信川村の奇跡

東郷 珠

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それぞれの想い

支える者達 ~佐川夫妻~

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 八月七日、さくらの検査が始まった日に、五十名に及ぶ自衛隊員で構成された調査隊が到着し、休憩を挟むことなく調査が開始された。

 一日目は、市街地の調査で有る。診療所と役場の様に未だ使用している建物以外にも、既に廃屋に近い建物、旧商店街も調査が入り、終了したのは日付が変わってからであった。

 佐川は当初、農村部に有る平屋を、調査隊に提供しようと考えていた。しかし話し合いの結果、調査隊に提供する建物は、旧市街地に有る三階建てのビルになった。

 その理由は、マスコミ関係者の存在である。
 調査隊には、常に取材陣が張り付いている。彼らは、村で唯一舗装されている、旧市街地付近の道路脇に、車を停めて取材を行っている。

 騒動により、村の外から来た者には、冷たい視線が向けられている。宮川グループの社員による行動により、幾ばくかは緩和したが、未だマスコミ関係者に対する視線は厳しい。
 彼らを不用意に農村部に入れれば、住民と衝突する可能性が有るだろう。

 見方を変えれば、住民を優先し調査隊に不自由を押し付ける提案だ。だが調査隊は、「悪環境には慣れております」、その一言で快諾した。
 結果的に佐川は、多くが倒壊しかけている旧市街地の廃ビル群の中で、比較的損傷の少ない建物を、調査隊に提供した。

 翌日の開始時間を午前八時、集合場所を調査隊に提供した建物前と定め、佐川は自宅へと戻った。

「おかえりなさい。遅くまでお疲れさまでした」
「ただいま美津子。こんな時間まで、起きててくれたのか?」
「たまたまですよ。映画を見てたら、こんな時間になってました」
「そうか。今日はどんな映画を見てたのかな?」
「宇宙船の中で、独りだけ残された男性の話しです」
「そうか、面白そうだね。でも美津子、明日も早いだろ? 先に寝てくれ」
「せっかくだから、ご飯の用意をしますね」
「いや、その位は自分で」
「まあまあ。先にお風呂に入って下さいな」
「わかった。いつも助かるよ。ありがとう、美津子」

 佐川が定年を迎える迄、佐川家では毎日こんなやり取りが行われていた。
 専業主婦である妻の美津子は、夫の帰りを待つ。夫の田助は、そんな妻を労わる様に、先に休ませようとする。

 結婚し子供が生まれ、子供が成長し巣立っても、互いを思いやる姿は、結婚当初と何も変わらない。長い時をかけて築かれた、信頼関係は簡単に崩れない。

 ☆ ☆ ☆

 佐川家は夫婦共に、信川村の生まれではない。夫の定年を機に、村に移住した。
 社交性が高い妻の美津子と比べ、夫の田助は内向的だと言える。妻の美津子が村の女性陣と直ぐに打ち解けたのに対し、田助が村の一員になるには、時間がかかった。

 佐川が内向的な性格なのは、自己評価が低いからであろう。
 村の住人達は佐川の事を、とても温厚な男だと語る。他には、真面目や実直、とても優秀だと評する者も居る。
 だが、他人の評価と自己評価は、必ずしも一致しない。

 頭が悪く、知識に乏しく、とても不器用だと、佐川は己を評する。
 確かに佐川は、与えられた仕事と真摯に向き合う。だが言い換えれば、佐川にはそれしか出来ないのだ。

 また佐川は自分を、何も持たない運が良いだけの人間だと、思っているふしがある。
 成績は振るわなかったが、大手の企業に就職できた。定年まで、同じ会社に勤める事ができた。
 美津子と出会う事が出来た。子宝に恵まれた。子供は自分より出来が良かった。そして、妻と子供を守る為に、働く事が出来た。

 確かに運という要素が無かったとは言えない。しかし全ては、佐川が積み重ねて勝ち取ったものだ。
 その結果、定年が近づいた頃、佐川はある男に誘われた。

「あんた、俺の村に来ねぇか? 良いだろ? 丁度あんたみてぇな人を、探してたんだ。俺は、先代の後を引き継いだばっかりでな。わからねぇ事ばかりだ。だから、手を貸しちゃくんねぇか?」

 男とは初対面だった。そして男は、一際目つきが悪い強面であった。
 差し出された名刺には、村の名前が書かれている。それと肩書は、村長となっている。だが佐川は、村の存在を知らない。
 最初は、妙な詐欺にでも引っ掛かったのかと、勘繰った程であった。
 それでも、男は真剣な眼差しで、佐川に語る。その行動を、佐川は理解が出来なかった。

 私には何も無い。優秀な人間を探しているなら、他に沢山いるだろう。私である必要が無い。そもそも何故、この男は自分を知っているのだろう。何故、この男は自分を熱心に誘うのだろう。

「あんたが優秀なのは、聞いてる。直ぐに返事を貰えるなんて、思っちゃいねぇ。だけどな、考えてくれねぇか?」
「仰ることは、よくわかりました。ですが、私はあなたの希望に応えられない。私について、誰に何を聞いたのか、わかりません。それは、全て真実では有りません。平凡ならまだ良いのでしょう、私はそれ以下です。他の方をお誘いした方が、あなたの為になるでしょう」

 佐川は、相手を詐欺師だと考え、断ったのではない。相手の真剣に対し、真摯に答えたのだ。
 しかしその考えは、あっさりと否定された。

「はぁ? あんたは、意外とわかっちゃいねぇな。あんたの事を誰に聞いたかは、言えねぇ。そういう約束だ。でも、あんたを俺に紹介してくれたのは、あんたが懇意にしている会社のお偉いさんだ。わかるか? あんたは、それだけ評価されているって事だ」
「それは、多分誤解です。プロジェクトの成功は、部下が優秀だったからです。私の手柄じゃない」
「いいや。あんたを俺に紹介してくれた人は、こう言ってた。だから、俺はあんたが欲しくなった」

 人を動かす力は、誰もが持つものではない。信用足り得ぬ人間に、他人を動かす事は出来ない。
 誰かの為にと思い、行動するから人が動く。計算では辿り着かない想いこそが、人を動かす。
 
 佐川という男は、それを持っている。自己を否定し続けた結果、彼は支える事を選んだのだろう。それを突き詰めて来たのだろう。
 桑山さん。あの男なら、あなたの希望に応えてくれるだろう。

 男の口から、その言葉を聞いた時、佐川の心は震えた。それでも、直ぐに答えは返さなかった。
 その晩、佐川は男とのやり取りを、妻の美津子に話す。そうすると、美津子は笑って答えた。

「ふふっ。良いんじゃないですか?」
「いや。だって、何処だか知らない村だぞ!」
「どんな所にだって、ついて行きますよ」
「この歳で、知らない人達と、新たな付き合いを始めるんだぞ! 私に出来るかどうか」
「その辺は、私がフォローしますよ」
「いやいや、待ってくれ。私に何が出来る? 何も出来はしない! 彼は、私を高く評価しすぎなんだ!」
「そんな事は有りませんよ、気が付いてないだけです。人は誰でも欠点ばかり数えるものです。あなたは、それが人より少し強いだけ。私は知ってますよ、あなたの良い所」
「私も知っているよ。美津子の良い所」
「あら。私達は案外、いい夫婦なのかしら?」
「はははっ。そうかもしれないね」 
 
 妻に背中を押されて、佐川は決意した。
 定年後、嘱託として今の会社に残る道は有った。しかし佐川は、わざわざ訪ねてまで自分を口説こうとした男、桑山孝則の手を取った。
 
 ☆ ☆ ☆

 翌朝、佐川が身支度を整えている時に、妻の美津子が帰宅する。
 みのりが桑山家を開けている間、桑山家の家事は、佐川美津子、鮎川華子、三堂園子で分担している。
 朝食の支度は、家が近い理由で、美津子が行っていた。今朝も鮎川家に向かい、孝道と貞江を送り出して戻って来た。

「お帰り、美津子。早くからお疲れ様」
「ただいま。もう出掛けるんですか? 朝食は?」
「大丈夫。用意してくれたのを、頂いたよ。ありがとう」
「今日も遅くなるんですか?」
「いや、今日はそんなに遅くならないと思うよ」
「そうですか。余り無理はなさらないで下さいね」
「さくらさんに任された仕事だしね、頑張らなくては」

 八月八日、この日から農村部の調査が始まる。
 倒壊してから長らく放置し、草木と同化し始めている建物に、何かが潜んでいると考える者も居るだろう。
 しかし、そんな場所に潜んでいる者を探すのは、存外簡単だ。足跡や草木が踏まれた痕跡を見つければ済む。同様に雑草が伸び放題の休耕地も、捜索は容易いと言えよう。
 また暴動の影響で、耕作地の作物が全滅し、今は見通しが良い状態になっている。

 現状を鑑みれば、住人が存在する住宅の方が、隠れる場所は多い。
 調査隊と話し合いをした結果、各家庭を隅々まで徹底調査する所を、マスコミ関係者に見せるのが得策だと、佐川は判断した。

「村長さんと郷善さんはともかく、幸三さんをよく説得出来ましたね」
「ははっ、確かに最初は嫌がっていたよ。見知らぬ他人を家に入れる気はねぇって」
「あら、やっぱり。でも、納得してくれたんでしょ?」
「結局は、隆子さんが説得してくれたよ。これも普段から美津子が、みんなとコミュニケーションを図ってくれたおかげだよ。ありがとう」
「そんな事はありませんよ。これまであなたが、頑張って来た結果です」

 佐川は支度をしながらも、妻に笑みを送る。そして美津子は、夫に笑みを返す。

「最近、いきいきしてますね」
「そう見えるかい?」
「ええ。この村に来て、よかったですね」
「あぁ、村長と美津子のおかげだ」
「いいえ。あなたと村長のおかげです」
「私達は案外、いい夫婦なのかもしれないね?」

 その時、田助と美津子は互いを見つめながら、思わず笑い声が零れた。
 
「ははっ。前にもこんな事が有ったね」
「ええ。あの時は、私が言ったんですよ」
「あぁ、そうだったね。では、行ってくるよ」
「いってらっしゃい」

 支え、支えられ、人は生きる。それを知るから、優しくなれるのだろう。  
 佐川夫妻は、今日も励む。村の一員として、村の為に。
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