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学びと成長
知る喜び
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ギイ達は、箸を持って食事が出来る様になっている。持ち方を教えるだけで、鉛筆を正しく持てる様になった。
ただ、筆記用具を触った経験がない彼らには、紙に滑らせるだけで線や丸が描けるのが、驚きだったのだろう。
ギイ達は楽しそうに、ノートの新しいページに、線を描いていく。
「お前達が器用なのは、知っていた。だけど、流石に早いな」
「ギイ、ギイギイ」
「ガガガ。ガアガア」
「ぎいとがあ、とても、たのしんでる。わたしも、たのしい」
「そうか。でも、それで終わりではない」
それまで三笠は、心のままに書きなぐっていたギイ達を、優しい眼差しで眺めていた。しかしその瞳が、少し真剣なものに変わる。
「さて、クミル。お前に質問だ」
「なん、ですか?」
「お前は、日本語が話せる様になった。その言葉を記録するなら、どんな方法が有る?」
「きろく、ことば、わからない。でも、せんせい、いうこと、たぶん、あれ」
「あれとは、何だ?」
「ことば、わからない。だから、せつめい、できない。この、えんぴつと、ちがう。なにか、わからない。だけど、ぬのに、いまみたい、かく」
「お前が思い描いたのは、間違いなく文字だ」
「もじ?」
「ああ。お前が話した言葉を、記録できる」
「きろく?」
「そうだ。この紙にお前の言葉や考えている事を、記す事が出来るのだ」
「すこし、わかった。はは、もじ、りかいしてた」
道具と文字の形態が異なっても、基本的な用途は然程の違いはあるまい。
恐らくクミルは、元の世界の記憶と、三笠の言葉を擦り合わせて、理解しようと努めていたのだろう。
続いて三笠は、ギイとガアに視線を向ける。
「今度は、ギイとガアに質問だ」
「ギイ!」
「ガア!」
農奴として生きて来たとはいえ、文化的な知識を有するクミルと、ギイとガアでは明らかな差が有る。
敢えて言葉にするならば、年相応のクミルに対し、ギイ達は幼児並みの知識しか有してはいまい。
「お前達は、日本語を真似て話している。日本語を理解しているのだろう?」
「ギイ!」
「ガア!」
「良い返事だ。幾ら真似ても、だが、お前達が何を言っているのか理解出来るのは、さくらとクミルくらいだろう」
「ギギ?」
「ガガ?」
「よくわからないか? お前達の言葉を別の方法で、さくら達に伝える事が出来たら、どうだ?」
「ギイ、ギイギイ!」
「ガア、ガアガガ!」
「ん? クミル、ギイ達は何と言っている?」
「うれしい、きもち、かんじる。ぎいとがあ、がんばって、はなしてる。つたわらないの、すこしかなしい、きもちある」
三笠は、クミルから聞いていた。そして、実際に共に行動する様になって、理解した。
さくらが言った言葉を、彼らは覚えている。その意味も含めて、理解している。ただ発音できないだけだ。
それならば、意思疎通の方法は、口語に頼らなくても出来る。
「わかるか? お前達の言葉が伝わらないなら、別の方法で行えばいい。それが文字だ」
「ギギ?」
「ガガ?」
「理解出来なくても、仕方が無い。実際に見せよう」
そう語ると、三笠は自分のノートに、ありがとうと平仮名で書く。
「これは、ありがとう読む」
「ギギャギャ?」
「ガガガァ?」
「そうだ、ありがとうだ。わかるか? 文字を覚えれば、これで会話が出来るんだ」
「ギャ!」
「ガァ!」
「驚く事はない。お前達は、日本語を覚えている。後は、文字を覚えるだけだ。これで、皆と話が出来るぞ」
「ギギギギヤ、ギヤギイギヤイギイギイギギ!」
「ガアアガガガ、ガアガガガアアアガガ!」
「ぎいとがあ、とても、うれしそう。おぼえたい、おもってる」
ギイとガアが放ったのは、ゴブリンの言語である。興奮の余り、思わず出てしまったのだろう。
それだけ、意思疎通が出来る事に、喜びを感じていたのだろう。
念の為にクミルは、ギイ達の心を三笠に伝えた。だが三笠は、クミルの解説が無くても、ギイ達の気持ちを推し量る事が出来た。
何故なら、ギイ達は立ち上がり、部屋の中でぴょんぴょんと飛び跳ねていたから。
例えギイとガアが、小学生並みの知能を有していたとしても、初めての文字を読める様に書けるはずがない。それは、クミルにも言える事だ。
三笠は、ギイ達を宥めて座らせる。そして、三名の顔を順々に見つめると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「今日は、これを書ける様になろう。帰ったら、さくらに見せるといい。きっと驚くぞ」
三笠の言葉は、三名に意欲を与えた。
特にギイとガアは、さくらに褒められる所を想像し、頬を緩ませている。
そんなギイ達を眺め、三笠は柔らかな笑顔を見せた。だが直ぐに、教師としての顔が、表情に現れる。
パンと音を立て手を叩くと、三笠はギイ達の意識を自分に集める。
「さて、始めようか。最初は、上手く書けなくて当然だ。ゆっくりでいい。何度も練習しよう」
三笠の言葉に、ギイ達は大きく首を縦に振る。そして、たった五文字を書く練習が始まった。
見本を見せて、真似をしろと言っても、出来るはずがない。三笠はゆっくりと、ありがとうの五文字を、書いて見せる。
書き順から、注意点までを解説しながら、何度も見本を書く。
一挙手一投足すら見逃すまい、些細な言葉すら聞き逃すまい。三笠を見つめるギイ達の視線は、真剣そのものであった。
見本の字を見ながら、三笠の書き方を真似て、ギイ達はノートの文字を書く。書く毎に、象形文字から平仮名へと変化をしていく。
「ギギャ?」
「そうだ、上手いぞ。練習すれば、もっと上手く書ける」
「ガア、ガガガア」
「うん? どうした?」
「があ、うまくかけない、こまってる」
「書き辛いのは、どこだ?」
「ガアガガガ。ガアガ、ガガガア」
「せん、うまく、まるにできない。があ、おもってる、たぶん」
「そうか、どれ」
平仮名は、直線だけでは描けない。曲線を上手く描くのは、それなりのコツが要る。
三笠は、ガアの背後に回り、鉛筆を持つ手を握る。そして、ガアの手を動かし、円を書いてみせる。
「わかるか? 力いっぱい握って書くんじゃない。力を抜きすぎても駄目だ。適度に力を入れるんだ」
「ガア? ガアガガ?」
「良いぞ、その調子だ。上手いじゃないか、ガア。丸が書ければ、後は簡単だ。あを書いてみなさい」
「ガアアガ、ガア?」
三笠の言葉に従い、ガアは”あ”をノートに描く。その出来具合を確認する様に、後ろを振り向き、三笠の顔を覗き込む。
「なかなか良くなった。ほら、比べてみろ。ちゃんと上達してる」
「ガア! ガア!」
「ほかの字も、同じ様に練習してみなさい」
「ガア!」
三笠の言葉で、ガアは破顔する。それは、更なる意欲へ変わっていく。
また、ガアのやる気は、ギイの負けん気をくすぐる。
「ギイ! ギイギイ! ギイ!」
「なんだ、ギイ」
ギイは、三笠に声をかけると、書きなぐっていたノートを広げる。ノートを見たガアは、慌ててノートへ向かう。
その光景に、三笠は思わず笑みを浮かべた。
三笠はこの瞬間、少し昔の事を思い出していた。
孝道の世代は、子供の数が多かった。中には大抵一人くらい、器用で要領が良い子供が存在する。
洋二は、要領がいい子供だった。教えれば、大抵の事は直ぐに覚えた。反対に、孝道は物覚えが悪かった。しかし、努力が出来る子供だった。
二人は、良いライバルだった。互いを意識し、高め合う事が出来る関係だった。
考えれば当然の事だ。ギイとガアには、心が有る。その中には、負けたくない気持ちも有るのだろう。
歳を重ねると、そんな心を他人に見せない様になる。しかしギイとガアは、子供らしい反応を見せる。当時の孝道と洋二の様に。
畑での様子を見ていればわかる、彼らはとても賢い。その働きぶりは、仕事と呼んで差し支えないだろう。
そんな彼らが見せる子供らしい一面が、三笠にはとても微笑ましく映った。
そして三笠は、柔らかな瞳でギイ達を見つめ、優しく頭を撫でる。
「お前達は、互いに教え合いなさい。支え合って来たのだろう? それは、素晴らしい事なんだ。二人で頑張れば、もっと良い成果を出せる。私が保障する」
「ギギ?」
「ガア?」
「少し、難しかったか? まあ、いい。いずれ、わかる時が来る」
三笠は、ギイ達に文字の練習を再開させる。そして、ふと横に視線をずらす。
そこには、無言で文字を書く、クミルの姿が有った。
クミルは、線の形を真似て、一文字ずつ丁寧にノートへ刻んでいく。真剣な表情の中にも、喜びを湛えた瞳が、きらきらと輝く。
三笠の視線を感じたクミルは、手を止めて顔を上げると口を開く。そのトーンは、喜色に満ちていた。
「せんせい。これ、すごい。たのしい、うれしい。わたし、もじ、かいてる。すごい、すごい。もじ、かける、とくべつのひと。わたし、ちがう。だけど、もじ、かいてる。すごい、すごい、すごい!」
クミルは、努力家だ。そして、間違いなく優秀だ。そんな彼が、元の世界では、朝も夜もなく、働いて、働いて。ただ、それだけだ。
もし、生まれる場所が違ったら、彼はどんな成長をしていたのだろう。与えられる事を当然とし、漫然と過ごして来たのだろうか。
酷使させられる環境を、当たり前と疑う事もない。そんな世界で育ったから、現状をこんなにも喜べるのだろうか。
ならば、最低限の教育を受けられる事は、どれだけ幸せなのだろう。
「クミル。ここは、お前の居た世界ではない。ここは、努力に見合う対価を、得られる世界だ。焦らなくていい。でも、頑張りなさい。お前の努力は、必ず報われる。お前がこれまで培って来た事は、必ず結実する」
「すこし、むずかしい、ことばあった。でも、だいたい、りかい、した。ありがとう、せんせい。わたし、がんばる。だから、もっと、おしえて、ほしい」
「あぁ……あぁ。もちろんだ。色んな事を教えてやろう。お前の知らない事は、まだまだ沢山あるんだぞ」
「ギイ、ギイ!」
「ガア、ガア!」
「もちろん、お前達も一緒だ」
こうして、楽しい時間は過ぎていく。
帰宅後、ノートを見せたギイとガアは、さくらに褒められ、抱きしめられる。
その様子を嬉しそうに見ていたクミルも、さくらに優しく抱きしめられた。
「頑張ったね。偉いよ」
その言葉は、何よりの褒美なのだろう。
☆ ☆ ☆
「また、血圧が高くなってますね。薬は飲んでますか?」
「ああ、飲み忘れはしてない」
「発作は、どうです?」
「ここの所、落ち着いている」
「それならいいですけど。何か有ったら、直ぐに呼んでください。それと、はしゃぎ過ぎては、いけませんよ。体を休める事も重要です」
「わかっている。でも、つい、な」
「お気持ちは、理解出来ますけどね」
「なあ、貞江。私は、後どれくらい生きられるだろうか?」
「目指せ百寿! なんて、如何ですか?」
「はははっ、面白いな」
「でも、あと五年ですよ。あっという間ですよ」
「まあな。妻を失ってから、いつ死んでも良くなっていた。今は、あの子達の為に、生きていたいと思う。私はつくづく我儘だ」
「いいえ。あの子達には、先生が必要です。長生き……して下さい」
「ああ、頑張るか。もう少し……な」
ただ、筆記用具を触った経験がない彼らには、紙に滑らせるだけで線や丸が描けるのが、驚きだったのだろう。
ギイ達は楽しそうに、ノートの新しいページに、線を描いていく。
「お前達が器用なのは、知っていた。だけど、流石に早いな」
「ギイ、ギイギイ」
「ガガガ。ガアガア」
「ぎいとがあ、とても、たのしんでる。わたしも、たのしい」
「そうか。でも、それで終わりではない」
それまで三笠は、心のままに書きなぐっていたギイ達を、優しい眼差しで眺めていた。しかしその瞳が、少し真剣なものに変わる。
「さて、クミル。お前に質問だ」
「なん、ですか?」
「お前は、日本語が話せる様になった。その言葉を記録するなら、どんな方法が有る?」
「きろく、ことば、わからない。でも、せんせい、いうこと、たぶん、あれ」
「あれとは、何だ?」
「ことば、わからない。だから、せつめい、できない。この、えんぴつと、ちがう。なにか、わからない。だけど、ぬのに、いまみたい、かく」
「お前が思い描いたのは、間違いなく文字だ」
「もじ?」
「ああ。お前が話した言葉を、記録できる」
「きろく?」
「そうだ。この紙にお前の言葉や考えている事を、記す事が出来るのだ」
「すこし、わかった。はは、もじ、りかいしてた」
道具と文字の形態が異なっても、基本的な用途は然程の違いはあるまい。
恐らくクミルは、元の世界の記憶と、三笠の言葉を擦り合わせて、理解しようと努めていたのだろう。
続いて三笠は、ギイとガアに視線を向ける。
「今度は、ギイとガアに質問だ」
「ギイ!」
「ガア!」
農奴として生きて来たとはいえ、文化的な知識を有するクミルと、ギイとガアでは明らかな差が有る。
敢えて言葉にするならば、年相応のクミルに対し、ギイ達は幼児並みの知識しか有してはいまい。
「お前達は、日本語を真似て話している。日本語を理解しているのだろう?」
「ギイ!」
「ガア!」
「良い返事だ。幾ら真似ても、だが、お前達が何を言っているのか理解出来るのは、さくらとクミルくらいだろう」
「ギギ?」
「ガガ?」
「よくわからないか? お前達の言葉を別の方法で、さくら達に伝える事が出来たら、どうだ?」
「ギイ、ギイギイ!」
「ガア、ガアガガ!」
「ん? クミル、ギイ達は何と言っている?」
「うれしい、きもち、かんじる。ぎいとがあ、がんばって、はなしてる。つたわらないの、すこしかなしい、きもちある」
三笠は、クミルから聞いていた。そして、実際に共に行動する様になって、理解した。
さくらが言った言葉を、彼らは覚えている。その意味も含めて、理解している。ただ発音できないだけだ。
それならば、意思疎通の方法は、口語に頼らなくても出来る。
「わかるか? お前達の言葉が伝わらないなら、別の方法で行えばいい。それが文字だ」
「ギギ?」
「ガガ?」
「理解出来なくても、仕方が無い。実際に見せよう」
そう語ると、三笠は自分のノートに、ありがとうと平仮名で書く。
「これは、ありがとう読む」
「ギギャギャ?」
「ガガガァ?」
「そうだ、ありがとうだ。わかるか? 文字を覚えれば、これで会話が出来るんだ」
「ギャ!」
「ガァ!」
「驚く事はない。お前達は、日本語を覚えている。後は、文字を覚えるだけだ。これで、皆と話が出来るぞ」
「ギギギギヤ、ギヤギイギヤイギイギイギギ!」
「ガアアガガガ、ガアガガガアアアガガ!」
「ぎいとがあ、とても、うれしそう。おぼえたい、おもってる」
ギイとガアが放ったのは、ゴブリンの言語である。興奮の余り、思わず出てしまったのだろう。
それだけ、意思疎通が出来る事に、喜びを感じていたのだろう。
念の為にクミルは、ギイ達の心を三笠に伝えた。だが三笠は、クミルの解説が無くても、ギイ達の気持ちを推し量る事が出来た。
何故なら、ギイ達は立ち上がり、部屋の中でぴょんぴょんと飛び跳ねていたから。
例えギイとガアが、小学生並みの知能を有していたとしても、初めての文字を読める様に書けるはずがない。それは、クミルにも言える事だ。
三笠は、ギイ達を宥めて座らせる。そして、三名の顔を順々に見つめると、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「今日は、これを書ける様になろう。帰ったら、さくらに見せるといい。きっと驚くぞ」
三笠の言葉は、三名に意欲を与えた。
特にギイとガアは、さくらに褒められる所を想像し、頬を緩ませている。
そんなギイ達を眺め、三笠は柔らかな笑顔を見せた。だが直ぐに、教師としての顔が、表情に現れる。
パンと音を立て手を叩くと、三笠はギイ達の意識を自分に集める。
「さて、始めようか。最初は、上手く書けなくて当然だ。ゆっくりでいい。何度も練習しよう」
三笠の言葉に、ギイ達は大きく首を縦に振る。そして、たった五文字を書く練習が始まった。
見本を見せて、真似をしろと言っても、出来るはずがない。三笠はゆっくりと、ありがとうの五文字を、書いて見せる。
書き順から、注意点までを解説しながら、何度も見本を書く。
一挙手一投足すら見逃すまい、些細な言葉すら聞き逃すまい。三笠を見つめるギイ達の視線は、真剣そのものであった。
見本の字を見ながら、三笠の書き方を真似て、ギイ達はノートの文字を書く。書く毎に、象形文字から平仮名へと変化をしていく。
「ギギャ?」
「そうだ、上手いぞ。練習すれば、もっと上手く書ける」
「ガア、ガガガア」
「うん? どうした?」
「があ、うまくかけない、こまってる」
「書き辛いのは、どこだ?」
「ガアガガガ。ガアガ、ガガガア」
「せん、うまく、まるにできない。があ、おもってる、たぶん」
「そうか、どれ」
平仮名は、直線だけでは描けない。曲線を上手く描くのは、それなりのコツが要る。
三笠は、ガアの背後に回り、鉛筆を持つ手を握る。そして、ガアの手を動かし、円を書いてみせる。
「わかるか? 力いっぱい握って書くんじゃない。力を抜きすぎても駄目だ。適度に力を入れるんだ」
「ガア? ガアガガ?」
「良いぞ、その調子だ。上手いじゃないか、ガア。丸が書ければ、後は簡単だ。あを書いてみなさい」
「ガアアガ、ガア?」
三笠の言葉に従い、ガアは”あ”をノートに描く。その出来具合を確認する様に、後ろを振り向き、三笠の顔を覗き込む。
「なかなか良くなった。ほら、比べてみろ。ちゃんと上達してる」
「ガア! ガア!」
「ほかの字も、同じ様に練習してみなさい」
「ガア!」
三笠の言葉で、ガアは破顔する。それは、更なる意欲へ変わっていく。
また、ガアのやる気は、ギイの負けん気をくすぐる。
「ギイ! ギイギイ! ギイ!」
「なんだ、ギイ」
ギイは、三笠に声をかけると、書きなぐっていたノートを広げる。ノートを見たガアは、慌ててノートへ向かう。
その光景に、三笠は思わず笑みを浮かべた。
三笠はこの瞬間、少し昔の事を思い出していた。
孝道の世代は、子供の数が多かった。中には大抵一人くらい、器用で要領が良い子供が存在する。
洋二は、要領がいい子供だった。教えれば、大抵の事は直ぐに覚えた。反対に、孝道は物覚えが悪かった。しかし、努力が出来る子供だった。
二人は、良いライバルだった。互いを意識し、高め合う事が出来る関係だった。
考えれば当然の事だ。ギイとガアには、心が有る。その中には、負けたくない気持ちも有るのだろう。
歳を重ねると、そんな心を他人に見せない様になる。しかしギイとガアは、子供らしい反応を見せる。当時の孝道と洋二の様に。
畑での様子を見ていればわかる、彼らはとても賢い。その働きぶりは、仕事と呼んで差し支えないだろう。
そんな彼らが見せる子供らしい一面が、三笠にはとても微笑ましく映った。
そして三笠は、柔らかな瞳でギイ達を見つめ、優しく頭を撫でる。
「お前達は、互いに教え合いなさい。支え合って来たのだろう? それは、素晴らしい事なんだ。二人で頑張れば、もっと良い成果を出せる。私が保障する」
「ギギ?」
「ガア?」
「少し、難しかったか? まあ、いい。いずれ、わかる時が来る」
三笠は、ギイ達に文字の練習を再開させる。そして、ふと横に視線をずらす。
そこには、無言で文字を書く、クミルの姿が有った。
クミルは、線の形を真似て、一文字ずつ丁寧にノートへ刻んでいく。真剣な表情の中にも、喜びを湛えた瞳が、きらきらと輝く。
三笠の視線を感じたクミルは、手を止めて顔を上げると口を開く。そのトーンは、喜色に満ちていた。
「せんせい。これ、すごい。たのしい、うれしい。わたし、もじ、かいてる。すごい、すごい。もじ、かける、とくべつのひと。わたし、ちがう。だけど、もじ、かいてる。すごい、すごい、すごい!」
クミルは、努力家だ。そして、間違いなく優秀だ。そんな彼が、元の世界では、朝も夜もなく、働いて、働いて。ただ、それだけだ。
もし、生まれる場所が違ったら、彼はどんな成長をしていたのだろう。与えられる事を当然とし、漫然と過ごして来たのだろうか。
酷使させられる環境を、当たり前と疑う事もない。そんな世界で育ったから、現状をこんなにも喜べるのだろうか。
ならば、最低限の教育を受けられる事は、どれだけ幸せなのだろう。
「クミル。ここは、お前の居た世界ではない。ここは、努力に見合う対価を、得られる世界だ。焦らなくていい。でも、頑張りなさい。お前の努力は、必ず報われる。お前がこれまで培って来た事は、必ず結実する」
「すこし、むずかしい、ことばあった。でも、だいたい、りかい、した。ありがとう、せんせい。わたし、がんばる。だから、もっと、おしえて、ほしい」
「あぁ……あぁ。もちろんだ。色んな事を教えてやろう。お前の知らない事は、まだまだ沢山あるんだぞ」
「ギイ、ギイ!」
「ガア、ガア!」
「もちろん、お前達も一緒だ」
こうして、楽しい時間は過ぎていく。
帰宅後、ノートを見せたギイとガアは、さくらに褒められ、抱きしめられる。
その様子を嬉しそうに見ていたクミルも、さくらに優しく抱きしめられた。
「頑張ったね。偉いよ」
その言葉は、何よりの褒美なのだろう。
☆ ☆ ☆
「また、血圧が高くなってますね。薬は飲んでますか?」
「ああ、飲み忘れはしてない」
「発作は、どうです?」
「ここの所、落ち着いている」
「それならいいですけど。何か有ったら、直ぐに呼んでください。それと、はしゃぎ過ぎては、いけませんよ。体を休める事も重要です」
「わかっている。でも、つい、な」
「お気持ちは、理解出来ますけどね」
「なあ、貞江。私は、後どれくらい生きられるだろうか?」
「目指せ百寿! なんて、如何ですか?」
「はははっ、面白いな」
「でも、あと五年ですよ。あっという間ですよ」
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