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二章
秘密の逢瀬
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◆◆◆
秩序をもたらす依り代は、世界を平定し、やがて神をも凌ぐ力を手に入れた。
人の身で不死身となった依り代は、人の世で神として君臨した。
気紛れな神を排除しようとした人間は、依り代を崇め、神に戦いを挑み、世界に再び混沌を生んだ。
◆◆◆
「…また、辺境領に魔物が出たみたい」
「嫌だ、また?ここのところ多いわね」
「カオスがまた力を盛り返してきたのかしら…」
「まさか戦になるの…?」
王城の回廊を歩くリーラの耳に、ひそひそとした使用人達の噂話が届くが、リーラは聞こえない振りをして内心で嘆息した。
リーラが生まれる前からモーント王国とは冷戦状態であったヴァッサー王国とフランメ王国の同盟が最近になって結ばれ、モーント王国の海岸付近の辺境領は、他国民同士の小さな小競り合いと魔物の襲撃に悩まされていた。
まだリーラが幼い頃は、魔力の無い自分の事に精一杯で政治的な事にまで意識が向かなかったが、14歳の誕生日を明日に控えた今のリーラにはある程度の事は理解出来るようになっていた。
『カイヤナイト様…』
辺境領と聞くと、リーラの鼓動は跳ねる。
15歳で成人となるこの世界の常識と同じように、魔法学院も特別な道に進まない限り15歳で卒業する決まりだった。
カイヤナイトは予定通り15歳で学院を卒業すると、自国の辺境伯となり、危険で難しい役目を現在担っていた。
第二王子であるカイヤナイトが、事実上の立場の降格を意味する辺境伯になったと聞いた時、リーラは耳を疑った。
『妾腹の出である事が、そんなにいけない事なの?』
誰よりも賢くて優秀なカイヤナイトを軽んじるゾンネ王国の王族達に、リーラは憤りを禁じ得ない。
卒業した年の来訪時に、辺境伯を王から拝命した事をカイヤナイト本人から聞いたリーラは、悔しくて心配で堪えきれず泣いてしまった。
涙を溢すリーラを抱き締め、全てを悟ったような顔で微笑むカイヤナイトを見て、リーラは愛しい人の底知れない強さに益々尊敬を深めたが、同時に深い哀しみを感じた。
「どんな立場でも、成す事は同じです。ただ一つ…結婚するまでの間は、リーラに逢えるのは、年に一回の来訪時だけになってしまうのが、耐え難い苦痛です」
そう言って、深い口付けをくれたカイヤナイトの唇の熱さを思い出したリーラは、熱くなってきた頬を隠すように顔を俯かせて歩いた。
「リ、リーラ様、そんなに早く歩かれては、後ろの者達が…」
新しくリーラの世話係りとなったダリアは、去年魔法学院を卒業したばかりの、ウイード男爵家の出自だった。
性格は控えめと言えば聞こえは良いが、小心でいつもオドオドしており、王城に召し上げられたばかりの頃は使用人達から馬鹿にされ、仕事の持ち場をたらい回しにされていた。
リーラの世話係りをしていたミモザが出産したのを機にリーラはミモザに暇を出し、子育てに専念するように命じた。
命令しなければ倒れるまで無理をするミモザの事を分かっていたから、リーラは好まない命令という手段を使った。
暫く専任の世話係りを持たずに日々を過ごしていたが、ダリアの噂を耳にしたリーラは自分の世話係りに任命した。
痩せて骨張った体にソバカスの浮いた顔。決して手をかけているとは思えない後ろに纏めただけの紺色の髪。全体的に見て、人好きのする印象は無かったが、澄んだ灰色の瞳と、不器用だが真面目で誤魔化す事をしないところが好感を持てた。
ダリアがリーラの世話係りになってまだ3ヶ月しか経っていないが、リーラが毎日根気強く接していくうちに、世話係りとしての自信が少しずつ付いてきたように思えた。
「あ、ごめんなさい。大丈夫?」
魔法を使う事が出来ないリーラは、全てを自分の力だけで行う必要があり、たおやかな見た目に反して一般的な女性よりフィジカル面が強く、力も強ければ走るのも速くなっていた。
歩く速度を落としたリーラは、素直にダリア達に謝罪した。
ダリアを含め後ろに付き従う従者達は、自分達の主の素晴らしさに感嘆の溜め息を洩らした。
この国一番の美姫であるリーラ王女は、魔力が無い事を抜かせばどの王族の姫や貴族の令嬢よりも秀でた存在だった。
幼少時から賢く、読み書きは勿論算術にも長け、真面目で努力家で決して使用人達に声を荒げる事もしなければ、無茶な要求もしてこない。常に使用人達に気を配り、王女として民に何が出来るかを考えている王族の鏡のような姫だった。
『あぁ…リーラ様…なんてお優しくて、美しいの…私がこの方のお世話係りになれたなんて…末代までの誉れだわ』
ダリアはうっとりと主人の美貌を見上げた。
2歳下の筈のリーラだが、ダリアより背が高く、明日で14歳になるとは思えないくらい大人びて見える。
艶やかな白銀の髪は、今は編み込まれて一つに纏められており、クラシカルなハイネックのドレスは、リーラの瞳と同じ紫色をしていた。
ほどよく膨らんだ胸元と細く締まった腰の女性らしい優美な曲線は、同年代のダリアには無い艶やかさを既に纏っていた。
『…本当に美しい方…もっと華やかに装っても良いのに、いつも簡素にして上品でいらっしゃる…あこがれてしまうわ…』
リーラの世話をするのが仕事の筈のダリアだが、今のところ世話係りとしての仕事はまだ上手く出来ずにいた。
何故なら、王女にしては珍しく、リーラは何でも一人で出来てしまう主だったからだ。
だが、リーラは何をするにもダリアの意見を求めてくれた。
家でも、学院でも、存在を無視される事が当たり前になっていたダリアにとって、リーラの存在は暗闇で輝く月だった。
「ねぇ、ダリア。カイヤナイト様が到着されるのは今日の夕方だから、今から行けばまだ間に合うかしら?」
「お、恐れながら…間に合うかもしれませんが、危ないです…お願いですから、行かないで下さい」
リーラに話し掛けられたダリアは緊張と嬉しさで声を震わせたが、リーラのとんでもない発想を僭越だと思いながらも完全否定した。
リーラはカイヤナイトをもてなす為に、裏庭の奥の森の、幻と言われている果実を取りに行こうと考えていた。
果実がなる樹木は神出鬼没の魔法の樹木で、出逢える可能性は運次第だった。
リーラは幼い頃からこの樹木に出逢う確率が高く、昔カイヤナイトに果実をプレゼントして喜ばれた事を思い出したのだ。
しかしリーラが一人で森を散策している事は、カイヤナイトしか知らない事だった。王女が魔の森と呼ばれているあの森を探検するのを従者達が賛成する筈は無かった。
「もしリーラ様に何かあったら、カイヤナイト様がどれ程心配されるか…」
「ダリアは反対なのね?皆はどう思う?」
後ろの従者達も一斉に反対し、リーラは苦笑を浮かべた。
「皆が反対するなら諦めて、大人しくカイヤナイト様のお部屋に飾るお花だけを摘む事にするわ」
リーラの言葉に胸を撫で下ろしたダリアと従者達は、互いに視線を合わせて微笑みあった。
王城で働くようになって初めて、ダリアはリーラの元で仕事の連帯感を仲間と分かち合う嬉しさを知った。
「ゾンネ王国、カイヤナイト・ヴァー・ゾンネ・アストリスター辺境伯、お越しになられました」
王城の西の棟はリーラ達家族の生活空間で、私的な客を出迎えるための部屋である一階入り口付近の謁見の間に、一年振りにモーント王国を訪れてきたカイヤナイトが入って来た。
二人のお供は謁見の間には入らず、入り口の外で待機するのはいつもの事だが、リーラはそれが不思議だった。
お供も伴わず他国の謁見の間に一人で入る人間は、カイヤナイト以外リーラは知らない。
「長い道中、大事無かったか?」
父王ゲルブは豪奢な椅子に座りながら、片膝を立てて頭を下げるカイヤナイトを見下ろして問い掛けた。
淡い金の髪は後ろに流して紐で括られ、略式の王冠がその頭上で輝いていた。
前王が崩御され、二十歳という若さで王の座に就いたゲルブは、その端正で穏やかな容姿もあって一見脆弱に見えるが、揺るがない眼差しの強さに彼の王たる資質が見えた。
「はい。お陰さまで、何事も無く。陛下におかれましては、御尊顔を拝し…」
久し振りに聞くカイヤナイトの美しい声に、リーラの胸は様々な感情が渦巻いて張り裂けそうだった。玉座に座る父王の横に立つ王妃の隣に兄のブラウが、その横に佇むリーラは既に感情が押さえられず瞳を潤ませていた。
ゲルブはそんな愛娘の様子を見て、王から父親の顔に変わって破顔した。
「カイヤナイト、固い挨拶はこの辺りでお仕舞いにしよう。早くリーラを抱き締めてあげてくれ。涙で洪水がおきそうだから」
「確かに」
ゲルブの言葉に、明るい笑い声を上げた兄のブラウは、口元を手で押さえて涙を堪えているリーラの華奢な背中を優しくあやすように叩き、カイヤナイトの元に行くように促した。
リーラはそれが合図のように走り出し、立ち上がって腕を広げてくれたカイヤナイトの胸に飛び込んだ。
カイヤナイトに両腕で抱き絞められ、逞しくなった固い胸元に顔を埋めて彼の背中に両腕を回した。
『あぁ…本物のカイ様だわ…』
鼻孔を擽るカイヤナイトの体臭は甘く、嗅ぐだけでリーラは酔ったように身動きが出来なくなった。
「リーラ…」
耳元で囁かれたカイヤナイトの自分を呼ぶ声に、リーラの瞳からポタポタと宝石のような涙がこぼれ落ちた。
カイヤナイトはリーラの頬を濡らす涙を優しく手で拭い、華奢な背中をあやすように叩いた。
「…ごめんなさい」
初めてカイヤナイト以外の前で涙を見せてしまったリーラは、恥ずかしさに益々顔を俯かせた。
「リーラ、感動の再会はまた後でにして、取り敢えずカイを部屋へ案内してあげなさい。ゾンネ王国の辺境領は遠いからね。いくらカイでも疲れただろ」
ブラウが微笑みながらリーラに言い、カイヤナイトに目線で謁見の間の入り口で控えているお供を指した。
「いつも通り遠ざけておくので構わないか?」
「ええ…。ありがとうございます」
カイヤナイトは苦笑を浮かべ、ブラウに頭を下げた。
リーラ達の前を通り過ぎ、ブラウは軽く手を上げながら入り口へと足を向けた。
『…遠ざけておく?どういう事…?』
濡れた瞳のままカイヤナイトを見上げたリーラだが、疑問の答えには辿り着けなかった。
「ほら、リーラ。お部屋に案内なさい。カイヤナイト、少し落ち着いたら呼びますから、今宵は一緒に夕食を摂りましょう」
ロートがリーラとカイヤナイトの肩を押し、歩くように促してくる。
「明日はリーラの誕生日。主役の貴女は明日は忙しいわよ?国内外から、沢山の方達がお祝いに駆けつけて下さるみたいですから、今日は早めに寝て休んでおかなければ駄目ですよ?」
含みのあるロートの言い方にリーラは意味が分からず首を傾げたが、カイヤナイトは理解しているらしく苦笑しながら頷いた。
本心は早くカイヤナイトと二人きりで過ごしたかったリーラだが、彼のためにリーラ自ら整えた部屋にカイヤナイトを案内した後は、自室に帰って大人しく明日の準備をした。
「明日はいつもより華やかなデザインのドレスを選んだ方が良いと思うのですが…」
自室の衣装部屋でリーラはダリアと二人で明日着るドレスを選んでいるが、色は紫と決まったが、デザインで意見がまとまらず、ドレスを引っ張り出しては戻す事を繰り返していた。
「カイ様は、余り華美なドレスは好まないのよ」
「ですが、明日は主役なのですから。リーラ様が簡素にし過ぎてしまうと、周りの方達が浮いてしまって居心地の悪い思いをさせてしまうと思うのです」
ダリアは遠慮がちだが、自分の意見を曲げなかった。
リーラはダリアの確かな変化を感じて、嬉しさを隠しきれずに笑った。
花が綻ぶように優しく笑うリーラを目の当たりにしたダリアは、あまりの美しさに呆然とした。
『あぁ…リーラ様…』
「ダリアの意見は尤もだと思うわ。それじゃ…このドレスは?」
鎖骨が見えるくらいの、ほどほどの露出のデザインのドレスをリーラは手に取った。
ダリアはリーラとドレスを交互に見ると、首を捻りながら違うドレスを手に取った。
「明日は、こちらの方が宜しいかと。リーラ様にお似合いになると思います!」
大胆に開いたデコルテをレースが上品に隠してはいるが、実際に着た時は胸の谷間が見えそうな透け加減で、体の線がハッキリと分かるかなり大人っぽいデザインのドレスだった。
「素敵だけれど…カイ様に怒られそうだわ…」
リーラは掌で片頬を包みながら首を傾げ、困ったように微笑んだ。
『ダリアは意外にセクシー路線のドレスを選ぶのよね…』
「殿方のいう通りにばかりしていると、安心されて、浮気に走られるそうです」
如何にも奥手そうなダリアから男女の駆け引きの話をされて、リーラは驚きを隠せなかった。
「そ、そうなの?ダリアの経験談?」
「え?!いえ!まさか!私なんて!あの…そう言う話を聞いた事があるだけです…すみません…出過ぎた事を…」
ダリアは赤面させて、慌てて頭を下げた。
「謝らないで。同じ年頃の女の子達と話す機会が少ないから嬉しいわ。好きな殿方に飽きられないようにするには、他にはどんな事に気を付けたら良いのかしら?」
リーラは自分が持っていたドレスを戻しながら、ダリアに話し掛けた。
「え、あ、そうですね…」
「失礼致します。リーラ様、お夕食の準備が整ったとの事です」
取り次ぎ係りが、衣装部屋のドアをノックした。
「はい、分かりました。今参ります」
リーラはダリアと顔を見合わせて笑い合い、ダリアが持っているドレスを見て頷いた。
「明日はそれを着るから、用意をお願いするわ」
「あ、は、はい!かしこまりました」
「準備が終わったら、もう今日は自分のお部屋に戻って良いわ。戻りは遅くなるから、待っていなくて良いです」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
ダリアに見送られながら、リーラは自室を出て晩餐の間に向かった。
カイヤナイトを囲んだ夕食は、和やかに最初は始まった。だが途中からは、世界の情勢の不安や、カオスの到来を意味する闇の勢力の増加を不安視する話になり、リーラの食欲を減退させた。
夕食後は、ゲルブとブラウに伴われてカイヤナイトは談話室へと向かってしまい、今日はもう彼と会えない事を悟って内心で溜め息を吐いた。
『…カオス』
誰もいない自室に戻ったリーラは、浴室で湯浴みをしながらゲルブ達が話していたカオスについて考えていた。
この世界の創世記の中に登場するカオスが実際に存在する事を知ってリーラは恐怖を感じた。
カオスはこの世界の秩序を壊す存在と、幼い頃に童話で読み聞かせて貰った。
『…でも、秩序を壊すって、どういう事かしら?闇の勢力って…つまり魔物って事?魔物は何故増え始めたのかしら…?』
古株の従者達に聞くと、魔物の出没の増加はここ10年来、毎年増え続けているらしかった。それに伴い魔法騎士団は、団員数を増やしているが、数が足りていない事が問題視されているらしかった。
『こんな時…私は自分が嫌になる…』
魔力が無いリーラは、結局守って貰ってこの安寧を手に入れている。魔力が無い自分の身を守る為に、リーラは剣術も学んでいるが、どう頑張っても屈強な男の兵士に勝つ事は出来ない。
「…力が足りないのよ…もっと練習しなくちゃ」
王女の掌に出来るはずもない、剣術の稽古で出来たマメを見つめながら、リーラは低く呟いた。
「あ…月…」
リーラは自分の掌から、窓の奥に見える月に視線を移した。ほんの少しだけ欠けて見える月を見て、明日の誕生日が満月だと気付き、自分の体を抱き締めた。
リーラが誕生した時、夜空には満月が輝いているはずだった。だが、実際は新月のように、曇ってもいない夜空から月が消えてしまい大騒ぎしたとブラウから聞いた。
それは一瞬の出来事だったらしく、気が付いた時には満月が輝いていたそうだが、ブラウは当時5歳だった自分の笑い話としてリーラに語ってくれた事があった。
その話を聞いた時、リーラは何故か不安になった。月の祝福を貰えなかったから魔力が宿らなかったのではと、リーラは一人で思い悩んだ過去を思い出した。
だんだんと出来ない事ばかりを考え出してきた自分に気付いたリーラは、頭を振ってから立ち上がった。
新雪で出来たような滑らかな肌はお湯を弾き、若さが漲っていたが、美しい紫の瞳には疲労が映っていた。
『…このまま部屋にいても眠れそうも無いし…あの場所で元気を貰ってこよう!』
リーラはタオルで濡れた体を拭いながら、窓から見える森を見つめた。
月明かりを頼りに王城の裏庭を抜け、鬱蒼とした森の中に足を踏み入れたリーラは、灯りも持たず奥に進んだ。
灯りがあると人に見つかってしまうので、月明かりと自分の目だけを頼りに歩く。人より夜目が利くリーラの足取りに迷いはなかった。
「…あれ…凄い…また見つけちゃった」
幻と言われている魔法の樹木が、闇の中で淡い光を放ちながら立っているのを見つけたリーラは、ゆっくりと樹木の下まで進み、果実を見上げた。
一見すると林檎の木に見えるが、果実は桃に似た形をしている。
「…大切な方に贈りたいのですが…一つ頂けますか?」
この樹木の果実は、もぎ取る事が出来ない。手に入れるには、樹木にお願いするしかないのだ。
樹木に向かってお願いすると、果実は自らリーラの差し出した手の中に落ちた。
「…ありがとう」
リーラは微笑み、秘密の場所へと足を向けた。
蔦の絡まったアーチを潜ると、きらびやかな空間に繋がり、いつ来てもこの場所は時間の流れというものが感じられなかった。
幼い頃からここは、何も考えたく無い時や気分が落ち込んだ時に訪れるリーラの秘密の場所だった。
『今は夜なのに…こんなに明るい…』
夜に自室を抜け出し、この秘密の場所に来るのは初めてでは無かった。
白い絹の夜着の上に黒いフード付きのマントを纏ったリーラは、そのまま草が生える地面に座って膝を抱えた。
じっと湖の水面を見つめて、耳を澄ました。
微かにさざ波の音がする。
『いつ来ても…不思議な場所』
暑くも寒くも無い、時が止まった空間に思えるが、湖のさざ波の音がするのだ。
『完全に時が止まっているわけではないけれど…時の流れが違う…?』
あまり長居をした事がないため定かではないが、この場所で1日過ごしても、実際には一時間も経っていないくらい時の流れが違うように思えた。
「確証がないから、試したり出来ないけど…」
リーラは立ち上がり、マントを外して靴を脱いだ。裸足になると、夜着の裾を太ももまで持ち上げて結び、湖の水に足をつけた。
「気持ちいい…」
澄んだ水を両の掌で掬い、水を落とす。
キラキラと水が光に反射して宝石のように輝いた。
いつもは足首の所までしか水に浸からないようにしているが、もう少し奥まで行ってみたくなった。
「カイ様は、これ以上は危ないから行かないようにって、仰っていたけど…」
膝下までの水位の所まで進み、リーラは水の中を見つめた。まだ足は余裕でつく水位だった。
もう一歩だけ進んだ先の水に底に、青い宝石が輝いているのを発見して手に取って見たくなったリーラは、腕の袖を捲って足を一歩踏み出した。
「…え?」
浅い筈の底に足は付かず、リーラはバランスを崩して水の中に落ちた。
手足を動かして水面に上昇しようとしても、水の底に吸い寄せられるように体が沈んで行くのを、リーラは夢を見ている気持ちで見ていた。
『あ…死んでしまうかも…』
こんな時でも冷静なリーラは息を止めながら沈んで行く情景を見ていた。
キラキラと輝く水の中に、何故かカイヤナイトの姿が見えて、リーラは哀しくなった。
『カイ様ともっと一緒にいたかったな…』
幻影のカイヤナイトにリーラは手を伸ばすと、力強い手に手首を掴まれた感触の後は、体を引き上げられて抱き締められた。
息が続かず朦朧としてきた意識の中で、カイヤナイトに抱き上げられ、出現した水のトンネルのような通路を通って地面に寝かされた。
「…ラ、リーラっ!」
カイヤナイトに体を揺さぶられ、何度も名前を呼ばれた気がして耳を澄ますと、一際大きな声が聞こえて目を見開いた。
「リーラ…!」
「ぐっ…」
ゲホゲホと、気管に入った水を吐き出し、リーラは身を捩った。
「リーラ!リーラ…っ、良かった…」
カイヤナイトが蒼白な顔をして、リーラを抱き締めた。
『あれ?何で?どうしてカイ様が…?』
「カイヤナイト様…?」
小さなリーラの囁きを聞いたカイヤナイトは、抱き締めた体を更に強く抱いた。
「貴女を失ったら…生きている意味が無い…」
絞り出された言葉は震えていた。
「ごめんなさい…奥まで行ってはいけないと、言われていたのに…」
リーラは震えるカイヤナイトの体を抱き締め返した。
「約束して下さい…湖には一人で入らないと…」
「はい…ごめんなさい…」
カイヤナイトは上半身を少し起こし、リーラの顔を見下ろした。
白皙の美貌は、水に濡れても美しいのだと、リーラは反省しながらも見とれてしまった。
カイヤナイトは真剣な眼差しのまま、リーラの目を覗き込んできた。
「苦しくは無いですか?何処か痛むところは?」
「…大丈夫です。少しお水が気管に入っただけで…」
「…良かった…」
カイヤナイトは固く目蓋を閉じ、リーラの額に自分の額を合わせて安堵の溜め息を吐いた。
「カイ様…ありがとうございます…でも、何故ここに?」
リーラの小さな声に、カイヤナイトは苦笑を洩らして目を開いた。
リーラの好きな藍晶石色の瞳に、自分の顔が映っていた。
「私だって…貴女と少しでも長く、一緒に過ごしたいのです…貴女の部屋を訪ねたが居なかったので、恐らくここだろうと思って来てみたら…本当に…間に合って良かった」
カイヤナイトはリーラの鼻先に口付けた後、リーラの唇にそっと唇を重ねた。
熱く、柔らかな感触にリーラは陶然とし、自分から唇を強く押し付けた。
『カイ様…大好きです…愛してます…』
想いが伝わるように、リーラはカイヤナイトの首に両腕を回して体を密着させた。
互いの鼓動が体に伝わり、リーラは唇を触れ合わせながら鼓動の数を数えた。
「リーラ…もう少し深くしてもいい…?」
「…はい…」
緩んだ唇の隙間にカイヤナイトの舌が伸びてきて、リーラはドキドキしながら自らも舌を伸ばしてカイヤナイトの舌と触れ合わせた。
「ん…」
絡み合う舌の心地よさにリーラは甘い吐息を洩らした。
『気持ちいい…』
15歳のリーラの誕生日に、リーラとカイヤナイトは結婚式を挙げる決まりになっていた。
互いの想いを確認し合った2年前から、二人は密やかに関係を深めていた。
唇への口付けは触れ合わせるものから、舌を絡め合い唾液を交換するような深いものに変化した。
体への愛撫も直接的なものに変化して、リーラは既に快感というものをカイヤナイトから教えられていた。
許されるならば今直ぐにでも一つに繋がり合いたいが、リーラの立場がそれを許さなかった。
モーント王国の王女は、初夜を処女のまま迎えなければならない決まりがあった。
破瓜の儀といい、純潔を捧げて夫への永遠の愛を誓い、夫は妻の純潔を以て自身の誠実と生命を捧げる誓いをたてる。初夜を過ごした後、結婚式を挙げる決まりだった。
処女でない王女は、正妻になる資格を失い、モーント王国の女にとって不名誉な第二夫人の立場に甘んじなくてはならなくなる。悪くすれば妾となり、未婚のままでいる方がまだ外聞は守られる。
モーント王国は穏やかな国ではあるが、性に関しては保守的で厳格な国だった。
「…カイ様…もっと…」
一つに繋がる事は出来なくても、互いの想いを交換出来る術がある事を、リーラは既に知っていた。
はしたないと思いながら、カイヤナイトの熱をもっと深く感じたくて、リーラはカイヤナイトの逞しくなった背中に手を滑らせた。
「…っ」
カイヤナイトが息を飲み、珍しく眉を寄せた事に気付いたリーラは、手を止めてカイヤナイトの顔を見上げた。
いつもは優しい微笑みが浮かんでいる彼の美貌に苦痛の色を見て取って、リーラはカイヤナイトのチュニックの腰紐をほどこうとした。
「リーラ、駄目だよ。ロート王妃に釘を刺されたばかりだろ?今日は大人しく寝なさいって」
カイヤナイトは上半身を起こして、リーラの手を掴んだ。
「…もしかして…お母様は、気付いていらっしゃるの…?」
カイヤナイトの言葉に、リーラは謁見の間のロートの言葉を思い出して頬を染めた。
婚約者であるカイヤナイトが相手であるなら、恥ずべき事では無いとリーラは思っているが、母親に二人の行為を覗かれた気分がして恥ずかしくなった。
「恐らくね」
カイヤナイトは苦笑して、掴んだリーラの指に口付けを落とした。
「…例えそうでも構いません。それより…カイ様、服を脱いで下さい」
「いや、だから、それは…」
「カイ様…」
リーラは自分で上半身を起こし、カイヤナイトを真剣な眼差しで見上げた。
カイヤナイトは困った顔で嘆息し、諦めたように苦笑を浮かべた。
黒い腰紐をほどき、濡れた鮮やかな青色のチュニックと、その下の黒い長袖のシャツをカイヤナイトは一気に脱いだ。
リーラはカイヤナイトの美しい体を崇めるような気持ちで見つめた。
既に誕生日を迎えて16歳となったカイヤナイトの体からは、まだ成長過程ではあるものの、幼さが消えていた。
辺境伯として剣を振るう事が増えたからか、以前にも増して筋肉で引き締まった体になっていた。
「カイ様…その傷…」
背中に走る傷の痕は、恐らく魔物の爪痕だ。傷は辛うじて塞がっているようだが、まだ完治しているとは言えない状態だった。
先ほどリーラが背中に触れた時、カイヤナイトは痛みを耐える顔をしたのをリーラは見逃さなかった。
「…大したことはないよ。もう治っているから」
「カイ様…」
事もなげに言って笑うカイヤナイトを、リーラは泣きそうな顔をして見つめた。
『何も教えては下さらないけど…だからこそ過酷な現場に今、身を置かれている事は分かる…。本当なら、私に逢いに来ている状況では無いのかもしれない…』
「リーラ…そんな顔をしないで」
カイヤナイトはリーラを抱き寄せて、自分の膝の上に座らせた。
「治癒の魔法が使えればよいのに…」
リーラは自分の掌を見て呟いた。
「それは文献の中にある幻の魔法だよ…現実に使える人間はいない」
「カイ様のお側で、私も一緒に戦いたい…」
「リーラ…貴女の気持ちは嬉しいよ…でもそれは私の心臓がもたないから止めて欲しい。こんなにマメが出来る程、稽古なんかしないで欲しい…」
リーラの掌のマメに口付けを落とし、カイヤナイトは苦笑した。
「貴方の為に出来る事は無いのですか?」
「では、待っていて下さい。私を信じて…」
「…待つ?」
カイヤナイトは顔から笑みを消し、リーラを見つめた。
『嫌だ…何か嫌な予感がする…聞きたくない…』
耳を塞ぎたかったが、リーラはカイヤナイトに手首を掴まれていて、耳を塞ぐ事も出来ずに見つめ返す事しか出来なかった。
「…来年、貴女の誕生日に結婚をする約束でしたが…延期させて欲しいのです」
カイヤナイトの言葉を聞いたリーラの瞳から、滝のように涙が溢れた。
「お願いだ…泣かないで…」
「魔力の無い…私では…やはり…貴女の妻は務まりませんか?」
「リーラ、違うよ。良く聞いて。婚約は破棄しない。結婚の延期の話をしているんだよ」
「何故ですか?」
「危険だからだ」
「危険?」
「辺境領域は、今戦場だ。昼夜を問わず魔物が跋扈し、他国民同士の小競り合いが激化しつつある。確かにカオスは広がって来ている。大事な貴女を、そんな場所に来させるわけにはいかない」
「カイ様が辺境伯を拝命した時から、覚悟は出来ています」
「リーラ、聞き分けて欲しい」
「嫌です。これだけは譲れません」
リーラは泣きながらカイヤナイトを睨んだ。
「貴方にもしもの事があった時、私は離れたこの国で貴方の訃報を聞くのですか?私は王女です。妻の立場でいなければ、貴方が亡くなった後、貴方以外の殿方の元に嫁がなければならなくなります」
「リーラ…」
「妻だったら、貴方の後を追う事も許されます」
「…そんな事はさせない」
カイヤナイトは怒った顔でリーラを強く抱き締めた。
「…お願いします…貴方のお側に置いて下さい…後一年…大人しく待っていますから…」
「リーラ…」
二人は無言のまま暫く抱き合い、空に架かる虹を見上げていた。
この空間にはいつでも虹が空に架かっているのだ。
「本当に…不思議な場所…」
リーラはカイヤナイトの胸に耳を当てながら、ポツリと呟いた。
カイヤナイトは諦めたように小さく息を吐き、微笑みを顔に浮かべた。
「ここは…精霊界の一部なのかもしれませんね…」
「え?」
「時間の流れが違います。こんな景色は何処を探しても精霊界にしか無いはず」
「行った事があるのですか?」
「いいえ、魔法省の書庫に保管されている文献に載っていたのを読んだだけです」
「魔法省…?行った事があるのですか?」
魔法省は、この世界の魔法に関する全ての事を取り仕切っている中枢機関だった。
各国の選りすぐりの魔力保持者によって管理された場所で、魔法学院は魔法省が管理をしていた。
「ええ…学院の生徒は一度は必ず見学に行きますから」
「そうなんですね…」
自国の限られた場所しか行く事を許されていないリーラには、夢物語のような事だった。
「…情勢が落ち着いたら、貴女を色々な場所に案内しますよ」
「カイ様…」
「魔力が無い事をそんなに気に病まないで下さい…」
「それは…」
「魔法が使えなくても、貴女には不思議な力があるのですよ」
「私に?」
「この場所に辿りつけるのは、恐らく貴女だけなんです」
「え?」
「そもそもこの森は魔の森と言って、恐れられている事は貴女も知っているでしょう?」
「はい…でも、何も起きない、普通の森ですよ?」
「貴女にとってはそうなのでしょう。この空間に繋がる結界に気付く事が出来るのも貴女だけなんだと思います」
「結界?」
「蔦の絡まるアーチは、貴女にしか見えていないんです。だから、この場所に辿りつけるのは、リーラ、貴女だけだ」
「でも、カイ様だってここに」
「私は貴女といる時だけ、結界を見る事が出来る。そして、貴女がこの空間にいる時だけ、結界を通って入る事が出来るんです。昔、何度か一人でこの場所に行ってみようと試した事がありますが、一度も辿りつけなかった」
「そうだったんですか…?」
リーラは自分の掌を見つめながら、初めて聞いた事実に困惑した。
「それに、これ」
地面に置かれたリーラのマントの上に置いた幻の果実を手に取ったカイヤナイトは、苦笑を浮かべながらリーラを見つめた。
「これは幻の果実ですよね?以前貴女から頂いた事がある」
「はい…、あの、それはカイ様に贈ろうと思って、先ほど森に入った時、樹木にお願いして頂いたのです。貰って下さいますか?」
「…リーラ、貴女はこの果実の価値を分かっていますか?」
「価値?」
「加工すれば不老不死の秘薬になると言われている、幻の果実です。どれ程の高値で取引されているか知らないでしょう?」
「不老不死なんて…食べた事があるからご存知でしょう?そんな効果は無いって」
「ええ。美味しかったですよ。不老不死は夢物語ですが、加工すると治癒魔法を具現化出来る秘薬になるのです」
「えぇ?そうなんですか?あ、だったら、カイ様の傷に使えますね!」
「リーラ…」
無欲なリーラの美しい顔を、カイヤナイトは蕩けそうな微笑みを浮かべて見つめた。
「貴女は…何故そんなに綺麗でいられるんです?貴女は私には眩しすぎて…本当に、私のような者の妻に迎えて良いのか」
『私は…綺麗なんかじゃない…綺麗なのはカイ様の方だわ…』
リーラは緩く首を横に振ってカイヤナイトの頬に掌を当てた。
「…私はカイ様の妻になるために生まれてきたのです。今更、不要になったなんて言葉は受け付けませんから」
「リーラ…」
カイヤナイトは眉を寄せて苦し気に微笑んだ。
「…貴女には敵わないな…結婚の延期の話は私とゲルブ王との間でしていたのですが、ブラウには鼻で笑われたよ」
「お兄様に?」
「リーラは頑固だから、絶対に了承しないだろうって。下手したら家出して、私の元に押し掛けてくるから、予定通りに結婚はした方が良いと言ってたよ。確かに、そうなりそうだね…」
「お兄様ったら…」
父に似て端正で穏やかな兄の顔を思い浮かべて、リーラは嬉しそうに微笑んだ。
「貴女達兄妹は本当に仲が良いね…」
カイヤナイトは静かに微笑むと、リーラの濡れた夜着を見て困った表情になった。
「風邪を引いてしまうね…そろそろ戻ろうか」
「…嫌です」
「リーラ…」
「だって…戻ったら…また暫くカイ様とこうして触れ合えない」
リーラはカイヤナイトの鎖骨を指で撫でた。
「悪い子だね…いつの間に、そんな風に誘う事を覚えたの…?」
カイヤナイトは濡れて張り付いて形が露になったリーラの胸の先端を、優しく指で弾いた。
「ん…っ」
痛みに似た快感が生まれ、リーラは眉を寄せた。
胸をカイヤナイトの掌に包まれ、優しく揉まれながら首筋に口付けられて、リーラはうっとりと瞳を閉じた。
カイヤナイトの唇がリーラの首筋に強く吸い付いてきた事に気付き、リーラは慌ててカイヤナイトの唇を手で押さえた。
「そこは駄目です…隠せないから…」
カイヤナイトは片眉を上げながら、リーラの掌の上に口付けを落とした。
「…明日はどんなドレスを着るつもり?肌を露出するドレスは着ない約束でしょう?」
「…ごめんなさい…でも…ダリアが一生懸命考えて選んでくれたから…」
「ダリア…?あぁ…手紙で教えてくれたね…新しい世話係りだったよね?」
「はい。最近、少しだけ自信がついてきたみたいなんです。彼女の意見を聞いてあげたいの…だから…」
「使用人を育てるのは主人の勤めではあるけど、婚約者の意思を無視してまでする事では無いよ?」
カイヤナイトは優しく微笑みながら、リーラの首筋に強く吸い付いた。
「あ…っ…痛い…カイ様…強い…っ」
チクチクとした痛みを凌駕する直接的な快感の火花がリーラの全身に広がった。
胸の先端が触れられてもいないのに硬く尖り、濡れた夜着の上でもその形を主張して、リーラの新雪のような肌が薄桃色に染まった。
何度も首筋を吸われ、鎖骨を噛まれてリーラは快感に喘いだ。
「あん…んんっ…んっ…」
「困ったな…止められないよ…リーラ…」
「止めないで…」
リーラはカイヤナイトの胸の尖りに手を滑らせて、彼の首筋に口付けた。
「ふふ…っ」
リーラの柔らかな舌の感触に小さく笑ったカイヤナイトは、お返しとばかりに夜着の裾から手を忍ばせてリーラの細い脚を撫でた。
「はっ、あっ…」
脚を撫でられてゾワゾワとした甘い快感が走り、リーラは太ももを擦り合わせた。
『ああ…どうしよう…体の奥が熱い…』
「リーラ…触れて欲しいの…?」
カイヤナイトは甘く囁きながら、リーラの潤んだ瞳を覗き込んできた。
リーラは羞恥心を押さえて頷いた。ここで否定してしまえば、カイヤナイトはもう今日はリーラに触れてくれなくなると分かっているからだ。
カイヤナイトは、素直なリーラにご褒美の口付けを唇に落とした。いやらしく舌を伸ばしてリーラの唇を舐め、緩んだ隙間に舌を差し込み深くリーラの口腔内を舐めながら、リーラの太ももの際を掴んだ。
「んふっ…ん…んんっ」
ゾワゾワと快感が這い上がって、リーラは体を震わせた。
触れられてもいないリーラの秘密の花園は、既にぬるついた花の蜜で濡れていた。
『どうしましょう…恥ずかしい…でも…カイ様に可愛がって頂きたい…』
リーラはカイヤナイトの深い口付けに舌を絡ませて応えながら、おずおずと彼の熱くなっている中心に手を置いた。
「リーラ…っ」
「カイ様…」
快楽に潤んだ瞳でカイヤナイトを見つめるリーラは、中心に置いた手をゆっくりと円を描くように動かした。
「んっ…こら、本当に…いけない子だね…。どこで覚えたの」
「気持ちいいですか…?いつもは、カイ様にして頂くばかりでしたから…」
「そんな事をしたら、本当に途中で止められなくなってしまう」
「止めないで…私でカイ様も気持ち良くなって…」
「リーラ…」
カイヤナイトは苦笑を浮かべ、リーラの体をゆっくりと地面の上に横たわらせた。
「脚を開いて…」
「はい…」
閉じていた太ももをおずおずと開き、リーラは顔を掌で覆った。
『恥ずかしい…けれど…カイ様に触れて欲しい…』
「腰を浮かせて…」
カイヤナイトの言う通りに腰を上げると、濡れた下着を取り払われた。
「…リーラ…蜜でキラキラと光っているよ?」
カイヤナイトはリーラの太ももの間に自分の体を入れ、彼女の下半身を持ち上げて花園を露にした。
「言わないで…」
掌で顔を覆ったまま、首を横に振るリーラを、カイヤナイトは切な気な眼差しで見つめた。
まだ花園は固い蕾のままで、男どころか指でさえ受け入れた事は無かった。
カイヤナイトはただひたすら快感だけをリーラに与え続けてきたのだ。
蕾は固いままだが、花の芯芽は熟れて膨らんできているのを確認して、カイヤナイトはゆっくりとそこに口付けを落とした。
「ああ…っ」
ビクンと大きく体を震わせたリーラは、自分の指を噛みながら与えられる直接的な快感を堪えた。
何度も花の芯芽を強く吸われ、舌で押し潰されたかと思えば舌先で弾かれて痺れるような悦楽にリーラは声を上げた。
「あん、んんっ、やぁ…あっ…カイ様ぁ…んんっ…好きぃ…っ」
「リーラ…好きだ…もっと気持ち良くなって…」
「あ、あ、駄目、もう…っ!」
花の芽を舌で押し潰した後、ジュルジュルと音が立つ程強く吸われて、リーラは快感に果てた。
花の芽の刺激だけで達したリーラは、びくびくと体を震わせながら、蕾から蜜を吹き出させた。
『気持ちいい…ああ…カイ様…貴方が欲しいのに…』
カイヤナイトは体を震わせるリーラを抱き締め、苦し気に喘ぐ唇に唇を重ねた。
「ん…んんっ」
「リーラ…リーラ」
「カイ様ぁ」
「私が欲しい?」
「欲しい…欲しいです」
「…いけないお姫様だね…貴女は…」
カイヤナイトは自身の熱く猛った中心を取り出すと、リーラの脚を閉じて太ももの間に自身を差し入れた。
「あぁ…」
『カイ様の…熱い…』
「リーラ…愛してる」
カイヤナイトはリーラの両足を持ち、巧みに自身をリーラの花園に擦り付けながら腰を動かした。
「あ、ああ…っ、カイ様…カイ様…」
カイヤナイトが動く度に花の芯芽が刺激されて、リーラはまた甘く喘いだ。
「リーラ…っ、リーラ…くっ…っ」
カイヤナイトはリーラの体がずり上がる程強く腰を突き上げ、リーラの太ももを自身の精で濡らした。
「んんっ」
リーラもまた花園を擦られる刺激で果て、蜜を溢れさせた。
二人は荒い息をしながら強く抱き合い、互いの存在を確かめるようにまた唇を重ねた。
「…リーラ様、あの…それは…」
「ダリア、ごめんなさい。せっかく選んでくれたのに、今日はこのドレスは着られないわ」
リーラの首筋や胸元に散った紅い痕を、ダリアは赤面しながらもまじまじと見ていた。
結局、リーラが感じ過ぎて気を失うまで昨夜は秘密の場所でカイヤナイトと幾度も愛し合った。
気を失ったリーラをカイヤナイトは部屋まで運んで寝かせてくれていた。あの場所の時間の流れがどれくらい違うのか知る事は出来なかったが、リーラは一年ぶりにカイヤナイトの熱を感じる事が出来て幸せだった。
「あの、え?」
ダリアはまだリーラの体にある紅い痕に狼狽えていて、リーラは思わず笑ってしまった。
「なんて顔をしているの、ダリア。これをつけてくれたのはカイヤナイト様です。心配いりません」
「ですが、まだ結婚前です。リーラ様はまだ成人もされていませんのに…」
ダリアは性に保守的な、典型的なモーント王国の女だった。恐らくまだ体を委ねても良いと思える男に逢った事が無いのだろう。
早熟なリーラとは違うダリアに、リーラは優しく微笑んだ。
「愛しい方と愛し合うのに、子供も大人も関係ないわ」
「でも、リーラ様」
「大丈夫。まだ最後まではしてないから」
悪戯を成功させた子供のように笑うリーラの、意外な一面を見たダリアは、不思議と清々しい気持ちを抱いた。
結婚前に男性と抱き合うなんて事は、ダリアにとっては考えられない事だったが、リーラの堂々とした態度は見ていて気持ちが良かった。
王女であるリーラは、ダリアなどより沢山の制約がある中で生きている。
結婚相手でさえ自分で決める事が出来ない中、リーラは婚約者を愛し、色々な覚悟を持って行動している事が分かるからだ。
『私もリーラ様のように強くなりたい…この方は、私の最初で最後の主だわ』
ダリアは心の中で強く拳を握った。
「…では、ドレスを選び直さなければいけませんね」
「ごめんね。隠せる形の物はあるかしら」
「あ…これは如何ですか?」
「あら、これは良いわね。これにしましょう」
ハイネックで首筋も胸元も全て隠れるが、ノースリーブで体の線が分かる細身のマーメイドタイプのドレスを見つけた二人は、顔を見合わせて頷いた。
ダリアに手伝って貰いながら着たドレスはリーラに良く似合い、彼女の美しさと艶やかさを引き出してくれた。
艶やかな白銀の髪はアップにされ、サークレットを乗せ、リーラの瞳と同じ紫の大きなアメジストが耳を飾った。
「リーラ様…女神様みたいです」
ダリアの称賛にリーラは頬を染めた。
「ありがとう…」
不意に部屋の窓に黒い大きな影がもの凄い速さで横切り、振動で窓がガタガタと揺れた。
『何?!』
リーラは窓際に走り寄り、バルコニーに続く窓を開けた。
「…あれは!」
「ひっ!」
ダリアは腰を抜かして窓際に座り込み、リーラは蒼白な顔をして朝日に照らされ、空を優雅に飛ぶ黒い竜を見上げた。
飛翔する竜に取り付けられた所有国の紋章が描かれた鞍敷がはためく。
『太陽と剣…あの紋章はゾンネ王国の…』
リーラは嫌な予感を抱きながら、竜が着陸するであろう裏庭へと走り出した。
「…カイヤナイト様…」
裏庭にリーラが到着した時、既にカイヤナイトやゲルブ達が集まっていた。
漆黒の鱗が艶やかに輝く黒竜は、大人しく裏庭の芝の上で翼を折り畳んで休んでいた。
珍しく険しい表情をして、黒竜の前で佇む灰色の髪の青年と話をしていたカイヤナイトは、リーラの姿を確認すると目を見開いて動きを止めた。
「…何があったのですか…?」
黒いマントを纏ったカイヤナイトは、既に旅立つ用意を整えていた。
リーラは嫌な予感に奥歯を噛み締めた。
「リーラ…すまない」
カイヤナイトは青ざめた顔で立ち止まったリーラの元へと足を進め、リーラの華奢な手を取って口付けた。
「…これから直ぐにゾンネに戻らねばならなくなった」
「カイ様…」
『嫌だ…行かないで!』
リーラは心の中で叫んだ。
「…今貴女に詳細は説明出来ないが…ノードリスターが戦場になっている」
「何故…カイ様が行かなければならないのですか…」
アストリスターの辺境伯であるカイヤナイトが、兵士でも無いのに他の辺境領での戦に何故行かねばならないのか、リーラには理解出来なかった。
「それは、カイヤナイト様が有能だからです」
灰色の髪を掻き上げながら近付いて来た青年は、リーラに向けて満面の笑みを浮かべた。
「…リーラ、彼はヴァイス・ドンナー。私の乳兄弟だ。以前話した事があったよね?」
「あ、はい、あの…」
「貴女がリーラ姫ですね。成る程、女神の如き美しさですね。お逢いできて光栄です。本日はお誕生日と聞いておりますが、カイヤナイト様には早急に帰国し、ノードリスターの危機を防いで貰わなければならなくなりました」
カイヤナイトより拳一つ低いが、彼もまた長身で繊細な美貌の持ち主だった。
ヴァイスはリーラの前で膝を折り、深く頭を垂れた。
「落ち着いたらまた直ぐに逢いに行くから…リーラ…待っていて欲しい」
カイヤナイトはマントの中から小さな箱を取り出し、リーラの掌に握らせると人前で初めてリーラの唇に唇を重ねた。
「カイ様…」
「こんな形で帰る事を許して…14歳、おめでとう」
触れるだけの口付けは直ぐにほどけ、切なさを隠さずに微笑んだカイヤナイトは呆然とするリーラを一度強く抱き締めてから、振り切るように直ぐに踵を返した。
「陛下。恐らくモーント王国は近日中にヴァッサー王国からの襲撃を受けるはずです。早急に対策を」
「心得た。カイヤナイト、無事を祈る」
「カイ!油断するなよ」
ブラウの言葉に頷きながら、カイヤナイトは慣れた動作で黒竜の鞍に乗り、その横にヴァイスが並んだ。
「ヴァイス!カイを頼む!」
ブラウが親しげにヴァイスにも声を掛ける。
「ブラウも無事で!今度のチェスの勝負は私が勝つよ」
ヴァイスも親しげに返し、手綱を振って竜に合図を送った。
黒竜は閉じていた目蓋を開き、金色の瞳をリーラに向けた。
リーラはその瞳を見て我に返った。
「カイ様!待っていますから、どうかご無事で!」
黒竜の顔の前まで走り寄り、リーラは臆する事無く竜の鼻先を撫でて微笑んだ。
「カイ様達を無事に送り届けてね…お願いします」
竜は無言のままリーラを見つめ、ゆっくりと立ち上がった。
「リーラ!離れて!」
ブラウがリーラの肩を抱きながら黒竜の傍から引き離した。
周囲の人間が十分な距離を取った瞬間、竜は翼をはためかせ一気に上空に飛び立った。
名残を惜しむ事もしない竜は、稲妻のような速さでリーラ達の視界から消え去った。
「伝令係!至急国軍に配置に付くように伝えよ!」
ゲルブの鋭い声が周囲の空気を引き締めた。
「ブラウ!辺境領への伝令は?」
「カイの助言通り、昨夜のうちに済んでいます」
「カイヤナイトにまた助けられたな…。至急将軍達を集めよ!」
「畏まりました」
慌ただしく周囲が動く中、涙を流す暇さえ無く去って行ったカイヤナイトを想いながら、リーラは一人青く澄んだ空を見つめ続けた。
『カイ様…』
掌の箱をじっと見つめ、リーラはそっと蓋を開けた。
「…綺麗」
箱の中には指輪が入っていた。
青と紫の宝石が一粒ずつ嵌め込まれた金の指輪を指で摘まみ、自分の左手の薬指に嵌めた。
空にかざして見上げた指輪の青がカイヤナイトの瞳のようで、リーラは泣くのを堪えながら微笑みを作った。
「…リーラ様…!」
腰を抜かしていた筈のダリアが、息を乱してリーラの元に駆け寄ってきた。
「何が…あったのですか…?パーティーは…」
普段とは違う雰囲気の城内に違和感を抱いたダリアが、恐る恐るリーラに聞いてくる。
かざしていた手を下ろしたリーラは、肩越しにダリアを振り返って静かに告げた。
「パーティーは中止です。…戦が始まったのです」
先程までの頼りない表情は影を潜め、リーラは聡明な王女に戻って世話係に指示を出す。
「服を改めた後は、私の領地、ルーナに向かいます。戦が長引いた時の為の準備をしなくては」
「あ、は、はい!只今!」
哀しみを胸に押し込めて、リーラは動き出す。昔、魔力の無い自分を嘆いて泣いていた自分にカイヤナイトがくれた言葉は今もリーラの胸に刻まれている。出来ない事を嘆くより、自分が今出来る事を精一杯やるしかないのだ。
きっとカイヤナイトもそうやって、昔も今も自身を鼓舞して困難に立ち向かっているのだ。
『私は、あの御方の妻になるのです。カイ様に恥ずかしい姿は見せられないわ』
リーラは真っ直ぐに前を見て、確かな足取りで歩き始めた。
◆◆◆
混沌は永きに渡る争いで流れた血の怨念と憎悪によって闇よりも濃い暗黒となり、カオスが生まれ、人は自分達の過ちに気付いた。
カオスとの戦は千年続き、世界を疲弊させた。
これがヴェルトラウムの千年戦争である。
◆◆◆
秩序をもたらす依り代は、世界を平定し、やがて神をも凌ぐ力を手に入れた。
人の身で不死身となった依り代は、人の世で神として君臨した。
気紛れな神を排除しようとした人間は、依り代を崇め、神に戦いを挑み、世界に再び混沌を生んだ。
◆◆◆
「…また、辺境領に魔物が出たみたい」
「嫌だ、また?ここのところ多いわね」
「カオスがまた力を盛り返してきたのかしら…」
「まさか戦になるの…?」
王城の回廊を歩くリーラの耳に、ひそひそとした使用人達の噂話が届くが、リーラは聞こえない振りをして内心で嘆息した。
リーラが生まれる前からモーント王国とは冷戦状態であったヴァッサー王国とフランメ王国の同盟が最近になって結ばれ、モーント王国の海岸付近の辺境領は、他国民同士の小さな小競り合いと魔物の襲撃に悩まされていた。
まだリーラが幼い頃は、魔力の無い自分の事に精一杯で政治的な事にまで意識が向かなかったが、14歳の誕生日を明日に控えた今のリーラにはある程度の事は理解出来るようになっていた。
『カイヤナイト様…』
辺境領と聞くと、リーラの鼓動は跳ねる。
15歳で成人となるこの世界の常識と同じように、魔法学院も特別な道に進まない限り15歳で卒業する決まりだった。
カイヤナイトは予定通り15歳で学院を卒業すると、自国の辺境伯となり、危険で難しい役目を現在担っていた。
第二王子であるカイヤナイトが、事実上の立場の降格を意味する辺境伯になったと聞いた時、リーラは耳を疑った。
『妾腹の出である事が、そんなにいけない事なの?』
誰よりも賢くて優秀なカイヤナイトを軽んじるゾンネ王国の王族達に、リーラは憤りを禁じ得ない。
卒業した年の来訪時に、辺境伯を王から拝命した事をカイヤナイト本人から聞いたリーラは、悔しくて心配で堪えきれず泣いてしまった。
涙を溢すリーラを抱き締め、全てを悟ったような顔で微笑むカイヤナイトを見て、リーラは愛しい人の底知れない強さに益々尊敬を深めたが、同時に深い哀しみを感じた。
「どんな立場でも、成す事は同じです。ただ一つ…結婚するまでの間は、リーラに逢えるのは、年に一回の来訪時だけになってしまうのが、耐え難い苦痛です」
そう言って、深い口付けをくれたカイヤナイトの唇の熱さを思い出したリーラは、熱くなってきた頬を隠すように顔を俯かせて歩いた。
「リ、リーラ様、そんなに早く歩かれては、後ろの者達が…」
新しくリーラの世話係りとなったダリアは、去年魔法学院を卒業したばかりの、ウイード男爵家の出自だった。
性格は控えめと言えば聞こえは良いが、小心でいつもオドオドしており、王城に召し上げられたばかりの頃は使用人達から馬鹿にされ、仕事の持ち場をたらい回しにされていた。
リーラの世話係りをしていたミモザが出産したのを機にリーラはミモザに暇を出し、子育てに専念するように命じた。
命令しなければ倒れるまで無理をするミモザの事を分かっていたから、リーラは好まない命令という手段を使った。
暫く専任の世話係りを持たずに日々を過ごしていたが、ダリアの噂を耳にしたリーラは自分の世話係りに任命した。
痩せて骨張った体にソバカスの浮いた顔。決して手をかけているとは思えない後ろに纏めただけの紺色の髪。全体的に見て、人好きのする印象は無かったが、澄んだ灰色の瞳と、不器用だが真面目で誤魔化す事をしないところが好感を持てた。
ダリアがリーラの世話係りになってまだ3ヶ月しか経っていないが、リーラが毎日根気強く接していくうちに、世話係りとしての自信が少しずつ付いてきたように思えた。
「あ、ごめんなさい。大丈夫?」
魔法を使う事が出来ないリーラは、全てを自分の力だけで行う必要があり、たおやかな見た目に反して一般的な女性よりフィジカル面が強く、力も強ければ走るのも速くなっていた。
歩く速度を落としたリーラは、素直にダリア達に謝罪した。
ダリアを含め後ろに付き従う従者達は、自分達の主の素晴らしさに感嘆の溜め息を洩らした。
この国一番の美姫であるリーラ王女は、魔力が無い事を抜かせばどの王族の姫や貴族の令嬢よりも秀でた存在だった。
幼少時から賢く、読み書きは勿論算術にも長け、真面目で努力家で決して使用人達に声を荒げる事もしなければ、無茶な要求もしてこない。常に使用人達に気を配り、王女として民に何が出来るかを考えている王族の鏡のような姫だった。
『あぁ…リーラ様…なんてお優しくて、美しいの…私がこの方のお世話係りになれたなんて…末代までの誉れだわ』
ダリアはうっとりと主人の美貌を見上げた。
2歳下の筈のリーラだが、ダリアより背が高く、明日で14歳になるとは思えないくらい大人びて見える。
艶やかな白銀の髪は、今は編み込まれて一つに纏められており、クラシカルなハイネックのドレスは、リーラの瞳と同じ紫色をしていた。
ほどよく膨らんだ胸元と細く締まった腰の女性らしい優美な曲線は、同年代のダリアには無い艶やかさを既に纏っていた。
『…本当に美しい方…もっと華やかに装っても良いのに、いつも簡素にして上品でいらっしゃる…あこがれてしまうわ…』
リーラの世話をするのが仕事の筈のダリアだが、今のところ世話係りとしての仕事はまだ上手く出来ずにいた。
何故なら、王女にしては珍しく、リーラは何でも一人で出来てしまう主だったからだ。
だが、リーラは何をするにもダリアの意見を求めてくれた。
家でも、学院でも、存在を無視される事が当たり前になっていたダリアにとって、リーラの存在は暗闇で輝く月だった。
「ねぇ、ダリア。カイヤナイト様が到着されるのは今日の夕方だから、今から行けばまだ間に合うかしら?」
「お、恐れながら…間に合うかもしれませんが、危ないです…お願いですから、行かないで下さい」
リーラに話し掛けられたダリアは緊張と嬉しさで声を震わせたが、リーラのとんでもない発想を僭越だと思いながらも完全否定した。
リーラはカイヤナイトをもてなす為に、裏庭の奥の森の、幻と言われている果実を取りに行こうと考えていた。
果実がなる樹木は神出鬼没の魔法の樹木で、出逢える可能性は運次第だった。
リーラは幼い頃からこの樹木に出逢う確率が高く、昔カイヤナイトに果実をプレゼントして喜ばれた事を思い出したのだ。
しかしリーラが一人で森を散策している事は、カイヤナイトしか知らない事だった。王女が魔の森と呼ばれているあの森を探検するのを従者達が賛成する筈は無かった。
「もしリーラ様に何かあったら、カイヤナイト様がどれ程心配されるか…」
「ダリアは反対なのね?皆はどう思う?」
後ろの従者達も一斉に反対し、リーラは苦笑を浮かべた。
「皆が反対するなら諦めて、大人しくカイヤナイト様のお部屋に飾るお花だけを摘む事にするわ」
リーラの言葉に胸を撫で下ろしたダリアと従者達は、互いに視線を合わせて微笑みあった。
王城で働くようになって初めて、ダリアはリーラの元で仕事の連帯感を仲間と分かち合う嬉しさを知った。
「ゾンネ王国、カイヤナイト・ヴァー・ゾンネ・アストリスター辺境伯、お越しになられました」
王城の西の棟はリーラ達家族の生活空間で、私的な客を出迎えるための部屋である一階入り口付近の謁見の間に、一年振りにモーント王国を訪れてきたカイヤナイトが入って来た。
二人のお供は謁見の間には入らず、入り口の外で待機するのはいつもの事だが、リーラはそれが不思議だった。
お供も伴わず他国の謁見の間に一人で入る人間は、カイヤナイト以外リーラは知らない。
「長い道中、大事無かったか?」
父王ゲルブは豪奢な椅子に座りながら、片膝を立てて頭を下げるカイヤナイトを見下ろして問い掛けた。
淡い金の髪は後ろに流して紐で括られ、略式の王冠がその頭上で輝いていた。
前王が崩御され、二十歳という若さで王の座に就いたゲルブは、その端正で穏やかな容姿もあって一見脆弱に見えるが、揺るがない眼差しの強さに彼の王たる資質が見えた。
「はい。お陰さまで、何事も無く。陛下におかれましては、御尊顔を拝し…」
久し振りに聞くカイヤナイトの美しい声に、リーラの胸は様々な感情が渦巻いて張り裂けそうだった。玉座に座る父王の横に立つ王妃の隣に兄のブラウが、その横に佇むリーラは既に感情が押さえられず瞳を潤ませていた。
ゲルブはそんな愛娘の様子を見て、王から父親の顔に変わって破顔した。
「カイヤナイト、固い挨拶はこの辺りでお仕舞いにしよう。早くリーラを抱き締めてあげてくれ。涙で洪水がおきそうだから」
「確かに」
ゲルブの言葉に、明るい笑い声を上げた兄のブラウは、口元を手で押さえて涙を堪えているリーラの華奢な背中を優しくあやすように叩き、カイヤナイトの元に行くように促した。
リーラはそれが合図のように走り出し、立ち上がって腕を広げてくれたカイヤナイトの胸に飛び込んだ。
カイヤナイトに両腕で抱き絞められ、逞しくなった固い胸元に顔を埋めて彼の背中に両腕を回した。
『あぁ…本物のカイ様だわ…』
鼻孔を擽るカイヤナイトの体臭は甘く、嗅ぐだけでリーラは酔ったように身動きが出来なくなった。
「リーラ…」
耳元で囁かれたカイヤナイトの自分を呼ぶ声に、リーラの瞳からポタポタと宝石のような涙がこぼれ落ちた。
カイヤナイトはリーラの頬を濡らす涙を優しく手で拭い、華奢な背中をあやすように叩いた。
「…ごめんなさい」
初めてカイヤナイト以外の前で涙を見せてしまったリーラは、恥ずかしさに益々顔を俯かせた。
「リーラ、感動の再会はまた後でにして、取り敢えずカイを部屋へ案内してあげなさい。ゾンネ王国の辺境領は遠いからね。いくらカイでも疲れただろ」
ブラウが微笑みながらリーラに言い、カイヤナイトに目線で謁見の間の入り口で控えているお供を指した。
「いつも通り遠ざけておくので構わないか?」
「ええ…。ありがとうございます」
カイヤナイトは苦笑を浮かべ、ブラウに頭を下げた。
リーラ達の前を通り過ぎ、ブラウは軽く手を上げながら入り口へと足を向けた。
『…遠ざけておく?どういう事…?』
濡れた瞳のままカイヤナイトを見上げたリーラだが、疑問の答えには辿り着けなかった。
「ほら、リーラ。お部屋に案内なさい。カイヤナイト、少し落ち着いたら呼びますから、今宵は一緒に夕食を摂りましょう」
ロートがリーラとカイヤナイトの肩を押し、歩くように促してくる。
「明日はリーラの誕生日。主役の貴女は明日は忙しいわよ?国内外から、沢山の方達がお祝いに駆けつけて下さるみたいですから、今日は早めに寝て休んでおかなければ駄目ですよ?」
含みのあるロートの言い方にリーラは意味が分からず首を傾げたが、カイヤナイトは理解しているらしく苦笑しながら頷いた。
本心は早くカイヤナイトと二人きりで過ごしたかったリーラだが、彼のためにリーラ自ら整えた部屋にカイヤナイトを案内した後は、自室に帰って大人しく明日の準備をした。
「明日はいつもより華やかなデザインのドレスを選んだ方が良いと思うのですが…」
自室の衣装部屋でリーラはダリアと二人で明日着るドレスを選んでいるが、色は紫と決まったが、デザインで意見がまとまらず、ドレスを引っ張り出しては戻す事を繰り返していた。
「カイ様は、余り華美なドレスは好まないのよ」
「ですが、明日は主役なのですから。リーラ様が簡素にし過ぎてしまうと、周りの方達が浮いてしまって居心地の悪い思いをさせてしまうと思うのです」
ダリアは遠慮がちだが、自分の意見を曲げなかった。
リーラはダリアの確かな変化を感じて、嬉しさを隠しきれずに笑った。
花が綻ぶように優しく笑うリーラを目の当たりにしたダリアは、あまりの美しさに呆然とした。
『あぁ…リーラ様…』
「ダリアの意見は尤もだと思うわ。それじゃ…このドレスは?」
鎖骨が見えるくらいの、ほどほどの露出のデザインのドレスをリーラは手に取った。
ダリアはリーラとドレスを交互に見ると、首を捻りながら違うドレスを手に取った。
「明日は、こちらの方が宜しいかと。リーラ様にお似合いになると思います!」
大胆に開いたデコルテをレースが上品に隠してはいるが、実際に着た時は胸の谷間が見えそうな透け加減で、体の線がハッキリと分かるかなり大人っぽいデザインのドレスだった。
「素敵だけれど…カイ様に怒られそうだわ…」
リーラは掌で片頬を包みながら首を傾げ、困ったように微笑んだ。
『ダリアは意外にセクシー路線のドレスを選ぶのよね…』
「殿方のいう通りにばかりしていると、安心されて、浮気に走られるそうです」
如何にも奥手そうなダリアから男女の駆け引きの話をされて、リーラは驚きを隠せなかった。
「そ、そうなの?ダリアの経験談?」
「え?!いえ!まさか!私なんて!あの…そう言う話を聞いた事があるだけです…すみません…出過ぎた事を…」
ダリアは赤面させて、慌てて頭を下げた。
「謝らないで。同じ年頃の女の子達と話す機会が少ないから嬉しいわ。好きな殿方に飽きられないようにするには、他にはどんな事に気を付けたら良いのかしら?」
リーラは自分が持っていたドレスを戻しながら、ダリアに話し掛けた。
「え、あ、そうですね…」
「失礼致します。リーラ様、お夕食の準備が整ったとの事です」
取り次ぎ係りが、衣装部屋のドアをノックした。
「はい、分かりました。今参ります」
リーラはダリアと顔を見合わせて笑い合い、ダリアが持っているドレスを見て頷いた。
「明日はそれを着るから、用意をお願いするわ」
「あ、は、はい!かしこまりました」
「準備が終わったら、もう今日は自分のお部屋に戻って良いわ。戻りは遅くなるから、待っていなくて良いです」
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ」
ダリアに見送られながら、リーラは自室を出て晩餐の間に向かった。
カイヤナイトを囲んだ夕食は、和やかに最初は始まった。だが途中からは、世界の情勢の不安や、カオスの到来を意味する闇の勢力の増加を不安視する話になり、リーラの食欲を減退させた。
夕食後は、ゲルブとブラウに伴われてカイヤナイトは談話室へと向かってしまい、今日はもう彼と会えない事を悟って内心で溜め息を吐いた。
『…カオス』
誰もいない自室に戻ったリーラは、浴室で湯浴みをしながらゲルブ達が話していたカオスについて考えていた。
この世界の創世記の中に登場するカオスが実際に存在する事を知ってリーラは恐怖を感じた。
カオスはこの世界の秩序を壊す存在と、幼い頃に童話で読み聞かせて貰った。
『…でも、秩序を壊すって、どういう事かしら?闇の勢力って…つまり魔物って事?魔物は何故増え始めたのかしら…?』
古株の従者達に聞くと、魔物の出没の増加はここ10年来、毎年増え続けているらしかった。それに伴い魔法騎士団は、団員数を増やしているが、数が足りていない事が問題視されているらしかった。
『こんな時…私は自分が嫌になる…』
魔力が無いリーラは、結局守って貰ってこの安寧を手に入れている。魔力が無い自分の身を守る為に、リーラは剣術も学んでいるが、どう頑張っても屈強な男の兵士に勝つ事は出来ない。
「…力が足りないのよ…もっと練習しなくちゃ」
王女の掌に出来るはずもない、剣術の稽古で出来たマメを見つめながら、リーラは低く呟いた。
「あ…月…」
リーラは自分の掌から、窓の奥に見える月に視線を移した。ほんの少しだけ欠けて見える月を見て、明日の誕生日が満月だと気付き、自分の体を抱き締めた。
リーラが誕生した時、夜空には満月が輝いているはずだった。だが、実際は新月のように、曇ってもいない夜空から月が消えてしまい大騒ぎしたとブラウから聞いた。
それは一瞬の出来事だったらしく、気が付いた時には満月が輝いていたそうだが、ブラウは当時5歳だった自分の笑い話としてリーラに語ってくれた事があった。
その話を聞いた時、リーラは何故か不安になった。月の祝福を貰えなかったから魔力が宿らなかったのではと、リーラは一人で思い悩んだ過去を思い出した。
だんだんと出来ない事ばかりを考え出してきた自分に気付いたリーラは、頭を振ってから立ち上がった。
新雪で出来たような滑らかな肌はお湯を弾き、若さが漲っていたが、美しい紫の瞳には疲労が映っていた。
『…このまま部屋にいても眠れそうも無いし…あの場所で元気を貰ってこよう!』
リーラはタオルで濡れた体を拭いながら、窓から見える森を見つめた。
月明かりを頼りに王城の裏庭を抜け、鬱蒼とした森の中に足を踏み入れたリーラは、灯りも持たず奥に進んだ。
灯りがあると人に見つかってしまうので、月明かりと自分の目だけを頼りに歩く。人より夜目が利くリーラの足取りに迷いはなかった。
「…あれ…凄い…また見つけちゃった」
幻と言われている魔法の樹木が、闇の中で淡い光を放ちながら立っているのを見つけたリーラは、ゆっくりと樹木の下まで進み、果実を見上げた。
一見すると林檎の木に見えるが、果実は桃に似た形をしている。
「…大切な方に贈りたいのですが…一つ頂けますか?」
この樹木の果実は、もぎ取る事が出来ない。手に入れるには、樹木にお願いするしかないのだ。
樹木に向かってお願いすると、果実は自らリーラの差し出した手の中に落ちた。
「…ありがとう」
リーラは微笑み、秘密の場所へと足を向けた。
蔦の絡まったアーチを潜ると、きらびやかな空間に繋がり、いつ来てもこの場所は時間の流れというものが感じられなかった。
幼い頃からここは、何も考えたく無い時や気分が落ち込んだ時に訪れるリーラの秘密の場所だった。
『今は夜なのに…こんなに明るい…』
夜に自室を抜け出し、この秘密の場所に来るのは初めてでは無かった。
白い絹の夜着の上に黒いフード付きのマントを纏ったリーラは、そのまま草が生える地面に座って膝を抱えた。
じっと湖の水面を見つめて、耳を澄ました。
微かにさざ波の音がする。
『いつ来ても…不思議な場所』
暑くも寒くも無い、時が止まった空間に思えるが、湖のさざ波の音がするのだ。
『完全に時が止まっているわけではないけれど…時の流れが違う…?』
あまり長居をした事がないため定かではないが、この場所で1日過ごしても、実際には一時間も経っていないくらい時の流れが違うように思えた。
「確証がないから、試したり出来ないけど…」
リーラは立ち上がり、マントを外して靴を脱いだ。裸足になると、夜着の裾を太ももまで持ち上げて結び、湖の水に足をつけた。
「気持ちいい…」
澄んだ水を両の掌で掬い、水を落とす。
キラキラと水が光に反射して宝石のように輝いた。
いつもは足首の所までしか水に浸からないようにしているが、もう少し奥まで行ってみたくなった。
「カイ様は、これ以上は危ないから行かないようにって、仰っていたけど…」
膝下までの水位の所まで進み、リーラは水の中を見つめた。まだ足は余裕でつく水位だった。
もう一歩だけ進んだ先の水に底に、青い宝石が輝いているのを発見して手に取って見たくなったリーラは、腕の袖を捲って足を一歩踏み出した。
「…え?」
浅い筈の底に足は付かず、リーラはバランスを崩して水の中に落ちた。
手足を動かして水面に上昇しようとしても、水の底に吸い寄せられるように体が沈んで行くのを、リーラは夢を見ている気持ちで見ていた。
『あ…死んでしまうかも…』
こんな時でも冷静なリーラは息を止めながら沈んで行く情景を見ていた。
キラキラと輝く水の中に、何故かカイヤナイトの姿が見えて、リーラは哀しくなった。
『カイ様ともっと一緒にいたかったな…』
幻影のカイヤナイトにリーラは手を伸ばすと、力強い手に手首を掴まれた感触の後は、体を引き上げられて抱き締められた。
息が続かず朦朧としてきた意識の中で、カイヤナイトに抱き上げられ、出現した水のトンネルのような通路を通って地面に寝かされた。
「…ラ、リーラっ!」
カイヤナイトに体を揺さぶられ、何度も名前を呼ばれた気がして耳を澄ますと、一際大きな声が聞こえて目を見開いた。
「リーラ…!」
「ぐっ…」
ゲホゲホと、気管に入った水を吐き出し、リーラは身を捩った。
「リーラ!リーラ…っ、良かった…」
カイヤナイトが蒼白な顔をして、リーラを抱き締めた。
『あれ?何で?どうしてカイ様が…?』
「カイヤナイト様…?」
小さなリーラの囁きを聞いたカイヤナイトは、抱き締めた体を更に強く抱いた。
「貴女を失ったら…生きている意味が無い…」
絞り出された言葉は震えていた。
「ごめんなさい…奥まで行ってはいけないと、言われていたのに…」
リーラは震えるカイヤナイトの体を抱き締め返した。
「約束して下さい…湖には一人で入らないと…」
「はい…ごめんなさい…」
カイヤナイトは上半身を少し起こし、リーラの顔を見下ろした。
白皙の美貌は、水に濡れても美しいのだと、リーラは反省しながらも見とれてしまった。
カイヤナイトは真剣な眼差しのまま、リーラの目を覗き込んできた。
「苦しくは無いですか?何処か痛むところは?」
「…大丈夫です。少しお水が気管に入っただけで…」
「…良かった…」
カイヤナイトは固く目蓋を閉じ、リーラの額に自分の額を合わせて安堵の溜め息を吐いた。
「カイ様…ありがとうございます…でも、何故ここに?」
リーラの小さな声に、カイヤナイトは苦笑を洩らして目を開いた。
リーラの好きな藍晶石色の瞳に、自分の顔が映っていた。
「私だって…貴女と少しでも長く、一緒に過ごしたいのです…貴女の部屋を訪ねたが居なかったので、恐らくここだろうと思って来てみたら…本当に…間に合って良かった」
カイヤナイトはリーラの鼻先に口付けた後、リーラの唇にそっと唇を重ねた。
熱く、柔らかな感触にリーラは陶然とし、自分から唇を強く押し付けた。
『カイ様…大好きです…愛してます…』
想いが伝わるように、リーラはカイヤナイトの首に両腕を回して体を密着させた。
互いの鼓動が体に伝わり、リーラは唇を触れ合わせながら鼓動の数を数えた。
「リーラ…もう少し深くしてもいい…?」
「…はい…」
緩んだ唇の隙間にカイヤナイトの舌が伸びてきて、リーラはドキドキしながら自らも舌を伸ばしてカイヤナイトの舌と触れ合わせた。
「ん…」
絡み合う舌の心地よさにリーラは甘い吐息を洩らした。
『気持ちいい…』
15歳のリーラの誕生日に、リーラとカイヤナイトは結婚式を挙げる決まりになっていた。
互いの想いを確認し合った2年前から、二人は密やかに関係を深めていた。
唇への口付けは触れ合わせるものから、舌を絡め合い唾液を交換するような深いものに変化した。
体への愛撫も直接的なものに変化して、リーラは既に快感というものをカイヤナイトから教えられていた。
許されるならば今直ぐにでも一つに繋がり合いたいが、リーラの立場がそれを許さなかった。
モーント王国の王女は、初夜を処女のまま迎えなければならない決まりがあった。
破瓜の儀といい、純潔を捧げて夫への永遠の愛を誓い、夫は妻の純潔を以て自身の誠実と生命を捧げる誓いをたてる。初夜を過ごした後、結婚式を挙げる決まりだった。
処女でない王女は、正妻になる資格を失い、モーント王国の女にとって不名誉な第二夫人の立場に甘んじなくてはならなくなる。悪くすれば妾となり、未婚のままでいる方がまだ外聞は守られる。
モーント王国は穏やかな国ではあるが、性に関しては保守的で厳格な国だった。
「…カイ様…もっと…」
一つに繋がる事は出来なくても、互いの想いを交換出来る術がある事を、リーラは既に知っていた。
はしたないと思いながら、カイヤナイトの熱をもっと深く感じたくて、リーラはカイヤナイトの逞しくなった背中に手を滑らせた。
「…っ」
カイヤナイトが息を飲み、珍しく眉を寄せた事に気付いたリーラは、手を止めてカイヤナイトの顔を見上げた。
いつもは優しい微笑みが浮かんでいる彼の美貌に苦痛の色を見て取って、リーラはカイヤナイトのチュニックの腰紐をほどこうとした。
「リーラ、駄目だよ。ロート王妃に釘を刺されたばかりだろ?今日は大人しく寝なさいって」
カイヤナイトは上半身を起こして、リーラの手を掴んだ。
「…もしかして…お母様は、気付いていらっしゃるの…?」
カイヤナイトの言葉に、リーラは謁見の間のロートの言葉を思い出して頬を染めた。
婚約者であるカイヤナイトが相手であるなら、恥ずべき事では無いとリーラは思っているが、母親に二人の行為を覗かれた気分がして恥ずかしくなった。
「恐らくね」
カイヤナイトは苦笑して、掴んだリーラの指に口付けを落とした。
「…例えそうでも構いません。それより…カイ様、服を脱いで下さい」
「いや、だから、それは…」
「カイ様…」
リーラは自分で上半身を起こし、カイヤナイトを真剣な眼差しで見上げた。
カイヤナイトは困った顔で嘆息し、諦めたように苦笑を浮かべた。
黒い腰紐をほどき、濡れた鮮やかな青色のチュニックと、その下の黒い長袖のシャツをカイヤナイトは一気に脱いだ。
リーラはカイヤナイトの美しい体を崇めるような気持ちで見つめた。
既に誕生日を迎えて16歳となったカイヤナイトの体からは、まだ成長過程ではあるものの、幼さが消えていた。
辺境伯として剣を振るう事が増えたからか、以前にも増して筋肉で引き締まった体になっていた。
「カイ様…その傷…」
背中に走る傷の痕は、恐らく魔物の爪痕だ。傷は辛うじて塞がっているようだが、まだ完治しているとは言えない状態だった。
先ほどリーラが背中に触れた時、カイヤナイトは痛みを耐える顔をしたのをリーラは見逃さなかった。
「…大したことはないよ。もう治っているから」
「カイ様…」
事もなげに言って笑うカイヤナイトを、リーラは泣きそうな顔をして見つめた。
『何も教えては下さらないけど…だからこそ過酷な現場に今、身を置かれている事は分かる…。本当なら、私に逢いに来ている状況では無いのかもしれない…』
「リーラ…そんな顔をしないで」
カイヤナイトはリーラを抱き寄せて、自分の膝の上に座らせた。
「治癒の魔法が使えればよいのに…」
リーラは自分の掌を見て呟いた。
「それは文献の中にある幻の魔法だよ…現実に使える人間はいない」
「カイ様のお側で、私も一緒に戦いたい…」
「リーラ…貴女の気持ちは嬉しいよ…でもそれは私の心臓がもたないから止めて欲しい。こんなにマメが出来る程、稽古なんかしないで欲しい…」
リーラの掌のマメに口付けを落とし、カイヤナイトは苦笑した。
「貴方の為に出来る事は無いのですか?」
「では、待っていて下さい。私を信じて…」
「…待つ?」
カイヤナイトは顔から笑みを消し、リーラを見つめた。
『嫌だ…何か嫌な予感がする…聞きたくない…』
耳を塞ぎたかったが、リーラはカイヤナイトに手首を掴まれていて、耳を塞ぐ事も出来ずに見つめ返す事しか出来なかった。
「…来年、貴女の誕生日に結婚をする約束でしたが…延期させて欲しいのです」
カイヤナイトの言葉を聞いたリーラの瞳から、滝のように涙が溢れた。
「お願いだ…泣かないで…」
「魔力の無い…私では…やはり…貴女の妻は務まりませんか?」
「リーラ、違うよ。良く聞いて。婚約は破棄しない。結婚の延期の話をしているんだよ」
「何故ですか?」
「危険だからだ」
「危険?」
「辺境領域は、今戦場だ。昼夜を問わず魔物が跋扈し、他国民同士の小競り合いが激化しつつある。確かにカオスは広がって来ている。大事な貴女を、そんな場所に来させるわけにはいかない」
「カイ様が辺境伯を拝命した時から、覚悟は出来ています」
「リーラ、聞き分けて欲しい」
「嫌です。これだけは譲れません」
リーラは泣きながらカイヤナイトを睨んだ。
「貴方にもしもの事があった時、私は離れたこの国で貴方の訃報を聞くのですか?私は王女です。妻の立場でいなければ、貴方が亡くなった後、貴方以外の殿方の元に嫁がなければならなくなります」
「リーラ…」
「妻だったら、貴方の後を追う事も許されます」
「…そんな事はさせない」
カイヤナイトは怒った顔でリーラを強く抱き締めた。
「…お願いします…貴方のお側に置いて下さい…後一年…大人しく待っていますから…」
「リーラ…」
二人は無言のまま暫く抱き合い、空に架かる虹を見上げていた。
この空間にはいつでも虹が空に架かっているのだ。
「本当に…不思議な場所…」
リーラはカイヤナイトの胸に耳を当てながら、ポツリと呟いた。
カイヤナイトは諦めたように小さく息を吐き、微笑みを顔に浮かべた。
「ここは…精霊界の一部なのかもしれませんね…」
「え?」
「時間の流れが違います。こんな景色は何処を探しても精霊界にしか無いはず」
「行った事があるのですか?」
「いいえ、魔法省の書庫に保管されている文献に載っていたのを読んだだけです」
「魔法省…?行った事があるのですか?」
魔法省は、この世界の魔法に関する全ての事を取り仕切っている中枢機関だった。
各国の選りすぐりの魔力保持者によって管理された場所で、魔法学院は魔法省が管理をしていた。
「ええ…学院の生徒は一度は必ず見学に行きますから」
「そうなんですね…」
自国の限られた場所しか行く事を許されていないリーラには、夢物語のような事だった。
「…情勢が落ち着いたら、貴女を色々な場所に案内しますよ」
「カイ様…」
「魔力が無い事をそんなに気に病まないで下さい…」
「それは…」
「魔法が使えなくても、貴女には不思議な力があるのですよ」
「私に?」
「この場所に辿りつけるのは、恐らく貴女だけなんです」
「え?」
「そもそもこの森は魔の森と言って、恐れられている事は貴女も知っているでしょう?」
「はい…でも、何も起きない、普通の森ですよ?」
「貴女にとってはそうなのでしょう。この空間に繋がる結界に気付く事が出来るのも貴女だけなんだと思います」
「結界?」
「蔦の絡まるアーチは、貴女にしか見えていないんです。だから、この場所に辿りつけるのは、リーラ、貴女だけだ」
「でも、カイ様だってここに」
「私は貴女といる時だけ、結界を見る事が出来る。そして、貴女がこの空間にいる時だけ、結界を通って入る事が出来るんです。昔、何度か一人でこの場所に行ってみようと試した事がありますが、一度も辿りつけなかった」
「そうだったんですか…?」
リーラは自分の掌を見つめながら、初めて聞いた事実に困惑した。
「それに、これ」
地面に置かれたリーラのマントの上に置いた幻の果実を手に取ったカイヤナイトは、苦笑を浮かべながらリーラを見つめた。
「これは幻の果実ですよね?以前貴女から頂いた事がある」
「はい…、あの、それはカイ様に贈ろうと思って、先ほど森に入った時、樹木にお願いして頂いたのです。貰って下さいますか?」
「…リーラ、貴女はこの果実の価値を分かっていますか?」
「価値?」
「加工すれば不老不死の秘薬になると言われている、幻の果実です。どれ程の高値で取引されているか知らないでしょう?」
「不老不死なんて…食べた事があるからご存知でしょう?そんな効果は無いって」
「ええ。美味しかったですよ。不老不死は夢物語ですが、加工すると治癒魔法を具現化出来る秘薬になるのです」
「えぇ?そうなんですか?あ、だったら、カイ様の傷に使えますね!」
「リーラ…」
無欲なリーラの美しい顔を、カイヤナイトは蕩けそうな微笑みを浮かべて見つめた。
「貴女は…何故そんなに綺麗でいられるんです?貴女は私には眩しすぎて…本当に、私のような者の妻に迎えて良いのか」
『私は…綺麗なんかじゃない…綺麗なのはカイ様の方だわ…』
リーラは緩く首を横に振ってカイヤナイトの頬に掌を当てた。
「…私はカイ様の妻になるために生まれてきたのです。今更、不要になったなんて言葉は受け付けませんから」
「リーラ…」
カイヤナイトは眉を寄せて苦し気に微笑んだ。
「…貴女には敵わないな…結婚の延期の話は私とゲルブ王との間でしていたのですが、ブラウには鼻で笑われたよ」
「お兄様に?」
「リーラは頑固だから、絶対に了承しないだろうって。下手したら家出して、私の元に押し掛けてくるから、予定通りに結婚はした方が良いと言ってたよ。確かに、そうなりそうだね…」
「お兄様ったら…」
父に似て端正で穏やかな兄の顔を思い浮かべて、リーラは嬉しそうに微笑んだ。
「貴女達兄妹は本当に仲が良いね…」
カイヤナイトは静かに微笑むと、リーラの濡れた夜着を見て困った表情になった。
「風邪を引いてしまうね…そろそろ戻ろうか」
「…嫌です」
「リーラ…」
「だって…戻ったら…また暫くカイ様とこうして触れ合えない」
リーラはカイヤナイトの鎖骨を指で撫でた。
「悪い子だね…いつの間に、そんな風に誘う事を覚えたの…?」
カイヤナイトは濡れて張り付いて形が露になったリーラの胸の先端を、優しく指で弾いた。
「ん…っ」
痛みに似た快感が生まれ、リーラは眉を寄せた。
胸をカイヤナイトの掌に包まれ、優しく揉まれながら首筋に口付けられて、リーラはうっとりと瞳を閉じた。
カイヤナイトの唇がリーラの首筋に強く吸い付いてきた事に気付き、リーラは慌ててカイヤナイトの唇を手で押さえた。
「そこは駄目です…隠せないから…」
カイヤナイトは片眉を上げながら、リーラの掌の上に口付けを落とした。
「…明日はどんなドレスを着るつもり?肌を露出するドレスは着ない約束でしょう?」
「…ごめんなさい…でも…ダリアが一生懸命考えて選んでくれたから…」
「ダリア…?あぁ…手紙で教えてくれたね…新しい世話係りだったよね?」
「はい。最近、少しだけ自信がついてきたみたいなんです。彼女の意見を聞いてあげたいの…だから…」
「使用人を育てるのは主人の勤めではあるけど、婚約者の意思を無視してまでする事では無いよ?」
カイヤナイトは優しく微笑みながら、リーラの首筋に強く吸い付いた。
「あ…っ…痛い…カイ様…強い…っ」
チクチクとした痛みを凌駕する直接的な快感の火花がリーラの全身に広がった。
胸の先端が触れられてもいないのに硬く尖り、濡れた夜着の上でもその形を主張して、リーラの新雪のような肌が薄桃色に染まった。
何度も首筋を吸われ、鎖骨を噛まれてリーラは快感に喘いだ。
「あん…んんっ…んっ…」
「困ったな…止められないよ…リーラ…」
「止めないで…」
リーラはカイヤナイトの胸の尖りに手を滑らせて、彼の首筋に口付けた。
「ふふ…っ」
リーラの柔らかな舌の感触に小さく笑ったカイヤナイトは、お返しとばかりに夜着の裾から手を忍ばせてリーラの細い脚を撫でた。
「はっ、あっ…」
脚を撫でられてゾワゾワとした甘い快感が走り、リーラは太ももを擦り合わせた。
『ああ…どうしよう…体の奥が熱い…』
「リーラ…触れて欲しいの…?」
カイヤナイトは甘く囁きながら、リーラの潤んだ瞳を覗き込んできた。
リーラは羞恥心を押さえて頷いた。ここで否定してしまえば、カイヤナイトはもう今日はリーラに触れてくれなくなると分かっているからだ。
カイヤナイトは、素直なリーラにご褒美の口付けを唇に落とした。いやらしく舌を伸ばしてリーラの唇を舐め、緩んだ隙間に舌を差し込み深くリーラの口腔内を舐めながら、リーラの太ももの際を掴んだ。
「んふっ…ん…んんっ」
ゾワゾワと快感が這い上がって、リーラは体を震わせた。
触れられてもいないリーラの秘密の花園は、既にぬるついた花の蜜で濡れていた。
『どうしましょう…恥ずかしい…でも…カイ様に可愛がって頂きたい…』
リーラはカイヤナイトの深い口付けに舌を絡ませて応えながら、おずおずと彼の熱くなっている中心に手を置いた。
「リーラ…っ」
「カイ様…」
快楽に潤んだ瞳でカイヤナイトを見つめるリーラは、中心に置いた手をゆっくりと円を描くように動かした。
「んっ…こら、本当に…いけない子だね…。どこで覚えたの」
「気持ちいいですか…?いつもは、カイ様にして頂くばかりでしたから…」
「そんな事をしたら、本当に途中で止められなくなってしまう」
「止めないで…私でカイ様も気持ち良くなって…」
「リーラ…」
カイヤナイトは苦笑を浮かべ、リーラの体をゆっくりと地面の上に横たわらせた。
「脚を開いて…」
「はい…」
閉じていた太ももをおずおずと開き、リーラは顔を掌で覆った。
『恥ずかしい…けれど…カイ様に触れて欲しい…』
「腰を浮かせて…」
カイヤナイトの言う通りに腰を上げると、濡れた下着を取り払われた。
「…リーラ…蜜でキラキラと光っているよ?」
カイヤナイトはリーラの太ももの間に自分の体を入れ、彼女の下半身を持ち上げて花園を露にした。
「言わないで…」
掌で顔を覆ったまま、首を横に振るリーラを、カイヤナイトは切な気な眼差しで見つめた。
まだ花園は固い蕾のままで、男どころか指でさえ受け入れた事は無かった。
カイヤナイトはただひたすら快感だけをリーラに与え続けてきたのだ。
蕾は固いままだが、花の芯芽は熟れて膨らんできているのを確認して、カイヤナイトはゆっくりとそこに口付けを落とした。
「ああ…っ」
ビクンと大きく体を震わせたリーラは、自分の指を噛みながら与えられる直接的な快感を堪えた。
何度も花の芯芽を強く吸われ、舌で押し潰されたかと思えば舌先で弾かれて痺れるような悦楽にリーラは声を上げた。
「あん、んんっ、やぁ…あっ…カイ様ぁ…んんっ…好きぃ…っ」
「リーラ…好きだ…もっと気持ち良くなって…」
「あ、あ、駄目、もう…っ!」
花の芽を舌で押し潰した後、ジュルジュルと音が立つ程強く吸われて、リーラは快感に果てた。
花の芽の刺激だけで達したリーラは、びくびくと体を震わせながら、蕾から蜜を吹き出させた。
『気持ちいい…ああ…カイ様…貴方が欲しいのに…』
カイヤナイトは体を震わせるリーラを抱き締め、苦し気に喘ぐ唇に唇を重ねた。
「ん…んんっ」
「リーラ…リーラ」
「カイ様ぁ」
「私が欲しい?」
「欲しい…欲しいです」
「…いけないお姫様だね…貴女は…」
カイヤナイトは自身の熱く猛った中心を取り出すと、リーラの脚を閉じて太ももの間に自身を差し入れた。
「あぁ…」
『カイ様の…熱い…』
「リーラ…愛してる」
カイヤナイトはリーラの両足を持ち、巧みに自身をリーラの花園に擦り付けながら腰を動かした。
「あ、ああ…っ、カイ様…カイ様…」
カイヤナイトが動く度に花の芯芽が刺激されて、リーラはまた甘く喘いだ。
「リーラ…っ、リーラ…くっ…っ」
カイヤナイトはリーラの体がずり上がる程強く腰を突き上げ、リーラの太ももを自身の精で濡らした。
「んんっ」
リーラもまた花園を擦られる刺激で果て、蜜を溢れさせた。
二人は荒い息をしながら強く抱き合い、互いの存在を確かめるようにまた唇を重ねた。
「…リーラ様、あの…それは…」
「ダリア、ごめんなさい。せっかく選んでくれたのに、今日はこのドレスは着られないわ」
リーラの首筋や胸元に散った紅い痕を、ダリアは赤面しながらもまじまじと見ていた。
結局、リーラが感じ過ぎて気を失うまで昨夜は秘密の場所でカイヤナイトと幾度も愛し合った。
気を失ったリーラをカイヤナイトは部屋まで運んで寝かせてくれていた。あの場所の時間の流れがどれくらい違うのか知る事は出来なかったが、リーラは一年ぶりにカイヤナイトの熱を感じる事が出来て幸せだった。
「あの、え?」
ダリアはまだリーラの体にある紅い痕に狼狽えていて、リーラは思わず笑ってしまった。
「なんて顔をしているの、ダリア。これをつけてくれたのはカイヤナイト様です。心配いりません」
「ですが、まだ結婚前です。リーラ様はまだ成人もされていませんのに…」
ダリアは性に保守的な、典型的なモーント王国の女だった。恐らくまだ体を委ねても良いと思える男に逢った事が無いのだろう。
早熟なリーラとは違うダリアに、リーラは優しく微笑んだ。
「愛しい方と愛し合うのに、子供も大人も関係ないわ」
「でも、リーラ様」
「大丈夫。まだ最後まではしてないから」
悪戯を成功させた子供のように笑うリーラの、意外な一面を見たダリアは、不思議と清々しい気持ちを抱いた。
結婚前に男性と抱き合うなんて事は、ダリアにとっては考えられない事だったが、リーラの堂々とした態度は見ていて気持ちが良かった。
王女であるリーラは、ダリアなどより沢山の制約がある中で生きている。
結婚相手でさえ自分で決める事が出来ない中、リーラは婚約者を愛し、色々な覚悟を持って行動している事が分かるからだ。
『私もリーラ様のように強くなりたい…この方は、私の最初で最後の主だわ』
ダリアは心の中で強く拳を握った。
「…では、ドレスを選び直さなければいけませんね」
「ごめんね。隠せる形の物はあるかしら」
「あ…これは如何ですか?」
「あら、これは良いわね。これにしましょう」
ハイネックで首筋も胸元も全て隠れるが、ノースリーブで体の線が分かる細身のマーメイドタイプのドレスを見つけた二人は、顔を見合わせて頷いた。
ダリアに手伝って貰いながら着たドレスはリーラに良く似合い、彼女の美しさと艶やかさを引き出してくれた。
艶やかな白銀の髪はアップにされ、サークレットを乗せ、リーラの瞳と同じ紫の大きなアメジストが耳を飾った。
「リーラ様…女神様みたいです」
ダリアの称賛にリーラは頬を染めた。
「ありがとう…」
不意に部屋の窓に黒い大きな影がもの凄い速さで横切り、振動で窓がガタガタと揺れた。
『何?!』
リーラは窓際に走り寄り、バルコニーに続く窓を開けた。
「…あれは!」
「ひっ!」
ダリアは腰を抜かして窓際に座り込み、リーラは蒼白な顔をして朝日に照らされ、空を優雅に飛ぶ黒い竜を見上げた。
飛翔する竜に取り付けられた所有国の紋章が描かれた鞍敷がはためく。
『太陽と剣…あの紋章はゾンネ王国の…』
リーラは嫌な予感を抱きながら、竜が着陸するであろう裏庭へと走り出した。
「…カイヤナイト様…」
裏庭にリーラが到着した時、既にカイヤナイトやゲルブ達が集まっていた。
漆黒の鱗が艶やかに輝く黒竜は、大人しく裏庭の芝の上で翼を折り畳んで休んでいた。
珍しく険しい表情をして、黒竜の前で佇む灰色の髪の青年と話をしていたカイヤナイトは、リーラの姿を確認すると目を見開いて動きを止めた。
「…何があったのですか…?」
黒いマントを纏ったカイヤナイトは、既に旅立つ用意を整えていた。
リーラは嫌な予感に奥歯を噛み締めた。
「リーラ…すまない」
カイヤナイトは青ざめた顔で立ち止まったリーラの元へと足を進め、リーラの華奢な手を取って口付けた。
「…これから直ぐにゾンネに戻らねばならなくなった」
「カイ様…」
『嫌だ…行かないで!』
リーラは心の中で叫んだ。
「…今貴女に詳細は説明出来ないが…ノードリスターが戦場になっている」
「何故…カイ様が行かなければならないのですか…」
アストリスターの辺境伯であるカイヤナイトが、兵士でも無いのに他の辺境領での戦に何故行かねばならないのか、リーラには理解出来なかった。
「それは、カイヤナイト様が有能だからです」
灰色の髪を掻き上げながら近付いて来た青年は、リーラに向けて満面の笑みを浮かべた。
「…リーラ、彼はヴァイス・ドンナー。私の乳兄弟だ。以前話した事があったよね?」
「あ、はい、あの…」
「貴女がリーラ姫ですね。成る程、女神の如き美しさですね。お逢いできて光栄です。本日はお誕生日と聞いておりますが、カイヤナイト様には早急に帰国し、ノードリスターの危機を防いで貰わなければならなくなりました」
カイヤナイトより拳一つ低いが、彼もまた長身で繊細な美貌の持ち主だった。
ヴァイスはリーラの前で膝を折り、深く頭を垂れた。
「落ち着いたらまた直ぐに逢いに行くから…リーラ…待っていて欲しい」
カイヤナイトはマントの中から小さな箱を取り出し、リーラの掌に握らせると人前で初めてリーラの唇に唇を重ねた。
「カイ様…」
「こんな形で帰る事を許して…14歳、おめでとう」
触れるだけの口付けは直ぐにほどけ、切なさを隠さずに微笑んだカイヤナイトは呆然とするリーラを一度強く抱き締めてから、振り切るように直ぐに踵を返した。
「陛下。恐らくモーント王国は近日中にヴァッサー王国からの襲撃を受けるはずです。早急に対策を」
「心得た。カイヤナイト、無事を祈る」
「カイ!油断するなよ」
ブラウの言葉に頷きながら、カイヤナイトは慣れた動作で黒竜の鞍に乗り、その横にヴァイスが並んだ。
「ヴァイス!カイを頼む!」
ブラウが親しげにヴァイスにも声を掛ける。
「ブラウも無事で!今度のチェスの勝負は私が勝つよ」
ヴァイスも親しげに返し、手綱を振って竜に合図を送った。
黒竜は閉じていた目蓋を開き、金色の瞳をリーラに向けた。
リーラはその瞳を見て我に返った。
「カイ様!待っていますから、どうかご無事で!」
黒竜の顔の前まで走り寄り、リーラは臆する事無く竜の鼻先を撫でて微笑んだ。
「カイ様達を無事に送り届けてね…お願いします」
竜は無言のままリーラを見つめ、ゆっくりと立ち上がった。
「リーラ!離れて!」
ブラウがリーラの肩を抱きながら黒竜の傍から引き離した。
周囲の人間が十分な距離を取った瞬間、竜は翼をはためかせ一気に上空に飛び立った。
名残を惜しむ事もしない竜は、稲妻のような速さでリーラ達の視界から消え去った。
「伝令係!至急国軍に配置に付くように伝えよ!」
ゲルブの鋭い声が周囲の空気を引き締めた。
「ブラウ!辺境領への伝令は?」
「カイの助言通り、昨夜のうちに済んでいます」
「カイヤナイトにまた助けられたな…。至急将軍達を集めよ!」
「畏まりました」
慌ただしく周囲が動く中、涙を流す暇さえ無く去って行ったカイヤナイトを想いながら、リーラは一人青く澄んだ空を見つめ続けた。
『カイ様…』
掌の箱をじっと見つめ、リーラはそっと蓋を開けた。
「…綺麗」
箱の中には指輪が入っていた。
青と紫の宝石が一粒ずつ嵌め込まれた金の指輪を指で摘まみ、自分の左手の薬指に嵌めた。
空にかざして見上げた指輪の青がカイヤナイトの瞳のようで、リーラは泣くのを堪えながら微笑みを作った。
「…リーラ様…!」
腰を抜かしていた筈のダリアが、息を乱してリーラの元に駆け寄ってきた。
「何が…あったのですか…?パーティーは…」
普段とは違う雰囲気の城内に違和感を抱いたダリアが、恐る恐るリーラに聞いてくる。
かざしていた手を下ろしたリーラは、肩越しにダリアを振り返って静かに告げた。
「パーティーは中止です。…戦が始まったのです」
先程までの頼りない表情は影を潜め、リーラは聡明な王女に戻って世話係に指示を出す。
「服を改めた後は、私の領地、ルーナに向かいます。戦が長引いた時の為の準備をしなくては」
「あ、は、はい!只今!」
哀しみを胸に押し込めて、リーラは動き出す。昔、魔力の無い自分を嘆いて泣いていた自分にカイヤナイトがくれた言葉は今もリーラの胸に刻まれている。出来ない事を嘆くより、自分が今出来る事を精一杯やるしかないのだ。
きっとカイヤナイトもそうやって、昔も今も自身を鼓舞して困難に立ち向かっているのだ。
『私は、あの御方の妻になるのです。カイ様に恥ずかしい姿は見せられないわ』
リーラは真っ直ぐに前を見て、確かな足取りで歩き始めた。
◆◆◆
混沌は永きに渡る争いで流れた血の怨念と憎悪によって闇よりも濃い暗黒となり、カオスが生まれ、人は自分達の過ちに気付いた。
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◆◆◆
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