410 / 415
二つの世界、それぞれの未来
407 希望の苗
しおりを挟む
社会見学の場所は徐々に、都内から地方へと移っていった。
一通りの農業体験を終えたブルが、社会見学班に合流。滅多に訪れない機会に、クラウスも参加する事になった。
見学場所が地方に移った理由は、求めれた場所が都内にはなかったからである。
農業体験を終えて、様々な農業の知識を得たブルは、農作物がどの様に商品へと変わるのか、興味を示した。
また、冬也の料理を始め、日本での食事を堪能したアルキエルは、調味料に関して多大な関心を示した。
こうして、二柱の意見が一致し、食品加工や調味料を作る工場の見学へと、移行していく。そして翔一は、バスを一台チャーターし、全員を乗せて各地を走り回った。
また翔一は、敢えて彼らに是非を問う為、二つのパターンを見せた。
一つは、大規模工場での大量生産。もう一つは、生産量は限られるが、昔ながらの方法での生産である。
多くの需要に応える為には、大量生産が必要となる。これは、ロイスマリアで需要が増加すれば、必然的に生まれる問題でもある。
いままでの見学で、機械を用いて生産を行う工場は見て来た。しかし食品加工の現場は、電化製品等とは異なる面も多い。如何にして工場が品質を管理し、生産を行っているのかを知る必要が有る。
昔ながらの方法での生産は、一つ一つ精魂込めて作り上げる、言わば職人の作業である。
知識だけでは成り立たない。培われて来た伝統や職人の経験が有ってこそ、物作りが完成を見る。
無論、味には明確な差が出る。
しかし、これから社会がどの様な道を進むか、どの様な生産方式が求められるのか、未知数である。故に、いずれにも対応出来る様に、準備する必要が有るだろう。
翔一はリクエストに応え、塩、醤油、味噌、砂糖、酒等、多くの工場に皆を連れて行った。
ブルは、大量生産の工場に、然程の興味を見せなかった。しかし、手作りでの生産には、大きな関心を寄せた。案内係へ、しつこい程に質問を投げ、一つ一つの工程を確認していく。
既に、大量生産の工場で、大まかな作業工程は理解している。しかし、大量生産と手作り生産の違いを、細かく問いただし、留意する点を確認していく。
例え、知識を得たとしても、実践するのは難しい。長年の経験に依って培った技術、それこそが職人の技なのだから。
しかし、ブルは実践する事を想定して、質問を重ねていた。特に、失敗談には、注意深く聞き耳を立てていた。
外見上子供。いや、神と言えども、未だ幼い子供である。その幼いブルの真剣さは、他の者達にも伝播していく。
二週間程度の僅かな期間で、彼らが体験した企業や工場は、百を下らない数に及んだ。その体験で得た知識が、今後ロイスマリアに持ち込まれる。
ロイスマリアに無い物が、地球には数限りなく存在する。彼らが見たのは、単に機械での作業効率化だけではない。社会の仕組み、企業の成り立ち、株式の仕組み、最先端の科学、その他諸々、得た知識は多い。
ロイスマリアで、導入するか否かは取捨選択すべきだろう。
それに、元々の文化が大きく異なる。地球のそれを、そのまま導入しても、効果を発揮しないケースもあるだろう。その場合、ロイスマリアに合わせた形へ、変化させる必要が有る。
その際に、今回の社会見学で得た知識は、大いに役立つ事だろう。
また、この社会見学の裏で、翔一とエリーの多大な尽力が有った事を、忘れてはならない。
見学先の検討、企業や工場との交渉、日程の調整、移動手段の確保、そして後半は運転までも自ら行った。
最後まで疲れた顔を一切見せずに、案内をした二人の功績が有ってこそ、貴重な知識を得る事が出来たのだ。
この日、一通りの見学を終えて、久しぶりの東郷邸へ戻った一同は、リビングに集まっていた。
「ブルさんは、報告書を書いてらっしゃるんですか?」
「違うんだな。それは、レイピアとソニアがやってるんだな。おでは、おでの覚書をまとめてるだけなんだな」
「真面目なんですね」
「違うんだな。せっかく翔一とエリーが、色んな事を見せてくれたから、ちゃんと記録しておかないと勿体ないんだな。翔一、エリー。本当にありがとうなんだな」
「いえ、仕事ですから」
そう言いつつも、翔一の顔には笑みが浮かんでいた。
翔一とエリーは、レイピア、ソニア、ゼル、クラウスからも、何度となく感謝の言葉を貰った。
感謝されれば嬉しいと感じる。同時に照れ臭く、仕事だとぼやかしてしまう。しかし顔にはちゃんと、嬉しさが滲み出る。
何よりの労いなのだろう。そして、金銭では味わえない、達成感なのだろう。
「ところで、ブルよぉ。お前の家庭菜園に植わってた、見慣れねぇ植物は何だ?」
「冬也が取り寄せたんだな。アルが我儘を言ったんだな」
「はぁ? なんだそりゃあ?」
「あれは、スパイスになるんだな。スパイスは、色んな料理に活かせるって言ってたんだな。アルが要求したカレエってやつも、スパイスで作れるって言ってたんだな」
「んで、その冬也は何処に行ったんだよ。また、いつもの親方って奴の所か?」
「アルは、聞いた傍から忘れるんだな。今日は、スパイスの調合を習いに行くって言ってたんだな」
「なるほどな。相変わらず、頑張ってるって事か。でもあの様子だと、大地の神ってより、飯の神になるな」
「おでは、両方だと思うんだな。冬也は、自分で言うほど馬鹿じゃないんだな。ちゃんと、必要な事を頑張るんだな。だから、おでも頑張らなきゃって思うんだな」
「ブル。そりゃあ、お互い様ってもんだぁ。傍から見りゃあ、お前らは互いに影響しあってるぜ」
「それは、アルもなんだな」
互いに影響し高めあえるなら、その関係性は健全なのだろう。そんな彼らが、周囲に良い影響を与え、広がっていく。
もしかすると正常な世界とは、そうやって作られるのかもしれない。
☆ ☆ ☆
東郷邸を出た空は、直ぐに再開された大学の講義で忙しい毎日を過ごしていた。
机上の学習だけでなく、実習が体験できるのは、医学を志す者にとって、非常に有意義である。
ただ、他の医学生達と空が異なるのは、潜り抜けて来た修羅場の数である。空は、ロイスマリアで死を目の当たりにして来た。
マナの扱いに長け、治療に関する魔法を直ぐに習得した空であったが、救えない命は沢山有った。それ故に、知識と経験を求めた。
恐らく今の空は、解剖自習で不快感を覚える事は無いだろう。
何故なら、腕どころか、両足まで失った兵士を多く見て来た。治療が不十分で死んでいく兵士を、嫌というほど見て来たのだから。
ただし、そんな経験をして来たからと言って、正確な治療が行える訳は無い。知識をどれだけ詰め込んでも、実務を通してでないと身に付かない物も有る。
日本では、臨床実習を重ね大学を卒業し、医師免許を取得した上に、二年以上の臨床研修を求められる。
義務付けられた課題をクリアすれば、自分で開業する事も可能である。しかし、経験が浅ければ、それだけ戸惑う事も多いだろう。
言わば戦力となるには、より多くの経験を重ねる必要が有る。医療の現場では、間違えたでは済まされないのだ。
それでも、医療ミスは無くならない。
それは、医者に掛かる負担が過大で有る事が、一因として上げられるだろう。求められるハードルが、異常な程に高いのだ。
制度上、医師が偏在化し易い現象も見受けられる。
また、過度な労働に見合った対価を得られない医師が存在する中で、倫理観の欠けた医師や団体等も存在する。
医者というだけで、偉いと勘違いする愚か者が、存在している事は事実であるのだ。
空の場合は、それらの欲に塗れた愚か者とは、掲げる目標が異なる。単なる医大生と比べ物にならない、遥か高い目標を掲げている。
それは、医療というものを、ロイスマリアに持ち込む事である。
医学は多岐の分野に渡る。
だが空の場合は、単に外科的知識だけ有っても、意味がないのだ。内科的知識は豊富だが、外科的知識に疎くても、また意味が無いと言えよう。
また薬学にも精通している必要が有る。精神や神経学についても、同様であろう。
では、先進医療は?
それが、ロイスマリアで導入される事は、相当先の未来であろう。しかし、知識を有しているのと、全く無いのでは、いざという時の対処方法が異なる。
多くの事を学び、身に付ける為には、一分一秒足りとも無駄にはしたくない。それが今の空である。
空は、大学の授業だけでなく、自己学習でより多くの知識を得ている。また、大学の教授を捉まえて、幾つもの疑問をぶつける機会も多い。
実際に医療現場で活躍する医者を紹介され、医療について学ぶ機会も少なくはない。
ただ、そう言った機会で、女性が欲望のはけ口になる事は、少なからず存在するだろう。
特に、容姿端麗でスタイルの良い空は、格好の的に違いあるまい。大和撫子然とした空が近付いてくれば、大抵の男は勘違いもするだろう。
しかし多くの場合は、空が持つ芯の強さを感じ、圧倒されるのだ。それでも、勘違いが治まらずに、手を出そうとした愚か者には、手痛いしっぺ返しが待っている。
「君、酒の席で酌も出来んのかね。いいから、こっちにきたまえ」
酒に付き合えば、医療現場について語ってやると豪語した、とあるベテランの医者がいた。彼は、酒の席で酌どころか、空の体を触り、夜の接待まで行わせようとした。
しかし、あっさりと空に切って捨てられた。
「あなたのしている事は、れっきとしたセクハラです。この店内に、監視カメラが幾つあるかご存じですか? それとあなたの発言は、ボイスレコーダーに記録させて頂きました。あなたが、私を脅して卑猥な事を要求したのは、録音されています」
「な、生意気な! そんな物が証拠になるか! そんな物、私は簡単に握りつぶせるのだぞ! 医師としての君の将来は、私にかかっているのだ! わかったなら、そのボイスレコーダーとやらを、渡したまえ!」
「あなたが、医師会で発言権が有るのは、存じ上げています。ですが、あなたが行ったセクハラは、消える事は有りません。あなたは、他の女性にも同じ事をしているのですか?」
「私に歯向かえば、君の将来がどうなるか、わかっているのか?」
「構いませんよ。私は、日本で医者になるのが目標ではありません。医学を学べるのなら、日本でなくても構いません」
「なっ! 君にも、その気が有ったのでは無いのか? だから、私の誘いに付いてきたのだろ?」
「何を勘違いなさっておいでですか? 私はあなたの経験談を拝聴出来ると思い、この場に来ました。それ以外に何が有るのです?」
「馬鹿な! 勘違いは、君の方じゃないのかね!」
「少なくとも、私をお誘い頂いた時、あなたは仰いましたよね? さて、なんと仰ったか、再生してみましょうか?」
医療の現場には、様々な問題が有る。それに対処しなければ、医療に明日は無い。君らの様な若い人を、育てるのは私らベテランの義務だ。だから、色んな事例を聞かせてあげよう。
ただ、私も多少は忙しい身でね、時間には限りが有るのだよ。明後日の夜、八時なら時間の都合が付く、申し訳ないが、指定の場所に来てくれないか?
ボイスレコーダーから流れて来たのは、間違いなくその男の声である。言い逃れも出来まい。そして空は、男を追い込む様に、言葉を続ける。
「大先輩から教えを乞う、貴重なお時間を頂戴したと、私は思っておりました。それ故、酔いつぶれない程度に、お酌をさせて頂いたつもりです。しかしあなたは、暴飲し酔った挙句に、セクハラ行為を行いました。あなたがどの様な形で、私の行く手を阻むのか、知りたくも有りません。ですが、私には警察の上層部に知り合いが居ます。現外務大臣とも既知であると、記憶しております。もしあなたが、私に戦いを挑むなら、正当な場で勝負をつけましょう。決して、あなたの汚い手で、隠蔽出来るとは思わない事ですね」
その後、そのベテランの医者は、医師免許をはく奪され、医療の現場から姿を消した。その医者を、空に紹介した大学教授も、お咎めを受けたのは間違いない。
「はぁ。相変わらず、残念な子だね。そんなの上手く躱して、煽てるだけ煽てて、美味しい所だけ貰えばいいじゃない」
「そんな器用な事は、ペスカちゃんじゃないと出来ないよ」
「はぁ。ほんと、空ちゃんは不器用というか、真っすぐというか。ある意味、お兄ちゃんとそっくりだね」
「そんなんじゃないよ。私は、冬也さんみたいに、立派じゃないし」
「謙遜が過ぎると嫌味になるって、ほんとだね。それで例の話は、どうするの?」
「応募したら、即採用されたよ。学生に頼る程、向こうは深刻って事なんだよね」
「そっか。まあ、採用の理由は、それだけじゃないと思うけど。でもそれなら、暫くは海外だね」
「私でも、力になれる事があるなら、何処にだって行くよ。不謹慎だけど、下心だってあるし」
「あのさ、経験が積めるって意味なら、下心って言わないと思うよ」
「ペスカちゃん。私、頑張るね。見送りは出来ないかもしれないけど」
「うん、応援してる」
ヨーロッパ、アフリカ、中東、南北アメリカ大陸では、未だに戦争の爪痕が酷く、治療を待っている患者が多い。圧倒的な医者不足に陥り、医師を求める声が絶えない。
通常、医者の海外派遣は、それなりの条件が存在する。しかし、通常とは異なる事態に、たとえ補助でも役立つならと、学生の参加が認められた。
ただし、役立たずの学生を何人派遣しても、足手纏いになるだけ。採用されるのは、一定以上の成績を残した者に限られ、採用時に簡単なテストと面接が行われる。
空は、そのいずれも簡単にパスし、採用となった。
「あのさ、空ちゃん。ゆっくりでいいよ。ちゃんと待ってるから、私もお兄ちゃんも」
「ありがとう」
この言葉を最後に、空とペスカは、十数年に渡って会う事は無かった。だが再び会う時、空は医療の神と呼ばれる事になる。
空はロイスマリアで、幾つもの奇跡を起こす。そして、ロイスマリアの医療技術を、大きく発展させる。その功績を称えられ、空の名を冠した医学の統括機関が設立される。
未だ小さな苗。だが、希望の苗である。
誰もが望んだ未来を手にする訳ではない。ただ、諦めなかった者には、必ずチャンスが訪れる。
誰もが、希望の苗を持っているのだから。いつか、花開く時を待っているのだから。
一通りの農業体験を終えたブルが、社会見学班に合流。滅多に訪れない機会に、クラウスも参加する事になった。
見学場所が地方に移った理由は、求めれた場所が都内にはなかったからである。
農業体験を終えて、様々な農業の知識を得たブルは、農作物がどの様に商品へと変わるのか、興味を示した。
また、冬也の料理を始め、日本での食事を堪能したアルキエルは、調味料に関して多大な関心を示した。
こうして、二柱の意見が一致し、食品加工や調味料を作る工場の見学へと、移行していく。そして翔一は、バスを一台チャーターし、全員を乗せて各地を走り回った。
また翔一は、敢えて彼らに是非を問う為、二つのパターンを見せた。
一つは、大規模工場での大量生産。もう一つは、生産量は限られるが、昔ながらの方法での生産である。
多くの需要に応える為には、大量生産が必要となる。これは、ロイスマリアで需要が増加すれば、必然的に生まれる問題でもある。
いままでの見学で、機械を用いて生産を行う工場は見て来た。しかし食品加工の現場は、電化製品等とは異なる面も多い。如何にして工場が品質を管理し、生産を行っているのかを知る必要が有る。
昔ながらの方法での生産は、一つ一つ精魂込めて作り上げる、言わば職人の作業である。
知識だけでは成り立たない。培われて来た伝統や職人の経験が有ってこそ、物作りが完成を見る。
無論、味には明確な差が出る。
しかし、これから社会がどの様な道を進むか、どの様な生産方式が求められるのか、未知数である。故に、いずれにも対応出来る様に、準備する必要が有るだろう。
翔一はリクエストに応え、塩、醤油、味噌、砂糖、酒等、多くの工場に皆を連れて行った。
ブルは、大量生産の工場に、然程の興味を見せなかった。しかし、手作りでの生産には、大きな関心を寄せた。案内係へ、しつこい程に質問を投げ、一つ一つの工程を確認していく。
既に、大量生産の工場で、大まかな作業工程は理解している。しかし、大量生産と手作り生産の違いを、細かく問いただし、留意する点を確認していく。
例え、知識を得たとしても、実践するのは難しい。長年の経験に依って培った技術、それこそが職人の技なのだから。
しかし、ブルは実践する事を想定して、質問を重ねていた。特に、失敗談には、注意深く聞き耳を立てていた。
外見上子供。いや、神と言えども、未だ幼い子供である。その幼いブルの真剣さは、他の者達にも伝播していく。
二週間程度の僅かな期間で、彼らが体験した企業や工場は、百を下らない数に及んだ。その体験で得た知識が、今後ロイスマリアに持ち込まれる。
ロイスマリアに無い物が、地球には数限りなく存在する。彼らが見たのは、単に機械での作業効率化だけではない。社会の仕組み、企業の成り立ち、株式の仕組み、最先端の科学、その他諸々、得た知識は多い。
ロイスマリアで、導入するか否かは取捨選択すべきだろう。
それに、元々の文化が大きく異なる。地球のそれを、そのまま導入しても、効果を発揮しないケースもあるだろう。その場合、ロイスマリアに合わせた形へ、変化させる必要が有る。
その際に、今回の社会見学で得た知識は、大いに役立つ事だろう。
また、この社会見学の裏で、翔一とエリーの多大な尽力が有った事を、忘れてはならない。
見学先の検討、企業や工場との交渉、日程の調整、移動手段の確保、そして後半は運転までも自ら行った。
最後まで疲れた顔を一切見せずに、案内をした二人の功績が有ってこそ、貴重な知識を得る事が出来たのだ。
この日、一通りの見学を終えて、久しぶりの東郷邸へ戻った一同は、リビングに集まっていた。
「ブルさんは、報告書を書いてらっしゃるんですか?」
「違うんだな。それは、レイピアとソニアがやってるんだな。おでは、おでの覚書をまとめてるだけなんだな」
「真面目なんですね」
「違うんだな。せっかく翔一とエリーが、色んな事を見せてくれたから、ちゃんと記録しておかないと勿体ないんだな。翔一、エリー。本当にありがとうなんだな」
「いえ、仕事ですから」
そう言いつつも、翔一の顔には笑みが浮かんでいた。
翔一とエリーは、レイピア、ソニア、ゼル、クラウスからも、何度となく感謝の言葉を貰った。
感謝されれば嬉しいと感じる。同時に照れ臭く、仕事だとぼやかしてしまう。しかし顔にはちゃんと、嬉しさが滲み出る。
何よりの労いなのだろう。そして、金銭では味わえない、達成感なのだろう。
「ところで、ブルよぉ。お前の家庭菜園に植わってた、見慣れねぇ植物は何だ?」
「冬也が取り寄せたんだな。アルが我儘を言ったんだな」
「はぁ? なんだそりゃあ?」
「あれは、スパイスになるんだな。スパイスは、色んな料理に活かせるって言ってたんだな。アルが要求したカレエってやつも、スパイスで作れるって言ってたんだな」
「んで、その冬也は何処に行ったんだよ。また、いつもの親方って奴の所か?」
「アルは、聞いた傍から忘れるんだな。今日は、スパイスの調合を習いに行くって言ってたんだな」
「なるほどな。相変わらず、頑張ってるって事か。でもあの様子だと、大地の神ってより、飯の神になるな」
「おでは、両方だと思うんだな。冬也は、自分で言うほど馬鹿じゃないんだな。ちゃんと、必要な事を頑張るんだな。だから、おでも頑張らなきゃって思うんだな」
「ブル。そりゃあ、お互い様ってもんだぁ。傍から見りゃあ、お前らは互いに影響しあってるぜ」
「それは、アルもなんだな」
互いに影響し高めあえるなら、その関係性は健全なのだろう。そんな彼らが、周囲に良い影響を与え、広がっていく。
もしかすると正常な世界とは、そうやって作られるのかもしれない。
☆ ☆ ☆
東郷邸を出た空は、直ぐに再開された大学の講義で忙しい毎日を過ごしていた。
机上の学習だけでなく、実習が体験できるのは、医学を志す者にとって、非常に有意義である。
ただ、他の医学生達と空が異なるのは、潜り抜けて来た修羅場の数である。空は、ロイスマリアで死を目の当たりにして来た。
マナの扱いに長け、治療に関する魔法を直ぐに習得した空であったが、救えない命は沢山有った。それ故に、知識と経験を求めた。
恐らく今の空は、解剖自習で不快感を覚える事は無いだろう。
何故なら、腕どころか、両足まで失った兵士を多く見て来た。治療が不十分で死んでいく兵士を、嫌というほど見て来たのだから。
ただし、そんな経験をして来たからと言って、正確な治療が行える訳は無い。知識をどれだけ詰め込んでも、実務を通してでないと身に付かない物も有る。
日本では、臨床実習を重ね大学を卒業し、医師免許を取得した上に、二年以上の臨床研修を求められる。
義務付けられた課題をクリアすれば、自分で開業する事も可能である。しかし、経験が浅ければ、それだけ戸惑う事も多いだろう。
言わば戦力となるには、より多くの経験を重ねる必要が有る。医療の現場では、間違えたでは済まされないのだ。
それでも、医療ミスは無くならない。
それは、医者に掛かる負担が過大で有る事が、一因として上げられるだろう。求められるハードルが、異常な程に高いのだ。
制度上、医師が偏在化し易い現象も見受けられる。
また、過度な労働に見合った対価を得られない医師が存在する中で、倫理観の欠けた医師や団体等も存在する。
医者というだけで、偉いと勘違いする愚か者が、存在している事は事実であるのだ。
空の場合は、それらの欲に塗れた愚か者とは、掲げる目標が異なる。単なる医大生と比べ物にならない、遥か高い目標を掲げている。
それは、医療というものを、ロイスマリアに持ち込む事である。
医学は多岐の分野に渡る。
だが空の場合は、単に外科的知識だけ有っても、意味がないのだ。内科的知識は豊富だが、外科的知識に疎くても、また意味が無いと言えよう。
また薬学にも精通している必要が有る。精神や神経学についても、同様であろう。
では、先進医療は?
それが、ロイスマリアで導入される事は、相当先の未来であろう。しかし、知識を有しているのと、全く無いのでは、いざという時の対処方法が異なる。
多くの事を学び、身に付ける為には、一分一秒足りとも無駄にはしたくない。それが今の空である。
空は、大学の授業だけでなく、自己学習でより多くの知識を得ている。また、大学の教授を捉まえて、幾つもの疑問をぶつける機会も多い。
実際に医療現場で活躍する医者を紹介され、医療について学ぶ機会も少なくはない。
ただ、そう言った機会で、女性が欲望のはけ口になる事は、少なからず存在するだろう。
特に、容姿端麗でスタイルの良い空は、格好の的に違いあるまい。大和撫子然とした空が近付いてくれば、大抵の男は勘違いもするだろう。
しかし多くの場合は、空が持つ芯の強さを感じ、圧倒されるのだ。それでも、勘違いが治まらずに、手を出そうとした愚か者には、手痛いしっぺ返しが待っている。
「君、酒の席で酌も出来んのかね。いいから、こっちにきたまえ」
酒に付き合えば、医療現場について語ってやると豪語した、とあるベテランの医者がいた。彼は、酒の席で酌どころか、空の体を触り、夜の接待まで行わせようとした。
しかし、あっさりと空に切って捨てられた。
「あなたのしている事は、れっきとしたセクハラです。この店内に、監視カメラが幾つあるかご存じですか? それとあなたの発言は、ボイスレコーダーに記録させて頂きました。あなたが、私を脅して卑猥な事を要求したのは、録音されています」
「な、生意気な! そんな物が証拠になるか! そんな物、私は簡単に握りつぶせるのだぞ! 医師としての君の将来は、私にかかっているのだ! わかったなら、そのボイスレコーダーとやらを、渡したまえ!」
「あなたが、医師会で発言権が有るのは、存じ上げています。ですが、あなたが行ったセクハラは、消える事は有りません。あなたは、他の女性にも同じ事をしているのですか?」
「私に歯向かえば、君の将来がどうなるか、わかっているのか?」
「構いませんよ。私は、日本で医者になるのが目標ではありません。医学を学べるのなら、日本でなくても構いません」
「なっ! 君にも、その気が有ったのでは無いのか? だから、私の誘いに付いてきたのだろ?」
「何を勘違いなさっておいでですか? 私はあなたの経験談を拝聴出来ると思い、この場に来ました。それ以外に何が有るのです?」
「馬鹿な! 勘違いは、君の方じゃないのかね!」
「少なくとも、私をお誘い頂いた時、あなたは仰いましたよね? さて、なんと仰ったか、再生してみましょうか?」
医療の現場には、様々な問題が有る。それに対処しなければ、医療に明日は無い。君らの様な若い人を、育てるのは私らベテランの義務だ。だから、色んな事例を聞かせてあげよう。
ただ、私も多少は忙しい身でね、時間には限りが有るのだよ。明後日の夜、八時なら時間の都合が付く、申し訳ないが、指定の場所に来てくれないか?
ボイスレコーダーから流れて来たのは、間違いなくその男の声である。言い逃れも出来まい。そして空は、男を追い込む様に、言葉を続ける。
「大先輩から教えを乞う、貴重なお時間を頂戴したと、私は思っておりました。それ故、酔いつぶれない程度に、お酌をさせて頂いたつもりです。しかしあなたは、暴飲し酔った挙句に、セクハラ行為を行いました。あなたがどの様な形で、私の行く手を阻むのか、知りたくも有りません。ですが、私には警察の上層部に知り合いが居ます。現外務大臣とも既知であると、記憶しております。もしあなたが、私に戦いを挑むなら、正当な場で勝負をつけましょう。決して、あなたの汚い手で、隠蔽出来るとは思わない事ですね」
その後、そのベテランの医者は、医師免許をはく奪され、医療の現場から姿を消した。その医者を、空に紹介した大学教授も、お咎めを受けたのは間違いない。
「はぁ。相変わらず、残念な子だね。そんなの上手く躱して、煽てるだけ煽てて、美味しい所だけ貰えばいいじゃない」
「そんな器用な事は、ペスカちゃんじゃないと出来ないよ」
「はぁ。ほんと、空ちゃんは不器用というか、真っすぐというか。ある意味、お兄ちゃんとそっくりだね」
「そんなんじゃないよ。私は、冬也さんみたいに、立派じゃないし」
「謙遜が過ぎると嫌味になるって、ほんとだね。それで例の話は、どうするの?」
「応募したら、即採用されたよ。学生に頼る程、向こうは深刻って事なんだよね」
「そっか。まあ、採用の理由は、それだけじゃないと思うけど。でもそれなら、暫くは海外だね」
「私でも、力になれる事があるなら、何処にだって行くよ。不謹慎だけど、下心だってあるし」
「あのさ、経験が積めるって意味なら、下心って言わないと思うよ」
「ペスカちゃん。私、頑張るね。見送りは出来ないかもしれないけど」
「うん、応援してる」
ヨーロッパ、アフリカ、中東、南北アメリカ大陸では、未だに戦争の爪痕が酷く、治療を待っている患者が多い。圧倒的な医者不足に陥り、医師を求める声が絶えない。
通常、医者の海外派遣は、それなりの条件が存在する。しかし、通常とは異なる事態に、たとえ補助でも役立つならと、学生の参加が認められた。
ただし、役立たずの学生を何人派遣しても、足手纏いになるだけ。採用されるのは、一定以上の成績を残した者に限られ、採用時に簡単なテストと面接が行われる。
空は、そのいずれも簡単にパスし、採用となった。
「あのさ、空ちゃん。ゆっくりでいいよ。ちゃんと待ってるから、私もお兄ちゃんも」
「ありがとう」
この言葉を最後に、空とペスカは、十数年に渡って会う事は無かった。だが再び会う時、空は医療の神と呼ばれる事になる。
空はロイスマリアで、幾つもの奇跡を起こす。そして、ロイスマリアの医療技術を、大きく発展させる。その功績を称えられ、空の名を冠した医学の統括機関が設立される。
未だ小さな苗。だが、希望の苗である。
誰もが望んだ未来を手にする訳ではない。ただ、諦めなかった者には、必ずチャンスが訪れる。
誰もが、希望の苗を持っているのだから。いつか、花開く時を待っているのだから。
0
お気に入りに追加
360
あなたにおすすめの小説
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
転生したら脳筋魔法使い男爵の子供だった。見渡す限り荒野の領地でスローライフを目指します。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作。面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
辺境も辺境、水一滴手に入れるのも大変なマクネイア男爵家生まれた待望の男子には、誰にも言えない秘密があった。それは前世の記憶がある事だった。姉四人に続いてようやく生まれた嫡男フェルディナンドは、この世界の常識だった『魔法の才能は遺伝しない』を覆す存在だった。だが、五〇年戦争で大活躍したマクネイア男爵インマヌエルは、敵対していた旧教徒から怨敵扱いされ、味方だった新教徒達からも畏れられ、炎竜が砂漠にしてしまったと言う伝説がある地に押し込められたいた。そんな父親達を救うべく、前世の知識と魔法を駆使するのだった。
アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
明治サブ🍆スニーカー大賞【金賞】受賞作家
ファンタジー
※大・大・大どんでん返し回まで投稿済です!!
『第1回 次世代ファンタジーカップ ~最強「進化系ざまぁ」決定戦!』投稿作品。
無限収納機能を持つ『マジックバッグ』が巷にあふれる街で、収納魔法【アイテムボックス】しか使えない主人公・クリスは冒険者たちから無能扱いされ続け、ついに100パーティー目から追放されてしまう。
破れかぶれになって単騎で魔物討伐に向かい、あわや死にかけたところに謎の美しき旅の魔女が現れ、クリスに告げる。
「【アイテムボックス】は最強の魔法なんだよ。儂が使い方を教えてやろう」
【アイテムボックス】で魔物の首を、家屋を、オークの集落を丸ごと収納!? 【アイテムボックス】で道を作り、川を作り、街を作る!? ただの収納魔法と侮るなかれ。知覚できるものなら疫病だろうが敵の軍勢だろうが何だって除去する超能力! 主人公・クリスの成り上がりと「進化系ざまぁ」展開、そして最後に待ち受ける極上のどんでん返しを、とくとご覧あれ! 随所に散りばめられた大小さまざまな伏線を、あなたは見抜けるか!?
称号は神を土下座させた男。
春志乃
ファンタジー
「真尋くん! その人、そんなんだけど一応神様だよ! 偉い人なんだよ!」
「知るか。俺は常識を持ち合わせないクズにかける慈悲を持ち合わせてない。それにどうやら俺は死んだらしいのだから、刑務所も警察も法も無い。今ここでこいつを殺そうが生かそうが俺の自由だ。あいつが居ないなら地獄に落ちても同じだ。なあ、そうだろう? ティーンクトゥス」
「す、す、す、す、す、すみませんでしたあぁあああああああ!」
これは、馬鹿だけど憎み切れない神様ティーンクトゥスの為に剣と魔法、そして魔獣たちの息づくアーテル王国でチートが過ぎる男子高校生・水無月真尋が無自覚チートの親友・鈴木一路と共に神様の為と言いながら好き勝手に生きていく物語。
主人公は一途に幼馴染(女性)を想い続けます。話はゆっくり進んでいきます。
※教会、神父、などが出てきますが実在するものとは一切関係ありません。
※対応できない可能性がありますので、誤字脱字報告は不要です。
※無断転載は厳に禁じます
毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。
克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。
転生したら死んだことにされました〜女神の使徒なんて聞いてないよ!〜
家具屋ふふみに
ファンタジー
大学生として普通の生活を送っていた望水 静香はある日、信号無視したトラックに轢かれてそうになっていた女性を助けたことで死んでしまった。が、なんか助けた人は神だったらしく、異世界転生することに。
そして、転生したら...「女には荷が重い」という父親の一言で死んだことにされました。なので、自由に生きさせてください...なのに職業が女神の使徒?!そんなの聞いてないよ?!
しっかりしているように見えてたまにミスをする女神から面倒なことを度々押し付けられ、それを与えられた力でなんとか解決していくけど、次から次に問題が起きたり、なにか不穏な動きがあったり...?
ローブ男たちの目的とは?そして、その黒幕とは一体...?
不定期なので、楽しみにお待ち頂ければ嬉しいです。
拙い文章なので、誤字脱字がありましたらすいません。報告して頂ければその都度訂正させていただきます。
小説家になろう様でも公開しております。
地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる