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二つの世界、それぞれの未来
396 ブルのこだわり
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西から射す日が、車中の面々を照らす。エンジン音が、はっきりと聞こえて来る。
東郷邸へ向かう車中は、静けさに包まれていた。
決して和やかとは言えないが、重苦しいくもない。そんな空気の中で、有る者は今後の在り方に考えを巡らせ、有る者は静かに目を閉じて瞑想をしている。
余程疲れていたのだろうか、普段なら真っ先に冬也の隣に座りたがるペスカが、奥のシートを占領して寝息を立てていた。
また、冬也も少し座席を倒し、軽いイビキをかいている。その膝にはブルが陣取り、冬也に体を預ける様にして、眠っている。人間の体に変化し、小さな子供の姿になったブルには、年相応とも言える行動に見えた。
そんなブルの姿を眺め、微笑ましく感じたのか、空に笑顔が戻る。
そして、運転する安西を中心に、エリーとリンリン、そして翔一が今後の態勢について、話し合いを行っていた。
今、話しをしても、行動指針すら見えないだろう。しかし、何かせずにはいられない。そんな、せっつかれる様な感情に、押されていたのかもしれない。
若しくは、思い知らされた不甲斐ない現状に、圧し潰されない為の心の動きでも有るのだろう。
恐らく、政府による非難命令が出ていたのだろう。公道には車の数が少なく、家々の明かりもまばらである。無論、臨時休業をしている商店は多く、街中は非常に閑散としていた。
行きよりもスムーズに進み、あっという間に東郷邸へ到着する。一同は、バスを降りると、東郷邸へと足を踏み入れる。
所謂、世界的な混乱下の中で、電気や水道等の供給が止まっていないのは、奇跡に近い事だろう。
一同は家に入ると、銘々がリビングのソファや、ダイニングの椅子に腰かける。誰もが疲れているのは明白である。
そして、高尾に移動してから、ブルの育てた果実しか口にしておらず、空腹を訴える声もチラホラと上がる。主に空腹を訴えたのは、リンリンでは有るのだが。
だが冬也は、それを敢えて諫めなかった。
壮絶な戦いを乗り越えたのだ。安西を含む普通の人間達は、途中から意識を失っていた。それでも、ごく普通の人生では決して経験をし得ない事を、彼らは体験したのだ。
それをねぎらう為に、眠気眼を擦りながら冬也は厨房に向かう。
しかし、冬也は失念していた。
史上稀に見る混乱に立ち向かう為、一同は高尾へと旅立ったのだ。しかも、いつ帰れるかもわからない、状況であった。
東郷邸の管理を任され、目端が利く美咲は、とある行動を取っていた。
それは、厨房に向かった冬也が、冷蔵庫を開けた瞬間に判明する。
腐りやすい生鮮食品は優先的に消費した為、常温でもある程度は保存が可能な、加工品のみが残されている。また、電気の供給が途絶える事も美咲は予測し、冷蔵庫の電源を抜いていた。
そのおかげで、冷えていない冷蔵庫からは、異臭がする事が無かった。しかし、空腹者を抱えた現状では、事件に他ならなかった。
冷蔵庫や食料棚に有ったのは、米、六本パックのビール、そしてつまみが数種類。極めつけは、沢山の納豆であった。
「ペスカ、ちょっと来い。やべぇ事が起きた」
少し疲れた表情を見せていたペスカは、怪訝そうな表情で冬也の下へと歩いて行く。
「見ろ! 米の量は充分だ、直ぐに焚ける。だけどおかずがねぇ」
冬也の指さした光景を見て、ペスカは直ぐに状況を理解した。
今すぐに空腹を満たす事は出来る。ただし、白米だけの食事であれば。しかし、それだけでは満足出来まい。
納豆を口に入れる。それは兄弟にとって、それは絶対に有り得ない選択肢である。
最悪のダークマターを食べる位なら、全ての神を敵に回した方が、どれだけましか。この瞬間、ペスカは力が抜けた様に、床へとへたり込んだ。
「わりぃ翔一。開いているスーパーを探してくれ。多少遠くてもいい」
冬也は、リビングに向かって大声を放つ。
事情の理解出来ない翔一は、首を傾げながらも、スマホのインターネットで検索を行った。
「冬也。それ程遠くない場所に、一軒だけ開いてるスーパーが有るみたいだよ。でも、何しに行くんだい? この状況なら、流通は止まってるだろ? 普通の品揃えは期待しない方がいいよ」
「そんな事はわかってんだ。でも、切実な問題だ」
「なぁ、冬也。これを食べちゃ駄目なんだな?」
「ブル。わかってくれ、これは毒だ! 食べたら大変な事になる」
「冬也。てめぇの好き嫌いを、ブルに押し付けてんじゃねぇ。俺は、納豆とやらで一向に構わねぇ。他の奴らも、同じ考えだ。この際、好き嫌いを克服してみやがれ」
「アルキエル。これ以上言うなら、戦争だよ! 力づくで言う事を聞かせるよ。お兄ちゃんと私を相手に、勝てると思わない事だね」
本来のアルキエルであれば、そんな事を言われれば、喜び勇んで戦う事を選んだだろう。しかし、アルキエルは酷く呆れた様な表情を浮かべると、安西に向かって丁寧な口調で話しかけた。
「安西。疲れてる所ですまねぇが、糞主共の我儘を聞いちゃくれねぇか?」
遠目で冬也達のやり取りを見ていた安西は、アルキエルと同様に溜息をついていた。そして半ば諦めた表情を浮かべて立ち上がった。
その表情には、やや失望の意味も込められていたのだろう。世界を守った神が、たかが納豆如きで大騒ぎするなど、情けないにも程が有る。
乗り付けたバスを動かす為に、安西は玄関へと向かう。
冬也は、数台の炊飯器で米を炊く事を、空に頼むと安西の後へと続く。そして、冬也の後にペスカが、更に興味津々とばかりに、ブルがその後に続いた。
一連の行動を理解出来ない、レイピア達異界からの訪問者は、翔一から委細を聞き、少し苦笑いを浮かべていた。
目的のスーパーまでは、然程の時間をかけずに到着する事が出来た。
ただ、予想通りと言ってもいいだろう。戦時下において、緊急避難警報が発令されている。当然、買い占め等も起こったのだろう。
生鮮食品に限らず、飲料水やカップラーメン等のインスタント食料の棚も閑散としている。
ガランとしたスーパーの食品売り場で、冬也は売れ残りの食品を片っ端から、籠へと入れていく。
だが冬也の行動に、ブルはこれまで見た事も無い程の、苦い表情を浮かべていた。
「全部、美味しくないんだな。でも放置してたら、みんな腐っちゃうんだな。手に入れるのは、仕方ないんだな。なんだか、許せない気持ちでいっぱいなんだな」
新鮮でない野菜を提供するのは、農耕の神として許し難い行為なのだろう。しかし、食料品を腐らせる事は、もっと許せない事なのだろう。
ブルは、戦時下における食料供給の重要さを、誰よりも深く理解している。だからこその言葉だったのかもしれない。
終始、むすっとした表情で、ブルは冬也の後ろをついて歩く。
幼い割には、非常に聡いブルである。ある程度の予想はしていた。しかしその反面、初めて来る異世界の市場に、ワクワクもしていた。
いったいスーパーとは、どんな物を売っている場所なのか。野菜は異世界とロイスマリアで、違いがあるのか。肉や魚の種類は?
恐らく、商品が棚に充実している通常営業時でも、ブルはカルチャーショックを受けたに違いない。
基本的には、死んだ魚がパック詰めされるのだ。ましてや三枚おろし等で、切り身にされていれば、元の魚がどんなものか、わかりはしない。
肉についても同様だ。百グラム幾らでパック詰めされた肉は、どんな家畜のどの部位なのか、わかる訳がない。
異世界から訪れた者からすれば、トレイ等は邪魔でしかない。そもそも綺麗に棚に並べられた物が、食べ物だと思うかどうかも定かでない。
更に加工食品の数々。レイピア姉妹やゼルが、もしカップラーメンを見たら、食べても大丈夫なんですかと、問うに違いない。
日本の当たり前が、海外での当たり前じゃない様に。海外での当たり前は、日本の当たり前ではない。
当然、地球の常識は、ロイスマリアの常識ではない。
特に農耕の神ブルからしてみれば、生鮮食品は期待外れであった。
しかし加工食品の中でも、調味料やジャム類、農作物缶詰等の加工食品に関しては興味を示し、冬也に質問を重ねていた。
特に、日本食の根幹を成す調味料である醤油や味噌等に対して、深い興味を示していた。
ブルにとっても幾ばくか、得られるものが有ったのだろう。会計を済ませ車に戻る頃には、やや態度が軟化していた。
「冬也。醤油と味噌を作ってる所を、見たいんだな。後は、この世界の農業も知りたいんだな」
「おぅ、いいぜ。願ってもねぇ事だ。こっちにいる間は、色んな所に連れてってやる。現地で色々学んでくれ」
「これで、向こうでもちゃんとした日本食が食べられるね」
「あぁ、ブルのおかげだ」
ブルのおかげか、車内に会話が戻って来る。しかし、ブルの言葉は、それだけでは終わらなかった。
「おでは怒ってるんだな。冬也とペスカは、食べ物に好き嫌いをしちゃ駄目なんだな。納豆っていうのが、どんな物かわからないけど、毒って言ったら、作った人が可哀想なんだな」
ブルの見た目は、幼稚園児か小学校に入りたての子供だろう。その子供に叱られて、肩を落としている様は、シュールな光景だ。
運転をしていた安西は、思わず吹き出す。そして、呆れた様に口を開いた。
「お前等より、このチビっ子の方が、よっぽど大人だな」
確かに、見た目に反してブルは、精神的に立派な大人なのだ。
「今回は、緊急事態だから許してあげるんだな。でも、次は無いんだな。食料が流通してないんだったら、おでが作るんだな。おでが、みんなを腹いっぱいにしてやるんだな」
このブルが吐いた言葉は、一部の者を除いて、皆に衝撃を与える事になる。
冬也達が帰宅した頃には、米が炊けており、納豆で食事を済ませた者が何名かいた。
しかし、米国出身のエリーには、納豆が合わず手を付けていない。林に関しては量が足りないと、買い出しから戻るのを待っていた。
帰宅するなり、冬也は調理を始める。
その一方で、レイピア、ソニア、ゼルの三名が顔を付き合わせて、話しをしている。特に、レイピア、ソニアの二名は、初めて納豆を口にし、複雑な表情を浮かべていた。
「頂戴出来るだけ、有難い事です。文句を言える筋合いではありません。しかし、なんとも奇妙な食感と味ですね」
「レイピア殿。これはエルラフィアの一部で流行っています。こちらの名産を、ロイスマリアに持ち込んだんですね」
「ゼル、持ち込んだのは、シルビア殿でしょう。しかし、人間には問題なくても、亜人には向かない味です。大抵の亜人は鼻が利きます。特にドッグピープルやキャットピープルには、この匂いは辛いと思います」
「姉さん。魔獣の方々も、同様なのでは?」
「確かに、お二方の仰る通りかもしれません。だから、エルラフィアの一部でしか、流行っていないのでしょうね」
「ゼル。あなたは、この食べ物が平気なのですか?」
「えぇ、私は。しかし、同じエルフ族であっても、クラウス殿とお二方では、味覚が違うのですね?」
「それは個人差ですよ、ゼル。あの子は、兄クロノスと同様で、革新的ですから」
真面目な顔で、慣れない食べ物について談義するのは、外国人旅行者の反応にも似ている。やがてその談義には、ブルやエリーが加わり、安西や林も加わる。
そして、日本独特の食べ物の試食会へと移っていった。
梅干し、イカの塩辛、イナゴの佃煮等。食料棚を探せば有るのだ、遼太郎が酒のつまみとして、買い貯めていた物が。
どれも、日本酒の隣に置かれていた為、冬也の目に入らなかったのだろう。
エリーはどれも、複雑な表情で口にしていた。しかし意外にも、レイピア達ロイスマリアからの客人には、概ね好評だった。
そしてブルは、一つ一つ加工方法を尋ねる。それを林が、即座にネットで調べて、丁寧に答える。そんな光景も新鮮かもしれない。
段々とリビングが騒がしくなる中、冬也の料理が完成し、納豆だけでは物足りなさを感じていた者達の腹を満たす。
腹が満たされれば、自然と眠気も襲って来る。各自が与えられた寝床へと向かい。東郷邸には、再び静寂が訪れる。
しかし、翌朝一番で目を覚ました空は、リビングのカーテンを開けた瞬間に、腰を抜かして床にへたり込んだ。
次々と目を覚ます特霊局の面々も、リビングの窓から見える庭の変貌に、言葉を失っていた。
その後、リビングに入って来た、アルキエルは笑みを深める。
そして、最後にリビングへやって来たペスカと冬也は、苦笑いを浮かべた。
「みんな、わりぃ。言っときゃよかったな。だけど、すげぇ旨いから、食べてみてくれ」
東郷邸の庭は、家庭菜園と化していた。しかもたった一晩で、野菜や果物が実を付け、食べごろになっていた。もう、家庭菜園のレベルは遥かに超えているだろう。
そして、ブルが育てた野菜を初めて食べた者は、感動の涙を流す事になる。
また、近所に配っても充分な程、毎日新鮮な野菜や果物が収穫が出来る。そして、近所に住む者達も、ブルの有難さを知る事になる。
「これも有る意味、飯テロだよね。私達が帰ったら、この近所は大変な事になるね」
「まぁ、大丈夫だろ。暫くは、ブルの神気が庭の土に残るだろうし」
「そういう事じゃないだけどさ、まぁいいや。お兄ちゃんって、妙な所でアバウトだよね」
「うるせぇよ」
その後、東郷邸の庭は、豊かな実りの有る、不思議な場所として名所になる。その裏で、管理する苦労が有った事は、また別の話し。
東郷邸へ向かう車中は、静けさに包まれていた。
決して和やかとは言えないが、重苦しいくもない。そんな空気の中で、有る者は今後の在り方に考えを巡らせ、有る者は静かに目を閉じて瞑想をしている。
余程疲れていたのだろうか、普段なら真っ先に冬也の隣に座りたがるペスカが、奥のシートを占領して寝息を立てていた。
また、冬也も少し座席を倒し、軽いイビキをかいている。その膝にはブルが陣取り、冬也に体を預ける様にして、眠っている。人間の体に変化し、小さな子供の姿になったブルには、年相応とも言える行動に見えた。
そんなブルの姿を眺め、微笑ましく感じたのか、空に笑顔が戻る。
そして、運転する安西を中心に、エリーとリンリン、そして翔一が今後の態勢について、話し合いを行っていた。
今、話しをしても、行動指針すら見えないだろう。しかし、何かせずにはいられない。そんな、せっつかれる様な感情に、押されていたのかもしれない。
若しくは、思い知らされた不甲斐ない現状に、圧し潰されない為の心の動きでも有るのだろう。
恐らく、政府による非難命令が出ていたのだろう。公道には車の数が少なく、家々の明かりもまばらである。無論、臨時休業をしている商店は多く、街中は非常に閑散としていた。
行きよりもスムーズに進み、あっという間に東郷邸へ到着する。一同は、バスを降りると、東郷邸へと足を踏み入れる。
所謂、世界的な混乱下の中で、電気や水道等の供給が止まっていないのは、奇跡に近い事だろう。
一同は家に入ると、銘々がリビングのソファや、ダイニングの椅子に腰かける。誰もが疲れているのは明白である。
そして、高尾に移動してから、ブルの育てた果実しか口にしておらず、空腹を訴える声もチラホラと上がる。主に空腹を訴えたのは、リンリンでは有るのだが。
だが冬也は、それを敢えて諫めなかった。
壮絶な戦いを乗り越えたのだ。安西を含む普通の人間達は、途中から意識を失っていた。それでも、ごく普通の人生では決して経験をし得ない事を、彼らは体験したのだ。
それをねぎらう為に、眠気眼を擦りながら冬也は厨房に向かう。
しかし、冬也は失念していた。
史上稀に見る混乱に立ち向かう為、一同は高尾へと旅立ったのだ。しかも、いつ帰れるかもわからない、状況であった。
東郷邸の管理を任され、目端が利く美咲は、とある行動を取っていた。
それは、厨房に向かった冬也が、冷蔵庫を開けた瞬間に判明する。
腐りやすい生鮮食品は優先的に消費した為、常温でもある程度は保存が可能な、加工品のみが残されている。また、電気の供給が途絶える事も美咲は予測し、冷蔵庫の電源を抜いていた。
そのおかげで、冷えていない冷蔵庫からは、異臭がする事が無かった。しかし、空腹者を抱えた現状では、事件に他ならなかった。
冷蔵庫や食料棚に有ったのは、米、六本パックのビール、そしてつまみが数種類。極めつけは、沢山の納豆であった。
「ペスカ、ちょっと来い。やべぇ事が起きた」
少し疲れた表情を見せていたペスカは、怪訝そうな表情で冬也の下へと歩いて行く。
「見ろ! 米の量は充分だ、直ぐに焚ける。だけどおかずがねぇ」
冬也の指さした光景を見て、ペスカは直ぐに状況を理解した。
今すぐに空腹を満たす事は出来る。ただし、白米だけの食事であれば。しかし、それだけでは満足出来まい。
納豆を口に入れる。それは兄弟にとって、それは絶対に有り得ない選択肢である。
最悪のダークマターを食べる位なら、全ての神を敵に回した方が、どれだけましか。この瞬間、ペスカは力が抜けた様に、床へとへたり込んだ。
「わりぃ翔一。開いているスーパーを探してくれ。多少遠くてもいい」
冬也は、リビングに向かって大声を放つ。
事情の理解出来ない翔一は、首を傾げながらも、スマホのインターネットで検索を行った。
「冬也。それ程遠くない場所に、一軒だけ開いてるスーパーが有るみたいだよ。でも、何しに行くんだい? この状況なら、流通は止まってるだろ? 普通の品揃えは期待しない方がいいよ」
「そんな事はわかってんだ。でも、切実な問題だ」
「なぁ、冬也。これを食べちゃ駄目なんだな?」
「ブル。わかってくれ、これは毒だ! 食べたら大変な事になる」
「冬也。てめぇの好き嫌いを、ブルに押し付けてんじゃねぇ。俺は、納豆とやらで一向に構わねぇ。他の奴らも、同じ考えだ。この際、好き嫌いを克服してみやがれ」
「アルキエル。これ以上言うなら、戦争だよ! 力づくで言う事を聞かせるよ。お兄ちゃんと私を相手に、勝てると思わない事だね」
本来のアルキエルであれば、そんな事を言われれば、喜び勇んで戦う事を選んだだろう。しかし、アルキエルは酷く呆れた様な表情を浮かべると、安西に向かって丁寧な口調で話しかけた。
「安西。疲れてる所ですまねぇが、糞主共の我儘を聞いちゃくれねぇか?」
遠目で冬也達のやり取りを見ていた安西は、アルキエルと同様に溜息をついていた。そして半ば諦めた表情を浮かべて立ち上がった。
その表情には、やや失望の意味も込められていたのだろう。世界を守った神が、たかが納豆如きで大騒ぎするなど、情けないにも程が有る。
乗り付けたバスを動かす為に、安西は玄関へと向かう。
冬也は、数台の炊飯器で米を炊く事を、空に頼むと安西の後へと続く。そして、冬也の後にペスカが、更に興味津々とばかりに、ブルがその後に続いた。
一連の行動を理解出来ない、レイピア達異界からの訪問者は、翔一から委細を聞き、少し苦笑いを浮かべていた。
目的のスーパーまでは、然程の時間をかけずに到着する事が出来た。
ただ、予想通りと言ってもいいだろう。戦時下において、緊急避難警報が発令されている。当然、買い占め等も起こったのだろう。
生鮮食品に限らず、飲料水やカップラーメン等のインスタント食料の棚も閑散としている。
ガランとしたスーパーの食品売り場で、冬也は売れ残りの食品を片っ端から、籠へと入れていく。
だが冬也の行動に、ブルはこれまで見た事も無い程の、苦い表情を浮かべていた。
「全部、美味しくないんだな。でも放置してたら、みんな腐っちゃうんだな。手に入れるのは、仕方ないんだな。なんだか、許せない気持ちでいっぱいなんだな」
新鮮でない野菜を提供するのは、農耕の神として許し難い行為なのだろう。しかし、食料品を腐らせる事は、もっと許せない事なのだろう。
ブルは、戦時下における食料供給の重要さを、誰よりも深く理解している。だからこその言葉だったのかもしれない。
終始、むすっとした表情で、ブルは冬也の後ろをついて歩く。
幼い割には、非常に聡いブルである。ある程度の予想はしていた。しかしその反面、初めて来る異世界の市場に、ワクワクもしていた。
いったいスーパーとは、どんな物を売っている場所なのか。野菜は異世界とロイスマリアで、違いがあるのか。肉や魚の種類は?
恐らく、商品が棚に充実している通常営業時でも、ブルはカルチャーショックを受けたに違いない。
基本的には、死んだ魚がパック詰めされるのだ。ましてや三枚おろし等で、切り身にされていれば、元の魚がどんなものか、わかりはしない。
肉についても同様だ。百グラム幾らでパック詰めされた肉は、どんな家畜のどの部位なのか、わかる訳がない。
異世界から訪れた者からすれば、トレイ等は邪魔でしかない。そもそも綺麗に棚に並べられた物が、食べ物だと思うかどうかも定かでない。
更に加工食品の数々。レイピア姉妹やゼルが、もしカップラーメンを見たら、食べても大丈夫なんですかと、問うに違いない。
日本の当たり前が、海外での当たり前じゃない様に。海外での当たり前は、日本の当たり前ではない。
当然、地球の常識は、ロイスマリアの常識ではない。
特に農耕の神ブルからしてみれば、生鮮食品は期待外れであった。
しかし加工食品の中でも、調味料やジャム類、農作物缶詰等の加工食品に関しては興味を示し、冬也に質問を重ねていた。
特に、日本食の根幹を成す調味料である醤油や味噌等に対して、深い興味を示していた。
ブルにとっても幾ばくか、得られるものが有ったのだろう。会計を済ませ車に戻る頃には、やや態度が軟化していた。
「冬也。醤油と味噌を作ってる所を、見たいんだな。後は、この世界の農業も知りたいんだな」
「おぅ、いいぜ。願ってもねぇ事だ。こっちにいる間は、色んな所に連れてってやる。現地で色々学んでくれ」
「これで、向こうでもちゃんとした日本食が食べられるね」
「あぁ、ブルのおかげだ」
ブルのおかげか、車内に会話が戻って来る。しかし、ブルの言葉は、それだけでは終わらなかった。
「おでは怒ってるんだな。冬也とペスカは、食べ物に好き嫌いをしちゃ駄目なんだな。納豆っていうのが、どんな物かわからないけど、毒って言ったら、作った人が可哀想なんだな」
ブルの見た目は、幼稚園児か小学校に入りたての子供だろう。その子供に叱られて、肩を落としている様は、シュールな光景だ。
運転をしていた安西は、思わず吹き出す。そして、呆れた様に口を開いた。
「お前等より、このチビっ子の方が、よっぽど大人だな」
確かに、見た目に反してブルは、精神的に立派な大人なのだ。
「今回は、緊急事態だから許してあげるんだな。でも、次は無いんだな。食料が流通してないんだったら、おでが作るんだな。おでが、みんなを腹いっぱいにしてやるんだな」
このブルが吐いた言葉は、一部の者を除いて、皆に衝撃を与える事になる。
冬也達が帰宅した頃には、米が炊けており、納豆で食事を済ませた者が何名かいた。
しかし、米国出身のエリーには、納豆が合わず手を付けていない。林に関しては量が足りないと、買い出しから戻るのを待っていた。
帰宅するなり、冬也は調理を始める。
その一方で、レイピア、ソニア、ゼルの三名が顔を付き合わせて、話しをしている。特に、レイピア、ソニアの二名は、初めて納豆を口にし、複雑な表情を浮かべていた。
「頂戴出来るだけ、有難い事です。文句を言える筋合いではありません。しかし、なんとも奇妙な食感と味ですね」
「レイピア殿。これはエルラフィアの一部で流行っています。こちらの名産を、ロイスマリアに持ち込んだんですね」
「ゼル、持ち込んだのは、シルビア殿でしょう。しかし、人間には問題なくても、亜人には向かない味です。大抵の亜人は鼻が利きます。特にドッグピープルやキャットピープルには、この匂いは辛いと思います」
「姉さん。魔獣の方々も、同様なのでは?」
「確かに、お二方の仰る通りかもしれません。だから、エルラフィアの一部でしか、流行っていないのでしょうね」
「ゼル。あなたは、この食べ物が平気なのですか?」
「えぇ、私は。しかし、同じエルフ族であっても、クラウス殿とお二方では、味覚が違うのですね?」
「それは個人差ですよ、ゼル。あの子は、兄クロノスと同様で、革新的ですから」
真面目な顔で、慣れない食べ物について談義するのは、外国人旅行者の反応にも似ている。やがてその談義には、ブルやエリーが加わり、安西や林も加わる。
そして、日本独特の食べ物の試食会へと移っていった。
梅干し、イカの塩辛、イナゴの佃煮等。食料棚を探せば有るのだ、遼太郎が酒のつまみとして、買い貯めていた物が。
どれも、日本酒の隣に置かれていた為、冬也の目に入らなかったのだろう。
エリーはどれも、複雑な表情で口にしていた。しかし意外にも、レイピア達ロイスマリアからの客人には、概ね好評だった。
そしてブルは、一つ一つ加工方法を尋ねる。それを林が、即座にネットで調べて、丁寧に答える。そんな光景も新鮮かもしれない。
段々とリビングが騒がしくなる中、冬也の料理が完成し、納豆だけでは物足りなさを感じていた者達の腹を満たす。
腹が満たされれば、自然と眠気も襲って来る。各自が与えられた寝床へと向かい。東郷邸には、再び静寂が訪れる。
しかし、翌朝一番で目を覚ました空は、リビングのカーテンを開けた瞬間に、腰を抜かして床にへたり込んだ。
次々と目を覚ます特霊局の面々も、リビングの窓から見える庭の変貌に、言葉を失っていた。
その後、リビングに入って来た、アルキエルは笑みを深める。
そして、最後にリビングへやって来たペスカと冬也は、苦笑いを浮かべた。
「みんな、わりぃ。言っときゃよかったな。だけど、すげぇ旨いから、食べてみてくれ」
東郷邸の庭は、家庭菜園と化していた。しかもたった一晩で、野菜や果物が実を付け、食べごろになっていた。もう、家庭菜園のレベルは遥かに超えているだろう。
そして、ブルが育てた野菜を初めて食べた者は、感動の涙を流す事になる。
また、近所に配っても充分な程、毎日新鮮な野菜や果物が収穫が出来る。そして、近所に住む者達も、ブルの有難さを知る事になる。
「これも有る意味、飯テロだよね。私達が帰ったら、この近所は大変な事になるね」
「まぁ、大丈夫だろ。暫くは、ブルの神気が庭の土に残るだろうし」
「そういう事じゃないだけどさ、まぁいいや。お兄ちゃんって、妙な所でアバウトだよね」
「うるせぇよ」
その後、東郷邸の庭は、豊かな実りの有る、不思議な場所として名所になる。その裏で、管理する苦労が有った事は、また別の話し。
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フィアラの父は、再婚してから新たな妻と子供だけの生活を望んでいたため、フィアラは邪魔者だった。
フィアラは毎日毎日、家事だけではなく父の仕事までも強制的にやらされる毎日である。
だがフィアラが十四歳になったとある日、長く奴隷生活を続けていたデジョレーン子爵邸から抹消される運命になる。
侯爵がフィアラを除名したうえで専属使用人として雇いたいという申し出があったからだ。
金銭面で余裕のないデジョレーン子爵にとってはこのうえない案件であったため、フィアラはゴミのように捨てられた。
父の発言では『侯爵一家は非常に悪名高く、さらに過酷な日々になるだろう』と宣言していたため、フィアラは不安なまま侯爵邸へ向かう。
だが侯爵邸で待っていたのは過酷な毎日ではなくむしろ……。
いっぽう、フィアラのいなくなった子爵邸では大金が入ってきて全員が大喜び。
さっそくこの大金を手にして新たな使用人を雇う。
お金にも困らずのびのびとした生活ができるかと思っていたのだが、現実は……。
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