信川村の奇跡

東郷 珠

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変わりゆく集落

足並みを揃えて

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 いつもの様に目を覚まし、出掛けていく。さくらは、ギイ達を見送ると、家事を熟しつつ出掛ける支度を整える。

 日常が戻って来る。
 男衆は畑や山へと向かう、女衆は忙しなく家の中を駆けずり回る。孝道と佐川は役場に向かい、江藤はPCのモニターを眺める。
 そしてこの日、孝則から連絡を受けて、さくらは散策のついでに役場へ寄った。

「よぉ、さくらぁ。悪いな、わざわざ」
「構わないよ、ついでだったしね。それで、何の用だい?」
「あぁ。実はな、先生の件だ」
 
 事務所の扉が開いたのを見るや、孝則は佐川に目配せをし、さくらに声をかける。
 しかし、さくらは首を横に振り、打ち合わせスペースへ向かった。そして、ソファに腰を下ろすと、リュックから水筒を取り出す。
 遅れてソファに腰を下ろした孝道は、静かに口を開く。

「遺言でな、私物を村に寄付してくれたんだ」
「はぁ? 何を貰ったんだい?」
「ほとんどが蔵書だ。後は、書棚や椅子の類だな。一応、二階の使ってないスペースを開放して、一時的な図書室にする予定だ」
「へぇ、そりゃ良い物を貰ったね。でも、見に来る奴は、いるのかい?」
「村の中じゃ江藤くらいだろ。お前も知ってるだろうけど、絶版になってる本も多いらしくてな」
「貴重な本は多いね。あたしも何度か借りたよ。それに、専門書から漫画まで揃ってるはずさ。先生は多趣味だったからね」
「この間、調査隊にその話をしたらな。是非、利用させて欲しいって奴がいてな」
「需要が有るなら、良いじゃないか」
「それとな、先生が育ててた鶏は、ヘンゲルの所で引き取ってくれる。蔵書を運ぶのと合わせて、諸々は調査隊がやってくれる」
「そうかい。話しはそれだけかい?」
「いや、お前に渡したい物が有る。厳密には子供等にだけどな」

 そう言って、孝則が差し出したのは、数冊の絵本であった。

「先生は、子供等にやるつもりで、用意してたらしい」
「なんて言うか、先生らしいね。有難く、受け取らせて貰うよ」
「まぁな。ほんと恩なんて、返しきれねぇよ。取り敢えず、後はめんどくせぇ、行政絡みの話しだ」
「その辺は、上手い事やっておくれ。頑張るのは、佐川さんだろうけどね」
「ったりめぇだ。俺の出番が増えたら、県の奴らが困るってもんだ」
「困った村長だよ、まったく」

 さくらは、苦笑いを浮かべて立ち上がる。そして、絵本と水筒をリュックに仕舞うと、少し口角を吊り上げる。

「善良な人ほど早死にするって、聞いた事は有るかい?」
「あぁ。それがどうした?」
「あんたは、あの世に嫌われてるんだよ。迷惑だから来るなってね」
「はぁ? なに言ってやがる! じゃあ先生はどうなんだよ!」
「先生は君子だからね。役目が有ったのさ」
「そんで俺は、ならず者だと?」
「違うのかい?」
「いや、違いねぇ」
「あんたは、先に逝くんじゃないよ。この村は変わるんだ。それまで、見届けておくれ」
「そりゃ俺の台詞だ、馬鹿野郎」

 昼を迎える頃には、ギイ達が戻って来る。ギイ達の帰宅に合わせて、さくらは自宅に戻り、食事の準備をする。
 昼食を食べ終わり、ギイ達が片付けをしている間、さくらは自室に戻り、絵本を手に取って居間へ戻る。
 そして、片付けを終えたギイ達に、絵本を広げて見せた。
 
「ギイ!」
「ガアガ、ガガ?」

 初めて出会う絵という概念は、ギイ達の好奇心をくすぐる。前のめりになり、食い入る様にして、絵を見つめ文字を追う。

 日本語を話し、理解を深めているクミルは、絵本が意味する所を理解したのだろう。感嘆の声を漏らし、繁繁と眺めていた。

「これは、絵本っていうんだ。子供が言葉を覚える為の物さ」
「ギギイ?」
「そうだよ、絵本だよ」
「ガアガ、ガガア?」
「よくわかったね。この絵が重要なんだよ」 
 
 先ずは、手に取った一冊を読んで聞かせる。
 時に鼻息を荒くし、時に歓喜の声を上げ、ギイとガアは物語に没入していく。対してクミルは、内容を噛みしめる様に、さくらの声に耳を傾けていた。

 読み聞かせる事で、言葉が絵によって明確なイメージとなり、脳に伝達される。それが想像力を発達させる事へ繋がり、知能の発達を促すのだろう。

 手元に有る絵本は、全てジャンルが異なる。
 童話や創作物語の様な想像を掻き立てる絵本から、単純な言葉遊びの様に文字を覚え易くする絵本、それ以外にも知識を高める為の絵本も有る。
 ギイ達の学習レベルを知る三笠だからこそ、成長に合わせた本選びをしたのだろう。

 ギイとガアは何度も、読んで欲しいとさくらに願った。その度に、物語を理解していったのだろう。
 コクコクと首を縦に振りつつも、質問を投げかける。
 
 何故、登場人物がそんな行動に出たのか? それは、童話や物語なら、当然感じる疑問だ。
 白雪姫は何故、見知らぬ者から貰った林檎を食べたのか? 浦島太郎は何故、玉手箱を開けてしまったのか?

 これらの疑問に対し、推測する事は可能だろう。しかし導き出した答えは、絶対的な正解だと言い切れまい。
 それでも、安易に正解を求めずに、自らの知恵で自らの答えに辿り着く。それが読書の醍醐味であり、知能を高める行為である。
 さくらはギイ達の疑問に対し、敢えて問い返した。

「あんた達は、どう思うんだい?」
「ギギ?」
「ガア?」
 
 幾ら知能が高いとはいえ、その問いに答えるのはまだ早い。ギイとガアはコテンと首を傾げる。

「あんた達なりでいいんだ、答えを出してごらん。幾らでもばあちゃんが、読んであげるよ」
「さくらさん、わたしも、よくわからない」
「それなら、一緒に考えておくれ。それとね、時間が有る時はあんたが、ギイとガアに読み聞かせておくれ」
「わたし? わたしで、いい?」
「これも練習だよ」

 さくらは、基本的に放任主義に近い。きっかけを与えて、どう行動するかを見ている。
 そして、成長の度合いを見ながら、次のきっかけを与える。
 
 生活の中に有る物は、名前と意味そして用途を理解している。畑で作業を孝道に習っている。そして平仮名の基礎は、三笠に習った。
 ギイとガアが、言葉が話せなくとも、いずれは文字で会話出来る様になる。
 この村で生活するには、困らない知識を身に付けていると言ってもいいだろう。

 次に必要なのは、何か? 

 更なる知識か? それとも計算を身につけさせる事か?
 違う、楽しいを教える事だ。

 今までの楽しいは、好奇心を満たした満足感だろう。これからは自ら考え、達成する喜びを教える必要が有る。

「さて、絵本はお終いだよ。みんな帽子をかぶって、庭に出な」
「ギイギ? ギギイギイ?」
「ガアガ?」
「直ぐにわかるよ」

 さくらはギイ達を外に連れ出すと、説明を始める。
 説明をしたのは、日本人なら誰もが子供の頃に、一度は遊んだ事が有る鬼ごっこ。だがギイ達は、存在自体を知らない。そしてクミルは、その説明を聞いて、直ぐに理解したのだろう。
 ギイとガアを相手にするには、知恵を絞らなければ、勝つ事は出来ない。

 ゴブリンは、森の中を住処にして来た。
 当然、森の中で飛んだり跳ねたりして来たのだ、ゴブリンの身体能力は存外に高い。その代わり、体の小ささ故か、持久力は人間に劣る。
 言わば直線上で逃げ、それを追うだけの単純なゲームなら、持久力に勝る人間が、勝利するのは必然だろう。

 鬼ごっこは体を使う遊びだが、性格や行動パターンを予測する事で、活路を見出せる。必ずしも、身体能力が勝負の決めてと、なり難いだろう。

 逃げて良いのは庭だけ、家の中や裏そして物置の上へ逃げてはいけない。それでもさくらの庭は、四トントラック三台が、軽く収まる程の広さがある。
 動き回るには充分、そして勝負が始まる。

 最初の鬼は、クミルになった。
 予想通りではあるが、ギイとガアは走り回って、クミルを翻弄する。ただ、時間を追うごとに、ギイとガアに逃げる範囲が狭められていく。
 クミルが、逃げ道を塞ぐ様に立ち回っているのだ。

 もし、ギイとガアがバラバラになって逃げ回っていれば、両方共に追い込まれる事は無かっただろう。
 だがギイとガアは、いつも一緒に行動する。そこをクミルに突かれたのだ。徐々にギイとガアは、垣根へと追い詰められる。後は手を伸ばすだけ。
 その距離まで詰めた所で、ギイとガアのコンビネーションが勝った。
 
 クミルの視線を引き付ける様にして、ガアが動く。クミルがガアにつられた所で、ギイが反対方面へ動く。この瞬間、クミルに隙が生じた。

 ギイは自らの存在をアピールする様に、敢えて飛び跳ねた。ガアに向けていたクミルの意識は、強制的にギイへ向けさせられる。
 次の瞬間には、ガアが逃げ去る。それを目で追った隙に、ギイが逃げ去る。

 ギイとガアの速さを封じて、追い詰めたクミル。それに対し、咄嗟の判断で逃げ切ったギイとガア。両者共に己の良さを活かした、好勝負であった。
 
「惜しかったね、クミル。ギイとガア、どっちかに狙いを絞ってたら、タッチ出来たかもね」
「はい。くやしい」
「ギイギ、ギイギギギ?」
「ガアガ、ガアガ?」
「あんたらは、逃げ方を工夫した方がいいね。鬼を変えて、もう一度やろうか」
「ギイ!」
「ガア!」
「はい!」

 遊びとはいえ、座学では身に付かない、判断力が養われるはずだ。またクミルに必要な、筋力や体力がつくだろう。
 何回か繰り返すと、さくらはギイ達を連れて家の中へ戻る。
 急ぐ必要はない、ゆっくりでいいのだから。

 居間で一休みすると、次は家事に取り掛かる。この時、孝道の作った小物の数々が活躍する事になる。

 ギイ達の背丈では、物干しにかけられた洗濯物に届かない。しかし、孝道が作ってくれた竿上げ棒のおかげで、洗濯物を取り込める様になった。
 また室内にも、ギイ達の背丈では扱い辛い物が多い。それまでは、空き箱を利用して、高さを補っていた。だが空き箱は、それ用に作られた物ではない。乗れば、ぐらつくのだ。
 孝道の作った踏み台のおかげで、安定して作業する事が出来た。

 洗濯物を片付け終わると、クミルが行っている掃除を手伝う。その間に、さくらは夕食の準備に取り掛かる。
 一人でやるよりは、手伝いが有った方が負担が少ない。それに、一緒に作業をした方が楽しい。

 そしてクミルは、手を動かしながらも、一日を振り返る。
 さくらが語ってくれたから、物語に没頭したのだろう。ギイとガアが一緒に走り回ったから、楽しかったんだろう。
 共に歩む事が、どれだけ幸せなのか、どれだけ凄い事なのか。
 クミルは改めて感じていた。 
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