信川村の奇跡

東郷 珠

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変わりゆく集落

風が吹く時

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 クミル達と入れ替わる様に、さくらの家へ軽トラックが到着する。
 軽トラックには、資材と思しき物が積まれている。庭先に停車すると、運転席から孝道が降りて来る。遅れる様にして、助手席からは郷善が降りる。

「さっき、ちらっと見えたのは、ガキ共か?」
「散歩するんだってさ」
「なら、帰って来る前に、片付けちまわねぇとな」
「頼んますよ、郷善さん」
「てめぇ、誰に言ってやがる。一番弟子は、てめぇじゃねぇ! 俺だぞ!」
「はいはい、わかってますよ、兄弟子。さっさと、荷物を降ろして、始めましょうよ。鈍ってない所を、見せて下さいよ、兄弟子」
「てめぇ。さっきから調子に乗りやがって! ここの生垣を手入れしてんのは、俺だぞ! ヘンゲルのとこに、鶏小屋を作ったのも俺だ!」
「流石は兄弟子、まだまだ現役だな」
「わかりゃ良いんだ。それより、これが終わったら、久しぶりにどうだ?」
「そういや、秘蔵の焼酎を持ってるって、さくらさんが言ってたな」
「よし。今日はそいつを頂くか!」
「待てよ、兄弟子ぃ。奥さんとライカ達を働かせといて、自分だけ飲んだくれる訳にはいかねぇだろ!」
「うるせぇよ! みんなに声を掛けるに決まってんだろ! 今日は、暑気払いの宴会だ! たまには良いだろ?」
「あぁ、そうだな。良いこと言うぜ、郷善さん」

 自宅の庭が賑やかになり、気が付かぬ者はいまい。ましてや郷善の声は、数軒先まで届くと思える程に大きい。
 開け放たれた襖から、さくらが顔を覗かせる。そして、軽く溜息をついた後、郷善の顔を見やる。

「うるさいねぇ。いい年して、チンピラみたいに喚いてさ。でかい声を出さないと、作業が出来ないのかい? うちの子等を見習いな!」
「そりゃ、親バカってもんだろ、さくらさん」
「おい、さくらぁ。言いたい放題じゃねぇか! てめぇの所の酒、飲み尽くすぞ!」
「上等じゃないか! 酒なんて、売るほど有るんだ。出来るもんなら、やってみな!」

 さくらの家には、大量の高級酒が眠っている。
 毎年お歳暮やら、お中元やらと、政財界の友人から贈られてくる。今年の夏も、多くの高級酒と高級なツマミが届いた。
 そして、さくらの家だけでは消費しきれずに、村中に配るのだ。

 贈られた中には、特に価値の高い酒も有る。
 さくらからすれば、貰い物だ。配っても構わないと、考えるだろう。しかし貰う方は、気を遣うのだ。如何に村の仲間は、家族だと言っても。
 そんな酒は、さくらの家で眠る事になる。

「よっし、気合い入ったぞ! なぁ孝道!」
「俺は別に」
「ついて来い、孝道!」
「張り切り過ぎると、腰をやるぞ、郷善さん」

 孝道と郷善は、さくらの家にとある物を据え付ける為に訪れた。
 元々さくらの家は、高齢になってから建てた家である。その為、階段の上り下りを避け、平屋作りにした。また、段差が無い様にも作られている。
 それ以外にも様々な、工夫が施されている。
 
 玄関内には、靴の脱ぎ履きがし易い様に、ベンチが備え付けられている。トイレは、車椅子が入れる程の広さがある。洗面台やキッチンは、さくらの背丈に合わせて、加工されている。

 家を建てた時に想定していなかったのは、ギイとガアの存在だ。
 外に干した洗濯物を取り込む等、少しの間に限りギイとガアは、サンダルを履く様になった。しかし、長時間に渡って履くのは、未だに嫌がる。そもそも靴下でさえ、未だに嫌がって履かないのだ。

 そうなると外に出る時は、はだしである。畑仕事をすれば、当然ながら泥だらけになって帰ってくる。
 ギイ達はそのまま家に上がり、風呂場で足を洗う。そして、汚した廊下を掃除する。三笠も授業の際は、同様の対応をしてくれていた。

 さくらは、家が汚れるのを、然程気にしない。掃除をすれば済むのだから。
 だが、その行動が非効率に見えれば、口を出したくなる。そうは言えども、嫌がるギイ達に靴を履かせたくはない。
 そんな葛藤を漏らした所、郷善は直ぐに動いた。

「玄関の外に、水道を引っ張りゃいいんだ。外で足を洗ってから入れば、掃除の必要はねぇだろ。ほら、材料代よこせ! 任せろ、俺は名人と呼ばれた大工の一番弟子だぞ!」

 郷善だけではない。村の悪ガキ共は、親の手伝いを拒んだ。
 そんな悪ガキ共を捉まえて、仕事を覚えさせたのは、先々代の村長であった。
 だが若い頃、如何に建築関連の技術を叩きこまれたとはいえ、八十を優に超える年寄りに何が出来る?

 恐らくこの村に住んでいなければ、培った技術は失われていただろう。
 人口の少ない村だ、ましてや職員が存在せず、自治体の実務を担当するのが、村長と助役だ。やる事は、山ほどある。
 
 例えば家屋の修繕、倒壊寸前の家屋解体、家屋等の補強による災害対策。先の騒動で破壊された箇所の修繕でも、名人の弟子達は活躍した。
 技術はいまだ健在、それでも高齢者が作業するのだ。クミル達が戻る昼時までに、作業が終わる事は無いだろう。

 さくらが昼食の準備に取り掛かる頃、クミル達が戻って来る。そして、郷善と孝道に挨拶をすると、クミル達は家に上がり、さくらの手伝いをする。

「あゆかわさん、たかみちさん、おひる、できた」
「おう。飯だとよ、孝道」
「あぁ。ありがとな、くみる」
「いえ。こちら、こそ。ありがとう、ございます。ぎいたち、よろこぶ」

 恐らくクミルは、郷善と孝道が何をしているのか、理解をしたのだろう。深々と頭を下げるクミルを見て、郷善の鋭い眼光が幾分か柔らかくなる。

 食事が終わると、郷善と孝道は休憩を取る。一方、後片付けを終えたクミル達は、揃って郷善の前で正座した。

「あゆかわさん、わたしたち、てつだわせて、ください」
「ギイ、ギイギギ、ギイギギイ」
「ガア、ガガガア、ガガガアガ」
「あぁ? ガキ共は、何て言ってやがんだ?」
「ぎいたち、やくにたつ、いってる。わたしも、やくにたつ」
「出来んのか?」
「ギイ!」
「ガア!」
「ならやってみろ。だがなぁ、俺は孝道みてぇに、優しくねぇぞ!」
「ギイギギ、ギイギ、ギギギイ」
「ガアガア、ガアガ、ガアガガ」
「あぁ? 今度は何て言ったんだ?」
「そんちょうより、めがやさしい、おもってる」
「ははっ、はっははっ。わかってるじゃねぇか。なぁ、孝道よぉ。ははははっ、お前の親父よりましだろうが、なぁ!」
「あんたも、充分こえぇよ。郷善さん」

 ギイとガアは無論の事、クミルも土建仕事が初めてだ。だが郷善は、指示をしない。
 普通なら、何をしたらいいかと、尋ねるだろう。すると決まって、こう言われる。

「見てわからねぇなら、どっか行ってろ!」

 それは、郷善が厳しいだけだろうか?
 昔ながらの、頑固おやじ的な発言だろう。だが郷善は、所々でヒントを出している。仕草を良く見ていれば、発見が有るはずなのだ。
 それを見ようとせずに、また自ら考える事を止め質問するから、郷善に叱られるのだ。

 ギイとガアは、さくらやみのりの行動を観察し、真似て来た。またクミルは、薄っすらと他人の心がわかる。
 だからこそ彼らは、気持ちを汲んで行動する事が出来る。

 どんな作業をしているのかすら、わからないはずだ。無論、段取りなど理解をしていまい。それでも欲しい材料や工具が、取り易い位置に置かれている。
 ほんのささいな補助だろう。だがそれだけで、どれだけ作業が捗るか。
 彼らの行動は、郷善を感嘆させた。

「やるじゃねぇか」

 ポツリと呟かれた言葉は、耳の良いギイとガアにも届くまい。
 この瞬間こそ郷善が、ギイ、ガア、クミルの三名を、村の一員として認めた瞬間だった。

 風が変わった。
 優しい風が吹き始めた。

 夕刻前には、作業が終了する。一旦、郷善と孝道は汚れを落とす為、自宅へ戻る。同じく作業で汚れた体を洗い、ギイ達は家の掃除を始める。
 その間、さくらは料理を作っていた。

 農作業を終えた者達が、次第に集まって来る。 
 ギイとガアは、訪れた者を玄関まで出迎える。そして、出来上がったばかりの足洗い場へ連れていく。
 まるで、宝物を見せる様な笑顔を浮かべるギイ達を見れば、心が温かくなるのを感じる。

「良かったわね、ギイちゃん。ガアちゃん」 
「ギイギイ、ギイギギ、ギギイ!」
「ガアガア、ガアガガ、ガガア!」

 ギイ達が何を言ったのか。聞いた者達は、イントネーションで大凡を理解した。
 郷善と孝道が据え付け工事をしたのは、村の誰もが知るところである。例え日本語でなくとも、彼らの言葉は二人の名前を想起させる。ならば、その後に続くのは、褒めるか感謝の言葉だろう。

 敢えて彼らの思いを日本語にすれば、こんな感じだろうか。

 見て、ねぇ見て。郷善と孝道が、作ってくれたの。凄いでしょ。ほら、ここを捻ると、水が出るの。汚れたのが、ここで洗えるんだよ。
 すごいよ、郷善と孝道は、凄いの。こんなのを、簡単に作れちゃうんだよ。凄いね、凄いね。

 はしゃいで実演する姿を見れば、彼らの心境は容易に想像がつく。
 そんな光景を、到着したばかりの郷善と孝道が目にする。

「良かったな、郷善さん」
「うるせぇよ」
「なんだよ、にやけてる癖に」
「だから、うるせえって言ってんだ!」

 やがて、折り畳みの長机を乗せた車が到着し、孝則と佐川が降りて来る。
 そして、さくらが作った料理や貰い物のつまみ、各家庭で作られた料理、数々の名酒が並べば、宴会の始まりだ。

 クミルにとって、皆で集まって食事をするのは、初めてではない。三笠の葬儀でも、似た様な経験をした。
 大きな違いがあるとすれば、クミル達の座る席だろう。精進落としの際に隅だったクミルの席は、今日は中央付近になっている。
 
「今日は良く集まってくれた」

 今回の仕掛け人である郷善の一言で、会はスタートする。

「先生の納骨式が、まだだけどな。暑い日が続いてるから、暑気払いでもして乗り切ろうや。それとな」

 ひと呼吸を置くと、郷善はクミル達に視線を送る。

「クミル、ギイ、ガア、お前達の歓迎会が、出来てなかったからな。今日は、それも兼ねてだ」

 そんな一言が聞けるとは、思っていなかったのだろう。
 前の会議では、滞在を認めるとは言って貰った。しかし、仲間だとは言われていない。
 クミルを始め、ギイとガアは目を見開く。そして、住人達の表情には、笑みが浮かんだ。

「勘違いするんじゃねぇぞ。お前等が頑張ってんだ、認めるしかねぇだろ! もうお前らは、俺達の仲間だ、家族だ。もう遠慮するな。不満があれば、ぶつけて来い。悩みがあれば、いつでも相談しろ」
「あゆかわさん……」
「郷善でいい」
「ありがとう、ございます」
「ギイギイギ、ギギギイギ」
「ガアガアガ、ガアガガガ」
「あぁ、くそっ! うるせぇ! 礼なんか要らねぇよ。てめぇら、乾杯だ! この家の酒を、全部飲み尽くせよ!」
 
 顔を赤くして、郷善は乾杯の音頭を取る。そして住人達は一斉に、グラスへ注がれた酒を喉に流しこんだ。

 皆が笑顔に釣られて、つい笑顔になる。皆の笑い声に釣られて、笑い声が漏れる。
 それはテーブルを飾る、どのおかずよりも、温かく心を包む。それはグラスに注がれたオレンジ色より、優しく心を癒す。
 
 クミル、ギイ、ガアにとって、この日は最高の一日となった。

 ☆ ☆ ☆

「どうしたんだい正一。何か気になる事でもあるのかい?」
「いや、少し孫の事で」
「何か有ったのかい?」
「ここでは……」
「なら、あんたの都合が良い時にでも、話しに来な」
「ありがとう、さくらさん。改めて、相談するよ」
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