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二つの世界、それぞれの未来
404 神の試合
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東郷邸の地下は、訓練所になっている。
まだ日の登らぬ時間から、汗を流すのが冬也の日課である。戦争が終わってからほぼ毎日の様に、早朝の訓練を終えて皆の朝食を作ると、冬也は出かけてしまう。
そんな冬也と、拳を交える時間は、限られている。アルキエルが、冬也の早朝訓練に付き合うのは、当然とも言えるだろう。
ただ、冬也の早朝訓練に付き合うのは、アルキエルだけではない。ブルもまた、訓練に付き合った後、家庭菜園の世話を行うのだ。
そうなれば、レイピア、ソニア、ゼルの三名が、勇んで参加するのも、ごく自然な光景だと言える。
冬也の訓練は、型の稽古から始まる。
冬也が行う型は、空手や他の格闘技の型とは完全に異なる。様々な格闘技を学んだ遼太郎が、独自に編み出した型に、冬也が改良を加えている。
通常、格闘技の型には、動きの基礎が多分に含まれる。故に、型の稽古だけを行っても、他者を相手に組手をしなければ、強くはなれない。
冬也の行う型は、通常格闘技で用いられる型とは異なる。動きの基礎よりも、相手を制する事、相手の攻撃を防ぐ事、大きくこの二つを重視した型となっている。
端的に言えば、型通りの動きをするだけで、相手を殺す事は造作もない。
例えば現代の剣道では、面、小手、胴の部位に、適切な形で竹刀を当てれば、有効打と認められる。これを気剣体の一致と言い、剣道で重視される精神の一つである。
逆に、どんな事をしても勝つ等、清廉な精神が伴わない行為は、反則と見なされる。意味もなく長い鍔迫り合い、相手の竹刀を掴んで止める、足を引掛ける等の行為は、その典型とも言えよう。
他にも、武道で多く用いられる言葉の中に、心技体というものがある。即ち、技を磨く事だけでなく、精神と身体を鍛えるのが、武道の目的となっている。
戦が無くなった江戸時代で、殺す事から鍛える事に目的が変化した様に、現代の武道は鍛練の意味合いが強い。
また、ボクシングや総合格闘技での金的を禁じる様に、武道でなくとも反則行為は存在する。技を競う為に行われるスポーツとして、ルールを定めるのは至極当然の事だろう。
しかし冬也が行うのは、スポーツとは異なり、相手を制する若しくは殺す事を目的としている。それが、遼太郎が生み出し、冬也が改良を加えた訓練方法なのである。
モンスターが平然と闊歩する中、己の身一つで生き抜かねばならない世界に、冬也は向かう事を定められていた。そんな訓練方法も仕方ないと言えよう。
ただし、いとも簡単に身体を破壊する技術を持った冬也が、いたずらに他者を嬲り、また殺める事が有っただろうか。
少なくとも冬也は、己の欲を満たす為だけに、拳を振るう事はない。
例え、殺める事を目的に作られた兵器であっても、使う側次第で結果は変わる。それと同じ事だ。
戦いを嫌うブルが、型の稽古だけに参加するのも、それが大きな要因となっている。
ブルは幼くして、過酷な戦いに身を投じて来た。持って生まれた腕力だけでは、大切な仲間を守れない事は、嫌という程に体験してきた。
だからこそ、冬也に習い技術を身に着けた。大切な仲間を守る為、自分と共に笑顔で働く者達を守る為に。
ブルは決して武に生きる者ではない。
しかし幼くして才能を開花させた、天才だと言えよう。ミューモをして、傷つける事が至難の業だと、言わしめる程に。
そんなブルを見て、同じ場で訓練をしているアルキエルが、興味を持たないはずがない。
そしてこの日は、ブルにとって、非常にタイミングが悪かった。
連日に渡って行われて来た社会見学に、アルキエルが飽きて来た。だからといって、冬也は多忙であり、相手になってくれる時間が少ない。
稽古相手と言えば、レイピア達である。エレナやモーリス達を通して、育てる喜びをアルキエルは知った。しかし、それだけでは物足りなさが残る。
そんな時に、アルキエルが目をつけたのは、成長著しいブルであった。
それは丁度、型の訓練が終わり、ブルが家庭菜園に向かおうとした時に起こった。
「ブル、もう少し付き合え」
「嫌なんだな」
ここまでなら、いつもの会話であり、アルキエルも素直に引き下がる。しかし、この日は頑として引かなかった。
「いいから付き合え」
「アルは、痛くするから嫌なんだな」
出来るだけ対等に近い相手と勝負がしたいアルキエル。戦う事を嫌い、組手を避けたがるブル。両者の意見が交わる事は無い。
だが冬也の一言で、状況は一変した。
「わりぃなブル。たまには、相手をしてやってくれ。神気は使わない。有効打が入ったら、そこで勝負あり。それでどうだ?」
「俺はそれで、構わねぇ」
「仕方ないんだな」
冬也が頭を下げるなら、断る訳にはいかない。ブルは、渋々といった表情で頷いた。
ただし、勝負といっても、アルキエルとブルでは対格差が違い過ぎる。誰が見ても、幼児と同じ体格のブルを、不利だと感じるだろう。
「冬也様。不躾ではございますが、ブル様は幼く。せめて、元の姿に」
「大丈夫だレイピア。お前らは、黙って見てろ。ブルの戦い方は、お前らにも参考になるはずだ」
ブルの事を思って口にしたレイピアの言葉を、冬也は遮る様に言い放つ。
レイピア達は、知らないのだ。
先の大会には、冬也とアルキエルだけでなく、眷属までが出場を禁じられた。眷属と言っても、スールとミューモの様に、元がエンシェントドラゴンであれば、他の種族との力の差は歴然であろう。
だがブルは、ただの巨人族で有り、まだ幼い。それにも拘わらず出場を禁じられた。
何も女神ミュールは、一律に冬也の眷属達の出場を禁じた訳ではない。そして、その理由は直ぐに明らかになる。
アルキエルとブルは、向き合って互いに構える。一見する限りでは、アルキエルの迫力に、小さな体のブルが吹き飛ばされそうにも感じる。
しかし、床をしっかりと踏みしめて、ゆったりと構えている。
構えが冬也と似ているのは、冬也に習っているからだろう。よく目を凝らせば、冬也が構えた時の迫力と比べても、何ら見劣りしない。
「痛い事したら、倍にして返すんだな」
「望むところだぁ、ブルぅ! てめぇの本気を見せてみろやぁ!」
声を荒げるも、アルキエルは冷静である。
暫く両者は動かず、睨みあったままの状態が続く。流石のアルキエルも、ブルを警戒しているのだろう。
そして最初に動いたのは、アルキエルであった。
ブルは眷属の中でも、動きの速度は一番遅い。自分の速さについて来れないと踏んだアルキエルは、一瞬でブルの後方に回り込むと、勢いよく拳を振り下ろした。
ブルは、アルキエルの動きを目で追えていない。冬也以外の者は、これで勝負が決まったと確信した。
しかし、振り下ろされたアルキエルの拳を、ブルは後方を見る事なく両手で掴む。そして勢いを利用し、背負い投げの要領で、床に叩きつける様に投げた。
小さい体になっても、持ち前の腕力は健在である。アルキエルは、掴まれた腕を解けない。だが、そのまま床に叩きつけられるアルキエルではない。もう片方の腕でブルの頭を掴むと、そこを支点に強引に体を捩じって着地する。
アルキエルが着地した瞬間を狙って、ブルは低い姿勢から、重心を崩す様に足払いを行う。アルキエルは着地の瞬間、素早く後方に飛んでブルの足払いを避ける。
しかし、その動きにブルが追いすがる。まだ着地出来ず、空中にいるアルキエルに、ブルは跳躍しながら拳を振るう。
ブルが放つ渾身の一撃を、踏ん張りの利かない空中で、耐えきる事は出来ない。アルキエルは、ブルの拳を受け止めるも、そのまま吹き飛ばされた。
勢いよく飛ばされ壁に激突するかと思われた瞬間に、アルキエルは空中で体勢を立て直して激突を防ぐ。流石のアルキエルも、吹き飛ばされた勢いそのまま壁にぶつかれば、多少のダメージを受けただろう。
「見たか、お前等。後の先ってのは、なにも応じ技だけじゃねぇんだ。真髄は先の先と同じ、相手の隙を作る事に有る。勿論、応じ技だけで勝負がつけば、それに越した事はねぇ。だけど攻撃を捌く事で、相手の体制や攻撃リズムなんかを崩す事が出来る、それが大きな隙になる。後は、自分が戦い易い状態で、勝負を決めればいい。流石に今の攻防は、アルキエルが一枚上手だったがな」
アルキエルの攻撃を利用し、投げ技を繰り出す。更に足技で体勢を崩す。そこに生まれた隙を狙い、渾身の一撃を放つ。しかし、アルキエルは後方に飛びながらも、着地し易い様に上手く衝撃を外に逃がした。
一瞬の攻防で、これだけの事をやってのけだのだ。両者共に見事としか言いようがない。
「しかしわかりません。ブル様は、アルキエル様の初動が見えていなかったはず。しかも、死角からの攻撃を受け止めずに利用した」
「レイピア、視線だよ。ブルは、視線や僅かな体の動きで、アルキエルの攻撃を予想したんだ」
「ですが、アルキエル様が攻撃方法を変えたとしたら?」
「いいや、しねぇよ。それが絶対強者故の弱点だ」
総合的な実力であれば、冬也よりアルキエルの方が数段上回っている。技術、神気、全てにおいてアルキエルに劣る冬也が、常に勝ち続けるのは、挑戦者故の工夫に因る所が大きい。
対してアルキエルは、誰よりも強く、圧倒的な力で勝利を重ねて来た。それが体に染み込んでいる。故に、回避不可能な一撃で相手を沈める。
それさえ理解していれば、躱す事は出来る。これから腹を力いっぱい殴ると、宣言しているようなものだ。ただし、アルキエルの速度について行ければの話だが。
もし、アルキエルの攻撃に対応出来る力が有れば、それは大きな弱点となる。現に、ロメリアから致命的な一撃を受けている。
「見てろ。面白れぇのは、これからだ」
冬也の言葉通りであった。
壁に着地した後、床に降りて体勢を立て直したアルキエルの瞳は、試合前のそれとは明らかに違った。ブルを格下ではなく、同等若しくはそれ以上だと判断したのだ。
「面白れぇな。いいぜブル、楽しくなって来やがった」
「今更、本気を出しても、遅いんだな」
冬也が敢えてブルに頭を下げたのは、この試合を通して、アルキエルの成長を望んだからである。
自分より弱いと判断すれば、自ずと弱点は露呈する。
冬也は、初めて対峙した時から、アルキエルに勝利している。言わば、アルキエルにとって、最大の強者は冬也なのだ。
冬也との手合わせでは、アルキエルとて工夫を重ねる。ただ、冬也の工夫が上回るだけ。冬也と幾ら手合わせしても、その弱点を体で理解させる事は出来ない。
声を荒げた後、飛び出したアルキエルのスピードは、最初の攻撃よりも数段早い。最初の攻撃は、レイピア達でも目で追う事が出来た。しかし、今のアルキエルのスピードは、レイピア達では目で追う事は出来ない。
それは当然、ブルもである。
アルキエルは、死角に回り込むと、敢えて殺気を放つ。ブルが、それに反応する事を見越して。そして、すかさず殺気を消し、ブルの死角からも姿を消す。
視界ではなく、気配を頼るしかないブルは、振り向かざるを得ない。その瞬間、背後に回ったアルキエルの拳が、ブルに降り注ぐ。
だがその拳は、ブルの手のひらで往なされ、床へと一直線に進む。完全に体勢が崩れたアルキエルに、ブルの拳が再び襲う。しかし、床に向かった拳の勢いを利用して、アルキエルが体を回転させ、ブルの拳を躱しつつ、踵落としを放つ。
ブルは、踵落としを避ける様に、後方へ下がり間合いを取る。しかしそれは、悪手だと言えよう。対格差が違うなら、リーチも異なるはずである。
遠間から攻撃出来るアルキエルに対し、ブルは近間でしか勝負が出来ない。
この瞬間、互角とも思えた攻防は、アルキエルに形勢が傾く。拳や蹴りだけでなく、アルキエルは素早い動きで翻弄する。そして、ブルに考える暇を与えない、連続攻撃を続ける。
四方八方から飛んでくるアルキエルの攻撃を、躱し続けるブルは流石だと言える。しかし、反撃する機会は見つからない。仮に僅かな隙が有ったとしても、ブルではそれを突く事は出来ない。それ程に、アルキエルの攻撃は、止まる事無く続けられた。
ただしブルは、そんな事で屈しない。反撃の糸口を見つける為、ギリギリで攻撃を躱し続ける。
攻勢に転じながらも、決定的な一撃を繰り出せないアルキエル。防御だけに止まり、反撃の機会を見いだせないブル。試合が膠着状態に入り、一時間が経過しようとしていた。
その時、地下への扉が開き、階段を下りてくる音が聞こえた。
「あんた達、いつまでやってんの? お兄ちゃんも早く出かけないと、もう時間だよ!」
涼やかな声が響き渡り、アルキエルとブルは動きを止める。そして、冬也は慌てた様に立ち上がる。
「わりぃ、みんな。朝飯を作ってる時間がなさそうだ。ペスカ、後は頼む」
「無理だよ、私も出掛ける時間だもん。朝ごはん抜きになっちゃったよ」
「悪かった、明日は気を付ける。みんな、朝飯は誰かに頼んでくれ。じゃあな」
冬也は、取る物も取り敢えず、訓練着のまま家から出る。その後に続く様に、ペスカも外出する。
水を差された形になり、試合は中止、そのまま訓練はお開きとなった。
「仕方ねぇ、勝負はまたにするか」
「もう、嫌なんだな」
「はぁ? ふざけんじゃねぇぞ、ブル!」
「アルは、そろそろ学習するんだな。おではアルに勝てないけど、アルもおでに勝てない。疲れるだけなんだな」
「言ってくれるじゃねぇかよ。ならもう一度勝負して、決着つけようじゃねぇか」
「だから、嫌だって言ってるんだな。おでは、作物の世話が有るんだな。忙しいんだな」
「おい、こらぁ! ブル! 待ちやがれ! ブル!」
「うるさくしたら、近所迷惑なんだな。ゲームなら、相手をしてやるんだな」
「それじゃ、勝負にならねぇだろうが!」
「アルは、直ぐに熱くなるから負けるんだな。弱っちいんだな」
余程、ブルとの試合が楽しかったのだろう。家庭菜園に向かうブルを、アルキエルは執拗に追いかける。
そして、取り残されたレイピア達は、圧倒されたまま暫く動く事は出来なかった。
ただ、彼らは知らない。
いつもなら冬也は、朝食の準備をしてから出掛ける。その冬也が出発時間のギリギリまで、地下の訓練所に居た。
では、誰が朝食の準備をしているのか。それは、気が回る翔一である。
しかし、如何に器用な翔一でも、料理は不慣れである。たどたどしい手付きで作られた料理は、冬也のとは比べるまでもない。
「おい、翔一。昼は、少しマシな飯を食うぞ」
「そうだね。ごめん、みんな」
アルキエルに、翔一を責める気持ちは全く無い。苦い顔で食べ進めているが、皆も同様である。
そして、珍しく全員が一緒に行動する事になった社会見学ツアーで、昼食が豪華になったのは言うまでもない。
まだ日の登らぬ時間から、汗を流すのが冬也の日課である。戦争が終わってからほぼ毎日の様に、早朝の訓練を終えて皆の朝食を作ると、冬也は出かけてしまう。
そんな冬也と、拳を交える時間は、限られている。アルキエルが、冬也の早朝訓練に付き合うのは、当然とも言えるだろう。
ただ、冬也の早朝訓練に付き合うのは、アルキエルだけではない。ブルもまた、訓練に付き合った後、家庭菜園の世話を行うのだ。
そうなれば、レイピア、ソニア、ゼルの三名が、勇んで参加するのも、ごく自然な光景だと言える。
冬也の訓練は、型の稽古から始まる。
冬也が行う型は、空手や他の格闘技の型とは完全に異なる。様々な格闘技を学んだ遼太郎が、独自に編み出した型に、冬也が改良を加えている。
通常、格闘技の型には、動きの基礎が多分に含まれる。故に、型の稽古だけを行っても、他者を相手に組手をしなければ、強くはなれない。
冬也の行う型は、通常格闘技で用いられる型とは異なる。動きの基礎よりも、相手を制する事、相手の攻撃を防ぐ事、大きくこの二つを重視した型となっている。
端的に言えば、型通りの動きをするだけで、相手を殺す事は造作もない。
例えば現代の剣道では、面、小手、胴の部位に、適切な形で竹刀を当てれば、有効打と認められる。これを気剣体の一致と言い、剣道で重視される精神の一つである。
逆に、どんな事をしても勝つ等、清廉な精神が伴わない行為は、反則と見なされる。意味もなく長い鍔迫り合い、相手の竹刀を掴んで止める、足を引掛ける等の行為は、その典型とも言えよう。
他にも、武道で多く用いられる言葉の中に、心技体というものがある。即ち、技を磨く事だけでなく、精神と身体を鍛えるのが、武道の目的となっている。
戦が無くなった江戸時代で、殺す事から鍛える事に目的が変化した様に、現代の武道は鍛練の意味合いが強い。
また、ボクシングや総合格闘技での金的を禁じる様に、武道でなくとも反則行為は存在する。技を競う為に行われるスポーツとして、ルールを定めるのは至極当然の事だろう。
しかし冬也が行うのは、スポーツとは異なり、相手を制する若しくは殺す事を目的としている。それが、遼太郎が生み出し、冬也が改良を加えた訓練方法なのである。
モンスターが平然と闊歩する中、己の身一つで生き抜かねばならない世界に、冬也は向かう事を定められていた。そんな訓練方法も仕方ないと言えよう。
ただし、いとも簡単に身体を破壊する技術を持った冬也が、いたずらに他者を嬲り、また殺める事が有っただろうか。
少なくとも冬也は、己の欲を満たす為だけに、拳を振るう事はない。
例え、殺める事を目的に作られた兵器であっても、使う側次第で結果は変わる。それと同じ事だ。
戦いを嫌うブルが、型の稽古だけに参加するのも、それが大きな要因となっている。
ブルは幼くして、過酷な戦いに身を投じて来た。持って生まれた腕力だけでは、大切な仲間を守れない事は、嫌という程に体験してきた。
だからこそ、冬也に習い技術を身に着けた。大切な仲間を守る為、自分と共に笑顔で働く者達を守る為に。
ブルは決して武に生きる者ではない。
しかし幼くして才能を開花させた、天才だと言えよう。ミューモをして、傷つける事が至難の業だと、言わしめる程に。
そんなブルを見て、同じ場で訓練をしているアルキエルが、興味を持たないはずがない。
そしてこの日は、ブルにとって、非常にタイミングが悪かった。
連日に渡って行われて来た社会見学に、アルキエルが飽きて来た。だからといって、冬也は多忙であり、相手になってくれる時間が少ない。
稽古相手と言えば、レイピア達である。エレナやモーリス達を通して、育てる喜びをアルキエルは知った。しかし、それだけでは物足りなさが残る。
そんな時に、アルキエルが目をつけたのは、成長著しいブルであった。
それは丁度、型の訓練が終わり、ブルが家庭菜園に向かおうとした時に起こった。
「ブル、もう少し付き合え」
「嫌なんだな」
ここまでなら、いつもの会話であり、アルキエルも素直に引き下がる。しかし、この日は頑として引かなかった。
「いいから付き合え」
「アルは、痛くするから嫌なんだな」
出来るだけ対等に近い相手と勝負がしたいアルキエル。戦う事を嫌い、組手を避けたがるブル。両者の意見が交わる事は無い。
だが冬也の一言で、状況は一変した。
「わりぃなブル。たまには、相手をしてやってくれ。神気は使わない。有効打が入ったら、そこで勝負あり。それでどうだ?」
「俺はそれで、構わねぇ」
「仕方ないんだな」
冬也が頭を下げるなら、断る訳にはいかない。ブルは、渋々といった表情で頷いた。
ただし、勝負といっても、アルキエルとブルでは対格差が違い過ぎる。誰が見ても、幼児と同じ体格のブルを、不利だと感じるだろう。
「冬也様。不躾ではございますが、ブル様は幼く。せめて、元の姿に」
「大丈夫だレイピア。お前らは、黙って見てろ。ブルの戦い方は、お前らにも参考になるはずだ」
ブルの事を思って口にしたレイピアの言葉を、冬也は遮る様に言い放つ。
レイピア達は、知らないのだ。
先の大会には、冬也とアルキエルだけでなく、眷属までが出場を禁じられた。眷属と言っても、スールとミューモの様に、元がエンシェントドラゴンであれば、他の種族との力の差は歴然であろう。
だがブルは、ただの巨人族で有り、まだ幼い。それにも拘わらず出場を禁じられた。
何も女神ミュールは、一律に冬也の眷属達の出場を禁じた訳ではない。そして、その理由は直ぐに明らかになる。
アルキエルとブルは、向き合って互いに構える。一見する限りでは、アルキエルの迫力に、小さな体のブルが吹き飛ばされそうにも感じる。
しかし、床をしっかりと踏みしめて、ゆったりと構えている。
構えが冬也と似ているのは、冬也に習っているからだろう。よく目を凝らせば、冬也が構えた時の迫力と比べても、何ら見劣りしない。
「痛い事したら、倍にして返すんだな」
「望むところだぁ、ブルぅ! てめぇの本気を見せてみろやぁ!」
声を荒げるも、アルキエルは冷静である。
暫く両者は動かず、睨みあったままの状態が続く。流石のアルキエルも、ブルを警戒しているのだろう。
そして最初に動いたのは、アルキエルであった。
ブルは眷属の中でも、動きの速度は一番遅い。自分の速さについて来れないと踏んだアルキエルは、一瞬でブルの後方に回り込むと、勢いよく拳を振り下ろした。
ブルは、アルキエルの動きを目で追えていない。冬也以外の者は、これで勝負が決まったと確信した。
しかし、振り下ろされたアルキエルの拳を、ブルは後方を見る事なく両手で掴む。そして勢いを利用し、背負い投げの要領で、床に叩きつける様に投げた。
小さい体になっても、持ち前の腕力は健在である。アルキエルは、掴まれた腕を解けない。だが、そのまま床に叩きつけられるアルキエルではない。もう片方の腕でブルの頭を掴むと、そこを支点に強引に体を捩じって着地する。
アルキエルが着地した瞬間を狙って、ブルは低い姿勢から、重心を崩す様に足払いを行う。アルキエルは着地の瞬間、素早く後方に飛んでブルの足払いを避ける。
しかし、その動きにブルが追いすがる。まだ着地出来ず、空中にいるアルキエルに、ブルは跳躍しながら拳を振るう。
ブルが放つ渾身の一撃を、踏ん張りの利かない空中で、耐えきる事は出来ない。アルキエルは、ブルの拳を受け止めるも、そのまま吹き飛ばされた。
勢いよく飛ばされ壁に激突するかと思われた瞬間に、アルキエルは空中で体勢を立て直して激突を防ぐ。流石のアルキエルも、吹き飛ばされた勢いそのまま壁にぶつかれば、多少のダメージを受けただろう。
「見たか、お前等。後の先ってのは、なにも応じ技だけじゃねぇんだ。真髄は先の先と同じ、相手の隙を作る事に有る。勿論、応じ技だけで勝負がつけば、それに越した事はねぇ。だけど攻撃を捌く事で、相手の体制や攻撃リズムなんかを崩す事が出来る、それが大きな隙になる。後は、自分が戦い易い状態で、勝負を決めればいい。流石に今の攻防は、アルキエルが一枚上手だったがな」
アルキエルの攻撃を利用し、投げ技を繰り出す。更に足技で体勢を崩す。そこに生まれた隙を狙い、渾身の一撃を放つ。しかし、アルキエルは後方に飛びながらも、着地し易い様に上手く衝撃を外に逃がした。
一瞬の攻防で、これだけの事をやってのけだのだ。両者共に見事としか言いようがない。
「しかしわかりません。ブル様は、アルキエル様の初動が見えていなかったはず。しかも、死角からの攻撃を受け止めずに利用した」
「レイピア、視線だよ。ブルは、視線や僅かな体の動きで、アルキエルの攻撃を予想したんだ」
「ですが、アルキエル様が攻撃方法を変えたとしたら?」
「いいや、しねぇよ。それが絶対強者故の弱点だ」
総合的な実力であれば、冬也よりアルキエルの方が数段上回っている。技術、神気、全てにおいてアルキエルに劣る冬也が、常に勝ち続けるのは、挑戦者故の工夫に因る所が大きい。
対してアルキエルは、誰よりも強く、圧倒的な力で勝利を重ねて来た。それが体に染み込んでいる。故に、回避不可能な一撃で相手を沈める。
それさえ理解していれば、躱す事は出来る。これから腹を力いっぱい殴ると、宣言しているようなものだ。ただし、アルキエルの速度について行ければの話だが。
もし、アルキエルの攻撃に対応出来る力が有れば、それは大きな弱点となる。現に、ロメリアから致命的な一撃を受けている。
「見てろ。面白れぇのは、これからだ」
冬也の言葉通りであった。
壁に着地した後、床に降りて体勢を立て直したアルキエルの瞳は、試合前のそれとは明らかに違った。ブルを格下ではなく、同等若しくはそれ以上だと判断したのだ。
「面白れぇな。いいぜブル、楽しくなって来やがった」
「今更、本気を出しても、遅いんだな」
冬也が敢えてブルに頭を下げたのは、この試合を通して、アルキエルの成長を望んだからである。
自分より弱いと判断すれば、自ずと弱点は露呈する。
冬也は、初めて対峙した時から、アルキエルに勝利している。言わば、アルキエルにとって、最大の強者は冬也なのだ。
冬也との手合わせでは、アルキエルとて工夫を重ねる。ただ、冬也の工夫が上回るだけ。冬也と幾ら手合わせしても、その弱点を体で理解させる事は出来ない。
声を荒げた後、飛び出したアルキエルのスピードは、最初の攻撃よりも数段早い。最初の攻撃は、レイピア達でも目で追う事が出来た。しかし、今のアルキエルのスピードは、レイピア達では目で追う事は出来ない。
それは当然、ブルもである。
アルキエルは、死角に回り込むと、敢えて殺気を放つ。ブルが、それに反応する事を見越して。そして、すかさず殺気を消し、ブルの死角からも姿を消す。
視界ではなく、気配を頼るしかないブルは、振り向かざるを得ない。その瞬間、背後に回ったアルキエルの拳が、ブルに降り注ぐ。
だがその拳は、ブルの手のひらで往なされ、床へと一直線に進む。完全に体勢が崩れたアルキエルに、ブルの拳が再び襲う。しかし、床に向かった拳の勢いを利用して、アルキエルが体を回転させ、ブルの拳を躱しつつ、踵落としを放つ。
ブルは、踵落としを避ける様に、後方へ下がり間合いを取る。しかしそれは、悪手だと言えよう。対格差が違うなら、リーチも異なるはずである。
遠間から攻撃出来るアルキエルに対し、ブルは近間でしか勝負が出来ない。
この瞬間、互角とも思えた攻防は、アルキエルに形勢が傾く。拳や蹴りだけでなく、アルキエルは素早い動きで翻弄する。そして、ブルに考える暇を与えない、連続攻撃を続ける。
四方八方から飛んでくるアルキエルの攻撃を、躱し続けるブルは流石だと言える。しかし、反撃する機会は見つからない。仮に僅かな隙が有ったとしても、ブルではそれを突く事は出来ない。それ程に、アルキエルの攻撃は、止まる事無く続けられた。
ただしブルは、そんな事で屈しない。反撃の糸口を見つける為、ギリギリで攻撃を躱し続ける。
攻勢に転じながらも、決定的な一撃を繰り出せないアルキエル。防御だけに止まり、反撃の機会を見いだせないブル。試合が膠着状態に入り、一時間が経過しようとしていた。
その時、地下への扉が開き、階段を下りてくる音が聞こえた。
「あんた達、いつまでやってんの? お兄ちゃんも早く出かけないと、もう時間だよ!」
涼やかな声が響き渡り、アルキエルとブルは動きを止める。そして、冬也は慌てた様に立ち上がる。
「わりぃ、みんな。朝飯を作ってる時間がなさそうだ。ペスカ、後は頼む」
「無理だよ、私も出掛ける時間だもん。朝ごはん抜きになっちゃったよ」
「悪かった、明日は気を付ける。みんな、朝飯は誰かに頼んでくれ。じゃあな」
冬也は、取る物も取り敢えず、訓練着のまま家から出る。その後に続く様に、ペスカも外出する。
水を差された形になり、試合は中止、そのまま訓練はお開きとなった。
「仕方ねぇ、勝負はまたにするか」
「もう、嫌なんだな」
「はぁ? ふざけんじゃねぇぞ、ブル!」
「アルは、そろそろ学習するんだな。おではアルに勝てないけど、アルもおでに勝てない。疲れるだけなんだな」
「言ってくれるじゃねぇかよ。ならもう一度勝負して、決着つけようじゃねぇか」
「だから、嫌だって言ってるんだな。おでは、作物の世話が有るんだな。忙しいんだな」
「おい、こらぁ! ブル! 待ちやがれ! ブル!」
「うるさくしたら、近所迷惑なんだな。ゲームなら、相手をしてやるんだな」
「それじゃ、勝負にならねぇだろうが!」
「アルは、直ぐに熱くなるから負けるんだな。弱っちいんだな」
余程、ブルとの試合が楽しかったのだろう。家庭菜園に向かうブルを、アルキエルは執拗に追いかける。
そして、取り残されたレイピア達は、圧倒されたまま暫く動く事は出来なかった。
ただ、彼らは知らない。
いつもなら冬也は、朝食の準備をしてから出掛ける。その冬也が出発時間のギリギリまで、地下の訓練所に居た。
では、誰が朝食の準備をしているのか。それは、気が回る翔一である。
しかし、如何に器用な翔一でも、料理は不慣れである。たどたどしい手付きで作られた料理は、冬也のとは比べるまでもない。
「おい、翔一。昼は、少しマシな飯を食うぞ」
「そうだね。ごめん、みんな」
アルキエルに、翔一を責める気持ちは全く無い。苦い顔で食べ進めているが、皆も同様である。
そして、珍しく全員が一緒に行動する事になった社会見学ツアーで、昼食が豪華になったのは言うまでもない。
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転生先で出会ったエルフと魔族の少女。スローライフを掲げるユズキだったが、二人と共に世界を回ることで国を巻き込む争いへと巻き込まれていく。
※9月16日
タイトル変更致しました。
前タイトルは『レベル9999は転生した世界で使い切れないので、仲間にあげることにしました』になります。
仲間を強くして無双していく話です。
『小説家になろう』様でも公開しています。
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アイテムボックス無双 ~何でも収納! 奥義・首狩りアイテムボックス!~
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