妹と歩く、異世界探訪記

東郷 珠

文字の大きさ
上 下
1 / 415
異世界への旅立ち

1 始まりの日

しおりを挟む
 何故こうなった。
 何だこの化け物は。
 そもそも此処は何処だ?

 深く暗い森の中で、少年は少女を庇い、肩から大量の血を流している。二人の前には、彼らの身長より三倍は有る生物がいる。地球上では見たこともないそれは、赤黒い皮膚に大きな羽を持つ。異形と言ってもいいだろうその怪物は、獰猛な歯をむき出しに少年達へと迫っていた。
 怪物が大きな爪を振るう度に、土煙は巻き起こり、木々がはじけ飛ぶ。久々のご馳走とでも思っているのか、怪物は大量の涎を垂らしている。二人を逃す気は、毛ほども無いだろう。

 そこは日本で育った者には思いも寄らない、死と隣り合わせの非日常。命など、紙切れ程の価値しか無い悪意に満ちた惨状。どれだけ抗おうとも、弱者は嬲られ捕食される。

 怪物の鋭い爪が、少女に向かって降り降ろされる。少女を抱える様に庇い、少年は背を深く抉られる。パックリと開いた傷口からは、血しぶきが噴き出す。その痛みに少年は、気を失いかける。だが、気を失う訳にはいかない。少年は己の身を犠牲にし、少女に覆いかぶさる。
 怪物は止めを刺さんと、再び腕を振り上げる。遠ざかる意識の先で、鋭利な爪が少年の首先に迫っていた。

 ☆ ☆ ☆

 少年が目を覚ました時には、まだ外は暗かった。大量の汗をかいたのか、少年のシャツは体に張りついており、ベッドのシーツはじっとりと湿っていた。

「なんだ夢か。にしてもリアルだったな」

 薄暗闇の中で目を擦りながら、少年は電子時計の明かりを探す。そして、暗闇に淡く光るブルーの灯りは、午前四時を映していた。

「変な夢を見たのは、VRゲームのせいだろ。遅くまで付き合わせやがって」

 やや悪態をつきながらもベッドから降り、寝間着から着替えて部屋を出る。そして脱いだ寝間着とシーツを洗濯機に入れつつ、少年は玄関の扉を開けて庭へと出た。
 毎日の習慣とも言える、朝の運動。少年は軽く体をほぐした後、父から教わった型を繰り返した。空手、功夫、ムエタイ、カポエラ等、複数の技が混ざり合った様な型は、少年の父が世界中を渡り独自に編み出したもの。
 シュッ、ブワっと激しい風切り音を立てて、拳を振い蹴りを繰り出す。少年にとって早朝の静謐な時間は、誰にも邪魔をされず、稽古に集中出来る貴重なものである。
 そして、約一時間ほど体を動かすと、タオルで汗を拭い自宅へ戻った。

 彼の朝はそこで終わらない。シャワーを浴びて汗を洗い流すと、新しい部屋着に着替えて洗濯機を動かす。そして、キッチンへ向かい朝食の準備を始める。米を研ぎ炊飯器のスイッチを入れ、前日の夜に、水を張っていた鍋に火をかける。少ししたら、昆布を取り出し花かつおを入れる。 
 味噌汁の出汁を取りながら、少年はその日の体調を考慮した献立を考え、冷蔵庫を開け食材を探す。
 母がおらず、父の不在が多い家で、少年は家事全般を熟していた。そして少年には、血の繋がらない妹が居た。

 東郷冬也、少年は常に妹の面倒を見てきた。
 冬也が、妹と初めて会ったのは七歳の夏。彼女は一つ年下で、父親の再婚相手の連れ子だった。以来十年間一緒に暮らしている。
 再婚して一年も経たずに、義母は行方をくらました。父親は仕事で、ほとんど家に帰る事は無い。
 父一人の家庭にも関わらず、その父は冬也に稽古をつける為に、たまに寄るだけ。だけど、寂しいと感じた事は一度も無かった。何故なら、冬也には妹がいたから。
 
 実の両親に置き去りにされた、可愛そうな子。こいつが頼れるのは、俺しかいない、俺が守らなければ。
 冬也の彼女に対する想いは、憐憫だけでは無い。十年に渡る二人の同居生活で、いつしか彼女を本当の妹の様に感じていた。

 冬也が妹の世話を面倒がった事は、一度として無い。中学に入ってからは、お弁当の用意も欠かさなかった。食事の支度から掃除洗濯まで、十年近くも毎日続けてきた。
 また、大雑把な性格が幸いしたのか、血の繋がりを意識した事もなかった。十年をかけて、二人は本当の家族になっていた。

 朝食の準備が粗方整うと、階段越しに二階へ届く様、冬也は大声を張り上げる。だが、反応は無い。ただ呼びかけただけでは、妹が起きない事はいつもの事である。冬也はタオルで手を拭うと、二階に上がり寝室の戸を開けた。

「ペスカ、起きろよ。時間だぞ」
「もうちょい」

 ペスカは布団を覆いかぶさりながら、ぼそぼそと呟く。冬也は布団を揺さぶりながら、再び声を掛けた。

「何がもうちょいだよ。遅くまでゲームしてたせいだろ。早く寝ないから、朝が辛いんだ。早く起きろよ」
「うにゃあ~、わかった。チュウしてくれたら起きる」
「馬鹿な事言ってないで、早く起きろ」

 冬也は妹を目覚めさせ様と、布団を強引に剥ぎ取る。
 そして布団の中から現れたのは、光輝く様な金髪に、端正な顔立ちの美少女。透き通った青い瞳は、宝石の様に美しい。細くしなやかな体躯は、所々が開けて露になっていた。
   
 冬也は、あられも無い恰好でモゾモゾしている妹の姿を、なるべく視界に入れない様に、部屋を出てリビングに戻る。
 冬也が朝食の盛り付けをしていると、開けっ放しにしたペスカの部屋から、声が聞こえてくる。

「お兄ちゃん、パンツ何処~?」
「押し入れに入ってるだろ! 勝手に選んで履けよ!」
「お兄ちゃん、髪やって~」
「後でやってやるから、早く顔洗いに降りて来い! 飯が冷めちまうぞ!」

 フラフラと体を揺らしながら、ペスカは階段を降りてくる。その光景に危なっかしさを感じながらも、冬也は優し気な笑みを湛えて見守る。
 やがて食卓に着く二人。時折欠伸しながらおかずをつつくペスカに、冬也は味噌汁を啜りながら話しかけた。

「そう言えばお前、今日から旅行って言ってたよな? 支度は出来てんのか?」
「だいじょうぶ~、だったはず?」

 冬也の問いに、小首を傾げて答えるペスカ。

「なんで疑問形なんだよ! 何時に出発なんだ? 飯食ったら手伝ってやるよ」
「大丈夫だって! お兄ちゃんは朝から気にしすぎ」

 ペスカの答えに不安を感じた冬也だが、ペスカはあっけらかんとし、気にも留めずに居る。もそもそと、白米を口に入れながら、呑気な顔で笑っている。

「仕方ねぇ~だろ。お前こういうの駄目だからな」
「私だって色々出来るもん。お兄ちゃんより成績良いし!」
「なんでお前の成績良いのかわかんねぇよ。いつもゲームばっかりしてるくせに」
「お兄ちゃん成績はあれだからね~。お兄ちゃんはやれば出来る子なのにね~」

 冬也は幼い頃から、成績優秀な妹と比較される事が多かった。しかし、冬也は妹に対し劣等感を抱く事は無かった。それは冬也にとってペスカが、常に庇護対象であり、比較対象では無かったからである。

 体育以外の科目で、赤点以外の成績を取った事が無い冬也。短髪に切り揃えた黒髪と、凛々しい顔立ち、やや筋肉質の身体つき。どちらかと言えばスポーツ系の冬也は、男女問わず友人がおり、その面倒見の良さから、多くの友人に好かれていた。
 対してペスカは、文武両道の美人。告白された回数は数えきれない程である反面、親友と呼べる友人は数える程しか居なかった。

 ペスカは今でこそ、アイドル的存在となっているが、幼い頃は容姿をからかわれたり、やっかまれる等の虐めを受けた事があった。そんなペスカを冬也は常に壁となり守ってきた。
 冬也にとってペスカが可愛い妹であると同時に、ペスカにとって冬也は頼れる大好きな兄であった。

 朝食が終わり、冬也はペスカの旅支度のチェックをする。旅支度と言っても用意してあるのは、リュック一つだけで、中には適当に着替えや下着、水や栄養食品が詰まってるだけであった。
 ペスカの旅支度を見て疑問を感じたのか、冬也はペスカに質問を投げかける。

「そう言えばお前、何処行くの? ちゃんと聞いてないよな」
「そう? 言ってなかったっけ?」

 冬也は、少し眉を吊り上げて質問を続ける。

「一人で旅行って訳じゃないよな? 誰と行くんだ? クラスの子か? それとも空ちゃんか? 男子は混じって無いだろうな!」
「お兄ちゃん、大丈夫だよ~」
「お前くらい可愛いと攫われちゃうんだぞ。気をつけなきゃいけないんだぞ」
「心配しないでも、大丈夫だって。私だって、お兄ちゃんと一緒に、パパリンから格闘技を教わってたんだから」

 冬也の問いを、笑顔で適当に流すペスカ。ペスカは、小さい頃から不思議な行動をする事が多い。そのため冬也は、ついペスカの行動が心配になる。しかし今回は別の何か。そう、胸騒ぎの様なものを感じていた。
 端的には、昨晩見た夢が脳裏から離れられないだけ。しかし決して蔑ろには出来ない、そんな予感めいた不思議な感覚である。

 荷物の確認が終わると、せめて駅まで見送ろうと、冬也は立ち上がった。ペスカと共に玄関までやって来た冬也は、念を押す様にペスカに注意する。

「気をつけるんだぞ。わかったな」
「わかってるって! 行こ、お兄ちゃん。駅まで送ってくれるんでしょ?」
「本当に大丈夫なのか? 兄ちゃんは、心配なんだぞ」

 不安に駆られる冬也と、あっけらかんとしたペスカ。玄関のノブに手をかける瞬間、ペスカからニヤリとした笑みが零れるのを、冬也は気が付かない。
 何も気が付かずに冬也は、玄関をゆっくりと開けた。

 玄関を開けると光に包まれ、ペスカと冬也を吸い込んでいく。
 光が消えると、そこは見知らぬ森の中だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

平凡令嬢は婚約者を完璧な妹に譲ることにした

カレイ
恋愛
 「平凡なお前ではなくカレンが姉だったらどんなに良かったか」  それが両親の口癖でした。  ええ、ええ、確かに私は容姿も学力も裁縫もダンスも全て人並み程度のただの凡人です。体は弱いが何でも器用にこなす美しい妹と比べるとその差は歴然。  ただ少しばかり先に生まれただけなのに、王太子の婚約者にもなってしまうし。彼も妹の方が良かったといつも嘆いております。  ですから私決めました!  王太子の婚約者という席を妹に譲ることを。  

復讐完遂者は吸収スキルを駆使して成り上がる 〜さあ、自分を裏切った初恋の相手へ復讐を始めよう〜

サイダーボウイ
ファンタジー
「気安く私の名前を呼ばないで! そうやってこれまでも私に付きまとって……ずっと鬱陶しかったのよ!」 孤児院出身のナードは、初恋の相手セシリアからそう吐き捨てられ、パーティーを追放されてしまう。 淡い恋心を粉々に打ち砕かれたナードは失意のどん底に。 だが、ナードには、病弱な妹ノエルの生活費を稼ぐために、冒険者を続けなければならないという理由があった。 1人決死の覚悟でダンジョンに挑むナード。 スライム相手に死にかけるも、その最中、ユニークスキル【アブソープション】が覚醒する。 それは、敵のLPを吸収できるという世界の掟すらも変えてしまうスキルだった。 それからナードは毎日ダンジョンへ入り、敵のLPを吸収し続けた。 増やしたLPを消費して、魔法やスキルを習得しつつ、ナードはどんどん強くなっていく。 一方その頃、セシリアのパーティーでは仲間割れが起こっていた。 冒険者ギルドでの評判も地に落ち、セシリアは徐々に追いつめられていくことに……。 これは、やがて勇者と呼ばれる青年が、チートスキルを駆使して最強へと成り上がり、自分を裏切った初恋の相手に復讐を果たすまでの物語である。

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

王女殿下は家出を計画中

ゆうゆう
ファンタジー
出来損ないと言われる第3王女様は家出して、自由を謳歌するために奮闘する 家出の計画を進めようとするうちに、過去に起きた様々な事の真実があきらかになったり、距離を置いていた家族との繋がりを再確認したりするうちに、自分の気持ちの変化にも気付いていく…

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

転生したおばあちゃんはチートが欲しい ~この世界が乙女ゲームなのは誰も知らない~

ピエール
ファンタジー
おばあちゃん。 異世界転生しちゃいました。 そういえば、孫が「転生するとチートが貰えるんだよ!」と言ってたけど チート無いみたいだけど? おばあちゃんよく分かんないわぁ。 頭は老人 体は子供 乙女ゲームの世界に紛れ込んだ おばあちゃん。 当然、おばあちゃんはここが乙女ゲームの世界だなんて知りません。 訳が分からないながら、一生懸命歩んで行きます。 おばあちゃん奮闘記です。 果たして、おばあちゃんは断罪イベントを回避できるか? [第1章おばあちゃん編]は文章が拙い為読みづらいかもしれません。 第二章 学園編 始まりました。 いよいよゲームスタートです! [1章]はおばあちゃんの語りと生い立ちが多く、あまり話に動きがありません。 話が動き出す[2章]から読んでも意味が分かると思います。 おばあちゃんの転生後の生活に興味が出てきたら一章を読んでみて下さい。(伏線がありますので) 初投稿です 不慣れですが宜しくお願いします。 最初の頃、不慣れで長文が書けませんでした。 申し訳ございません。 少しづつ修正して纏めていこうと思います。

その幼女、最強にして最恐なり~転生したら幼女な俺は異世界で生きてく~

たま(恥晒)
ファンタジー
※作者都合により打ち切りとさせて頂きました。新作12/1より!! 猫刄 紅羽 年齢:18 性別:男 身長:146cm 容姿:幼女 声変わり:まだ 利き手:左 死因:神のミス 神のミス(うっかり)で死んだ紅羽は、チートを携えてファンタジー世界に転生する事に。 しかしながら、またもや今度は違う神のミス(ミス?)で転生後は正真正銘の幼女(超絶可愛い ※見た目はほぼ変わってない)になる。 更に転生した世界は1度国々が発展し過ぎて滅んだ世界で!? そんな世界で紅羽はどう過ごして行くのか... 的な感じです。

大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです

飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。 だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。 勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し! そんなお話です。

処理中です...