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飛べない動物と武官
2 アヴァイラ① 飛行する動物を意味する。
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イベロメソルに向かう道中は順調だった。道は綺麗に舗装されているとは言い難いが、迷わない程度には存在している。ひたすら北に移動してきた大地は、傾いた日に赤く染まっていた。今日こそ町で休める、と呑気に構えていた。
この辺りでは珍しい右ハンドルを急に切るまでは。
道を外れた車が急な砂地を滑った。瞬時に窓から様子を伺うと先ほどの道路が爆発していた。煙を横目にハンドルを反対に切って滑り落ちるのを何とか食い止める。
ドンッ。
車の直ぐ後ろで爆発が起こる。
狙われている?
私は舌打ちして、煙を上げている道の前に猛スピードで乗り上げる。そのすぐ脇で爆発が起こり、車が傾く。仕方なくブレーキを踏んで、転倒を回避している間に、数人の男が車を取り囲んでいた。
フロントガラスを覗き込んだ男が、降りて来いとジェスチャーする。その周りの男たちは四本の指を車に向けて付き出していた。4の力。それは火を操ることが出来る。爆発はこいつらの仕業か。土地の性質はなんだろう。
1か、2か、3。
厄介だなと思いながら両手を上げて車を降りる。下卑た笑いを浮かべた男が目の前に四人、車の後ろに三人いるようだ。男たちは私を見ると一層下品に笑い口笛を吹いた。
「お前ひとりか?おっと、動くなよお姉ちゃん。
男に貰った車かあ?」
他の男が車を覗いているようだ。誰もいないと報告を受けるとリーダー格の男が、私の髪を掴んだ。
「一人旅は寂しいよなぁ。俺たちが遊んでやるよ。
指は動かすなよ。何の質か知らないが、俺たちは3の質だ。4の力が使えるから、抵抗せずに俺たちに可愛がられな」
この土地は1の性質ということか。
私は毛先を捉えた男の手首を掴んだ。瞬時に反対の腕を下ろしてジャケットの袖から折り畳まれたスモールソードを滑り落とす。それを掴んで振り上げ、反動で刃を出した時には、男の腕は血を噴き出していた。切り落とした男の腕を捨て、喉に刃を突き立てる。周りの男たちが驚いて指を開く前に、私は左手を砂地に押し付けた。
5の力。
男たちの足元が陥没した。一瞬の悲鳴は描き消けされて砂地へ飲み込まれたかと思うと、穴から砂が吹き上げて元の砂漠に戻った。
私は片膝を立て地面に手を付いた姿勢で気配を探る。強盗は全て片づけたつもりだったが、かすかに息を殺す気配がある。私は、細身のスモールソードーーー私がピックと呼ぶ柄の細いレイピア状の武器———を道路端の低木に向けて投げ放った。
「わあっ!」
低木の茂みから慌てて出てきたのは、十歳程の男児だった。地面に刺さった刀を見て、尻もちをついた状態で後退る。
「ここで何をしていた」
私はピックを引き抜き、再び袖に隠す。男児は腰を抜かして私を見上げているだけだ。その襟を掴み上げてと道路まで引きずっていく。
「一人?」
「…ロバに乗って来たのに…。爆発に驚いてどこかに行っちゃった」
子供がようやく口を開いた。見渡すと茂みを避けてひた走る生き物の姿がある。すでに捕まえられる距離ではなかった。私は溜息をついた。
「家まで車で送るから、乗って」
とたんに子供の顔が輝いた。
子供は名前をアトリと言った。この辺りで蜂蜜を採取して暮らしているらしい。巣箱の確認の為に来たところ、先ほどの襲撃に巻き込まれたようだ。
「お姉ちゃんは凄いね!強盗をやっつけたんでしょう?すごい力だね!」
アトリが興奮して言う。ロバが逃げた後は低木に隠れて様子を伺っていたらしい。流砂が男たちを飲み込むまでは目を瞑っていたそうだ。もし男の腕をはね飛ばした瞬間を見ていたら無邪気に車に乗ったりはしなかっただろう。
「お姉ちゃんはここの土地が1の性質だって知っていたの?土地の性質を知らないと力を使うことは出来ないんでしょ?」
「そうだね。私は知らなかったけど男が言ったんだよ。3の質を持っているって。爆発の力は4の力だから、4引く3で1だろ?」
私は分かりやすく説明したつもりだったが、アトリは小さな頭を傾げた。
「僕にはよく分からないな。僕は1の質だから、ここでは2の力が使えるんだって、お父さんが言ってた。仕事の手伝いが出来るから、役に立つ力だって」
「役に立つ?2の力が?」
「そうだよ、蜜蜂に花の匂いを風で送って、花の位置を教えてあげるんだ。蜜がいっぱいとれるように」
アトリが助手席で胸を張った。道から西へ離れているらしい彼の家へ向かっている。舗装された道路はなく、砂漠の隆起を登ったり下ったりしている。悪路に苦戦している間に陽は傾き地平線へ姿を隠し始めていた。
「この辺の蜂は何の花の蜜を集めるんだ?」
「綿花が多いかな。さっきの道の先から町まで、ずっと綿花畑が続くんだよ」
どうやらイベロメソルはもうすぐだったらしい。こんな寄り道をして今夜の宿を見つけることが出来るだろうか。ため息を吐きたい私をアトリが目を輝かせて見上げているのに気付いた。
「お姉ちゃんはどうしてそんなに力が使えるの?計算もできるし」
「私の名前はリンネ。書官だよ。
アトリ、簡単な足し引きは出来るようにした方が良い。他の町へ行くときに困るだろ?」
力の計算だけじゃない。買い物や商売でも必要だろう。イベロメソルの義務教育は徹底されている筈だが、こんな辺境では周知されていないようだ。
「他の町?僕は1の質だけど、2の性質の町に行ったらどうなるのかな?」
「私達が力を使う時は、土地の性質と自分の質を足した力が使えるってことは知っているよね。君が1、町が2なら足して3。3の性質が使えるようになるよ。水の力がね」
「水?お父さんは甕に水を貯めることが出来るんだよ」
「では、アトリのお父さんは2の質の持ち主ということか。お父さんが使う力が3、土地が1。3引く1で2だろ?」
アトリが頷く。かみ砕いた説明をされてほんのり頬が赤くなっている。私は珍しく甲斐甲斐しい自分に舌打ちしたくなった。この国の教育水準に腹が立つ。
「2の質は元は何の力か知っている?」
優しく聞いてみる。それはこの世界の誰もが知る理。
「勿論!アヴァイラの力だよ!」
「アヴァイラ。空を飛ぶ動物。アトリはアヴァイラは好き?」
「うん。アトリって名前のアヴァイラがいるんだって、お母さんが教えてくれたよ。僕は飛べないけどねって言ったら、お母さんよく笑ってた」
どうやらアトリの母親は亡き人のようだ。アトリの俯いた口元が引き結ばれている。
「アトリは1の質だろう?それはアブフィロプルマの血を引いているということ。それなのにアヴァイラとは面白いお母さんだな」
私がそう言うと、アトリは俯いたまま少し笑顔になった。
暫く走ったところでアトリの家についた。荒野にぽつんとある木組みの家だ。車を停めてアトリを助手席から降ろした。赤茶けた大地は闇に変ろうとしている。車の音に気付いたのか、家の明かりが付くと、すぐに玄関の扉が開いた。勢い良く男が飛び出して来る。
「お父さん!」
アトリが飛びついた。アトリの父親はアトリと同じ黒髪に浅黒い肌をした恰幅の良い男だった。ロバはどうした、あいつは誰だ、と矢継ぎ早に子供に聞いている。
「書官のリンネです。お子さんと一緒に物盗りに出くわしてしまったんだ。車で逃げて来られたんだがロバは…」
私は曖昧に言葉を濁して、ペンダントを見せる。父親は琥珀のようなペンダントトップと私を交互に何度も見た。疑わし気な様子だが、いつもの事なので気にしないことにする。
「これは失礼しました。お役人様に息子がご迷惑をお掛けしたようで。どうぞ中へ」
父親はようやく納得したのかそう言って私を招き入れようとする。私としてはこれ以上時間を無駄にはしたくない。
「いえ、私はここで。イベロメソルに急ぐので」
「町へ?この時間からですか?あそこは日没と同時に門を閉めちまいますぜ?」
非情な情報だった。すでに辺りは暗くなっている。
「うちで良ければどうぞ泊まっていってください。妻がおりませんから、大したもてなしは出来ませんがね」
私はすっかり気を落として、民家の戸を潜った。今日はここで世話になるしかないようだ。アトリが嬉しそうに私の手を引いた。
この辺りでは珍しい右ハンドルを急に切るまでは。
道を外れた車が急な砂地を滑った。瞬時に窓から様子を伺うと先ほどの道路が爆発していた。煙を横目にハンドルを反対に切って滑り落ちるのを何とか食い止める。
ドンッ。
車の直ぐ後ろで爆発が起こる。
狙われている?
私は舌打ちして、煙を上げている道の前に猛スピードで乗り上げる。そのすぐ脇で爆発が起こり、車が傾く。仕方なくブレーキを踏んで、転倒を回避している間に、数人の男が車を取り囲んでいた。
フロントガラスを覗き込んだ男が、降りて来いとジェスチャーする。その周りの男たちは四本の指を車に向けて付き出していた。4の力。それは火を操ることが出来る。爆発はこいつらの仕業か。土地の性質はなんだろう。
1か、2か、3。
厄介だなと思いながら両手を上げて車を降りる。下卑た笑いを浮かべた男が目の前に四人、車の後ろに三人いるようだ。男たちは私を見ると一層下品に笑い口笛を吹いた。
「お前ひとりか?おっと、動くなよお姉ちゃん。
男に貰った車かあ?」
他の男が車を覗いているようだ。誰もいないと報告を受けるとリーダー格の男が、私の髪を掴んだ。
「一人旅は寂しいよなぁ。俺たちが遊んでやるよ。
指は動かすなよ。何の質か知らないが、俺たちは3の質だ。4の力が使えるから、抵抗せずに俺たちに可愛がられな」
この土地は1の性質ということか。
私は毛先を捉えた男の手首を掴んだ。瞬時に反対の腕を下ろしてジャケットの袖から折り畳まれたスモールソードを滑り落とす。それを掴んで振り上げ、反動で刃を出した時には、男の腕は血を噴き出していた。切り落とした男の腕を捨て、喉に刃を突き立てる。周りの男たちが驚いて指を開く前に、私は左手を砂地に押し付けた。
5の力。
男たちの足元が陥没した。一瞬の悲鳴は描き消けされて砂地へ飲み込まれたかと思うと、穴から砂が吹き上げて元の砂漠に戻った。
私は片膝を立て地面に手を付いた姿勢で気配を探る。強盗は全て片づけたつもりだったが、かすかに息を殺す気配がある。私は、細身のスモールソードーーー私がピックと呼ぶ柄の細いレイピア状の武器———を道路端の低木に向けて投げ放った。
「わあっ!」
低木の茂みから慌てて出てきたのは、十歳程の男児だった。地面に刺さった刀を見て、尻もちをついた状態で後退る。
「ここで何をしていた」
私はピックを引き抜き、再び袖に隠す。男児は腰を抜かして私を見上げているだけだ。その襟を掴み上げてと道路まで引きずっていく。
「一人?」
「…ロバに乗って来たのに…。爆発に驚いてどこかに行っちゃった」
子供がようやく口を開いた。見渡すと茂みを避けてひた走る生き物の姿がある。すでに捕まえられる距離ではなかった。私は溜息をついた。
「家まで車で送るから、乗って」
とたんに子供の顔が輝いた。
子供は名前をアトリと言った。この辺りで蜂蜜を採取して暮らしているらしい。巣箱の確認の為に来たところ、先ほどの襲撃に巻き込まれたようだ。
「お姉ちゃんは凄いね!強盗をやっつけたんでしょう?すごい力だね!」
アトリが興奮して言う。ロバが逃げた後は低木に隠れて様子を伺っていたらしい。流砂が男たちを飲み込むまでは目を瞑っていたそうだ。もし男の腕をはね飛ばした瞬間を見ていたら無邪気に車に乗ったりはしなかっただろう。
「お姉ちゃんはここの土地が1の性質だって知っていたの?土地の性質を知らないと力を使うことは出来ないんでしょ?」
「そうだね。私は知らなかったけど男が言ったんだよ。3の質を持っているって。爆発の力は4の力だから、4引く3で1だろ?」
私は分かりやすく説明したつもりだったが、アトリは小さな頭を傾げた。
「僕にはよく分からないな。僕は1の質だから、ここでは2の力が使えるんだって、お父さんが言ってた。仕事の手伝いが出来るから、役に立つ力だって」
「役に立つ?2の力が?」
「そうだよ、蜜蜂に花の匂いを風で送って、花の位置を教えてあげるんだ。蜜がいっぱいとれるように」
アトリが助手席で胸を張った。道から西へ離れているらしい彼の家へ向かっている。舗装された道路はなく、砂漠の隆起を登ったり下ったりしている。悪路に苦戦している間に陽は傾き地平線へ姿を隠し始めていた。
「この辺の蜂は何の花の蜜を集めるんだ?」
「綿花が多いかな。さっきの道の先から町まで、ずっと綿花畑が続くんだよ」
どうやらイベロメソルはもうすぐだったらしい。こんな寄り道をして今夜の宿を見つけることが出来るだろうか。ため息を吐きたい私をアトリが目を輝かせて見上げているのに気付いた。
「お姉ちゃんはどうしてそんなに力が使えるの?計算もできるし」
「私の名前はリンネ。書官だよ。
アトリ、簡単な足し引きは出来るようにした方が良い。他の町へ行くときに困るだろ?」
力の計算だけじゃない。買い物や商売でも必要だろう。イベロメソルの義務教育は徹底されている筈だが、こんな辺境では周知されていないようだ。
「他の町?僕は1の質だけど、2の性質の町に行ったらどうなるのかな?」
「私達が力を使う時は、土地の性質と自分の質を足した力が使えるってことは知っているよね。君が1、町が2なら足して3。3の性質が使えるようになるよ。水の力がね」
「水?お父さんは甕に水を貯めることが出来るんだよ」
「では、アトリのお父さんは2の質の持ち主ということか。お父さんが使う力が3、土地が1。3引く1で2だろ?」
アトリが頷く。かみ砕いた説明をされてほんのり頬が赤くなっている。私は珍しく甲斐甲斐しい自分に舌打ちしたくなった。この国の教育水準に腹が立つ。
「2の質は元は何の力か知っている?」
優しく聞いてみる。それはこの世界の誰もが知る理。
「勿論!アヴァイラの力だよ!」
「アヴァイラ。空を飛ぶ動物。アトリはアヴァイラは好き?」
「うん。アトリって名前のアヴァイラがいるんだって、お母さんが教えてくれたよ。僕は飛べないけどねって言ったら、お母さんよく笑ってた」
どうやらアトリの母親は亡き人のようだ。アトリの俯いた口元が引き結ばれている。
「アトリは1の質だろう?それはアブフィロプルマの血を引いているということ。それなのにアヴァイラとは面白いお母さんだな」
私がそう言うと、アトリは俯いたまま少し笑顔になった。
暫く走ったところでアトリの家についた。荒野にぽつんとある木組みの家だ。車を停めてアトリを助手席から降ろした。赤茶けた大地は闇に変ろうとしている。車の音に気付いたのか、家の明かりが付くと、すぐに玄関の扉が開いた。勢い良く男が飛び出して来る。
「お父さん!」
アトリが飛びついた。アトリの父親はアトリと同じ黒髪に浅黒い肌をした恰幅の良い男だった。ロバはどうした、あいつは誰だ、と矢継ぎ早に子供に聞いている。
「書官のリンネです。お子さんと一緒に物盗りに出くわしてしまったんだ。車で逃げて来られたんだがロバは…」
私は曖昧に言葉を濁して、ペンダントを見せる。父親は琥珀のようなペンダントトップと私を交互に何度も見た。疑わし気な様子だが、いつもの事なので気にしないことにする。
「これは失礼しました。お役人様に息子がご迷惑をお掛けしたようで。どうぞ中へ」
父親はようやく納得したのかそう言って私を招き入れようとする。私としてはこれ以上時間を無駄にはしたくない。
「いえ、私はここで。イベロメソルに急ぐので」
「町へ?この時間からですか?あそこは日没と同時に門を閉めちまいますぜ?」
非情な情報だった。すでに辺りは暗くなっている。
「うちで良ければどうぞ泊まっていってください。妻がおりませんから、大したもてなしは出来ませんがね」
私はすっかり気を落として、民家の戸を潜った。今日はここで世話になるしかないようだ。アトリが嬉しそうに私の手を引いた。
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