気になるなぁ日記3

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2024年09月

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 披露宴会場に裏口から入ると、控室に直行する。タージェ家の若いメイドが二人待っていて、ドレスの用意が出来ていることを示してきた。まずは白のこのウェディングを脱ぐところから始めて、体の手入れ、結んでいる髪を今はそのままに着替える。

 メインのを着てしまうと椅子を勧められてそれに座る。髪を解かれて次のセットを施している間に、他の装飾品をせっせとつけて行く。メイドの仕事も楽じゃないわね。セルヴァンタさんは会場の状況を見て来ると一旦退室、きっと先輩メイドのところよ。

 途中ストローでお水を飲ませて貰って、暫くは目を閉じてしまう。ドアが開いたところでセルヴァンタさんが戻って来たのを知ったわ。顔色を見たけれど問題は無かったみたいですね。

「お色直し整いました!」

 若いメイドが申告する、立ってみて三人でぐるりと一周して確かめた。どこか変なところないかしら?

「よろしいでしょう、二人は休んでいなさい。ではカレン様、会場へご案内したします」

「はい」

 二人のメイドが疲れた表情をしながらも丁寧に礼をして送り出してくれる。いよいよ来たわよ! 気合いを入れてメイン会場の扉の前にやって来る、アーサーさんが待っていてくれてるわ。さっきと同じ白いスーツね、男の人は着替えないのかしら。

「披露宴は花嫁を紹介する場、カレン様が主役です」

 あ、そうなんだ。こっそりと疑問に答えてくれたので、小さなもやもやは解決したわ。というかさっきの教会でのこと思い出して顔が熱くなってきた。

「綺麗だねカレン」

「あ、あ、ありがとうございます!」

 そういうのサラッというのは反則じゃないの、もう。ここを開けたら最後、雑談も出来無さそう。肘を曲げてこちらを見詰めて来る、腕を絡めてやや俯き加減で隣に立ったわ。会場でのアナウンスがあって、扉が開かれる。音楽団による演奏があって、雰囲気が高められる。凄い、そんなのまで用意してくれたわけ?

 ゆっくりと雛壇へ向け歩き出し、席についてからようやく顔をあげて会場をみる。

「え、こんなに……」

 精々数十人を想像していたのに、何とそこには三百人以上がやって来ていて、入り切れない客が奥の扉の先にまで見えていた。でも、お父さんが居ないわね、友達も親戚も。あちこちを目線だけで探したけれども、誰一人として見つからない。

 祝福の言葉、お酒を持って来て飲めと注いでいく人たちも全員知らない人。これ盃に口付けて全部足元のバケツに捨てちゃうのよね、勿体ないけど飲んでたら倒れるわ。それにしてもどういうことかしら、誰も居ないなんておかしいわ。

「いやーそれにしてもオセール子爵も美人な奥方を娶られたようで羨ましいかぎりですな、はははは!」

 オセール子爵? えっと、それって誰ですか? 隣をチラッと見てみると「私には過ぎた妻ですが、これも神の計らいでしょう」なんて言ってる。つまり……「えー!」つ声をあげて立ち上がろうとして、足をテーブルにぶつけてひっくり返りそうになったわ。

「失礼」

 アーサーさんが断りを入れて傍に来て、片方だけ膝をつくと「疲れたかい?」そう囁いて来る。疲れたとか忘れる事情が今さっきあったんですけど。ですけど!

「いえそういうわけでは……」

 はい、そういうわけではないんです。違うんですよ。でもここでそんなことを言うわけにもいかず「大丈夫です」といういつもの言葉が出てくる。

「もう少しだから頑張ってくれるかな。でも無理だと思ったらすぐに戻ってもいいからね」

 ああなんて優しい人なんでしょう。今日という日を迎えられて私は神とお父さんに感謝します。天国のお母さん、見てください私とても幸せです!

 次々と祝賀を述べに来てくれるけど、この人が子爵ってのは間違いなさそう。お父さん、どうやってこんな約束取り付けて来たんだろう。

「時にオセール子爵、今年の冬は小麦が急騰しそうとの噂がありますが、いかがでしょうか?」

 ん、何の話題ですかこんな時に。相手は脂ギッシュな髭おじさん。

「祝いの席には似つかわしくない話題ではありますが、このように駆けつけて下さったギョーム殿に私見を。南方では大豊作だった様子で、今年はそこまで高騰はしないとみておりますよ」

「おお、そうですか、そうですか! では控えておきましょう。奥方、次に会う時には手土産にご期待ください。ははははは」

 上機嫌で降りて行った人の後ろ姿を見詰める。何だったんだろあの人。列も少なくなり、最後の中年女性がアーサーさんにお酒を注いで短くやり取りする。そしてこちらに来て注ぎながら「カレン様、随分と様子が変わられたようですが。お父上はお元気で?」え、私この人知らないけど誰だろう。

「はい、会場には来ていないようですけれども、元気にしていますわ」

「そうですか、それは一安心。昨年より病に倒れて伏せっていると聞いておりましたので、ご息女がそう仰るならそうなのでしょう。マジュラが侯爵を心配していたとお伝えくださいませ」

 言うが早いか段を降りてったけど……侯爵? ご息女って……ん?

「新郎新婦が一旦退席致しますので、盛大な拍手をお願いします」

 わーっと会場が盛り上がったので起立して礼をすると裏口へと出て行く。気にはなるけど少し休みたい、サルヴァンタさんが待っていてくれて二人で控室へと下がって行ったわ。



 ドレスの紐を緩めて一休み。それにしてもあの意味って……うーん。

「ところでサルヴァンタさん、家のお父さま会場に居なかったのですけど、何か聞いていませんか?」

 どれだけ農作業が忙しくても、流石に式には参加してくれるはずなんだけどな。でも会場にいなかったし、居るなら絶対に最前列よね。

「モントロー侯爵ならばお加減が優れないとかで臥せっていると聞き及んでおります。名代として分家筋の方がいらっしゃっておりましたが」

「…………え?」

「確か、マジュラ・ジエリ女男爵だったかと」

 さっきの人だわ。でもなんで私のことを知ってたような口ぶりだったのかしら、というかこれって私、別の人と勘違いされてない? だとしたら何だか色々と辻褄があうんだけれど。でも人を取り違えるなんてあるかしら、しかも花嫁をよ。

「私の名前ってどうなるのかしら」

「カレン・ムピラニヤ侯爵令嬢から、カレン・ムピラニヤ・タージェ子爵夫人という形に」

 あ、私嫁ぎ先間違ってるわ。はい、確定。何で今の今まで誰も気付かないのよ。まあ他人のことは言えないんだけれどね。どうしましょう、話をするのは絶対だけれども婚礼が終わってからよね、ここで明かしても混乱を助長するだけだわ。

「あのカレン様、顔色が優れないようですが?」

「ええごめんなさい少し疲れちゃって。でももう少しなので頑張ります」

「冷たいお飲み物をご用意致します。心を落ち着けるハーブティーをアイスで」

 若いメイドが一人厨房へ走る、氷を取りに行ったのね。部屋にある簡単な道具で湯を沸かして、ポットに茶葉を入れて蒸す。そのうちにメイドが戻ってきて、器を渡したわ。カップに氷を入れて紅茶を注ぐと、氷が割れる音がした。それをマドラーでかき混ぜるとアイスになる。

「どうぞカレン様」

「ありがとう」

 香りを楽しんでから一口、冷たくてすっと何かが入って来る感じがリラックスするのね。大変なことになっちゃったけど、こうなったらもう仕方ないわよ。出来るだけアーサーさんに迷惑が掛からないようにしてもらいましょう。秘密を知っている人を決めるのもアーサーさんが考えるべきよ。

「ごちそうさま。さあ行きましょう!」

 元気だってことをアピールしてさっさと披露宴を終わらせる意気込み。あの扉の前に行くとアーサーさんが待っててくれた。

「あの、後で物凄く大切な話があるので、式が終わったら二人きりになりたいです」

「ははは、解ったよ。じゃあ最後だ、行こうか」

 お疲れなのね、いつものような注意力が削がれてるっぽいわ。優秀を絵にかいたような評価を受けているのが分かったわ、アーサーさんはもっともっと上を狙える人。今日の披露宴で様々な人の挨拶を聞いていて、侯爵令嬢を妻にって話を受けたのも知ったわ。名前が偶然一緒だったてだけで、こうもうっかりな事件が起きるなんて足元を疎かって言われかねないわよ。

 式典は全てが滞りなく終了、二人も着替えることも無く街のホテルへと直行した。スイートルームには着替えが用意してあって、そちらは普段着だったわ。疲れたのでまずは着替えて椅子に座る、初めて本当に二人きりになれた。

「あのアーサーさん、重要なお話が」

「夫婦になったんだから、他人行儀なのはやめてもいいんじゃないかなって思ってるよ」

 その大前提がですね、はい、アレなんですよ。くつろいで水を飲んでいるところに爆弾発言をぶつけるわ。

「私はカレン・ムピラニヤじゃありません」

「そうだね、今日からカレン・タージェだ」

「いえそういうことではなくてですね、人違いです」

「誰と誰が?」

 全然自分のこととは思っていない様子でいる、お酒のせいもあるんだろうけれども。

「私はアリデーレ伯爵領の農家の娘カレンです。モントロー侯爵のご令嬢カレン・ムピラニヤは別人です」

「な……んだって? いや、でも……」

 ようやくことの次第が理解出来てきたようで顔色が変わって来た。酔いが一気に醒めたって感じかしら。

「どこでどうしてこうなったかはわかりませんけど、私も同時期に見知らぬ人と結婚する予定でした。それで一人でここにやって来て、お屋敷の前でセルヴァンタさんと会って招き入れられて」

「いくら何でもセルヴァンタが確認もせずに間違えるとも思えないけど」

「一応手紙にあった住所のオーエン通りの十七番と宛名のカレンは見せたんですけど」

 屋敷に戻れば手紙は残ってるし、嘘は言っていない。アーサーさんはどういうことかと思案している。

「もしかして。アリデーレ伯爵領(フランス)出身といったね、これはなんて読むかわかるかな?」

 Hotel Loiのロゴが入っているカップの文字を見せて来た。どういうこと?

「オテル ロワですけれども。それが何か?」

「はぁ、それだね。カレンが行くべきところはホーエン通りの十七番だったんだ。一文字目のHを発音しない地域だ、セルヴァンタは目が悪い、手紙の文字を見て取れてなかったんだろう。事前にカレンが輿入れして来ると伝えてあったし」

「え、そうなんですか!」

 産まれてこの方ずっと普通にそうやって読んでたわ。でももう一つの大きな疑問があるわよね。

「でも、そうだとしても、本当のカレンさんはどうして現れなかったんですか?  それにいくらなんでも、カレンさんの知り合いか気づくと思うのですけど」

 だってそうですよね、自分の結婚だっていうのに居ないっておかしいじゃない。それも侯爵家のご令嬢だっていうなら、自分だけのことではないのに。

「とてもわがままで有名なんだ、もしかしたら気が乗らないからとかで来なかったんじゃないかな。見てわかった人もいたかもしれないけれど、面倒ごとに関わるのを避けた可能性もあるね。私も今後の事を考えて格上の令嬢を迎えるつもりだったんだ」

 ですよね、侯爵家との繋がりが出来れば繁栄も約束される……と思う。それに比べて私の実家は芋農家、どうにもならないわ。厨房では喜ばれたけれど。

「どうやって謝ったらいいのか。ごめんなさい。私はどうしたら? ああ、もうどうしてもっと早くに変だって気づけなかったのかしら。ずっと違和感はあったのに、嬉しくて幸せでついそれに浸ってしまって。取り返しがつかないことに巻き込んでしまって……」

 全部夢だったんだ、これですべてお終い。せっかく父さんが取り付けてくれたお話もきっと破談。帰郷したって冷たい目で見られるだけ、家族にまで迷惑をかけるようだったらいっそのこと消えてしまいたい!

「カレンが悪いことはないさ。でも、そうだな、少し考えさせてくれるかい。先に寝てたらいい、疲れているだろう」

 俯いてしまったので、頷くと隣の部屋にある寝台に横になる。スイートルームは続き部屋って意味だから、扉を隔てて別々になったわ。偶然が重なってこんなことになる? ならないわよ、一体何なのよこれは。当然お互い眠れるわけがないので、朝になっても浮かない顔。身体の疲れは取れたけどね。

 今日は一切の予定が入っていない、それはそうよね。身だしなみを整えて再度テーブルを挟んで向かい合う。

「お早うございます」

「ああ、お早う。眠れたかい」

「これだけ疲れてても眠れないなんて初めてです」

「私もだよ」

 やれやれと共感しながらも、モーニングコーヒーを口にする。苦すぎるくらいが今は丁度良いわ。

「今後の事だけど」

「はい。私は全てを受け入れますので、アーサーさんの都合の良いようにお願いします」

「……まずは屋敷に戻ろうか。今まで通りに振舞っていて欲しい」

「……はい」

 多くを語らずにひっそりと部屋を出る。裏手に停めてある馬車を用立てて、屋敷に戻ると玄関前に見なれない豪華な馬車が停まっていて、御者が黒いスーツ姿で待っている。来客ね。

「こんな朝早くから来客なんてどなたでしょうね?」

「あの紋章はモントロー侯爵のものだ。カレンの登場だろうね」

「あ……」

 流石に自分が居ないところで自分の婚礼があったなんて聞いたら駆け付けるでしょうね。どこかで誰かが報せたんだわ、話に聞くような性格なら祝賀を述べに来てるわけじゃなさそう。

「カレンは黙って傍に居てくれたらいい、いいね?」

「はい」

 馬車を降りて御者に会釈をする。ドアノッカーをガンガンやって「私だ、戻った」透き通る声で告げると、直ぐに先輩メイドが扉を開ける。入ると正面にセルヴァンタさんが待っていて、困惑の表情を浮かべていたわ。

「あの、若旦那様、モントロー侯爵ご令嬢がお出ででして……」

「概ね理解している。案内してくれ」

「畏まりました」

 視線をこちらにチラッとやっただけで、セルヴァンタさんは応接間に先導する。部屋の中には真っ赤な長髪で、豪奢なドレスを着た同じ年位の女の人が椅子に深く腰掛けて待っていた。手には扇子を持っていて、開いたり閉じたりして落ち着きがない。

「客人をお待たせして申し訳ない。ここの主、アーサー・タージェです」

 右腕の肘を綺麗に折って腰を曲げて挨拶をする、私も一緒に頭を下げたわ。部屋には先輩メイドが控えていて、困惑の表情はセルヴァンタさんと一緒ね。カレンさん、表情を歪めてはいるけれど、それを差し引いたとしても私と似てるとは言い難いわね。

「ふん、随分と遅い帰りじゃない! 私が誰だかわかるかしら」

「モントロー侯爵令嬢カレン・ムピラニヤ。この度は大変失礼いたしました。ここに謝罪申し上げます」

 誤りは誤りだと謝罪する、それは私も正しい行為だと思うわ。この修羅場感に皆が黙りこくっている、当然よね。

「それで、どういう言い訳を聞かせてもらえるのかしらね。冗談でしたではすまされないわよ!」

 扇子を横に薙ぐとテーブルの上のカップを叩き落とす。ガシャンと割れる音がして、紅茶が絨毯に飛び散った。先輩メイドが顔を蒼くして破片を片付け始める。

「寝ぼけたババアに、不味い菓子を出すシェフ、接客一つ満足に出来ないメイド、気が利かない連中ばかりね! 主人が主人なら従者も従者よ!」

 物凄い怒ってらっしゃる! いやそれは当然なんだろうけど、それにしたって酷い。話に聞いていたとても我がままってレベル越えてないかしら?

「オセール子爵、何かいったらどうなの?」

「当家の不注意による名誉の棄損が起こりましたことにつきましては、今後改めての賠償を確約する所存です」

 当人不在の婚礼よね、やり直すわけにも、やったことにして終わらせるのも問題よ。お針子の言葉じゃないけど、女性にとって最大の戦場とすらいわせる婚礼が出来ないのは……怒っても仕方ないわ。こちらに言い分は無い。

 彼女の椅子の後ろに立っている執事? の人も、何だか顔色が悪いわ、辟易としている感じよ。それにしてもこの人、今の今までどこで何していたの?

「モントロー侯爵家の顔に泥を塗った代償は安くはないわよ! それとお前、その薄っぺらい身体で男をたぶらかしたのかい」

 う、薄っぺらいって。まあ、そうなんですけど誰かに言われたら面白くはないわね。むっとはしたけど、何も喋らずにぐっと我慢よ我慢。

「この者は私の指示で共に在るだけです。全ての責務はアーサー・タージェに帰属します」

 私のことを庇ってくれてるのね、完全に私の失敗なのに。やっぱり誠実な人、そんなひとの人生狂わせるようなことをして、どうしたら。

「オセール子爵、あんたは黙ってなさい。おいメス豚、ひとの男とっておいてダンマリかい、何かいったらどうなんだい?」

 メス豚なんて呼ばれたこと初めてよ、この人どうなってるのよ。いくらなんでも普通じゃないわ。

「勘違いでこうなってしまったけれども、決してとったというわけではありまー―」

「おだまり! 口ごたえすることを許した覚えはないわよ!」

 扇子をこちらにビシっと向けて激怒する。何かいったらっていうから言ったのに。なんていうか、私にはこの人の相手は絶対に無理よ。貴族ってこんな感じなのかしら、もっと優雅で穏やかかと思ってたわ。

「日を改めまして再度場を設けたく思いますので、今日のところはお引き取り願えないでしょうか?」

「は? 適当なことを言って煙に巻こうと思ってるんじゃないだろうね」

「決してそのようなことは御座いません」

 真面目一徹な表情を浮かべてアーサーさんは返答してるけど、あの人は全然よ。落ち着いて話し合わないと、決して良い結果は見込めないのに。

「あの、どうして今の今まで現れなかったんですか? 婚礼があることも知ってらしたんですよね」

 多分ですけど、昨日の今日でやって来られたってことは、近くにいたわけで。モントローってのがどこにあるかは知らないけれど、数日前にはここに来る予定だったって言ってたし。

「売女が勝手に口を開くんじゃないよ。どこにいようと私の自由だろ、ヴィシーの丘で優雅に過ごしていたのさ」

 ヴィシーったらここの北側ですね、そこまで来ててどうして顔位出さなかったのよ。この人の考えることが私にはわからない。本当に自由気ままな人なのね。

 居場所を知っている人が居たから、知らせて直ぐにここに来た。会場で私が別人だって気づいた人、やっぱりいたんだ。普通ね、普通。

「すぐ側にいたなら手紙でも使いでも出して連絡をとればこんなことには――」

「ああっ、私が悪いって言うつもりかい? どこから連れて来た淫売か知らないけど、大層な口きくんじゃないよ。お前を地獄に叩き落とすくらいわけないんだ、さっさと出て行け!」

 鬼の形相で怒鳴られてしまう。この人と居たら気分が悪くなる一方、それにここに居ても迷惑ばかりかけるし、出て行くのについては賛成よ。それが良いのよね、従うのは癪だけどきっとそれが正解。

「侯爵令嬢には申し訳ないことをしたのは事実で御座いますが、ここは私の屋敷。誰を招いて誰を帰すかは私が決めることです」

 ……アーサーさんに言われるなら少しは気が楽ね。恰好もつくでしょうし。

「セルヴァンタ」

「はい、若旦那様」

「カレン・ムピラニヤ様がお帰りだ、ご案内して差し上げろ」

「え! は、はい」

 いや、それはダメでしょ! カレンさんの顔が真っ赤になってるわ。

「それがオセール子爵の、いえヨンヌ伯爵家の態度で間違いないのね」

 眉をひそめてアーサーさんを睨み付ける、絶対にアレは誰かを害したことある目よ。気が弱い人なら泣き出してしまいそうな程。

「そうお考え頂いて結構。私だけならばともかく、妻と使用人まで侮辱の限りを尽くされては甘受出来かねます。どうぞお引き取りを」

 ガン!

 目の前のテーブルを蹴り倒してから立ち上がると、執事を連れて隣を通り過ぎる。

「無事で終われると思わない事ね。待って居なさい、ひどい目にあわせてやる!」

 恐ろしい捨て台詞を残して、セルヴァンタさんと一緒に部屋を出て行ったわ。黒いオーラでも出してそうな感じね! それにしても。

「あの、アーサーさん。今ならまだ間に合います、このままじゃ大変なことに」

「決めたんだ。居場所というのは、自分が自分でいられるところを言う。私の妻はカレン、君だ」

 瞳を覗き込んでそう言われると、何故だか涙が流れて来た。自分でもよく解らないけれど、頬を伝ってぽとりと落ちて行く。こんなこと認めちゃダメだって解ってるのに、それは許されないって気づいているのに。驚きと嬉しさで胸がいっぱいになって言葉が出ない。

 アーサーさんが寄って来て抱きしめてくれる。暖かい。

「言葉になんて出来なくていい、傍に居て欲しい」

「……はい。私で良ければ喜んで」

「君がイイ」

「はい……」

 その後、どれくらい二人でそうしていたか、全然覚えていなかった。
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