信川村の奇跡

東郷 珠

文字の大きさ
上 下
12 / 93
反発と理解

帰り道を探して

しおりを挟む
 青年が目を覚ます少し前、ゴブリンの兄妹は目を覚ました。
 寝起きで意識がはっきりしない。だが、優しい人間について来た事は覚えている。優しい人間は他にもいて、傷を治してくれたのも覚えている。

 入院用のベッドに寝かされていた兄妹は、キョロキョロと辺りを見回した。
 傷を治してくれた部屋とは、違う事には直ぐに気が付いた。しかし、どれだけ見渡しても、誰もいない。ご飯をくれた優しい人間、笑顔で傷を治してくれた人間、二人とも見当たらない。
 その瞬間、二匹は抗いようのない不安に駆られる。
 
「ギ、ギギ?」
「ガガガ。ガガ?」

 優しい人間について、見知らぬ場所に来た。右も左もわからない、どんな危険が有るか、何が味方なのか、どうすれば生きていけるのか、全くわからない。

 妹は、兄にしがみ付く。そして兄は、震える腕で、妹を守ろうと抱きしめる。
 だが、いつまでもこうしている訳にはいくまい。母の残した言葉は、守らなければならない。

「ギギギイ。ギイ、ギギ、ギイギイ」
「ガア、ガ。ガガ、ガガガ?」
「ギ、ギ? ギイギイギイ」
「ガア、ガガガガ。ガアアア」

 あの人間がしてくれたように、安心させるために、兄は妹の頭を撫でながら語りかける。
 あの人間は、怖くない。倒れた人間を助けてた、ご飯をくれた、傷を治す場所に連れて来てくれた。あの人間は、信用出来る。
 そして、妹もそれに同意する。

 しかし、兄は少し後悔していた。
 生きる為に、全力で走った。だから、疲れていた。傷を治してくれた時、ほっとして寝てしまった。
 もっと、警戒しなくてはいけなかった。ここは、森じゃないのだから。
 父も母もいない。妹を守れるのは、自分しかいない。疲れている妹は寝かせて良かった。でも、自分は寝るべきでは無かった。

 さくらの影響なのか、ゴブリンの兄は、警戒を解いていた事を悔やんでいた。今の事態が把握出来ないのは、自分のせいだと思っていた。

 これの状況は、人間の子供に置き換えれば、さして心配する事ではない。
 幼子であれば、泣いて両親に居場所を教えるだろう。もう少し成長した小学生くらいの子であれば、ドアを開けて両親を探しに行くだろう。
 ここで重要なのは、ドアを開けて両親を探す、ここに行きつく思考のプロセスなのだ。

 声で居場所を伝える事は、森の中でゴブリン達も行う。所謂、相手に信号を送る行為だ。
 ただしその信号は、他の種に知られてはならない。知られる事があれば、餌場を奪われるかもしれない。場合によっては、自分達が襲われる可能性がある。

 ドアを開けて、両親を探しに行く。これが出来るのは、両親が近くに居ると仮定出来なければ、行えまい。
 ましてや、そこが病院のベッドである、ドアを開ければ待合室に辿り着く。最低限でもこれらの認識がなければ、ドアを開ける発想すら、思い浮かぶまい。

 現時点で、声を上げても、信号を受け取る仲間がいない。皆、化け物に食われたのだ。ましてや、人間には自分達の言葉は通じない。声を上げる意味が無い。
 そして、ここが何処なのか、二匹は理解出来ていない。ドアを開けて屋内を探せば、さくらに会える。そんな発想に行きつかないだろう。

 ただ、兄のゴブリンは、さくらの行動を見ていた。さくらがどうやって処置室に入ったのか、知っているのだ。

 鈍色に光る丸を動かせば、ここから出る事が可能である。
 ただし、出ても何処に繋がっているのかは、わからない。もしかしたら、先ほどまで居た場所に戻れるかもしれない。
 そこに、あの優しい人間がいるかもしれない。

「ギイ、ギギギギ、ギギギギャギャギ」
「ガガ?」
「ギイ、ギイ」

 僅かな可能性にかけて、兄はベッドから飛び降りる。続いて、妹も兄を真似て、ベッドから降りる。そして、兄は妹の手を引いて、ドアへと向かった。
 妹の手を掴んだ方とは逆の手で、器用にドアノブを回す。そして、部屋の外へ出る。

 診察室と処置室が別になっている。それに加えて、入院用の部屋もある。辺鄙な村の診療医としては、考えられない大きさだろう。
 だが診察と入院で、病棟が別れてる様な病院とは違うのだ。出口まで迷う事は皆無だろう。
 
 もしこの時、兄妹がもう一時間ほど寝ていたら、問題は起きなかっただろう。

 もう遅い。既に目覚めてしまった。そして慎重に廊下を歩く兄妹の耳に、聞きなれた声が届く。
 その時、兄妹は安堵した。そして、嬉しそうに笑みを浮かべ、飛ぶように声のする方へと向かった。

 ☆ ☆ ☆

 貞江が、VRゴーグルをつけて、会議に参加する事は滅多にない。診療時間に関係なく、万が一の時に備えて、視覚や聴覚を奪う事を避けているのだ。
 無論、貞江の事情は、技術を担当した江藤も理解している。普段なら、PCに映る会議の様子を見ながら、声だけで参加している。
 それ以外にも、貞江のVRゴーグルは、江藤が改造を施している。
 VRを付けていても、生体情報モニターからの信号が届く。また、ゴーグルについているボタンを押せば、待合室や処置室などの映像に切り替える事が出来る。

 無論、現在治療中の患者達を、放置する事は出来ない。
 輸血中の青年には、アレルギーが発生する可能性が有る。それ以外に、どんな副作用が起きるかわからない。日本人でも外国人でもない、他の世界から来た人間ならば、当然に考えられる事だ。
 それは、ゴブリン達にも言える。人間と同じ処置をする事が、適切であったとは、言いきれない。

 ただし、彼らの事を説明するには、慎重を要する。貞江でさえ、確信を持って話せる事が無い。その上、住民全員から反対される事はわかっていた。
 恩が有るさくらの為だけではない。医師として、治療をほどこした患者達の為に、完治までの時間が欲しい。それは、貞江の本音なのだろう。

 貞江は、院内の様子を確認する様に、みのりに依頼した。そして、この日だけは、ゴーグルをつけて参加する事にした。
 それが問題に繋がるとは、院内にいる全員が、考えていなかった。

 ☆ ☆ ☆
 
 兄妹達は、声のする部屋を覗き込む。妙なものを被っていても、さくらの姿は直ぐにわかった。
 妹がさくらに声をかけようとする、しかし兄はそれを止めた。
 何故なら、さくらは真剣そうな様子で、話しをしているからだ。邪魔をしてはいけない、そう悟ったのだろう。
 妹は、兄の言う事を聞いて、両手で口を押えた。

 そこまでは、よかった。
 すこし見渡すと、貞江がいないのに気が付く。更にその部屋が、先ほどの部屋ではない事にも気が付く。

 あの怪我をしていた人間は、何処に行った?
 治療してくれた人間は、何処に行った?

 兄妹の中に疑問が浮かぶ。そして、静かに中の様子を窺う、兄妹達の耳に届いたのは、怒った人間の声だった。
 それ以外にも、複数の声が兄妹に耳に入って来る。

 見ればわかる、その部屋にいるのは、優しい人間、怖い人間、臆病な人間の、三である。
 その人間達の声なら、知っている。だが、聞こえてくるのは、見知らぬ声である。
 しかもその声からは、嫌な感情が伝わってくる。

 子供というのは、感受性が豊かな生き物である。
 両親の仲が悪ければ、表面上どれだけ仲が良さそうに見せても、敏感に感じ取る。それは時として、子供に思いがけない行動を起こさせる。
 
 兄妹が感じたのは、疑念、怒り、排除、そんな感情だったのだろう。荒げた声を聞いたのも、拍車をかけたに違いない。
 その時、兄は妹の手を引いて、走りだした。廊下を抜けて、待合室を抜けて、外へと飛び出す。

「ガア! ガアガアガ!」
「ギギ! ギギギギ、ギギギギイギギ! ギイ、ギイ、ギギギ」

 兄に連れられて外には出たものの、妹は立ち止まる。そして、兄の手を引っ張ると、首を横に振る。
 だが兄は、妹を諭す様に説明をした。
 
 兄は、さくらに迷惑をかけない為に、診療所を離れて、元の森へ行こうと考えた。さくらに心配をかける訳にはいかない。そう考え、妹は兄を止めた。
 それは、重荷にならんとする思いやり、また純真な想いから生じる、真心でもあろう。

 ゴブリンは、森の中で音を立てずに、獲物に忍び寄る術を持つ。大人のゴブリンに比べれば、兄妹の技術は拙い。
 それでも、人間に気付かれない様に、動く事が出来る。ましてや、耳の遠くなりがちな老体なら、絶対に察知する事は出来ないだろう。

 幾らその時、みのりが会議に参加せず、処置室で青年の様子を観察していたとしても、兄妹の行動に気が付くのは不可能なのだ。

 その後、事務室に戻ったみのりは、椅子腰かけた後にウトウトしてしまった。その間に、青年が目覚めて、診療所の外へ出てしまう。

 もし、さくらの姿を見つけた時、妹が声をかけていたら。もしくは、興味本位でさくらに近づいていたら、結果は変わっていたかもしれない。
 しかし、さくらを気遣い妹を止めた、兄の行動は決して間違いではない。

 会議の様子を、PCで映していなかったら、兄妹は自分達の存在がさくらに迷惑をかけるとは、思わなかったかもしれない。
 しかし、さくらでも収拾がつけられない程に揉めた時、誰がその場を収めると言うのだ。

 みのりだけに、患者達の観察を任せたのが、悪かったのか?
 そうではない。さくらと貞江は、会議に参加する必要が有った。孝則は、村長として参加する義務がある。
 観察を任せられるのが、みのりしかいなかった。

 敢えて言うなら、処置室のドアが閉まっている事を、ちゃんと確認すれば、青年が診療所から出て行くのを防ぐ事はできたかもしれない。

 しかし、八十五にして、朝から動きどおしで疲れ切っていたみのりを、誰も責める事は出来るだろうか?

 診療所の自動ドアを封鎖しておけば? それでは、緊急の際はどうする?

 不運が重なった為に起きてしまった、ヒューマンエラーの典型とも言えよう。

 会議が終わり、ゴーグルを外した後、さくらと貞江がアラームに気が付く。そして、各部屋を映すモニターを見ると、患者達の姿が無い事がわかる。
 孝則は、みのりを起こそうとする。しかしさくらがそれを止めた。

「あんたは、みのりをベッドで休ませてやりな。貞江、あんたはみんなに連絡するんだよ。まだ、遠くには行ってないはずだ。直ぐに見つけるよ!」

 そう、声を荒げると、さくらは歩き出す。

「おい、さくらぁ。お前は何処に行く気だ!」
「決まってるさ。若いのから、探すんだよ」
「無理すんな! 孝道が来るまで待て!」
「待てないよ! あんなのを、放っておけるはずないよ!」
「くそっ! ならせめて、灯りを持ってけ!」

 孝則は焦った様に、机の脇に常備してある懐中電灯を掴むと、さくらへ投げる様にして渡す。
 そして、さくらは急いで診療所の外へと出た。連絡を受けた住人達が、それぞれに動き出す。

 どうやって信川村に辿り着いたかもわからないのに、帰り道など誰も知らないのだ。青年は、ふらふらとしながら、道路を歩いて、帰り道を探す。
 夜目の利くゴブリンなら、辿り着いた場所も直ぐにわかるはずだ。しかし、帰り方などわかるはずがない。それとも、帰る事を諦めているのか、森に向かって走っている。

 患者達の捜索を始める、住民達。そして、帰り道を探す青年。居場所を求めて、彷徨うゴブリンの兄妹。
 こうして、それぞれの思惑が交錯する、信川村の長い夜が始まった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私の望み通り婚約を解消しようと言うけど、そもそも半年間も嫌だと言い続けたのは貴方でしょう?〜初恋は終わりました。

るんた
恋愛
「君の望み通り、君との婚約解消を受け入れるよ」  色とりどりの春の花が咲き誇る我が伯爵家の庭園で、沈痛な面持ちで目の前に座る男の言葉を、私は内心冷ややかに受け止める。  ……ほんとに屑だわ。 結果はうまくいかないけど、初恋と学園生活をそれなりに真面目にがんばる主人公のお話です。 彼はイケメンだけど、あれ?何か残念だな……。という感じを目指してます。そう思っていただけたら嬉しいです。 彼女視点(side A)と彼視点(side J)を交互にあげていきます。

神楽囃子の夜

紫音
ライト文芸
※第6回ライト文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  地元の夏祭りを訪れていた少年・狭野笙悟(さのしょうご)は、そこで見かけた幽霊の少女に一目惚れしてしまう。彼女が現れるのは年に一度、祭りの夜だけであり、その姿を見ることができるのは狭野ただ一人だけだった。  年を重ねるごとに想いを募らせていく狭野は、やがて彼女に秘められた意外な真実にたどり着く……。  四人の男女の半生を描く、時を越えた現代ファンタジー。  

ご飯を食べて異世界に行こう

compo
ライト文芸
会社が潰れた… 僅かばかりの退職金を貰ったけど、独身寮を追い出される事になった僕は、貯金と失業手当を片手に新たな旅に出る事にしよう。 僕には生まれつき、物理的にあり得ない異能を身につけている。 異能を持って、旅する先は…。 「異世界」じゃないよ。 日本だよ。日本には変わりないよ。

シロクマのシロさんと北海道旅行記

百度ここ愛
ライト文芸
第7回ライト文芸大賞【大賞】受賞しました。ありがとうございます! 【あらすじ】 恵は、大学の合格発表を見に来ていたその場で、彼氏から別れを告げられた、 不合格と、別れを同時に突きつけられた失意のまま自宅に帰れば、「だから違う大学にしとけばよかったのに」という両親からの言葉。 傷ついた心を守るために家出することを決め、北海道にいる姉の家へと旅立つ。 姉の家へ向かう電車の中、シロクマのシロさんと出会い行動を共にすることに。一緒に行った姉の家は、住所間違いで不在。 姉へのメッセージもなかなか返信が来ず、シロさんの提案で北海道旅を二人で決行することになったが……

短編集 【雨降る日に……】

星河琉嘩
ライト文芸
街の一角に佇む喫茶店。 その喫茶店に来る人たちの話です。 1話1話がとても短いお話になっています。 その他のお話も何か書けたら更新していきます。 【雨降る日に……】 【空の上に……】 【秋晴れの日に】 【君の隣】 【君の影】

悪役令嬢になりそこねた令嬢

ぽよよん
恋愛
レスカの大好きな婚約者は2歳年上の宰相の息子だ。婚約者のマクロンを恋い慕うレスカは、マクロンとずっと一緒にいたかった。 マクロンが幼馴染の第一王子とその婚約者とともに王宮で過ごしていれば側にいたいと思う。 それは我儘でしょうか? ************** 2021.2.25 ショート→短編に変更しました。

婚約破棄で命拾いした令嬢のお話 ~本当に助かりましたわ~

華音 楓
恋愛
シャルロット・フォン・ヴァーチュレストは婚約披露宴当日、謂れのない咎により結婚破棄を通達された。 突如襲い来る隣国からの8万の侵略軍。 襲撃を受ける元婚約者の領地。 ヴァーチュレスト家もまた存亡の危機に!! そんな数奇な運命をたどる女性の物語。 いざ開幕!!

Bo★ccia!!―アィラビュー×コザィラビュー*

gaction9969
ライト文芸
 ゴッドオブスポーツ=ボッチャ!!  ボッチャとはッ!! 白き的球を狙いて自らの手球を投擲し、相手よりも近づけた方が勝利を得るというッ!! 年齢人種性別、そして障害者/健常者の区別なく、この地球の重力を背負いし人間すべてに平等たる、完全なる球技なのであるッ!!  そしてこの物語はッ!! 人智を超えた究極競技「デフィニティボッチャ」に青春を捧げた、五人の青年のッ!! 愛と希望のヒューマンドラマであるッ!!

処理中です...