信川村の奇跡

東郷 珠

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それぞれの想い

農家の矜持 ~ヘンゲル夫妻~

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「Welcom to my home」
「No! There doesn’t speak English」
「Oh! too bad! There’s an idiot who doesn’t know anything」
「流石に失礼よライカ、その位にしておきましょ」
「そうだね、マーサ」

 厳密には、取材陣に向かってなのだろう。ヘンゲル夫妻は、自宅を訪れた一行を、英語で出迎えた。
 ゆっくりと言えば、誰にでも伝わりそうな、簡単な英語である。しかし流暢に話せば、英語に慣れていない者には、聞きとる事は難しいだろう。
 しかもヘンゲル夫妻は、笑顔でその言葉を言い放ったのだから。

 だが、調査隊の中には、苦笑いしている者も見受けられる。言葉を理解して、その真意を読み解ける者も存在はしている。
 敢えて皮肉を言った事は、無駄では無かったはずだ。

 ☆ ☆ ☆

 夫のファーストネームはライカ、妻のファーストネームはマーサ、そしてファミリーネームがヘンゲル。夫妻は、五年前に帰化申請が受理され、正式に日本国籍を取得した。

 ライカの日本好きが高じて、夫妻は何度も観光で日本を訪れた。
 最初の観光で訪れたのは、京都である。神社仏閣を巡り、名物の湯豆腐や鯖寿司を堪能し、舞妓さんと一緒に写真を撮り、手拭いや扇子等を土産に購入する、極一般的な旅を楽しんだ。

 他には、冬の北海道でスキーを堪能した事がある。ある時は、都内の観光スポットを巡った時もあった。
 福岡に住む同郷の友人宅に数泊し、太宰府天満宮等の観光スポットや酒造を巡ったり、屋台等で食事を楽しんだりもした。

 訪れる度に、夫妻は日本が好きになっていった。日本食に抵抗が無かった事も、一因であったろう。
 そして、日本をもっとよく知りたい、そんな欲求が夫婦の間で高まっていった。
 
 ある時ヘンゲル夫妻は、レンタカーを借りて旅をした。
 理由は簡単である。夫妻の興味が、観光地から日本人の生活へと変わっていたからだ。
 当時の夫妻は、広大な農場を経営していた。アメリカと日本の農業の違いを知りたい、そんな欲求も有ったのだろう。
 
 観光地より住宅地、都会より田舎。具体的な目的地を定めずに、夫妻は漠然と車を走らせた。
 途中で道に迷い、気が付いた時には山道を走っていた。運悪く、山道を走る間に日が暮れる。
 ただでさえ、見通しが悪いのに、街頭が無い。ライカは速度を落とし、慎重に車を走らせる。どれくらい走っただろう。突然に、開けた場所に辿り着いた。

 月明かりの分だけ、山道よりはマシ。そんな程度の場所だ。街頭どころか何もない。遠くに建物らしき影が見えるが、灯りが点いていない。
 流石に、これ以上の走行は危険だと判断した夫妻は、元の道を戻るのを止め、民家を探す事にした。

 あわよくば、一泊させて貰いたい。夫妻に、そんな想いが有ったのは確かだ。ただそれには、警戒心を解かねば始まらない。 
 夜遅く、玄関を開けたら、見知らぬ外国人が立っていた。それでは、驚くどころでは済まないだろう。

 民家を見つけた夫妻は、玄関の前で声をかける。手にはパスポートを、顔には笑顔を張り付けて。
 それで、警戒心が解かれるとは考えていない。だが、身分を証明する物といえば、その位しか持ち合わせていない。
 これで追い返されるなら、どこの家を訪ねても一緒だろう。その時は、危険を承知で引き返せばいい。

 しかし、玄関の戸から顔を覗かせたのは、目つきの悪い男性だった。その瞬間、夫妻は訪問する家を間違えたと後悔した。
 ただ、せっかく出て来てくれたのだ、何か声をかけないと。そう思い、ライカは片言の日本語で、懸命に話しかける。

「スミマセン。ミチ、マヨイマシタ。コマッテマス。チカクノマチ、ドコ、アリマスカ?」  
「あぁ? 入れ!」

 男性は、じろっと夫妻を見ると、手に持つパスポートには見向きもせず、戸を全開にしてヘンゲル夫妻を招き入れる。夫妻はこの時、家に招き入れた旅人を食らう、妖怪の伝説を思い出していた。
 まさか流石に、食われる事はあるまい。靴を脱ぐと、男性の後に続き、奥へと歩みを進める。そして、薄暗い廊下を歩く途中、男性は急に振り返る。

「お前等、どうやってここに来た?」
「クルマデス」
「どこに停めた?」
「ドウロにデス」
「ならとっとと、庭に停めて来い。そんな所に停めたら、迷惑になる」
 
 ドスの利いた低い声に、驚いたのだろう。
 慌てる様に、ライカはマーサを連れて、車を庭に入れると、再び玄関を潜る。しかし、廊下には男性の姿が無い。
 どうしたものかと、夫妻が途方に暮れていると、不意に廊下の灯りが点く。そして、パタパタとスリッパの音を立てて、奥から女性が小走りで近づいて来る。

「ごめんなさいね。せっかくのお客様なのに、ほったらかしにして。外国のお客様ですって? どちらからいらっしゃったの?」
 
 女性の表情は、先ほどの男性と比べる迄も無く、穏やかであった。女性の登場で、どれだけ夫妻が安堵した事だろう。
 そして夫妻は、女性の案内に従って、歩みを進める。

 廊下に沿って、襖が見える。
 女性は、入り口から数えて、二つ目の襖の前で立ち止まる。中からは、光が漏れている。賑やかな声も聞こえる。先ほどの男性も、部屋の中に居るに違いない。
 少しばかり緊張しながら、夫妻は女性が襖を開けるのを待った。

「おう! 何してやがった! 早くこっち来て座れ! 腹減ってんだろ?」
「そうですよ。直ぐに、お二人の分も用意しますからね」
 
 襖が開くや否や、声をかけて来たのは、先ほどの男性だった。それに続いて、案内してくれた女性が、部屋へ招き入れる様なジェスチャーをする。

 男性は、やはり目つきが悪い。
 だが、事情も聞かず、見ず知らずの外国人を家に入れ、食事まで用意してくれると言う。見た目よりずっと優しいのではないか? 

 そんな事を考えながら、夫妻は室内を見渡す。
 中には、玄関で会った男性の他に、二人の男性が座卓を囲んで座っている。
 見た目から察するに、男性の内二人は、親子なのだろう。では、もう一人の無口な男性は、友人だろうか。
 また丁度、食事時だったのだろう。座卓の上には、ビールの瓶とグラス、そして数種のおかずが並ぶ。
 
「おい! 早く座れ! 飲めんだろ? 付き合え!」
「親父、失礼だろ! 挨拶くらいしろよ!」
「いいんだよ、そんなのは後でよぉ! それより、乾杯のやり直しだ。おい、みのり! グラス! お前も座れ!」
「そういう訳にもいかねぇだろうが! 取り敢えず、俺は桑山孝道。あんた等を出迎えたのは、親父の桑山孝則。それと、そこに座ってる気難しそうなじいさんが、鮎川郷善。あとは、親父の代わりに、あんた等を案内したのが、お袋の桑山みのりだ」
「ア~、ハイ。ワタシ、ライカ。ライカ、ヘンゲル。トナリイル、ワタシノワイフ、マーサ」
 
 この時、夫妻は呆気に取られていた。
 最初に男性を見た際には、妖怪を思い出した位なのだ。女性が現れるまで、恐怖感が有った。それが打って変わって、歓迎ムードになっている。
 勧められるまま食事をして、後で何か要求されないだろうか? ライカの懸念を察したマーサが、男達に問いかける。
 
「アノ、ワタシタチ、クルマデス。オサケ、ノンダラ、クルマ、ウンテン、デキナイ、デス」
「はぁ? 泊まってくんだろ? こんな所まで来る奴は初めてだけど、あんたら旅行客だよな? まぁ部屋なら、幾らでも有るから遠慮すんなよ。それに、こんな真っ暗な中、外にほっぽり出せないだろ」
「デハ、シュクハクリョウヲ」
「うちは宿じゃないから、そんなもん要らないって。無粋なこと言ってると、郷善さんが怒りだすぞ! 早く座ってくれ!」

 マーサの問いに答えたのは、桑山孝道であった。ぶっきらぼうな言い回しは、父親に似たのだろう。
 ただ、その温かい言葉に、夫妻は感動を隠せずにいた。

 やがて桑山みのりが、料理を運び終わると、全員が座り乾杯へと移る。ビールで喉を潤わせながら、旅の話しに花が咲く。
 そこまでは、ただの宴会であった。ライカが箸を使って、おかずを口に運んだ時、話の流れは一変する。

「It’s great!」

 ライカの表情で、男達は理解したのだろう。ライカに促されて、料理を摘まんだマーサも、同じ様に目を丸くしていた。

「なんだ? 旨いって言いてぇのか?」
「当たりめぇだ。俺の畑で採れたんだぞ!」
「ナゼ、コンナニ、オイシイ?」
「そりゃ、アメリカの人にはわからねぇよ」
「コレデモワタシ、ノウジョウ、ケイエイ、シテマス」
「そりゃ、あれだろ? 大規模生産って奴だろ?」
「ソウ。デモ、ナニガチガウ? ワタシ、ソレガ、シリタイ」

 夫妻の反応に対し、孝則に笑顔が浮かぶ。そして、それまで口を噤んでいた郷善が、初めて口を開いた。そこからは、夫妻と郷善、そして孝則が話題の中心になった。
 国または用途による、農法の違い。そして、作物の旨さを引き出すには、どうしたらいいか。
 そんな話題で盛り上がり始めた。

 アメリカと日本では、農業そのものが違うと言っていいだろう。
 大きくは、生産量の違いだ。アメリカでは、大規模な農場で、大量の作物を育成し収穫する。作業者一人当たりの生産量では、歴然の差が有る。

 その為の育成方法も、大きく異なるのは当然だろう。
 例えば農薬に関する問題は、一概に悪だと言い切れるのだろうか。
 確かに、強力な農薬を使用して生産を行えば、健康を害する作物が出来上がるだろう。しかし、完全な有機農法に変えて生産を行えば、現在の生産量を維持する事は出来まい。
 また農薬に変わる、新たな生産方法を確立する為のコストは、誰が負担をするのだ?

 世界の食糧庫と呼ばれる一面を持つアメリカで、生産が著しく低下すれば、波及する問題は数知れなく起こるだろう。
 それは、単なる食糧不足に留まらず、経済的に大きな影響を与える事になる。

 生産量を確保する為に、技術革新を進めて来たアメリカ。それに対し、信川村の生産方法は、量より質にこだわった。

 どちらが正しいとは、言い切れない。だが、己の仕事に誇りを持つ郷善は、熱弁を振るう。そして、夫妻は郷善に様々な質問を投げかける。
 
 何時間、語り合っただろう。最初に寝始めたのは、孝則であった。
 孝則にダウンケットをかけると、みのりは自室に引き上げる。やがて孝道が潰れて、座卓に突っ伏していびきをかき始める。

「気に入った。明日はお前等を、俺の畑に案内してやる。もう遅いから、今日は休め。お前等の部屋は、奥の突き当りだ。多分、みのりが布団を用意してるはずだ」

 ただでさえ、食事を提供され、宿泊まで許された。その上、農業について熱く語る事が出来たのだ。夫妻の感動は、計り知れない。
 だが、感動はそれだけでは終わらなかった。

 朝早くに起こされ、玄関の外へ出る。
 夫妻の目に飛び込んで来たのは、雄々しくそびえ立つ山脈と、実り豊かな畑である。
 昨夜は、夜で視界が悪かった為、よくわからなかった。それは、夫妻が写真で見た、日本の農村風景に近い。

 こんな場所を訪れたかった。実際に訪れてみれば、現実は写真よりも遥かに壮大で、且つ美しい。
  
「It’s a great scenery」

 ライカは、感嘆の声を漏らす。
 多分、それ以上の言葉は、不要なのだろう。夫妻は景色に見とれ、暫く呆然と立ち尽くしていた。

「おい、いつまでも突っ立ってんじゃねぇ。さっさと行くぞ!」

 玄関を塞ぐ様に立ち尽くす夫妻に声をかけ、郷善は畑に向かって歩き出す。郷善の後に従い、夫妻も歩き出した。
 恐らく、同じ農家だからわかるのだろう。土から実の付き具合に至るまで、何もかもが自分達の常識とは異なる。

 美味しい野菜を作りたい。それは、農家の本分であり、大望なのだろう。
 夫妻の視線には、羨望の意味も含まれていた。そんな夫妻に、郷善は言い放つ。

「旨いもんを、沢山の人に食って貰いてぇ。それは農家なら、誰でも思う事じゃねぇか? でもな、あんたらの仕事は、俺には出来ねぇ。大勢の腹を満たす事は、俺には出来ねぇんだ。だから、俺は極める事にした。それだけの事だ。やり方は違っても、俺達は同じ農家だ。誇りを忘れるなよ、ヘンゲル」

 そして郷善は、野菜を二つもぎ取ると、夫妻に手渡す。

「俺は、この味を忘れないでいてくれたら、それでいい」

 口に広がる芳醇な味わいを、見知らぬ外国人に優しくしてくれた事を、目の前に広がる美しい風景を、夫妻は忘れる事は無いだろう。
 この出会いこそが、夫妻の人生を大きく変えた。

 やがて帰途に就いた夫妻は、何度と無く郷善に連絡を取った。
 様々な農法を試して、チャレンジを繰り返してきた郷善は、夫妻にとって必要な相談相手となっていた。
 その後、夫妻は農場を息子に継がせて、信川村への移住を決める。

 ☆ ☆ ☆

 夫妻が取材陣に対し、馬鹿にする様な言葉を放ったのは、軽い意趣返しであった。
 夫妻が何故そんな真似をしたのか。それは、夫妻が何に対して腹を立てたのかを考えれば、容易に辿り着く。

 アメリカは、自由の国、移民の国としてのイメージが強いだろう。しかし、早くに移民法を制定し、著しい規制を行って来たのも事実だ。
 ただ、ドイツ系、中国系、日本系などと呼称される様に、日本と比べれば相対的な移民の数は、圧倒的に多い。
 
 少なくとも有色人種に対する、根深い感情を持っている人は存在する。実際、差別は未だに残っている。
 移民法による制限は、国と国民を守る為に行われる。それが、排他的であったり、人種差別的思想に関連付けられるのは、不思議ではなかろう。
 それだけ、思想や文化の違いが、生活に齎す影響は大きいのだ。それは、感情だけでは推し量れない問題であろう。

 暴動騒ぎの原因となったネットのニュースは、根も葉もない事が書かれていた。また、情報を精査せず、鵜呑みにするのは愚かしい行為だ。
 だが、ギイ達の写真を見て、脅威と感じる気持ちは、わからないでもない。もし、自分達の生活を脅かす存在ならば、危険を訴える為に声を上げるだろう。

 村に押し寄せ、暴動を起こしたのは、許し難い行き過ぎた行為だ。
 ただ本当の問題は、そこではない。少なくとも、割られた窓は簡単に直せる。しかし、心は簡単には治せない。
 あの時、村を訪れた者達は、作物を食い荒らし、畑を踏み荒らした。それは、農家の誇りを踏みにじる、最低の行為だ。
 それが、どれだけ村に住む家族達の心を傷つけたか、誰にも想像は出来まい。

 そんな家族達を代表して、みのりは発言してくれた。
 恐らく夫妻は、みのりの発言が無ければ、もっと酷い言葉を浴びせていただろう。

 全ては愛する村の為、愛する家族の為。そして、郷善から学んだ、誇りの為。夫妻は、拳を振り上げた。
 それは、余りに些細な抵抗であろう。また、己の心を充足させる行為と言われても、否定は出来まい。
 だが、それでも構わない。自分達の想いは、みのりが代弁してくれた。だから自分達は、その後押しをすればいい。

「ようこそ、わが家へ。何もおもてなしは出来ませんが、ゆっくりしていって下さい」 
 
 日本語で言い直した、挨拶の言葉は、柔らかな響きを周囲に伝えた。そして、取材陣は目にする。村を訪れてから、一番穏やかな表情を。
 それは、誇りを踏みにじった者さえも許す、夫妻の度量が有ってこそなのだろう。
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