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飛べない動物と武官

8 4と4の和 ①

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 教えられた工場長の家はスクラップ工場のすぐ近くにあった。珍しくコンクリートに覆われた建物の前で少し悩む。ひょっとしたら煉瓦の上にコンクリートを塗っただけのもかもしれない。手荒に力を使えば崩れてしまうかも。木製の玄関扉をどうやって開けるか思案していたが、とりあえずその扉に手を掛けてみる。ゆっくり押すと、ずっ、と重たい音を立て奥へ開いた。鍵をかけ忘れたのか、殺される前に破られたか。私はピックを片手に慎重に中へ入る。
 小さな部屋だった。
 床には鮮やかな色彩のラグが引かれている。赤、黄色、緑の糸でテーブルクロスもクッションカバーも彼らには意味のある図案が刺繍されてあった。伝統的な柄。伝統的な生活。工場長は火の信仰者だった。この地方でそれは郷土愛に近いものかもしれないと思っている。
 まずは壁際の机を漁ってみる。
 無造作に置かれた冊子を手に取った。工場で依頼されたものや売上高などが細かく記載されてある。店の帳簿か。工場長の几帳面な性格を窺い知れるそれをぱらぱらと捲っていると、その間から、白い紙がひらりと踊り出た。すかさず掴み取って確認する。

「……化石の搬入量?購入額?」

呟いた自分の声にはっ、として室内を見渡す。特に変わった所のない一室だ。入ってすぐにテーブル、ソファ、奥にキッチン。気になるとすれば、寝台近くの壁は煉瓦造りということぐらいだ。外壁はコンクリートなのに?隣家を隔てる壁だろうか、と考えながら煉瓦に近づくと狭間を埋める為のモルタルがまだ新しい箇所がある。一辺三十センチメートル程の四角形の大きさだ。モルタルは乾燥に時間がかかる接着材だから、ここ一週間以内に埋められたものと見てとれる。私は8本の指をそこに押し付けてみた。8の分解の力を使おうとしているのだが、直ぐにとはいかないのがこの力だ。
 モルタルは水酸化カルシウムとポラゾンを混合することで硬化したもの。そしてその強度は含有するケイ酸カルシウム量で変化する。

「ケイ酸カルシウム…CaSiO3…」

 つまりそれを消滅させれば煉瓦がくっつかなくなるのか?カルシウムを燃やせば……いや、そもそも煉瓦が邪魔な
んだ、とぐるぐると考えを巡らせる。そうだ、私はこの力が苦手だ。煉瓦、煉瓦……

「……土へ還れ!」

 ひどく投げやりな発想だった。しかし途端に力は行使され、煉瓦もモルタルもぼろぼろと細かくなって崩れていく。小さく開けた空間は隠し棚のようになっていた。中には麻の袋が一つ置いてある。引っ張り出して中を覗くと白い小粒のものが大量に入っていたので、一粒つまみだす。

 それは白い錠剤だった。
 まさか、という声が漏れそうになる。
 化石の購入履歴に、隠された薬。

―――中毒性が高いから戦後も薬を求める者が後を絶たない。
―――アブフィロプルマの化石に1の質が残留している。
―――イベロメソルにH・Iの製造元がある。

 フェドゥーシアの声が蘇る。
 ウィラビィを追ってとんでもないものを掴んでしまったようだ。
 工場長がH・I製造の件に関わっていることは間違いない。モイセイはどうだろう? H・Iを作る為にはアブフィロプルマの化石を1の質を残したまま分解することが必要だ。ここは4の性質の土地。4の質のノーニスも雇用しているとすれば絶好の設備が揃っていることになる。彼が首謀者であっても不思議ではない。

 ではウィラビィは?
 
 彼女も無関係ではないかもしれない。ここにきてその存在が気になったが、私は頭を振って意識を戻した。憶測は現状を見誤るだろう。

「!」

 背後に気配を感じて身を翻す。
 急に目の前に迫るものに8本の指を向けた。
 8の力に分解された何かがさらさらと霧散していく。
 視界に舞った土埃が日差しを受けて輝いた。
 入口から投げつけられたものは……恐らく煉瓦だろう。
 先程壁を分解していなければとっさの反応は無理だったな、と冷静を保とうする。
 私は煉瓦を投げてよこした人物を注視した。

「へぇ、なかなかやるじゃねぇか。選定書簡さんよお?」

 掠れた低い声が不躾に響く。玄関扉に寄りかかる小柄な少女には見覚えがあった。

「俺の周りをちょろちょろするなと言っただろ。殺すぞ」
 青い瞳が剣呑に光る。本気の殺気が漲っていて、まずい相手に再会したと内心で溜息を吐いた。しかし、それ以上に霊廟で会った時よりもその可憐な容姿がはっきりと分かったことに私は頬をかく。

「私の後にやって来たのは君だし、君は私の事を知っているようだから…ひょっとして……ストーカーとか?」
「そんなわけあるかっ!てめぇは式典で目立ちまくってただろうが!」
「ああ、そうだった。じゃあ、君はどうして此処にいるのかな?」
「はっ!それはこっちの科白だ」

 少女は吐き捨てるように言うと、眇めた目つきで部屋を一瞥した。私は玄関が開け放たれたままに気付いた。ターバンを巻かれた少女の金髪が外光に反射している。ろくに手入れされていないような髪は、きちんと整えればさぞかしけぶるように艶めくだろうと思わせる。小ぶりの顔に大きな目。瞳は澄んだ湖面のような色をしていた。愛らしい外見と言動がアンバランスで、妙に目を引くようだ。その少女は部屋中を歩き回り、キッチンの前まで来ると急に足を踏み鳴らした。その途端、足元のタイルが軽い音を立てて動く。少女が次々とタイルを蹴り飛ばす側に寄って床を覗き込むと、むき出しになった土の中に紙幣が隠されているのが見えた。

「荒稼ぎしたらしいな」

 少女が次々と紙幣を掘り起こしながら言った。そして、何食わぬ顔でその一束をくたびれたコートのポケットに押し込む。私の胡乱な視線に気づくと舌を出した。

「ここの家主は殺されたんだろ?もう金は必要ねぇよな」
「どうしてそれを知ってる?……ストーカーでなければ殺人犯?」

 私の口から平坦な声が出る。少女はにやりと不敵に口元を釣り上げた。

「こんな小者に興味はねぇなあ。まぁ、この小金はどんな商売に手を出して隠すことになったのかは興味があるぜ」

 少女の手に弄ばれる紙幣の束を眺めながら、自分が握っている麻袋の存在に意識がいく。思い切って問うてみるか。

「君はこの袋の中身に想像がつく?」
「……」
「君は警察の人間?」
「はっ」

 少女は薄く笑った。
 赤い糸で刺繍された布地のターバンが揺れた。服装や子供とのやり取りは彼女を地元民のように馴染ませていてはいたが、訛りのない言葉や抜けるように白い肌がそうではないと気付かせる。

首都エナンティオから送られて来た官吏か」

 文化庁長官の話しぶりからH・Iの調査は進んでいるようだった。彼女が派遣されたフェドゥーシア子飼いの調査員だとすればここに現れても不思議ではない。
 少女は青い瞳をこちらに向けた。

に興味はねぇ」
「そっち?」
「あんたが持ってるやつさ。飼い主に探して来いって言われたんだろ?……ああ、こっちもか」
「?」
「なぁんにも、知らないって顔だな。まあいいさ。呑気なお嬢さんはご主人様の膝の上でせいぜい愛想を振りまいておくんだな」

 
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