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1巻

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 プロローグ


『^・\-@_¥?+:*?//¥……変換……開始』
『…………終了。不適性。順応点まで変換開始』
『……成功。適性確認。過程終了を確認』

 痛い痛い痛いっ!!
 何なんだ、これはっ! 痛いイタイ、これ以上は死んでしまうって!
 目も開けられず意識ももうろうとする中、襲い来る強烈な感覚に神経が悲鳴を上げている。
 まるで、手足をもがれているかのような激しい痛み。
 頭には無機質な言葉が直接響いているが、その意味を理解する余裕などなかった。
 なぜ俺がこんな痛みを味わっているのか! どうしてこんなに苦しまなければならないんだ! ふざけるなっ!!
 強く拒絶すると同時に、バリンッと何かが破れる音が聞こえる。

『……境界点突破。身体形成確認』

 その声を最後に、残っていた意識さえも真っ白に塗りつぶされた。


 ◆ ◆ ◆


 その日、俺――ありひとは、いつもの通り会社帰りに本屋に向かって歩いていた。
 小説の新刊を早く読みたいから、夕飯は作らずにコンビニで買って帰ればいいか。あー、金曜だし、一緒にビールも買おう。
 俺はそう内心でつぶやきつつ、夕飯は何を食べようかと考えていた。

「うわ、あれ危なくないか?」

 ふいに近くで聞こえた声に顔を上げると、工事中の高層ビルの上に吊り上げられた鉄骨がぐらぐらと揺れているのが見えた。
 うわ、本当だ危ないな。もう暗くなっているのに、なんでビル工事なんてやっているんだ? 工期が厳しいとか? ……どこも大変だよなー、こう景気が悪いと。
 せっかくの金曜の夜だというのに、つられて自分の仕事に思いをせてしまいそうになり、慌てて首を振って頭を切り替える。

「鉄骨が落下でもしたら危ないな。遠回りして行こうぜ」
「そうだな。あれ、落下注意とか立て札でも立てておくべきだよな」

 落下注意かー。確かにあんなのが落ちて来たら即死だろう。
 揺れる鉄骨を見上げ、俺もあの付近は避けようと考えて左に曲がろうと一歩踏み出すと……。

「うわっ!?」

 あるはずの地面を踏めずにバランスを崩して前のめりになり、転ぶ!? と思った瞬間、俺は転がるようにどこかへ落ちていった。
 このままどこまで落ちるのかと思った直後、視界が白に転じ、呼吸が苦しくなった。それと同時に全身をすさまじい痛みが襲ったのだ。
 一体、何が起こっているというのか?
 その間、そうとうのように過去の光景が頭をよぎったが、特に思うことはなかった。
 物心ついた時に両親は離婚しており、俺を引き取って面倒を見てくれた祖父母も、就職した頃に相次いで亡くなっている。
 親友と呼べるような友人もおらず、たまの休みに飲む知り合いが数人いるくらいだ。
 だから、もしここで人生が終わってものこすものなど俺にはない。……ないように生きていた。
 けれど。
 俺はただ自分の食べる分だけ働いて、好きに生きていければ良かったのに。
 これで俺は死ぬのだろうか……。
 意識を失う間際、そう考えていたのだった。


 ◆ ◆ ◆


 ペロペロ。ペロペロペロ。
 さわさわさわもふもふ。もふもふもふもふ。
 んん? なんだか頬にぬめっとした温かな感触が……それに、腕には心地いもふもふ?
 なんだこれは? 一体どうなって?
 ぼんやりとした頭では状況を理解できなかったが、その感触は止まることなく……。

「ん……。んん?」
「ウォンッ!」

 俺のうめき声に反応したのか、もふもふとした毛が、俺の足の上をおうおうしている気がする。
 これ……犬の尻尾か何かだろうか? 

「おお、目が覚めたかの? お前さんは運がいいのぉ。この子が見つけなければ助からなかったぞ。怪我もなく無事な『落ち人』なんて実に珍しいわい」

 顔中をめられる感触と、その渋めの声を聞いて、意識がハッキリと覚醒した。

「ちょっ、こら! 舐めるなって。もう起きたからめてくれ! でも、いい毛並みのもふもふだなー。……って! はあっ!? なんだこれっ!」

 ゆっくりと重いまぶたを開けると、目の前いっぱいに犬の顔があった。
 白銀に輝く毛並みにつぶらな緑の瞳。犬というより、狼のほうが近いか? 普通の大型犬よりも一回り大きいだろうか。
 もふもふの狼は、俺が起き上がると、すぐ隣でこちらに体重を預けて座った。
 思わず手を伸ばして、もふもふをでまわす。俺に寄り添ったその子の毛並みとぬくもりが、俺の動揺する心を落ち着かせてくれた。
 目覚めた時に見えたのは、隣のもふもふの狼の子の顔と、頭上を埋め尽くす美しい木々。
 そしてその隙間から見えた青空と……二つの太陽?
 ……ここは、一体どこなんだ?




 第一章 落ちた世界



 第一話 落ちた先は異世界


 どうやらここは、アーレンティアと呼ばれる異世界らしい……。
 目覚めた森の中でその現実を受け入れるまで、だいぶ時間を要した。
 今の状況を説明してくれたのは、俺を助けてくれた渋めの声の主だ。オーストと名乗ったその人は、外見は五十過ぎの初老の男性だった。ただ、外見よりも老成した雰囲気だから、俺はじいさんと呼んでいる。
 オースト爺さんは混乱する俺をなだめ、近くの切り株に座り、この世界のことを語ってくれた。
 この世界には俺と同じように落ちて来る人がいて、『落ち人』と言われているそうだ。
『落ち人』が見つかる場所は全て、辺境の魔境となっている土地らしい。ちなみにここは『死の森』と呼ばれており、ほぼ強力な魔物や魔獣しかいないことから、一度入ったら生きては出られないとされているとのこと。
 それを聞いた時、今、自分が生きているのは奇跡みたいなものだと思った。もし爺さんに助けてもらえなければ、今頃、魔物の腹の中だったかもしれない。
 それでも、ここはラノベでよくあるファンタジー世界なのか! とひそかに興奮して、魔法もあるのか確認してみると、その答えは「ある」だった。

「魔法って、火や水などの属性があって、呪文を唱えて使うやつか? ファイアーボールとか」
「ほほう。そちらの世界の魔法はそう使うのじゃな。この世界では、発現する魔法を属性で区別はせんし、呪文なぞもないぞ。それに決まった魔法もほとんどないな。使う人それぞれじゃ」
「は? でも、魔法って火を出したり、水を出したりして、攻撃に使ったりもするよな」
「ああ、そうだな。わしの家でゆっくり説明した方が良いのじゃが、すぐに知りたいだろうから、今ここでこの世界と魔力、魔法の関係を簡単に説明しようかの」

 俺が首をひねっていると、もふもふの子が尻尾を振りながら身体をすり寄せ、俺のひざに頭を載せた。その頭を躊躇ためらうことなく撫でる。頭の毛も非常にざわりがいい。
「よし。ではこのアーレンティアのことを、わかりやすく説明しようかの。まずはこの世界の大前提としてはじゃな。世界には魔素があり、あらゆる物が魔素から変換された魔力を有している、
ということじゃ」

「へ? 植物や動物、地面にも魔力が含まれている、ということか?」
「そうじゃよ。この地面も木々も水も人も獣も、全てが魔素から変換された魔力を持っているんじゃ」

 うーん、それじゃあ空気中に魔素がただよっているってことか? ってことは、今も俺は呼吸しながら、魔素を取り込んでいるわけで……。

「だから魔法というのはじゃな。空気中にある魔素を使い、自分の魔力をばいかいして己の望む現象を発現させることなのじゃ」
「……じゃあ、火をつけたければ、空気中の魔素を自分の魔力で火に変化させ、魔法として発現させるのか? だとすると、魔法を使うにはイメージが大事とか?」
「そうじゃ。魔法とは、自分が想像した現象を発現させることじゃから、その発現した現象は使う人それぞれなのじゃよ。お前さん、すごいの。今の説明でそこまで理解できるのか。いや、お前さんの世界にも似たようなものがあるのかの?」
「いや、俺の世界には魔法自体がなかったし……ん?」

 何気なく言った自分の言葉が引っかかった。

「俺は魔力なんて持ってないから、もしかして俺、魔法を使えない……?」
「いいや、ここにいるのじゃから、お前さんもすでにわしと同じくこの世界の人間じゃよ。すなわち、別世界から落ちて来た時に、この世界に合うように変化しているはずじゃ」

 あー……変化している、か。
 最初は動転して、何がなんだかわからなかった。けれど、もふもふの狼を撫でている手が、見慣れた手よりも大分小さくなっていることには気づいていたのだ。
 ただ、それをすぐ確認するだけの精神的な余裕がなかっただけで。

「……やっぱり現実を見ないとダメだってことか。爺さん、俺は元の世界では二十八歳だ。つまりとうに成人した、いい大人だったんだが」

 ふう、と思わず出たため息が重い。

「お前さん……さすがに、そこは今の現実と向き合わねばなるまいよ。どれ、儂が魔法を使ってやろう。今の姿を確認するといい」

 まだその事実と向き合う覚悟ができていないから、遠慮したいところなのだが。
 そう思いながらも、魔法を使い始めたオースト爺さんを見つめる。
 爺さんがぼんやり光り出すと、周囲の空気が……変わった?
 空気中の何かが爺さんの周りで動いている――そう感じられるのは、俺が今、魔力を持っているからなのだろう。
 人生初めての魔法をまじまじと見つめていたら、そのまま現実と向き合うことになった。

「ほれ。これなら姿が映るじゃろう。どうだ? 見えるかの?」
「な、なん、なんだこりゃあーーーーっ!」

 そう、爺さんが魔法で作ったのは、空中に浮かんで光を反射する鏡のようなものだった。
 それに映し出されていた自分の姿を見て……。ふっと意識が遠のいたのがわかった。


 ◆ ◆ ◆


 俺が意識を取り戻したのは、しばらく経ってからのこと。
 爺さんの魔法で見たのは、青みがかった暗い輝きの銀髪に、深い緑色の瞳の、推定十二、三歳くらいの少年だった。
 見た瞬間は、あまりの違いに自分だとわからなかった。
 でも、一緒に映った俺の膝の上にいるもふもふの狼を見て、少年は自分なのだと確信したのだ。
 落ち着いてじっくり見てみると、顔立ちは確かに俺だ。中学の頃はこんな顔をしていた。
 髪や瞳が元の世界ではありえない色だから、顔の印象が違って見えたのだろう。イケメンとはいえない、取り立てて特徴のない顔なのは間違いないのだが。

「なんで髪や目の色が変わって、幼くなっているんだ? これが、この世界に来たことによる変化なのか? 全然自分だっていう実感がないんだが……」

 爺さんに「ここは異世界だ」と言われた時よりも、自分の姿の方が現実味がない。

「でも、この感触を味わっているのだから、やっぱり現実なんだよな……」

 自分の顔を確認している時も、膝の上にあるもふもふの狼の頭を撫で続けていた。耳の短めな毛や、柔らかなふにふにとした感触が、とても気持ちいい。

「儂が見つけた時には、すでにお前さんはその姿じゃったぞ。恐らく、お前さんが魔力のない世界から来たことで、外見にも変化が出たのじゃろう」

 その時、ふと思い出した。あの苦痛の中で、耳の奥に響いていた無機質な声を。
 変換とか何とか言っていたような……。もしかしてあれは、この世界へ適合するために変化した際の痛みだったのか?

「第一お前さんは、最初から儂の言葉がわかったであろう? 今話しているのは、お前さんの世界の言葉かな?」
「え? ああっ! そういえば……」

 確かに、爺さんと普通に会話できているな。今、声変わり前のちょっと高めの声で話しているのは……。

「日本語、じゃないな。それなのに自然に話せるし、意味もわかる。でもこんな言葉は、俺は知らない……。一体どうなっているんだ?」

 俺の口から出ているのは、音だけ聞けば知らない外国語だった。
 そのことに気づくと凄い違和感に襲われ、驚いて日本語を話そうとしたら、口から出たのはこの世界の言葉だった。

「ほっほっほっ。今頃気づいたんじゃな。多分文字も普通に読めるし書けるだろうて」
「そ、そうなのか? まあ、確かに言葉も文字もわからず不便な思いをするよりはいいが……」

 とはいえ、すんなり呑み込むことなどできない。なぜ日本語を発音することさえ不可能なんだ?

「儂がさっき、お前さんはこの世界に合うように変化していると言ったじゃろ。その変化は、お前さんの全ての事柄に及んでおるのじゃろう」

 まあ、確かにそういうことなら、納得できなくもない。
 元々、普通に日本語を読み書きできていたので、この世界の言葉でそれができるというわけか。

「儂の推論だが、身体的に同じ年齢にならなかったのは、小さくしないとこの世界に適合できなかったからじゃろう」

 互いの世界の身体能力の違いが原因で、年齢が半分以下の身体になったということだな。
 でもそれなら、髪や目の色まで変わった理由は?

「もしかして、この世界には黒髪黒目の人っていないのか?」
「いや、いるぞ。ただほとんどおらん。髪や目の色は、好かれている魔素の色に染まるのじゃ。だから後から色が変わる、なんてこともまれにある。ほぼ生まれながらの相性のようなものだがの。黒は闇の魔素の色じゃ。しかし、他の属性に好かれていれば別の色が混ざる。つまり、黒髪黒目なんて、よっぽど闇に好かれていて、他の属性を受けつけないということなのじゃよ」

 魔素の色? ……じゃあもしかして魔素は、水素や炭素といった元素のようなものなのか? 水素っぽい魔素は水の属性、とか。

「人には属性の適性がある、ってことだな。黒髪黒目だと闇属性しか使えないのか?」
「いや、誰もがどんな魔法でも使うことはできる。ただ、魔素にも特性があっての。火属性の魔素は火をおこしやすい。水属性の魔素は水を出しやすい。そんな感じじゃ。その属性の魔素に好かれると、魔素を変化させやすくなり、魔法の発現が早くなるんじゃよ」

 魔素に好かれるって……まさか、意思があるわけじゃないよな。
 まあ、よくわからないが、異世界のことを地球基準で考えようとしても仕方ないし、そんなもんだと思っておくことにしよう。

「お前さんの髪の色は青系が強いから、恐らく水と相性がいいじゃろう。それと瞳が緑じゃから、風じゃな。魔法を使う時には色々試してみるといい」

 水系? 俺、別に水泳とか得意でもないんだが。すいでんの手入れを、子供の頃から手伝っていたからか? 

「とりあえず、この世界に慣れるまでは儂の家にいるといい。その後のことは、おいおい考えればいいじゃろう。身体は変化して適応したとしても、ここでの暮らしは色々と学ばねばならないからの。そうじゃな、宿代の代わりに、お前さんのいた世界のことを話してもらえたらそれでいい。家にはその子みたいな従魔がたくさんいての。じゃから、この森の中でも儂の家は安全じゃ。他に住む人もいないのでな」
「おおっ! 爺さんの家には、もふもふがいっぱいいるのか! ぜひよろしくお願いします! お世話になりますっ!」

 もふもふがいっぱいだなんて、天国じゃないか!
 もちろん、日本にいた頃の話くらいなら、いくらでもできる。

「ふう。現金なヤツだ。まあ絶望されるよりはいいか。ここの暮らしに慣れたら、次は魔法の習得じゃな。自分の中の魔力を認識して、意識して操ることから始めんといかん。のんびりやるしかないがの」
「魔力の扱いなんて初めてだから、時間はかかりそうだよな……。俺の年の頃には、魔法をそれなりに使えるのが普通なのか?」
「そうじゃな。毎日使う簡単な魔法なら、五、六歳くらいになれば、使いこなせる」

 うーん。身体は小さくなってしまったが、今の俺にどのくらいの能力があるのか知りたいよな。
 こう、もっと自分の状態がわかる方法はないのかな? ゲームでよくあるステータスみたいに、数値化された能力が見られるとか。
 見てみたいよな、ステータス。どうせ異世界なんて非現実的なところにいるのだし……とりあえず試しに言ってみるか?

「よし。出ろ、ステータスッ!!」

 りきんでゲームのステータス画面をイメージしながら叫んだ瞬間、身体の中から何かが湧き出てきた。それを感じると同時に、全身の力が抜けていく。

「お、おいっ! 何をやっておるのじゃっ!」

 爺さんの慌てている声が聞こえた気がしたが、そのまま俺の意識は遠のいていった。
 ああ、今日はこんなのばっかりだな……。起きたら、自分のアパートの部屋にいたりして。
 そんなことを思いながら、意識を失ったのだった。


 ◆ ◆ ◆


「知らない天井だ……」

 ぼんやり目を開けると、丸太で組まれた天井が視界に入り、思わず呟いた。

「夢じゃなかった、ってこと……なんだよな……」

 つまり、ここは異世界だ。まだ実感が湧かないが……。
 とりあえずベッドで横になったまま、周囲を見回してみる。
 どうやら俺は、ログハウス風の簡素な部屋で寝かされていたようだ。
 ベッドには、木の板の上に厚手の毛皮の毛布が敷いてあるだけだった。おかげでちょっと背中が痛い。
 部屋に一箇所だけある窓は、よろいまどのようになっていた。その戸の隙間から差し込む光で、今は昼間だとわかる。俺はどのくらい気を失っていたのだろうか?

「クウォンッ! ウォン!」
「うをっ! お前、ずっともふもふさせてくれていた子だよな? なんだ、俺が起きるのを待っていたのか?」

 ふいにペロンと顔を舐められ驚いて見ると、ベッドの脇にキチンとお座りした先程の狼がいた。多分さっきまで床に寝そべっていて、見回した時には目に入らなかったのだろう。
 なんでこんなに俺になついているのか? と疑問に思うが、むしろ俺は大歓迎なので、起き上がって寝台を下りて狼に抱きつく。全身で、素晴らしくさわり心地の好い毛並みを堪能した。狼の子もうれしそうに尻尾を振りながらすり寄ってくれる。


「お、起きたかの? ふむ、その子は本当にお前さんのことが気に入ったのじゃな。とりあえず外に出て来てくれないか。お前さんなら見ても大丈夫だろうて」
「あ、はい。今行きます」

 鎧戸の外から掛けられたオースト爺さんの声に応じ、扉を開けて部屋を出た。もふもふ狼の子も俺のあとについてきている。
「お前さんなら見ても大丈夫」って、何のことだろう?
 ベッドのあった隣の部屋は広く、中央には素朴な木のテーブルと椅子が置いてあった。壁際にはかまどが見えるから、台所も兼ねているのだろう。やはりこの部屋にもガラス窓はなく、鎧窓が二箇所あるだけだった。
 部屋の様子をちらりとうかがったあと、外に続くと思われる扉を開けた。
 すると――

「うっほー! 壮観だな爺さん! ここは天国なのか?」

 思わず叫んでいた。いや、叫ばずにはいられなかったのだ!
 扉の外は広場になっていて、そこには爺さんの他に、たくさんのもふもふたちがいた。
 そう、広場に入りきれないほどの、大型や小型のもふもふたちがっ!
 俺に付き添って出てきた子狼の親なのか、体長五メートル近くもある、白銀の毛並みの狼っぽいもふもふ。
 ネコ科のような細長い尻尾の、毛の長いもふもふ。
 そしてこれこそ九尾の狐か! という尻尾がいっぱいある狐に似たもふもふ。
 ウサギやリスなどの小動物系のもふもふから、羽毛がふさふさの鳥まで、いろんな種類がいた。
 俺の知っている動物たちと似ていても、耳や尻尾の形が違ったり、地球ではありえないくらい大型だったりしたが。
 そんな夢のような光景に、俺は迷わず大きな白銀の毛並みへとダイブした。
 桃源郷が目の前にあるなら、行くのが男ってもんだ!

「もふもふ! ふわふわ! すっごく気持ちいいもふもふだーーっ!」
「……お前さん、大丈夫だとは思ったが、迷わずエリルへ飛びつくとは……。自分より遥かに大きな獣ばかりじゃ。普通は命の危険を感じるもんじゃがの?」
「この子たちは、爺さんが言っていた従魔だよな? なんだか皆優しい顔しているから、全然怖くないよ。嫌がる子は別として、思う存分もふもふさせてもらいます!!」

 確かに、従魔たちの巨体や、それに応じた大きさの牙と爪が怖くないわけではない。
 でも、どの子にも目には知性の光があり、爺さんのことを親しみを込めた眼差しで見ていたのだ。
 今抱きついている狼型のエリルも、鋭い牙と爪はあるけれど、眼差しは凄く優しかった。だから安心して、ふかふかな美しい毛並みへとダイブしたのだ!
 存分にエリルの毛並みを味わった後は、次の標的を灰色のひょうに似た模様のある、ネコ科っぽいもふもふに定めた。寝そべっていても、その顔は俺の腰ほどまでの高さがある。
 俺はまず、大きな顔の前にそっと手を差し出しておうかがいを立てた。そして、手の匂いを嗅いだ後に下げられた頭を、そっと撫でる。
 おおーう。これはまたビロードのような、めちゃくちゃなめらかな手触りで……たまらんな!

「……お前さんには、この子たちのような魔獣を警戒させない何かがあるのかもしれんな。そうでなければ説明がつかんぞ。いくら儂と一緒にいるからといって、皆が大人しく撫でられているとはのう。ふむ、面白い。まあじゃが、今は戻ってこい。さっきは状況の説明ばかりで、ろくに挨拶もしておらんかったからの」

 そう言われて、まだ俺はお礼さえ言っていなかったことを思い出す。慌てて爺さんの前まで戻り、感謝を込めて頭を下げた。

「お礼が遅くなってすみません。俺を見つけてここまで運んでくれて、ありがとうございました。あのまま転がっていたら、今頃生きていなかったと思います。改めまして、俺は日比野有仁と言います。名前はありひとですが、呼びづらいので、アリトと呼んでください」

 アリトというのは、近所の家に住むおさなじみがつけた、俺の唯一のあだ名だ。子供には、有仁は発音しにくかったからだろう。

「おお、よいよい。望まずに世界の壁を越えてしまったのじゃ、気が動転するのは仕方なかろう。改めて儂も名乗ろうかの。オースト・エルグラードじゃ。薬草や薬、植物の研究をしておるよ。よろしくな。こんなへんな土地に住んでいるのは、人に色々言われるのにうんざりしたからじゃな。それにここなら存分に皆を自由にしてあげられるしの。皆の紹介は後でしてやろう」

 いわゆる引きこもりってわけか。
 ここが辺境で魔境の地の一つだと聞いた時、どうして爺さんはそんな危険な場所に住んでいるのかと疑問に思ったが、これだけ多くの魔獣がそばにいれば問題ないってことだろう。
 とはいえ、大勢の魔獣を連れている爺さんは、恐らく普通ではないのだろうな。この世界の事情はわからないけども。


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