル達に道を指し示した。
元々、手探りの挑戦だった。だが、間違いなく隆の役に立っている。
ならば次の一歩も、共に手を取って進もう。
ギイとガアは、隆にしがみ付くと、力を籠めて抱きしめる。
そして、クミルは声を大にした。
「おてつだい、します!」
クミル達が付き添っている。だから、心配はない。頭では理解していても、不安は拭えない。
隆を見つけた正一は、思わず声を荒げそうになる。だが、隆の表情を見て、言葉を呑み込んだ。
そして、隆は祖父母の存在を感じると、頭を下げる。
「おじいちゃん、おばあちゃん。欲しい物が有るんだ」
その声は、昨日と別人の様に張りが有る。そして、今朝より遥かに、晴れやかな表情をしている。
隆は、何かを見つけたのだ。
それを理解し、正一と園子は、目頭が熱くなるのを感じていた。
「何でもいい。言ってみなさい」
「あのね。絵を描く道具が欲しいんだ。画板とか絵の具とか」
「そんな物でいいのか?」
「うん。僕、絵を描くんだ! 今日あった事を、絵で残したいんだ!」
「そうか、そうか。わかった、直ぐに買ってきてやろう」
「ありがとう、おじいちゃん」
「その前に、隆。お昼ご飯を食べなさい。お腹空いたでしょ?」
「うん! お腹減ったよ!」
「クミル、ギイ、ガア、お前達も食べていけ。さくらには連絡しておく」
「ありがとう、しょういちさん」
正一と園子は、昼ご飯を食べずに待っていたのだろう。それは、さくらも一緒のはずだ。
正一は、直ぐにさくらへ連絡をする。そして園子は、おかずを温め直す。
食事の最中、隆は今日の出来事を祖父母に、話して聞かせた。
楽しそうな隆の様子を見れば、正一と園子の心は躍る。いつもより、三堂家の食卓が賑やかになる。
食事を終えると、隆は正一に画材の説明を行う。
ただ、隆が望んだのは、筆や絵の具のセットにパレット、スケッチブック等の、最低限の道具であった。
描き始めれば、必要な物は増えて来るだろう。道具は都度、増やしていけばいい。正一は、無理やりに自分を納得させて、車を飛ばす。
そして、あまり長居しては、隆を疲れさせると判断したクミルは、後片付けを手伝った後、ギイとガアを連れて自宅へ戻った。
その日の夕方には、正一が戻って来る。
また、物足りなさ故だろうか、正一は画材と共に、ケーキを買って帰ってきた。
実際に画材を手に取ると、実感が湧いたのだろう。直ぐにでも描きたいとばかりに、隆はスケッチブックを開く。
「隆。ケーキを食べないか?」
「おじいちゃん、ケーキは後で良いよ。それより鉛筆を削って。芯を眺めに出す様な感じで」
「わかった。でもその、なんだ。絵の具は、使わないのか?」
「慣れてからにするよ」
「ごめんな、隆。おじいちゃん、あんまり詳しくないからな。イーゼルだっけ、そんなのも買いたかったんだけど、どれが良いのかわからなくてな」
「今はこれだけで、すっごく嬉しいんだ。おじいちゃん、ありがとう」
確かにケーキより、今は絵を描きたいのだろう。
正一は、少し苦笑いを浮かべて鉛筆を削り、隆に手渡す。そして隆は、イメージを膨らませる。
最初の絵は、千日紅。ギイに摘んで貰ったのを見本にし、感触を確かめる。
決して、自分の想像通りの出来にならないだろう。そんな事は、わかりきっている。
だから描く。だから、挑戦し甲斐が有る。
「隆。お前、上手いな」
「そうかな?」
「ええ。凄く上手だね、隆」
「でもさ、おじいちゃんとおばあちゃんは、身内びいきなだけじゃない?」
「それなら明日、クミル達が来たら、見せてやれ。俺と同じ事を言うと思うぞ」
「うん!」
そして翌日、隆の絵を見たクミルは、思わず言葉を失った。
「クミルさん。クミルさん? どうしたんです? クミルさん!」
呆然とするクミルの代わりに、ギイとガアが隆の体を揺さぶる。
ギイとガアが、興奮している。言葉が無くとも、気持ちが伝わる。
「たかしさん……すごい……。せんにちこ、ほんもの、そっくり。はな、おおきい。このえ、とても、はくりょくある」
「隆。ほら、言っただろ。褒めてるじゃないか」
「そうだね、おじいちゃん」
言いようも無い充実感が、隆の中にこみ上げてくる。それは、隆の心を高鳴らせる。
「さくらさん、あんたからも、感想を貰えないか?」
「正一、あたしで良いのかい?」
「あぁ、頼むよ」
「隆、あんたはどうなんだい?」
「ご意見が聞きたいです。さくらさん、お願いします」
さくらが同席していたのは、全くの偶然だ。散歩のついでに、隆の様子を見に寄っただけ。
偶然であろうと、好機であると正一は判断したのだろう。
さくらは様々な物に精通しているはず、自分達よりも専門的な意見が聞けるだろう。
それは、隆にとって有益なはずだ。同様の事を、隆も感じたのだろう。
隆は唾を呑んで、さくらの言葉を待った。
「誰が見ても、これが千日紅だって、わかるだろうね。あんたの状況を考えれば、百点どころか、二百点でも三百点でも、あげたいよ」
隆の表情が、更に明るくなる。
中学生の隆でも、宮川グループを知っている。その元会長から、褒められたのだ。さぞ、誇らしく感じた事だろう。
しかし、さくらの感想は、それだけでは終わらなかった。
「練習だからって、構図はもう少し考えた方がいいね。綺麗に描かれてるけど、千日紅の魅力を引き出してはいないよ」
厳しい言葉かもしれない。
隆なりに、構図は考えただろう。しかし、光を失って初めて描いた絵だ。形になっているだけで、充分なはずだ。
ましてや隆は、誰もが想像し得ない事を成し遂げたのだ。クミルが絶句するのも無理はない。これ以上を求める必要は無かろう。
だが、さくらは敢えて告げた。
絵を見れば、隆がどれだけ真剣に取り組んだのかがわかる。そんな隆に送るのは、ただ褒めるだけの言葉ではあるまい。
「さくらさん、こうず、なに?」
「クミル。あんたは、この絵を見て、迫力が有るって言ったね」
「はい、いった」
「この花の魅力は、どんな所だと思うんだい?」
「かわいらしい、おもう」
「この絵に、可愛らしさが有ると思うかい?」
「ちがう。ちからづよさ、かんじる」
「例えば、ダリアって花は、大輪の花を咲かせる物から、小さい玉の様な花をつける物まであるんだ。同じ花でも色んな種類が有る様に、描き方次第で幾らでも変わるんだ」
「え、むずかしい」
「そうだよ、難しいんだ。これは上手に描けてる、けどそれだけさ」
そして、ひと呼吸を置くと、さくらは言葉を続ける。
「隆。写実にこだわる必要はないよ。色んな手法に挑戦してみな。あんたの気持ちを、ぶつけてみな。その内、風景画だって描けるようになるさ。頑張りな」
「はい! 頑張ります!」
恐らく、最高の褒め言葉だったのだろう。
なにも上手く描く必要は無い。楽しく描けたら、それでいい。イメージを紙に乗せる事が出来れば、もっといい。
隆は、声を張り上げて、さくらに答えた。
☆ ☆ ☆
ギイとガアには、難しかったのかもしれない。隆に寄り添ったまま、黙ってさくらの話しを聞いていた。
それは、自分を心配していると、隆はとらえたのだろう。
「ギイさん、ガアさん。また、散歩に連れて行ってくれますか?」
その問いかけに反応し、ギイとガアは優しく隆の手を取る。
「たかしさん、いきましょう。きょうは、かわ、どうです?」
「良いですね。行きたいです」
「さくらさんも、いっしょ、いきましょう」
「あたしは、いいよ。あんた達だけで、行っといで」
「俺達も出掛けるか」
「そうね。隆、楽しんでおいで」
「うん!」
さくらは、手をひらひらと振ると、玄関へと向かう。後に続く様にして、正一と園子も家を出る。
それから少し経ち、ぎいとガアに手を引かれ、隆も外に出る。
道中、クミルが気を付けたのは、景色を出来るだけ細かく説明する事。恐らく、隆の絵を見て気が付いたのだろう。
実際、隆がイメージし易い様に伝えるのは、かなり重要だ。だが問題はそれだけではない。
そもそも、隆は色を判別できない。
絵の具をパレットに絞り出す位は、指示すればいい。問題はそこからだ。
絵の具を混ぜても、それがイメージした色になっているか全くわからない。また、言葉で説明するのも、困難を極めるだろう。
そんな状態で、どうやって色で表現すればいい。隆が千日紅の絵を、線画だけに留めたのは、それが理由である。
隆は、クミルの説明を聞きながらも、描き方を模索する。
どの道、補助が無ければ水彩画どころか、線画自体も覚束ないのだ。
千日紅を描いた時は、手元に現物が有った。
触感と記憶にある映像を結び付ければ、イメージはし易い。後は、手元を意識しながら、鉛筆を走らせるだけ。
隆は、毎日の様にイラストを描いてのだ。条件が揃っていれば、デッサン自体はそこまでハードルが高くなかろう。
だが、見た事も無い物を、どうやってイメージする? それをどう表現する?
不可能を可能にする事は出来ない。例え可能に出来たとしても、相応の努力無くして、成し得ない。
考えれば考える程、迷路に迷い込んだ感覚に陥るだろう。
段々と、隆の返事が曖昧になる。やがて無口になる。
そんな隆を、案じたのだろう。ギイとガアは、クミルに視線を送る。
クミルはギイとガアの意識を感じ取り、休憩する事を提案した。
木陰に座って休憩している間、クミルは口を噤み、思考に没頭する隆の反応を待った。
それは、僅かでも感情が読み取れるクミルだから、出来る事なのだろう。
ギイとガアは知らず知らずのうちに、繋いだ手に力を籠めていた。
ただ、そんなギイとガアの行動が、隆の記憶を呼び覚ます。
それは、さくらに言われた言葉。それこそが隆の迷走を止める。
「そうか! いいんだ。写実的である必要がない! 抽象的でもある必要もない。僕は、クミルさんから貰った感動を、そのまま紙にぶつければいい! 簡単じゃないか!」
突然、隆は声を張り上げる。流石のギイとガアも、慌てて隆にしがみ付く。
「ごめんなさい、ギイさん、ガアさん。心配させちゃいました?」
隆の問いに、ギイとガアは首を横に振る。
隆には、ギイ達の仕草は見えまい。だが、ギイ達の体から伝わる振動で、何となく様子が把握できる。
それに合わせて、クミルが補足する。
「たかしさん。ぎいとがあ、きにしてない。それより、なやみ、かいけつした?」
「はい。クミルさん、ありがとうございます」
「やっぱり、たかしさん、すごい。じぶんで、かいけつ、すごい」
「そんな。さくらさんからヒントを貰ってたのに、直ぐに気が付かなかったんですし」
「でも、かいけつした」
「はい」
「ところで、なやみ、なに? おしえても、だいじょうぶ?」
「えぇ。実は」
クミルには、隆が考えていた事を、大まかに把握していた。しかし、敢えて問いかけた。
頭の中だけでなく、言葉にした方が、考えは整理出来る。それは、村の住人達から教えられた事だ。
それから隆は、目的地に辿り着くまで、語り続けた。
隆の悩みを理解した上で、何が出来るのか?
クミルが、隆の感情を読み取って補助をするなら、出来る事は増えるだろう。
だが、それに何の意味が有る。隆の真剣を、踏みにじってどうする。
出来る事は限られている。
それに、クミル達が主体となってはいけない。隆がそうでなくてはいけない。
「クミルさんが細かく説明してくれるので、鮮明に想像する事が出来ます。ギイさんとガアさんが、色んな物に触らせてくれるので、理解が深まります」
そして隆は、柔らかな笑顔を浮かべる。
「今の僕は、光を失ってます、色が無くなりました。でも、クミルさん達のおかげで、再び僕の中に色が生まれました。その感動を、出来るだけ形にしたい。イメージ通りに描くには、時間がかかるとおもいますけどね」
その言葉は、クミル達に道を指し示した。
元々、手探りの挑戦だった。だが、間違いなく隆の役に立っている。
ならば次の一歩も、共に手を取って進もう。
ギイとガアは、隆にしがみ付くと、力を籠めて抱きしめる。
そして、クミルは声を大にした。
「おてつだい、します!」
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