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飛べない動物と武官

5 1と4、2と3の和 ①

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―――私は世界の中心ではなくそこまである程度離れていることは分かっているが、私とあなたの距離を考えた場合それは無にも等しい。

 ウィラビィがふと呟いた。

『なあに、それは恒星と惑星のこと?』

 私がそう言うと、彼女の唇が綺麗な弧を描いた。

『貴女の手帳にはロマンティックな言葉はないのね』

 夜着のまま近づいてくるとベッドに横になったままの私の瞼に軽いキスを落す。そして、端正な顔立ちのわりに柔らかい表情で私を見下ろしていた。私は彼女を引き寄せようと手を伸ばす。

「ウィラビィ…」

 伸ばした指がシーツを掴んだ。隣には当然だが誰もいない。私は半身を起こすと頭を振った。夢だ。いや、あれは過去の出来事だったかもしれない。胸がじんわりと温かい。早速夢に見るなんてらしくないじゃないか。彼女とはたった数か月の付き合いだった。傷つくほどの事でもない筈だし、裏切りには断罪を与えるだけだ。私は手早く身支度を済ませるとイベロメソル郵務市局へ向かった。
 
 かつて飛脚を組織的に活用していたのは商人たちだった。彼らは町から町へ商品を運んでいく。ついでに手紙や書簡を運んでいくようになると、それがまた商売に発展した。都市間での飛脚の活動が活発になり、集荷店舗には回収が一日に六度も来ることあったらしい。そこに目をつけたのがエナンティオの軍部だった。まだ、この地方に小さな国が乱立していたころの話だ。国内外の戦争が激化する中、彼らは飛脚組織を買い上げて物資や伝令配達、書簡の検閲に用いた。エナンティオが勢力を拡大していき、小国が自治都市や統治都市として統合されると、国が郵便組織として運営を行うことになる。現在は郵務局として設立され、都市間の郵便や公文書のやりとりを担当している。文化庁の下部組織として置かれ、長官直轄の選定書簡局に身を置く私と同列組織でもある。その為か、年配である目の前の中年の男は私に対して随分と横柄な態度を取った。

「私は迅速に書類を届けて欲しいと依頼したはずだったんだがね」

 椅子の上で盛大に膨れた腹を逸らした男――ここの市局長が私をじろりと睨む。私は十代半ばでやっと身に着けた処世術とやらを発揮することにする。

「お待たせして申し訳ない。任務が重なったものですから」
「ふん。めかし込んで昼過ぎにやってくるのは、最近の若者の礼儀なのかね?それとも長官の庇護を受ける身としては当然だと?」

 ねちっこい言い回しに溜息が漏れそうになるのを必死に堪える。確かこの男は、昔、選定書簡局に身を置いていたはずだ。ただし家柄のみの採用で、乏しい才能では選定書官として功績を残せるはずもなく、そうそうにこちらに天下った御仁ではなかったかな。長官の庇護を受けることも出来なかった身でよくも言えたものだ。私は苦笑を噛み殺してオストロムから預かった発掘調査依頼書を机に滑り込ませた。それにしても、この男の名前は何だったかな。

「あの偏狂学者は何をやっている。今更こんなものを役所へ届ける身になってみろ。
 また嫌味を言われるぞ。そもそも奴らの使い走りみたいなことをなぜわしがやらねばならないのだ」

 それをしたのは私ですよ、とは言わずもう一つの封書を差し出す。

「こちらは長官宛てです」

 支局長はちらりとそれも見やっただけで、煙草に火をつけた。

「…それは君が直接長官に渡せば良い」

 彼は煙を吐き出すと同時につまらなそうに言った。私は首を傾げる。

「私はこの町に暫く滞在する予定です。急いでエナンティオへ郵送して頂いたほうが宜しいのでは?」
「いや、その必要はない。フェドゥーシア文化庁長官は今この町にいらっしゃるのだ。
 夕刻にお時間を頂けるそうだから、ご報告に上がりたまえ」

 続けて長官が滞在するホテル名を知らせると、彼は早々に私を追い出した。
 私は手にしたままの手紙を再び眺める。それは恋文のようでとても長官に提出するような代物には見えなかった。偽装するほど重要なものなのだろうか?普段は書官だからと言って、帯同する公文書の中身を詮索することはない。今だって大して興味があるわけではないが、あの男に直接関わることになると話は別だ。これは最悪に面倒くさい案件に違いなかった。私は狡猾に笑う上官の顔を思い出しながら、上着のポケットに手紙を押し込む。その指が、かり、と硬質なものをひっかいた。

 背高い正面玄関の門を潜って表の通りに出た。この地方独特の上部がしずく型に繰り抜かれた門は複雑な彫刻が施され、更に幾何学模様を彫り込んだ青いタイルがはめ込まれている。郵務局も歴史的な建築物のひとつのようだった。そこを一歩出ると、すぐに高さがまちまちな煉瓦の通りになる。郷愁的なこの町の全て――道、家、壁、を作る物がこの古めかしい日干し煉瓦だ。住民自らがこしらえるそれらが道の隅で積み上がっている光景を良く目にする。郵務局の目の前でさえ、煉瓦が散乱していた。その周りに数人の子供たちが集まっている。

「〽 ひとつのたまごはりゅうこうるい
   にわのにわとりこけこっこー
   さんはさみしいさばくがめ
   よんはよくばりおじいさん 」
 
 子供たちが楽しそうに歌う。覚えやすい節の付いたこの歌は、数字と生物を覚える為に良く歌われる。子供たちの間では生物を替えながら歌っていく一種のゲームとして広まっている。彼らに近づいてその輪の中心を見ると茶色いアベメタタリアがいた。硬い甲羅と伸びたり引っ込んだりする首を持った生き物、

「砂漠の亀か」

 私が上から覗き込むと子供達がわっ、と一斉に話だす。この町の子供達は多く訪れる観光客に慣れているのか人懐こい。

「マルガメだよ」
「砂漠と同じ色なの」
「砂の中に隠れているんだよ」
 
 子供達が口々に教えてくる。
 擬態と言う言葉はさすがに知らないようだが。
 少年という年にも満たない子供が立ち上がって私の腕を掴む。

「お姉ちゃんは飛ばないアヴァイラ?」

 子供は見上げながらそんなことを言った。
 飛ばないアヴァイラとは?
 そもそも私は見ての通りのノーニス人間でアヴァイラではない。
 そう言おうとして、はた、と思いつく。

「飛ばないアヴァイラ?旅人のことか?
 この町のノーニス人間は言葉遊びが好きだな」

 子供達が嬉しそうに笑うところへ私は軽く溜息を吐いて苦笑する。そして、上着のポケットから個包装のキャンディー――郵務局の待合からくすねたもの、を出すと子供達に配った。

「ところで、最近この町に来たを知らない?金髪で背の高い美人だ」

 喜んで菓子を受け取った子供たちが首を傾げる。最初に口を開いたのは私の腕を掴んだ男児だ。

「金髪の女の人なんてこの町にたくさん来るけど」
「そうだよね」

 子供達が口々に同意する。

「…でも、金髪で綺麗なお姉ちゃんなら知っているよね」
「でも小さいよね」
「チビ」
「…そう言ったらお姉ちゃん怒るけどね」

 可愛らしい高い声が通りに広がる。少子化の一途を辿る他市に比べると、この町は子供が多いようだ。子供の扱い方など分からない私は脱線した話を元に戻すことを諦めて、じゃあね、と声を掛けてその場を離れた。
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