6 / 415
異世界への旅立ち
6 突撃、実家の昼ご飯
しおりを挟む
カーテン越しに穏やかな光が差し込む。かけた覚えの無い布団の暖かさ、そして布団とは異なる暖かな温もり。その温もりの正体も知らずに、冬也は夢と現を行き交いし、朝の微睡みを漂っていた。
手には柔らかな感触を感じる。手に馴染む心地よさを楽しみ、冬也は柔らかなそれを優しく揉む。
ムニムニムニムニムニ。ムニムニムニムニムニ。
冬也が暫くその心地よさを堪能している時、耳元近くからペスカの声が聞こえた。
「あん、お兄ちゃん。駄目」
ペスカの声で、瞬間的に冬也は覚醒を促される。首を傾けるとペスカが、冬也を抱きしめる様に眠っていた。そして冬也の手は、ペスカの柔らかな双丘を掴んでいた。
「駄目って何が? わぁ~! ご、ごめんペスカ。っておま、お前また俺の布団に潜り込んだな!」
慌ててペスカを引き剥がそうとするが、冬也はふと室内が普段とは違う事に気が付いた。
「なんだ? この豪華な部屋! あぁそうか、夢じゃねぇのか」
昨日の出来事は夢であればよかった。目を覚ましたら、いつもの部屋で、また当たり前の日常が始まる。
しかし、冬也の目に飛び込んで来たのは、高級宿らしい豪華な調度品の数々。途端に現実へ引き戻された冬也は少し頭を振り、ペスカの目が覚めない様にゆっくりと体を起こす。
「ぐぅ」
「幸せそうな顔しやがって」
冬也は、優しくペスカの頭を撫でる。
「こいつも疲れてたんだろうし、もう少し寝かせてやらないとな」
冬也は、そう独り言ちると、ベッドの端に座り直した。
「それにしても、ペスカは何者なんだ?」
冬也の記憶では、ペスカは子供の頃から変な行動をする事が多かった。
日常茶飯事の言動に、冬也は次第に慣れていった。思い起こせば小学生のくせに、分厚い専門書を読み漁ったり、家中の家電を分解する事も有った。
「そういや、ペスカがTVをバラバラにした時は、親父が泣きそうな顔してたっけ」
ペスカは、ここを異世界だと言った。自分を賢者と言い、地球で生まれ変わったのだと言った。それを証明するかの様なペスカの魔法と知識。そして、ペスカに魔法を教わったおかげで命拾いした。謎のカードで街に入り、高級宿にも入れた。
「ペスカが起きたら、色々詳しく聞かないとな。まだ何か隠し事してやがるしな。俺が気が付かないとでも思ってやがんだろ。でもこいつ、ちゃんと話すかな? まぁ話さなきゃ、お仕置きだけどな」
「う~ん、なあに? おに~ちゃん」
「あ~ごめんペスカ。起こしちゃったか?」
「な~んか、幸せな夢見てた~」
悩む自分が馬鹿らしくなる程の、起き掛けの呑気なペスカ。冬也は少し腹が立ち、ペスカの頬を少し摘まんだ。
「うみゅ。みゃにさ。おみ~ちゃん」
冬也はペスカの頬で少し鬱憤を晴らすも、腹がぐぅ~と鳴る。昨日の朝以降に摂ったのは、栄養補助食品と水の簡易的な食事のみな事を思い出す。
「ペスカ、取り敢えず飯にしねぇか?」
「うん。おなか減ったよ」
着替えを用意していないので、そのまま宿の一階に下りて朝食を頼む。テーブルについて、暫く待つと出てきたのは、パンと卵焼きとサラダにスープであった。
「異世界っても、飯は普通だな?」
「そう? 私はヤマトベーカリーの、ふかふかパンが好き~」
「いや、そう言うことじゃなくて」
パンは硬かったが、スープに浸せば食べられない事は無い。他の料理も、日本と然程変わりの無い味だった。空腹で食えれば何でも良い気分であった冬也は、取りあえず満足し食事を終える。
一心地つくと冬也はペスカへ問いかける。
「ペスカお前は何者だ? 何を隠してる? 全部話せ!」
「わかってるよお兄ちゃん、全部話すって。その前に行く所が有るんだけど、良いかな?」
「そこに行けば、全部話すんだな」
「約束するよ、お兄ちゃん」
冬也は、真剣な表情で答えるペスカを信じる事にした。
「ご飯も食べたし、レッツゴー!」
どんな時も明るく振舞えるのは、ペスカの長所である。この笑顔に、どれだけ支えられて来ただろうか。冬也の些細な悩みなど、馬鹿らしくなってくる程に。
しかしここは、冬也の知らない世界である。一抹の不安を抱えつつ、冬也はペスカと共に宿を後にした。
街を歩きながら冬也は周囲を見渡す。異世界の都市と言えば、想像するのは中世の発達してない都市であろう。しかし、この都市の美しい街並みは、とても異世界とは思えない。ヨーロッパのどこかでは無いかと、冬也は考えていた。
「ヨーロッパじゃないよ。この街の名前は、エーデルシアって言うの」
「心を読むなペスカ。それも魔法か?」
「はぁ、お兄ちゃんの場合、顔に出てるんだよ」
街を歩く人々が、武器を携えている訳もない。荷車を引く者、店の開店準備で忙しなくしている者、畑に向かうのか鍬などを抱えて門から出ようとしている者と、ごく平和な光景が繰り広げられている。
だが、昨日の出来事が嘘の様な、争い事とは縁遠そうな光景は、返って冬也を不安にさせた。
「ところでペスカ。昨日の怪物は、死んだと思うか?」
「あれは、簡単に死なないよ。間違いなく生きてるね」
「じゃあ、追ってきたりとかするんじゃねぇか? あんなのが街に入ったら大変だぞ!」
「それは無いと思う。結構ダメージ与えたと思うし。お手柄だねお兄ちゃん」
冬也はペスカの言葉で、少し胸を撫で下ろす。そして続けざまに、質問を重ねた。
「兵士がお前の事を、メイザー伯がどうのって言ってたけど、メイザーって何だ?」
「その辺は、後でまとめて話すよ~。ガツガツしてるとモテないよ~」
早々に質問を打ち切られた冬也は、再び周囲を見渡す。歩く人々は、欧米人と変わらない。街には、いまいち異世界感を感じられない。せめて、二本脚立って歩く動物めいた人がいれば、信じる事も出来そうだけど。そんなもやもやとした感覚を覚える冬也に、再びペスカから声がかかった。
「お兄ちゃん、猫耳少女はこの街にはいないよ。残念だったね」
「だから、心を読むなって」
「お兄ちゃんってば、わっかりやすいからな~。うふふ」
「因みに亜人は、こことは別の大陸にたくさんいるよ。会いたければ、今度連れてってあげるよ」
「亜人って言うと、あれか? 耳の尖った人もいるのか?」
「エルフの事? もちろんいるよ! まぁそっちは直ぐに会えるかな」
「そっか。本当に異世界へ来ちゃったんだな」
「そんな事より、見てお兄ちゃん。ここが目抜き通りだよ」
ペスカが指を指した先には、様々な店が立ち並び、沢山の人が行き交う場所だった。
服や雑貨の様な物を売る店。見た事もない色鮮やかな果実を売る店や、見覚えの無い野菜を売っている店。そして美味しそうな匂いが漂う飲食店が集まっていた。
「ペスカ。何だあれ、果物か? なんか毒々しい色だぞ。食えんのか?」
「甘くて美味しいよ」
「ペスカ。何だあれ! キャベツに似てるけど」
「キャベツで間違いないよ。日本のとは少し変わってるけどね」
「ペスカ! 旨そうな匂いがするな! なんだろな?」
「喜んでもらえて何よりだけど、お兄ちゃんがお上りさんになってるね。フフッ可愛い」
冬也は抱えていた疑問を完全に忘れ、目の前に広がる新鮮な光景に驚いていた。旅行者の様にはしゃぐ冬也を、ペスカは優しく見つめる。
散歩でもする様に、二人は暫くウィンドウショッピングを楽しむ。そして、目抜き通りを抜けると、かなり大きい邸宅が見えてきた。
邸宅まで歩みを進めると、ペスカは門の前で立ち止まる。門の両脇には、剣を携えた屈強そうな兵士が立っていた。
この街の治安状況を、冬也が知る由もない。だが、この町に入ってからスリの被害どころか、恐喝紛いの無頼漢にも遭遇していない。地球でさえも、外国人旅行者が安全に旅行が出来るのは、日本だけと聞くのに。
そんな状況で門に兵が立っている理由は、それなりの地位に有る者の屋敷だからであろう。
「なぁ。まさかこれが、目的地?」
「そうだよお兄ちゃん。連絡を入れておいたはずだけど、クラウスはいる?」
ペスカは何とも気軽に、門に立つ兵士に声を掛けて、カードを見せる。カードを見た兵士は、恭しく頭を下げた。
「お待ちしておりました、ペスカ様。中へどうぞ」
「ペスカ、ここでも同じ対応かよ? 何なのお前?」
「まあまあ、細かい事は気にしない! 禿げるよ!」
「禿げねえよ!」
門を越え庭を抜け、邸宅の入り口までやってくると、中から執事服を着た男が現れ、深々と頭を下げる。
「お待ちしておりましたペスカ様。旦那様と奥様は現在留守にしております。お帰りになるまで、中でごゆるりとお寛ぎ下さい」
ペスカは執事服を着た男へ、挨拶代わりに手を上げる。そして勝手知ったる風に、ずかずかと邸宅の中を進み、応接室にたどり着いた。そして、どかっとソファーに身を投げると、冬也に声を掛ける。
「緊張しなくて大丈夫。ゆっくりしよお兄ちゃん」
「お前はどこのお嬢様だよ! ペスカが遠くに感じるよ」
「もぉ、何言ってんのよ。私はいつでも、お兄ちゃんの愛する妹だよ」
二人がリビングのソファーに背を預けると、直ぐにメイド達がお茶とお菓子を運んでくる。
だが、十人以上は悠々と入る広いリビングと、執事やメイドが当たり前に働く邸内に、冬也は分不相応な感覚を覚えていた。ペスカは、気にも留める様子もなく菓子を食べていたが、冬也は手を出す気にはなれなかった。
非常に落ち着かない感覚の中、時間を持て余しキョロキョロと冬也は辺りを眺める。
家人の趣味なのか調度品は少なく、昨夜の高級宿の方がよっぽど立派に感じる。宿と異なるのは、リビングの戸辺りにメイドが待機している事だろう。
数刻の後、部屋の外がざわめきだし、メイド達の手により部屋の戸が開け放たれる。そして、一人の青年が部屋に入ってきた。背が高く耳の尖った美形の青年は、勢い良くこちらに近くと、ペスカの前で膝を突き深々と頭を下げる。
「ペスカ様、良くお戻りになられました。このクラウス、一日千秋の思いで、ペスカ様のお帰りをお待ちしておりました」
「クラウス、久しぶりだね!」
「ところでペスカ様。そちらの御仁は、どなたでしょうか?」
「私のお兄ちゃんだよ!」
クラウスはペスカに視線を送ると、冬也の方へ体を向ける。そして軽く微笑し、冬也に頭を下げた。
「貴方がペスカ様の兄君でしたか。話は妻から聞いております。私はルクスフィア領を治める、クラウス・フォン・ルクスフィアと申します。何卒良しなに」
「東郷冬也です。よろしくお願いします」
更に状況がわからくなったが、冬也は取りあえず頭を下げる。それは日本人の性であろう。
「ペスカ様、冬也様。もうじき妻も戻ると思います。昼食を取りながら、色々お話をお聞かせください」
クラウスの後に続いて歩き通された場所は、パーティーでも開くのかと思える広い食堂であった。大きな一枚板のテーブルが鎮座し、十数脚の椅子が綺麗に並んでいる。
二人を上座に座らせた後、クラウスは執事を一人部屋に残して自分も席に着く。そしてペスカは、昨日の出来事をクラウスに説明し始めた。
「そうですか。あの森にマンティコアが出るなんて、不可解ですね」
「クラウス、火事の方はどうなったの?」
「ペスカ様から念話を頂いてから、直ぐに兵士を差し向けました。現在、鎮火作業中です」
「あいつはどうなったの?」
「姿を見たとの報告が、上がっておりません。恐らく飛び去ったのかと。詳細は未だ調査中です」
冬也は二人の会話を、ただ無言で聞いていた。ペスカの印象はいつもと全く違い、しっかりとしたビジネスウーマンの様である。そのペスカに対し、恭しい態度を崩さないクラウスという人物。
最早、混乱でしかない冬也に、ペスカが声をかける。
「お兄ちゃん。放火魔で捕まらなくて良かったね」
「まぁ過ぎた事は、良いではないですか。今日は当家のシェフが、腕によりをかけた料理をご堪能下さい」
クラウスの合図と共に、料理は次々と運ばれてきた。運ばれた料理の中に、見た事も無い珍しいものは一切無い。むしろ日本で見慣れた料理の数々が運ばれてきた。
それを見た冬也は、流石に声を荒げる。
「ご飯に味噌汁、焼き魚に納豆。これ全部日本食じゃねぇか! 何でだよ!」
冬也の言葉に、クラウスは首を傾げる。何か不思議な事でもと言いたげな表情を浮かべるクラウスを、即座にペスカがフォローした。
「まあ、食べてみてよお兄ちゃん」
ペスカに促され、冬也は味噌汁やご飯に手をつけた。
「う~ま~い~ぞ~!」
「どこの食通だよ、ペスカ。ってか微妙に違うな。出汁の取り方か?」
「そうだね、出汁が足りないね。それとお米は、品種改良が必要かな?」
「ご教示ありがとうございます、ペスカ様。未だ品種改良は、難儀しております。これからも一層の努力を重ねる所存です」
「うむ、そうしたまえよクラウス君。かっかっか」
「ペスカ、お前は何キャラなんだよ。クラウスさんでしたっけ。こいつ直ぐ調子に乗るんで、あんまり乗っからないで下さい」
昼食は、ペスカを中心にがやがやと騒がしいものになった。丁度食べ終わろうとした時であった、食堂のドアがメイドの手によって開かれる。ドアが開かれた瞬間、冬也の耳には聞き覚えの有る声が届く。そして眉を顰めて冬也は振り向いた。
ドアから入って来たのは、ペスカを置き去りにして消えた義母。十年を経過しても、義母の顔は些かも変わらない。例え変わっていたとしても、冬也は忘れる事はなかったろう。決して、他人の空似とは言わせない。
ペスカを置き去りにした事は、決して許さない。
義母の姿を見た瞬間に、怒りがこみ上げる。顔を真っ赤にして冬也は立ち上がり、怒鳴り声を上げた。
「てめぇ! こんな所で何してやがる!」
今にも殴りかかりそうな勢いで、義母に詰め寄ろうとする冬也を、クラウスが後ろから羽交い絞めにして止める。
そしてペスカは頭を抱えた。異世界の街に着いて早々、波乱が訪れようとしていた。
手には柔らかな感触を感じる。手に馴染む心地よさを楽しみ、冬也は柔らかなそれを優しく揉む。
ムニムニムニムニムニ。ムニムニムニムニムニ。
冬也が暫くその心地よさを堪能している時、耳元近くからペスカの声が聞こえた。
「あん、お兄ちゃん。駄目」
ペスカの声で、瞬間的に冬也は覚醒を促される。首を傾けるとペスカが、冬也を抱きしめる様に眠っていた。そして冬也の手は、ペスカの柔らかな双丘を掴んでいた。
「駄目って何が? わぁ~! ご、ごめんペスカ。っておま、お前また俺の布団に潜り込んだな!」
慌ててペスカを引き剥がそうとするが、冬也はふと室内が普段とは違う事に気が付いた。
「なんだ? この豪華な部屋! あぁそうか、夢じゃねぇのか」
昨日の出来事は夢であればよかった。目を覚ましたら、いつもの部屋で、また当たり前の日常が始まる。
しかし、冬也の目に飛び込んで来たのは、高級宿らしい豪華な調度品の数々。途端に現実へ引き戻された冬也は少し頭を振り、ペスカの目が覚めない様にゆっくりと体を起こす。
「ぐぅ」
「幸せそうな顔しやがって」
冬也は、優しくペスカの頭を撫でる。
「こいつも疲れてたんだろうし、もう少し寝かせてやらないとな」
冬也は、そう独り言ちると、ベッドの端に座り直した。
「それにしても、ペスカは何者なんだ?」
冬也の記憶では、ペスカは子供の頃から変な行動をする事が多かった。
日常茶飯事の言動に、冬也は次第に慣れていった。思い起こせば小学生のくせに、分厚い専門書を読み漁ったり、家中の家電を分解する事も有った。
「そういや、ペスカがTVをバラバラにした時は、親父が泣きそうな顔してたっけ」
ペスカは、ここを異世界だと言った。自分を賢者と言い、地球で生まれ変わったのだと言った。それを証明するかの様なペスカの魔法と知識。そして、ペスカに魔法を教わったおかげで命拾いした。謎のカードで街に入り、高級宿にも入れた。
「ペスカが起きたら、色々詳しく聞かないとな。まだ何か隠し事してやがるしな。俺が気が付かないとでも思ってやがんだろ。でもこいつ、ちゃんと話すかな? まぁ話さなきゃ、お仕置きだけどな」
「う~ん、なあに? おに~ちゃん」
「あ~ごめんペスカ。起こしちゃったか?」
「な~んか、幸せな夢見てた~」
悩む自分が馬鹿らしくなる程の、起き掛けの呑気なペスカ。冬也は少し腹が立ち、ペスカの頬を少し摘まんだ。
「うみゅ。みゃにさ。おみ~ちゃん」
冬也はペスカの頬で少し鬱憤を晴らすも、腹がぐぅ~と鳴る。昨日の朝以降に摂ったのは、栄養補助食品と水の簡易的な食事のみな事を思い出す。
「ペスカ、取り敢えず飯にしねぇか?」
「うん。おなか減ったよ」
着替えを用意していないので、そのまま宿の一階に下りて朝食を頼む。テーブルについて、暫く待つと出てきたのは、パンと卵焼きとサラダにスープであった。
「異世界っても、飯は普通だな?」
「そう? 私はヤマトベーカリーの、ふかふかパンが好き~」
「いや、そう言うことじゃなくて」
パンは硬かったが、スープに浸せば食べられない事は無い。他の料理も、日本と然程変わりの無い味だった。空腹で食えれば何でも良い気分であった冬也は、取りあえず満足し食事を終える。
一心地つくと冬也はペスカへ問いかける。
「ペスカお前は何者だ? 何を隠してる? 全部話せ!」
「わかってるよお兄ちゃん、全部話すって。その前に行く所が有るんだけど、良いかな?」
「そこに行けば、全部話すんだな」
「約束するよ、お兄ちゃん」
冬也は、真剣な表情で答えるペスカを信じる事にした。
「ご飯も食べたし、レッツゴー!」
どんな時も明るく振舞えるのは、ペスカの長所である。この笑顔に、どれだけ支えられて来ただろうか。冬也の些細な悩みなど、馬鹿らしくなってくる程に。
しかしここは、冬也の知らない世界である。一抹の不安を抱えつつ、冬也はペスカと共に宿を後にした。
街を歩きながら冬也は周囲を見渡す。異世界の都市と言えば、想像するのは中世の発達してない都市であろう。しかし、この都市の美しい街並みは、とても異世界とは思えない。ヨーロッパのどこかでは無いかと、冬也は考えていた。
「ヨーロッパじゃないよ。この街の名前は、エーデルシアって言うの」
「心を読むなペスカ。それも魔法か?」
「はぁ、お兄ちゃんの場合、顔に出てるんだよ」
街を歩く人々が、武器を携えている訳もない。荷車を引く者、店の開店準備で忙しなくしている者、畑に向かうのか鍬などを抱えて門から出ようとしている者と、ごく平和な光景が繰り広げられている。
だが、昨日の出来事が嘘の様な、争い事とは縁遠そうな光景は、返って冬也を不安にさせた。
「ところでペスカ。昨日の怪物は、死んだと思うか?」
「あれは、簡単に死なないよ。間違いなく生きてるね」
「じゃあ、追ってきたりとかするんじゃねぇか? あんなのが街に入ったら大変だぞ!」
「それは無いと思う。結構ダメージ与えたと思うし。お手柄だねお兄ちゃん」
冬也はペスカの言葉で、少し胸を撫で下ろす。そして続けざまに、質問を重ねた。
「兵士がお前の事を、メイザー伯がどうのって言ってたけど、メイザーって何だ?」
「その辺は、後でまとめて話すよ~。ガツガツしてるとモテないよ~」
早々に質問を打ち切られた冬也は、再び周囲を見渡す。歩く人々は、欧米人と変わらない。街には、いまいち異世界感を感じられない。せめて、二本脚立って歩く動物めいた人がいれば、信じる事も出来そうだけど。そんなもやもやとした感覚を覚える冬也に、再びペスカから声がかかった。
「お兄ちゃん、猫耳少女はこの街にはいないよ。残念だったね」
「だから、心を読むなって」
「お兄ちゃんってば、わっかりやすいからな~。うふふ」
「因みに亜人は、こことは別の大陸にたくさんいるよ。会いたければ、今度連れてってあげるよ」
「亜人って言うと、あれか? 耳の尖った人もいるのか?」
「エルフの事? もちろんいるよ! まぁそっちは直ぐに会えるかな」
「そっか。本当に異世界へ来ちゃったんだな」
「そんな事より、見てお兄ちゃん。ここが目抜き通りだよ」
ペスカが指を指した先には、様々な店が立ち並び、沢山の人が行き交う場所だった。
服や雑貨の様な物を売る店。見た事もない色鮮やかな果実を売る店や、見覚えの無い野菜を売っている店。そして美味しそうな匂いが漂う飲食店が集まっていた。
「ペスカ。何だあれ、果物か? なんか毒々しい色だぞ。食えんのか?」
「甘くて美味しいよ」
「ペスカ。何だあれ! キャベツに似てるけど」
「キャベツで間違いないよ。日本のとは少し変わってるけどね」
「ペスカ! 旨そうな匂いがするな! なんだろな?」
「喜んでもらえて何よりだけど、お兄ちゃんがお上りさんになってるね。フフッ可愛い」
冬也は抱えていた疑問を完全に忘れ、目の前に広がる新鮮な光景に驚いていた。旅行者の様にはしゃぐ冬也を、ペスカは優しく見つめる。
散歩でもする様に、二人は暫くウィンドウショッピングを楽しむ。そして、目抜き通りを抜けると、かなり大きい邸宅が見えてきた。
邸宅まで歩みを進めると、ペスカは門の前で立ち止まる。門の両脇には、剣を携えた屈強そうな兵士が立っていた。
この街の治安状況を、冬也が知る由もない。だが、この町に入ってからスリの被害どころか、恐喝紛いの無頼漢にも遭遇していない。地球でさえも、外国人旅行者が安全に旅行が出来るのは、日本だけと聞くのに。
そんな状況で門に兵が立っている理由は、それなりの地位に有る者の屋敷だからであろう。
「なぁ。まさかこれが、目的地?」
「そうだよお兄ちゃん。連絡を入れておいたはずだけど、クラウスはいる?」
ペスカは何とも気軽に、門に立つ兵士に声を掛けて、カードを見せる。カードを見た兵士は、恭しく頭を下げた。
「お待ちしておりました、ペスカ様。中へどうぞ」
「ペスカ、ここでも同じ対応かよ? 何なのお前?」
「まあまあ、細かい事は気にしない! 禿げるよ!」
「禿げねえよ!」
門を越え庭を抜け、邸宅の入り口までやってくると、中から執事服を着た男が現れ、深々と頭を下げる。
「お待ちしておりましたペスカ様。旦那様と奥様は現在留守にしております。お帰りになるまで、中でごゆるりとお寛ぎ下さい」
ペスカは執事服を着た男へ、挨拶代わりに手を上げる。そして勝手知ったる風に、ずかずかと邸宅の中を進み、応接室にたどり着いた。そして、どかっとソファーに身を投げると、冬也に声を掛ける。
「緊張しなくて大丈夫。ゆっくりしよお兄ちゃん」
「お前はどこのお嬢様だよ! ペスカが遠くに感じるよ」
「もぉ、何言ってんのよ。私はいつでも、お兄ちゃんの愛する妹だよ」
二人がリビングのソファーに背を預けると、直ぐにメイド達がお茶とお菓子を運んでくる。
だが、十人以上は悠々と入る広いリビングと、執事やメイドが当たり前に働く邸内に、冬也は分不相応な感覚を覚えていた。ペスカは、気にも留める様子もなく菓子を食べていたが、冬也は手を出す気にはなれなかった。
非常に落ち着かない感覚の中、時間を持て余しキョロキョロと冬也は辺りを眺める。
家人の趣味なのか調度品は少なく、昨夜の高級宿の方がよっぽど立派に感じる。宿と異なるのは、リビングの戸辺りにメイドが待機している事だろう。
数刻の後、部屋の外がざわめきだし、メイド達の手により部屋の戸が開け放たれる。そして、一人の青年が部屋に入ってきた。背が高く耳の尖った美形の青年は、勢い良くこちらに近くと、ペスカの前で膝を突き深々と頭を下げる。
「ペスカ様、良くお戻りになられました。このクラウス、一日千秋の思いで、ペスカ様のお帰りをお待ちしておりました」
「クラウス、久しぶりだね!」
「ところでペスカ様。そちらの御仁は、どなたでしょうか?」
「私のお兄ちゃんだよ!」
クラウスはペスカに視線を送ると、冬也の方へ体を向ける。そして軽く微笑し、冬也に頭を下げた。
「貴方がペスカ様の兄君でしたか。話は妻から聞いております。私はルクスフィア領を治める、クラウス・フォン・ルクスフィアと申します。何卒良しなに」
「東郷冬也です。よろしくお願いします」
更に状況がわからくなったが、冬也は取りあえず頭を下げる。それは日本人の性であろう。
「ペスカ様、冬也様。もうじき妻も戻ると思います。昼食を取りながら、色々お話をお聞かせください」
クラウスの後に続いて歩き通された場所は、パーティーでも開くのかと思える広い食堂であった。大きな一枚板のテーブルが鎮座し、十数脚の椅子が綺麗に並んでいる。
二人を上座に座らせた後、クラウスは執事を一人部屋に残して自分も席に着く。そしてペスカは、昨日の出来事をクラウスに説明し始めた。
「そうですか。あの森にマンティコアが出るなんて、不可解ですね」
「クラウス、火事の方はどうなったの?」
「ペスカ様から念話を頂いてから、直ぐに兵士を差し向けました。現在、鎮火作業中です」
「あいつはどうなったの?」
「姿を見たとの報告が、上がっておりません。恐らく飛び去ったのかと。詳細は未だ調査中です」
冬也は二人の会話を、ただ無言で聞いていた。ペスカの印象はいつもと全く違い、しっかりとしたビジネスウーマンの様である。そのペスカに対し、恭しい態度を崩さないクラウスという人物。
最早、混乱でしかない冬也に、ペスカが声をかける。
「お兄ちゃん。放火魔で捕まらなくて良かったね」
「まぁ過ぎた事は、良いではないですか。今日は当家のシェフが、腕によりをかけた料理をご堪能下さい」
クラウスの合図と共に、料理は次々と運ばれてきた。運ばれた料理の中に、見た事も無い珍しいものは一切無い。むしろ日本で見慣れた料理の数々が運ばれてきた。
それを見た冬也は、流石に声を荒げる。
「ご飯に味噌汁、焼き魚に納豆。これ全部日本食じゃねぇか! 何でだよ!」
冬也の言葉に、クラウスは首を傾げる。何か不思議な事でもと言いたげな表情を浮かべるクラウスを、即座にペスカがフォローした。
「まあ、食べてみてよお兄ちゃん」
ペスカに促され、冬也は味噌汁やご飯に手をつけた。
「う~ま~い~ぞ~!」
「どこの食通だよ、ペスカ。ってか微妙に違うな。出汁の取り方か?」
「そうだね、出汁が足りないね。それとお米は、品種改良が必要かな?」
「ご教示ありがとうございます、ペスカ様。未だ品種改良は、難儀しております。これからも一層の努力を重ねる所存です」
「うむ、そうしたまえよクラウス君。かっかっか」
「ペスカ、お前は何キャラなんだよ。クラウスさんでしたっけ。こいつ直ぐ調子に乗るんで、あんまり乗っからないで下さい」
昼食は、ペスカを中心にがやがやと騒がしいものになった。丁度食べ終わろうとした時であった、食堂のドアがメイドの手によって開かれる。ドアが開かれた瞬間、冬也の耳には聞き覚えの有る声が届く。そして眉を顰めて冬也は振り向いた。
ドアから入って来たのは、ペスカを置き去りにして消えた義母。十年を経過しても、義母の顔は些かも変わらない。例え変わっていたとしても、冬也は忘れる事はなかったろう。決して、他人の空似とは言わせない。
ペスカを置き去りにした事は、決して許さない。
義母の姿を見た瞬間に、怒りがこみ上げる。顔を真っ赤にして冬也は立ち上がり、怒鳴り声を上げた。
「てめぇ! こんな所で何してやがる!」
今にも殴りかかりそうな勢いで、義母に詰め寄ろうとする冬也を、クラウスが後ろから羽交い絞めにして止める。
そしてペスカは頭を抱えた。異世界の街に着いて早々、波乱が訪れようとしていた。
0
お気に入りに追加
361
あなたにおすすめの小説
平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした
カレイ
恋愛
「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」
それが両親の口癖でした。
ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。
ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。
ですから私決めました!
王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。
王女殿下は家出を計画中
ゆうゆう
ファンタジー
出来損ないと言われる第3王女様は家出して、自由を謳歌するために奮闘する
家出の計画を進めようとするうちに、過去に起きた様々な事の真実があきらかになったり、距離を置いていた家族との繋がりを再確認したりするうちに、自分の気持ちの変化にも気付いていく…
王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します
有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。
妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。
さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。
そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。
そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。
現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
溺愛されている妹がお父様の子ではないと密告したら立場が逆転しました。ただお父様の溺愛なんて私には必要ありません。
木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるレフティアの日常は、父親の再婚によって大きく変わることになった。
妾だった継母やその娘である妹は、レフティアのことを疎んでおり、父親はそんな二人を贔屓していた。故にレフティアは、苦しい生活を送ることになったのである。
しかし彼女は、ある時とある事実を知ることになった。
父親が溺愛している妹が、彼と血が繋がっていなかったのである。
レフティアは、その事実を父親に密告した。すると調査が行われて、それが事実であることが判明したのである。
その結果、父親は継母と妹を排斥して、レフティアに愛情を注ぐようになった。
だが、レフティアにとってそんなものは必要なかった。継母や妹ともに自分を虐げていた父親も、彼女にとっては排除するべき対象だったのである。
転生したおばあちゃんはチートが欲しい ~この世界が乙女ゲームなのは誰も知らない~
ピエール
ファンタジー
おばあちゃん。
異世界転生しちゃいました。
そういえば、孫が「転生するとチートが貰えるんだよ!」と言ってたけど
チート無いみたいだけど?
おばあちゃんよく分かんないわぁ。
頭は老人 体は子供
乙女ゲームの世界に紛れ込んだ おばあちゃん。
当然、おばあちゃんはここが乙女ゲームの世界だなんて知りません。
訳が分からないながら、一生懸命歩んで行きます。
おばあちゃん奮闘記です。
果たして、おばあちゃんは断罪イベントを回避できるか?
[第1章おばあちゃん編]は文章が拙い為読みづらいかもしれません。
第二章 学園編 始まりました。
いよいよゲームスタートです!
[1章]はおばあちゃんの語りと生い立ちが多く、あまり話に動きがありません。
話が動き出す[2章]から読んでも意味が分かると思います。
おばあちゃんの転生後の生活に興味が出てきたら一章を読んでみて下さい。(伏線がありますので)
初投稿です
不慣れですが宜しくお願いします。
最初の頃、不慣れで長文が書けませんでした。
申し訳ございません。
少しづつ修正して纏めていこうと思います。
その幼女、最強にして最恐なり~転生したら幼女な俺は異世界で生きてく~
たま(恥晒)
ファンタジー
※作者都合により打ち切りとさせて頂きました。新作12/1より!!
猫刄 紅羽
年齢:18
性別:男
身長:146cm
容姿:幼女
声変わり:まだ
利き手:左
死因:神のミス
神のミス(うっかり)で死んだ紅羽は、チートを携えてファンタジー世界に転生する事に。
しかしながら、またもや今度は違う神のミス(ミス?)で転生後は正真正銘の幼女(超絶可愛い ※見た目はほぼ変わってない)になる。
更に転生した世界は1度国々が発展し過ぎて滅んだ世界で!?
そんな世界で紅羽はどう過ごして行くのか...
的な感じです。
無能なので辞めさせていただきます!
サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。
マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。
えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって?
残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、
無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって?
はいはいわかりました。
辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる