信川村の奇跡

東郷 珠

文字の大きさ
上 下
26 / 93
訪れる危機

明かされた事実

しおりを挟む
 ギイとガアを、孝道の下に連れて行った夜、さくらは三笠から連絡を受けた。
 
「クミルが話しをしたいそうだ。お前と孝則が居た方がいいだろう。孝則と一緒に迎えに行く、家で待っていてくれ」

 ギイ達との生活は、新たらしい孫が出来た様な、甘い時間で有った。だから、これまで見て見ぬふりをして来た。それが明らかになる。
 三笠の言葉を聞いた時、さくらの頭には来るべき時が来たのだと感じた。

 住人達は、彼らが健やかに逗留できる様に、協力する事は認めた。しかし、彼らの永久的な滞在を認めた訳ではない。
 また住人達は、ギイとガアそして青年の帰還が、ほぼ不可能なのだろうと悟っている。それでも、先の会議で決定した事は優先される。
 それだけ、彼らを滞在させる事は、リスクを伴う行為なのだ。
 
 ギイ達に関するリスク、それは大きく三つ有る。
 一つに、疫病に関するリスクだ。これは、ほぼ解消されたと考えていい。
 もう一つは、彼ら自身の肉体的、精神的な負荷だ。これは現状では、判断が付かない。
 最後の一つ、彼らが信川村に滞在する事で起きる、社会的な問題である。

 仮に、感染症の可能性がほぼ無くなったとしても、このまま日本に留まれば、多くの問題が発生する。
 それは彼らを苦しめるだけで無く、信川村に著しい被害を被る事も、大いに考えられる。
 いつまでも彼らを匿う事は出来ない。互いの為には、彼らの意思確認と帰還方法を探すべきなのだ。

 それは、さくらも理解はしている。しかし、理解と納得は違う。そしてさくらは、一度決めた事を決して譲らない。何が何でも、結果を出すのがさくらなのだ。

 三笠との電話を切った後、さくらは深く息を吐く。ピリッとした空気が、さくらを包む。
 電話している所を見ていたギイとガアは、さくらの様子が急変したの感じた。ギイ達は走り寄ると、さくらに飛びつく。

「心配しなくていい。あんた達は、あたしが守る」

 さくらは笑顔を作って、ギイ達を体から離すと頭を撫でる。
 ギイ達は、この二週間で色々なさくらを見て来た。だからこそ、作り笑顔なのは、容易に理解出来る。
 不安そうな表情を消す為、さくらはギイ達を抱きしめた。 

「姉さん……」
「みのり。明日には、家に帰すつもりだったけど、もう少し居てくれるかい? そうだね、次の会議までは、ここに居て欲しいんだ」
「それは構いません。華子さんと園子さんには、面倒をかけますけど」
「そうだね。あの姉妹には、世話になる。あたしからも、お礼を言っておくよ」

 当事者に近く、凡その事情を聞くみのりには、これから何が起きるのかが、簡単に予測出来た。

 さくらがどれだけ笑顔を作っても、その顔には険しい色が見え隠れしている。無理に平然を装っているのがわかる。
 これ以上みのりには、さくらにかける言葉が見つからなかった。   

 それ後、夜が明けるまで、ギイ達はさくらから離れようとしなかった。
 孝道の手伝いに出掛ける時も、何度も振り返り、さくらを見ていた。

 やがて、孝則の運転する車が到着する。庭に車を停めると、いつになく強張った表情で、孝則はクラクションを鳴らした。
 
「後は頼むよ、みのり」

 見送るみのりに、さくらは告げる。
 後部座席のドアを開けると、三笠が座っている。三笠は、さくらの表情を見て感じたのだろう。敢えて言葉を口にせず、軽く手を挙げて挨拶をする。
 それに対しさくらは、軽く会釈をするだけに留めた。

 車内は終始無言のまま、診療所に到着する。
 そして、一切言葉を発しないまま、さくらは車を降りて、診療所の入り口へ向かう。
 自動ドアが、さくらを検知して開く。だが、さくらは診療所に入らず、立ち止まった。
 そして振り返る事無く、さくらの後に続いた三笠と孝則へ、声をかける。
 
「あの若者は、クミルと言ったね。いいかい? これはクミルから、帰る方法を聞き出すんじゃない。帰らせて良いかどうか、それを判断するんだよ」

 静かに放たれた言葉は、想像以上に重く響いたのだろう。
 三笠と孝則の表情に、険しさが増す。

「そうだな」
「わかってる」

 三笠は、一言だけ呟いた。孝則は、吐き捨てる様に呟くと、さくらを追い越して、自動ドアを潜った。
 
 孝則は険しい顔のまま、病室へと向かう。さくらと三笠は、その後に続く。
 孝則が病室に足を踏み入れると、クミルは既に起床しており、ベッドの上で貞江と話しをしていた。

 人影に気が付いたのだろう、クミルが入り口を見やる。そして孝則の後ろに、さくらが居る事にも、クミルは気が付いた。
 クミルはベッドから飛び降りると、さくらの下に走り寄る。そして、深々と頭を下げた。

「さ、さくら、さん。おそ、くなって、すみ、ま、せん。あの、あのとき? いや、わたしの、いのち。たすけて、くれて、ありがと、ござま、す」

 たった二週間だ、流暢にとはいかないだろう。
 だが、クミルから放たれた言葉は、さくらを驚かせるには充分だった。

 暫く目を丸くして、さくらはクミルを見つめていた。そして口をあんぐりと開けたまま、ゆっくりと三笠を見やる。
 してやったりという感じだろうか、三笠は少し口角を上げる。
 そして孝則は、少し笑いながら、さくらに言い放つ。

「っはははっはぁ。どうだ、さくら。驚いただろ! こいつは二週間、とにかく頑張った。すげぇだろ、なぁ?」
「あんたが、威張る事じゃないよ!」
「そうだ、孝道。お前の手柄の様に、話すな!」

 その言葉で我に返ったさくらは、孝道に言い返す。
 同時にさくらは、胸にこみ上げる熱い何かを感じていた。

 クミルはどれ程、努力を重ねたのだろう。それこそ、必死に努力しなければ、成し得ない事だ。
 それは、クミルだけの努力ではない。先生は、忍耐強く教えたのだろう。貞江もクミルを支えたのだろう。
 そして孝則は、クミルの努力を理解し、結果を湛えている。

 ここには絆が有る。
 心配しなくても、よかった。
 不安を感じなくても、よかった。
 
「さくら。私を含め、孝則と貞江は、クミルの味方だ。彼の努力に、私達は心打たれた」
「きざな言い方だね。先生らしいよ」
「さあ、皆さん。待合室に移動しましょう。ここは狭いですから」
「あぁ。貞江の言う通りだな。行くぞ、さくら、クミル」
「そんちょ、まって。けがする」
「心配要らねぇよ、クミル」

 貞江が病室を出ていく。それを追うように、孝則が待合室に向かう。
 そして、孝則を案じて、クミルが走り寄ろうとする。そんなクミルに、さくらは笑顔を向けた。
 
「まだ、片言だよ。でも、頑張ったね、クミル」
「いえ。まだまだ、です」

 さくら、孝則、三笠が、待合室のベンチソファーに腰かける。
 そして、途中事務所によった貞江が、姿を現す。その後ろには、コップを乗せたお盆を持つ、クミルの姿が見える。
 クミルが、皆にコップを配り終え、自らも腰かけると、話しが始まる。

「さて、クミル。伝えたい事が有るのだろう? ゆっくりでいい。話してみなさい」
「ありがと、ございま。せんせい。けつろん、いう。わたし、もとのばしょ、かえれない。たぶん、わたし、かえるほうほう、しらない」

 三笠の言葉をきっかけに、片言の日本語で、クミルはゆっくりと話す。
 ただ、その内容は、さくら達の予想を覆すものでは無かった。あの夜、道で泣き喚くクミルの姿を見ているのだ。村の誰もが、予想していた。
 しかし、その後に説明された事は、当事者であるさくらですら、にわかに信じ難い内容であった。

 クミルはたどたどしくも、全てを話して聞かせた。
 
 クミルの世界では、何がしか不思議な能力を持って、生まれてくる。そして、生まれながらに、能力と共に地位が決まる。

 生まれ持った能力は、鍛えて伸ばす事が出来ない。また両親の能力如何で、生まれる子供の能力は決まらない。
 王の子供が、必ずしも王足り得る能力を、持って生まれる訳ではない。

 国の為に重要な能力であれば、高い地位と豊かな生活が保障される。逆に、役に立たない能力で有れば、奴隷の様に蔑まれる。

 生物の意志が、ぼんやりとわかる。クミルが持つのは、そんな弱い能力だった。役に立たないと判定され、農奴として生きるしかなかった。
 ただし、クミルの母は違った。唯一無二の能力を持っていた。

 全。それが、彼女につけられた綽名であった。

 彼女に出来ない事は無かった。それこそ、国一つ簡単に滅ぼす事さえも。
 しかし、彼女は子供が生まれた事で、それまでの地位を捨てた。国王は、その能力を恐れて、二度と使えない様に、彼女に封印を施した。 

 ただ、大きな力には、大きな代償が伴う。
 彼女は能力と反比例する様に、体が弱かった。持って生まれた能力に、生命力を奪われ続けていた。

 彼女は、クミルと共に農奴に落ちた。
 クミル達が暮らしていた村は、戦時中に彼女が救った村である。村の人達は、彼女達にやさしかった。だが、村の暮らしは想像以上に、彼女の体に負担をかけた。
 まだクミルが六つの時に、彼女は倒れた。そして、二度と起き上がる事は無かった。

 息を引き取る前に、彼女は封じられた能力を、自らの魂から切り離して、宝石に封印した。
 お守りだと、クミルに渡した。

 さくらを、クミルの世界に連れて来たのは、渡りという能力である。万能である彼女の力なら、能力の再現も可能だろう。
 事実さくらは、致命傷を負ったクミルの目の前に現れた。そしてさくらは、クミルを生かそうとした。だからクミルは、息を吹き返した。
 これは、宝石に込められた彼女の能力が、願いに反応した結果なのだ。

 しかしこれは余りにも、大きすぎる願いだ。あの時クミルは、死んでもおかしくなかった。

 願いの大きさと求める代償、これは平等でなくてはならない。ただ、彼女の残した宝石は、残りの寿命を対価にして作り上げられた。

 言うなれば、対価の先払いである。故に、願いは叶えられた。そして、宝石は弾け飛んだ。
 最後にさくらは、この村へ帰る事を願った。弾け飛んだ宝石は、僅かに残った力で、その願いを叶えた。
 恐らく、もう願いは叶わない。そして、クミルの帰る場所もない。

 村は、化け物に襲撃された。
 もしかすると、国さえ無くなっている可能性が有る。あのゴブリン達の住処も、破壊された。同族の亡骸を、クミルは実際に目撃している。  
 無論、あのゴブリン達にも、帰る場所はない。
  
「戦争という事か?」
「せんせい。たぶん、そう」
「村の近くで、起こったのは偶然か?」
「ぐうぜん、ちがう。ぐうぜん、むずかし」
「そうすると、お前達は、巻き込まれたって事か?」
「たぶん、そう。まきこま、れら。くに、いまごろ、かいめつ」

 粗方の説明を受けても、三笠は容易に信じる事が出来なかった。
 嘘を言っているとは、思っていない。

 妙な能力、異なる世界、その世界を移動する更に妙な能力、そして国を壊滅出来る程の化け物。それは全て作り話であって、まやかしを本当の様に、信じているだけだ。
 誰もが、そう考えるだろう。それが常識的な反応だ。

「さくら、貞江。お前達は、どう思う?」
「死にかけていたのは、事実なんだしね。ただね、その後の話しは、よくわからないよ」
「クミルが、憶測で語っている部分も、有るだろう? 全てが真実ではないはずだ」
「勘違いしないでおくれ。クミルの話しは真実だよ。魂がどうのってのは、あたしが証明出来ないってだけさ」
「せんせい、ははのこと、おくそくある。でもじょうくう、さくらさん、みた。まちがいない」
「そうか。貞江、お前はどうだ?」
「先生。こればかりは、信じるしか無いです。クミルさんの傷は、ただの擦り傷では有りません。大きな動物、それも鋭い爪でやられた傷です。それが塞がっているのが、おかしいんです。実際にクミルさんは、出血性ショックも有り得る状態でした」
「かなり危ない所だったのだろう?」
「ええ、そうです。一応さくらさんが、血止めをしてます。しかし、あれでは血は止まらない。それに、あれだけの傷を負えば、肩は粉砕骨折していても、おかしくありません。だけど、クミルさんの肩は、自然治癒した様な痕跡が見られます。知識以前に、蘇生処置を行う道具が無かったはずです。だけど、クミルさんは生きてこの場所に辿り着いた」
「医学的見地からは、論証出来ると言う事だな」
「そうですね。出来る事なら不思議な力で、血まで元通りにしてくれれば、対処も楽でしたけどね」
「まぁ後は、クミルの母国語を、ネットの翻訳機にかけてみるといいよ。多分、翻訳出来ないはずさ」
「それは、実験済みだ。さくらの言う通り、翻訳は出来なかった。発音というより、音声自体を感知し出来ない様子だった」

 クミルの傷から、推測出来る事は多い。
 傷跡から見れば、鋭利な何かで抉られたのがわかる。熊に負わされた傷の写真と比べれば、それより傷跡が大きいのがわかる。またレントゲンで、不可思議な骨折痕がわかる。
 そして言語の問題も、証拠の一つだろう。

 既に知り得ている情報と、クミルの話しを擦り合わせれば、クミルという存在が異なる世界の住人であり、そこに帰らせる危険性も、想像に難くない。

「まぁ、さくらの言う通りになったって事だ。クミル達がこの村に来たのは、偶然じゃなくて必然だ。なら後は、郷善をどうやって納得させるか、だな」
「孝道、それだけではあるまい。社会を相手に、お前と私程度に何が出来る! くそっ、不甲斐ないな! 教え子の窮地に、何も出来ないんなんて!」
「まあ、後の事はあたしに任せなよ」
「さくら、お前なら何とか出来ると言うのか? 流石のお前でも……」
「先生、これは必然なんだよ。それに、あたしが何も考えていないと、思っているのかい?」
「ならせめて、郷善の説得は、私が手伝おう。あいつを説得すれば、正一や幸三も言う事を聞くはずだ」
「よし。じゃあ、会議の通達だ。今夜にでもやるぞ! さくらみてぇにはいかねぇけど、俺は村長だからな」

 そうして三度、信川村会議が行われる。
 クミル達の扱いをどうするのか。最終的な村の判断が、問われようとしていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

気だるげ男子のいたわりごはん

水縞しま
ライト文芸
第7回ライト文芸大賞【奨励賞】作品です。 ◇◇◇◇ いつも仕事でへとへとな私、清家杏(せいけあん)には、とっておきの楽しみがある。それは週に一度、料理代行サービスを利用して、大好きなあっさり和食ごはんを食べること。疲弊した体を引きずって自宅に帰ると、そこにはいつもお世話になっている女性スタッフではなく、無愛想で見目麗しい青年、郡司祥生(ぐんじしょう)がいて……。 仕事をがんばる主人公が、おいしい手料理を食べて癒されたり元気をもらったりするお話。 郡司が飼う真っ白なもふもふ犬(ビションフリーゼ)も登場します!

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

悪魔探偵婦人 4

同じ名前
ライト文芸
骨からの手紙 恐竜の発掘作業をしにきた 婦人は、 死後 5時間後の 骸骨死体を発見する 骨からの手紙とは? 一体。 秘密親父の犯人にどんなに?

愛国機神スメラギ

自由言論社
ライト文芸
世界征服を企む大中華帝国が日本に向かって侵略を開始した。迎え撃つのは科学技術の粋を集めた巨大要撃ロボ・スメラギだ。 果たしてスメラギは美しき日本の国土を守ることができるだろうか?!

【完結】会いたいあなたはどこにもいない

野村にれ
恋愛
私の家族は反乱で殺され、私も処刑された。 そして私は家族の罪を暴いた貴族の娘として再び生まれた。 これは足りない罪を償えという意味なのか。 私の会いたいあなたはもうどこにもいないのに。 それでも償いのために生きている。

処理中です...