選定書官リンネと飛べない動物たち

橙と猩々

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飛べない動物と武官

6 2と4、3と3の和 ①

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 イベロメソルは在郷の都市だ。二階建て以上の建物なんて滅多にない。
 このホテルを覗いて。
 中心地の喧噪から僅かに離れ、緑に囲まれた広い公園に面して建てられた老舗の高級ホテルは五階建てで、最上階の客室からの眺望は間違いなく街一番に違いなかった。ロビーに入ると赤を基調にした調度品や絨毯、天井からぶら下がる大きなシャンデリアがゲストを出迎える。インテリアは首都に倣う目新しい仕上げではないが、豪奢な家具とこの地方の特色をうまく合わせている。そこを通り越して私は直ぐに最上階を目指した。政府御用達のこのホテルのスイートには要人が心地よく過ごす以外に、密会にはもってこいの設備がある。その部屋の重厚な扉を警備兵に開けてもらい、再び現れたエントランスの上質な絨毯に踏み入れた。短い廊下を進むと、白をベースにした内装の居室が広がる。高い天井にはクリスタルが二重に重なるシャンデリア。大理石のテーブル。扉が閉められたままの奥の部屋には天蓋とコラム付きの寝台や猫足のバスタブが兼ね備えられたバスルームがあるに違いない。私は恐らく生涯目にすることのないスイートルームの全貌を想像して溜息を吐く。 
 それが全てこの男の為にあるなんて。
 長い銀髪、端正な顔に掛かる眼鏡、その奥の薄いブルーの瞳。 
 四十半ばには決して見えない美貌は、いつも小気味良い笑みを浮かべている。
 文化庁長官・フェドゥーシア。
 私は暖炉のソファに深く腰かけて足を組むその人を見た。

「選定書簡局第一部選定書官・リンネです。オストロム教授よりお預かりした文書をお持ちしました、フェドゥーシア長官」

 紋章を握ると礼の形をとる。目を瞑った私の前でふっ、と笑う気配がした。

「私の事はフィーディーと呼んでくれないかな?黒のノーニス」

 のんびりとした声だ。私は顔を上げて曖昧に苦笑した。彼はいつも私の事をそんなふうに呼ぶのだ。黒髪、黒目の人間ノーニスなんて珍しくもないのに。

「何か、不満がありそうだね。君はどのノーニスとも違っているよ」
「確かに、この町の住人は黒髪に浅黒い肌が多いですが……東の国には私の様な容姿も多いと聞きますよ」
「そのようだね。でも、見目の話なんかではないよ。
そもそも私達のようなの違いなどは些末なことに過ぎない。そうだろう?」

 口調こそふわふわとした調子だが、私に向けられる瞳は酷薄な色をしている。全く油断ならない相手だとは承知しているが、この目を向けられると気後れした。振られた話題の行方が分からない今は尚更だ。

「この町の印象はどう?」
「……子供が多いですね」
「他市では少子化が深刻だからね。町が賑やかに見えたかい?」
 
 私は素直に頷いた。ここ最近子供に纏わる厄介事ばかりだ。

「実際にイベロメソルの出生率は我が国一だ。人口減少に歯止めをかける為に首都が本格的な研究機関の派遣を検討しているらしい……なにか分かるとも思えないがね」

 フェドゥーシアは眼鏡を指で押し上げると薄く笑った。

「私はもっと違う点を注目している。減ったのは子供だけか?
 アブフィロプルマ、アヴァイラ、アベメタタリア、ノーニス。
 かつて4種の生き物は、他種間と交配を繰り返して豊かな生態系を作り上げた。
 アブフィロプルマが絶滅し、残された種が他の種と交わらなくなってどれだけ経つ?アヴァイラはアヴァイラとしか番わなくなって、空を飛ぶ生き物は限られた。アベメタタリアも、虫も、花も、その体を小さくしている。  ノーニスの一員である我らはどうか。翼ある者、遠くを見通せる者、水中で呼吸ができる者――多様な特異性を持つものは随分少なくなったよ。新たに産まれる者も多くが私達のようななんの能力も持たない劣等種だ」
「劣等種、ですか。自分は大昔猿と交配したノーニスかと」
「ふぅん。君は私も猿だと言いたいのかい?」

 私の軽口に彼が片眉を上げる。長いご高説に冗談は必要ないらしい。

「この町の住人は他市よりも多様な形をしていますね。つまり彼らの子孫を残すことの方が有益だと?」

 私の言葉に彼はふふ、と笑い声を上げた。
 私は彼の眼鏡の奥を覗き見る。
 細められたグレーに近いブルーの瞳はなんて冷たい色なのだろう。

「君は私がそんな危険志向の持ち主だと思うの?リンネ。
 私はね、ただ知りたいんだ。この世界、アヴィスのことをね」
「……アヴィス」

 それはこの世界全てのことを指す言葉だ。
 私達は良く、一つのアヴィス、と口にする。それは互いを称える時や、労う時に使われるが、もともとは我らはアヴィスの一部という意味だ。これは良くある言葉遊びではない。私達は生まれ落ちたその瞬間に悟るのだ。我らはアヴィスの一つであり、アヴィスは我らであると。

「この世界には数字があり、性質があり、全てが合わさることを発見したのはジブリ―だ。君はかの人物の書物を持っている。
 君にはこの世界はどう見えるんだい?黒のノーニス」
 
 フェドゥーシアは座ったままその手を伸ばして私の髪先を掴むと、おもむろに口付けた。優雅な一連の動作だったが私はますますこの場から立ち去りたい気分になる。

「貴方もあの書はご覧になったはずだ。すでに常識となったことばかり。全ての生き物、土地が数字を有すること。我らノーニスは土地の性質と合わせた数字の力を使用できること。それ以上の事は私には分かりませんよ」
「そう警戒しなくても、君からジブリ―の書を取り上げたりはしないよ」
 
 彼はそう言うと毛先を摘んだ指を開いた。
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