妹と歩く、異世界探訪記

東郷 珠

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変わりゆく日常

263 憧れへ、その一歩を その1

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 セムス夫妻と別れ、再びエルラフィア王都を歩くペスカと冬也。
 その二人を呼びかける声が、遠くから聞こえてくる。
 二人が振り向くと、遠くから走って来るトールと少年が見えた。

「トールさんじゃねぇか、どうしたんだ?」
「お二人が王都にいらっしゃっていると聞いたもので。それより、さんづけはお止め下さい冬也様」
「あんたが、様をつけて呼ばねぇなら、俺も止めてやるよ」
「それはご勘弁を、冬也様」
「そうだよ、お兄ちゃん。トールをあんまり、虐めないであげてよ」

 トールがわざわざ挨拶をする為だけに、自分達を呼び止めた訳ではあるまい。
 冬也は少しため息をつき、会話を続けた。

「ところで何の用だよ、トールさん。隣の少年兵に関係が有るのか?」

 トールの隣には、緊張した面持ちで鯱張って立つ、見た目は冬也よりも三つは下ではないかと思われる、少年の姿があった。
 所々に深い傷跡が残っている。
 彼もまた、モンスターとの戦いを生き延びたのだろう。

「仰る通りです、冬也様」

 そう言うと、トールは深々と頭を下げる。
 トールに合わせて、少年も頭を下げた。

「こいつを、アルキエル様の弟子に加えて貰う訳にはいかないでしょうか?」
「「はぁ?」」

 突然の事で、ペスカと冬也は顔を見合わせた。
 呆気に取られ僅かに時が過ぎる。
 しかし、トールと少年は頭を上げる事は無かった。

「俺は、シグルドの様な凄い人になりたい。だから、もっと修行する必要があるんです。どうか、お願いします」

 単に強くなりたいだけではない。
 少年の言葉には覇気が籠っていた。
 ペスカは、促す様に冬也を見る。
 そして冬也は、徐に口を開いた。
 
「何で強くなりたい? 修行するだけなら、何処でも出来るだろ? シグルドに憧れるのは結構だ。でも、シグルドは神に頼って強くなったんじゃねぇぞ。アルキエルと真っ向から渡り合って、傷を付けた唯一の人間だ。そのシグルドに憧れるなら、何でアルキエルの弟子になろうと思うんだ?」

 少年はゆっくりと頭を上げ、威圧感の有る冬也の眼光を、避ける事無く真っ直ぐに見つめた。

「俺は、一度逃げました。全てを諦めて自堕落な毎日を送っていました。だけど、俺はこの国を守りたい。もし、またこの国にあんな危機が訪れたら、俺がみんなを守れる存在で居たい。だからもっと力が欲しい。強くなりたい。お願いします」

 少年は再び深々と頭を下げた。

 ☆ ☆ ☆

 かつて少年は十三歳にして、類まれなる剣の才能を見込まれ、王国軍にスカウトされた。
 訓練場では歴戦の猛者達を次々と圧倒する、少年はまさに天才だった。
 
 少年の存在は、エルラフィア軍内でも瞬く間に知れ渡る。
 シグルドを超える逸材が現れたと。
 しかし、少年はそんな世評を聞き流し、ひたすら剣の修行に励んだ。 
  
 少年は才能に恵まれた。
 ただ、それだけでは無い。
 幼い頃から、ひたすらに剣を振るい続けた。
 幼い手に豆を作り、豆は直ぐに潰れて血だらけになる。
 何千、何万と日々繰り返す素振り。
 現役時には、軍の中隊を任されていた祖父を相手に、稽古に励んだ。
 十歳になる頃には、少年の暮らす街では、相手が務まる者が居なくなる程に成長した。

 そして修行の為に、少年は単身で王都へ上京する。
 同じ様に夢を抱き上京した、何百もの腕自慢達を凌駕し、少年は王都でも有名になっていく。
 少年は、いつしか増長していた。
 自分は最強なんだと。
 しかし、少年の慢心を打ち砕く存在が居た。
 齢十五にして、先代の近衛隊長と戦い勝利し、近衛隊を率いる希代の天才シグルド。
 たまたま稽古場に現れたシグルドに、少年は完膚なきまでに叩きのめされた。

「君は、まだ井の中の蛙だ。もっと鍛えると良い、特に心をだ。君はきっと強くなる」

 シグルドとの出会いが、少年の戒めとなる。
 少年はシグルドに憧れ、一歩でも近づきたいとその剣技を真似た。
 そして少年は、更なる力を手に入れる。

 王都で腕を磨き、エルラフィア軍で修行を積み、少年は高みに昇っていく。
 誰もがそう思っていた。
 しかし、ある事件が少年を変えた。
 
 シグルドの戦死。

 エルラフィア王国最強の剣、その消失は王都に衝撃を与えた。
 憧れの存在が消えた事は、少年の心に暗い影を落とす。
 茫然自失となった少年は、剣を握る事が出来なくなった。

 どれだけ強くても、戦場では死ぬ。
 まだ幼い少年は、理解していなかった。
 戦場がどんな所で有るのかを。
 死を賭しても、戦う意味を。

 そして、逃げる様に軍を辞め、故郷へと戻る。
 部屋に籠り、食事もまともに摂らない生活が続いた。
 
 少年は、認めたくなかった。
 あの強いシグルドが死んだことを。
 強さの果てには、死が待ち受ける。
 それは目指す未来が、閉ざされた様にも感じた。

 少年は怖かった。
 暗闇の中で彷徨っていた。
 何を目指せば良いのか、わからなくなっていた。
 何を信じれば良いのか、わからなくなっていた。
 
 少年は漠然と強さを求めた。
 進むべき道を見失い、途方に暮れ、ただ狼狽えていた。
 そして、全てを投げだした。

 朝目覚め、たまに食事を摂ると日がな一日、ベッドの上で惰眠を貪る。
 生え始めた髭を、剃る事も無い。
 ただ寝て起きてを繰り返す毎日。
 硬い手の皮は、柔らかくなっていく。
 筋力は、たちまち落ちていく。
 かつて、天才と呼ばれた少年の姿は、そこには無かった。
 笑う事も泣く事も無い、ましてや悔しく思う事も無い。
 心は全て、王都に置いてきた。
 少年は、怠惰の海に溺れていく。
 
 どうせ強くなっても死ぬ。
 それなら、いま死んでも同じだ。

 少年から、渇望が消えていく。
 生きる気力が失われていく。
 それでも少年が生きているのは、自ら死を選ぶ気力すらないからだった。
 
 どうでもいい、どうでもいい、何もかもどうでもいい。
 終われ、消えろ、無くなれ。
 全て妄想、全て幻想。
 
 どれだけの日々が過ぎただろう、毎日欠かさず母親が運んできた食事は、届く回数が減った。
 少年は、気が付かなかった。

 どうせ、食べやしないんだ。
 だから、持ってこなくてもいい。
 やっと、母も悟ったか。
 やつれた身体、働かない頭、朦朧としながら少年は、漠然とそう思っていた。
 
 少年は、気が付かなかった。
 届く回数が減っても、食事は少年の部屋に届けられていた事に。
 そして食事を届ける母親が、やせ細っていく事に。
 
 そして、少年が気付いた時には、既に遅かった。
 深刻な飢餓、加えてモンスターの増殖。
 世界には、悪夢が蔓延していた。
 
 ある時、外が騒がしい事に気が付き、少年はゆっくりと体を起こし、窓から外を眺める。
 そこには、怪物を相手に戦う祖父の姿が有った。
 その怪物は、大きな顎で母親を咥えていた。
 
 少年はベッドから飛び降りた。
 弱り切った筋力で歩く事もままならない少年は、覚束ない足取りで家の中を走る。
 立てかけてあった箒を手に取り、家の外に飛び出した。

 何かを助けようとか、誰かを守ろうとか、母の仇とか、祖父の危機とか、何も考えてなかった、自然と体が動いた。
 箒を杖代わりに、少年は走った。
 そして、怪物と祖父の間に割り込んだ。

 弱っていても、体は自然と動いた。
 怪物が振る鋭い爪を、掻い潜り少年は箒を怪物の下顎に突き刺す。
 怪物は顎の痛みに、咥えた母親を離し、断末魔を発した。

 生命の危機に際した、生物の本能であろうか。
 少年は、怪物をただの木切れ一本で、倒して見せた。
 
「馬鹿者! 早く逃げろ!」

 祖父の声がする。
 振り返ると、祖父の鍛えられた屈強な体は、見る影もなくやせ細っていた。
 血を流し、倒れる母の姿。
 少年は、やっと気が付いた。
  
 何が起きたのか。
 今まで何を見て来たのか。
 判然としていた少年の頭がクリアになる。
 
 ベッドから起き上がらない少年を、抱きかかえる様にし、粥を口に運んでくれた温かい母親の眼差し。
 毎日欠かさずに部屋を訪れ、少年を励ました祖父の熱い瞳。
 
 何をしていた。
 自分は、今まで何をしていた。
 何故、こんな事になるまで、自分は呆けていた。
 
 少年は母親の亡骸に縋り付き、慟哭した。
 どれだけ悔やんでも、母親は起き上がらない。
 血だらけになった母親は、再び笑顔を見せてはくれない。
 
 王都へ旅立つ少年を、母親は不安そうな笑顔で、見送ってくれた。
 母親は、王都から逃げ帰った少年を、庇い続けていた。
 そして、いつも笑顔で笑いかけてくれた。
 
「こんな物しか、食べさせてあげれなくて、ごめんね。今は何処も苦しいんだよ。でも、きっと良くなる。ペスカ様が仰ってたからね。あたしは、信じているよ。あんたは、また立ち上がれる。必ずさ」

 少年は母親の最後の言葉を思い出す。
 そして、少年は涙を拭う。
 
「爺ちゃん。剣を貸してくれ。この街は俺が守る」

 少年の目に光が戻る。
 天才と呼ばれた少年の戦いが始まった。
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