波が覚えているから

橙と猩々

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スカーフ

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 海からの突風。
 結び直そうとしたスカーフは、簡単にさらわれていく。
 二千円をケチるんじゃなかった、と渡梨花わたりりかは思った。予めリボンにホックが付けられていて、セーラーの襟元に装着するものも購買にはあったのに。
 朱色の布が防波堤の手前をひらひらと泳ぐのを見て、梨花は走り出した。
 せっかく節約した制服のスカーフを失う訳にはいかない。
 防波堤に囲まれた埋め立て地へ駆けつけると、海を背に一人の青年が立っていた。
 その褐色の指にスカーフが握られている。
 あ、と梨花は目を瞠った。
 彼の黒い肌も、髪も、瞳も、日本人とは違っている。
 梨花の戸惑いとは他所に、青年は無邪気な笑顔で近づくとスカーフを差し出して来た。
 そして、口慣れない様子で「コンニチハ」と言った。
 「どうぞ」と言う日本語をまだ知らなかったのかもしれない。
 梨花はすぐにスカーフを受け取る事が出来なかった。
 混乱したのだ。
 彼と共に強くなった磯の香りに。
 光源になったような海からの陽射ひざしに。
 ぽつり。
 青年の額から一粒汗が落ちてスカーフを臙脂色に染めた。

———たったそれだけ。

 たったそれだけのことで、この海の中を潜るような感覚をなんというのか梨花は思い知った。
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