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プロローグ

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リリアには6歳までの記憶がない。
自分の名前がリリア・ハルベルトで
ロイス・ハルベルト公爵家の娘で
両親からとても大切にされていたことは覚えている。
それまでの教養や公爵家の令嬢としての
立ち居振る舞いも身に覚えていた。
そして、
この国の王太子殿下。
アベル・サライラの婚約者であるということだけはしっかりと記憶にある。

ただ、なぜ6歳ながらにして
すでに殿下の婚約者になっていたのか。
いつ殿下と知り合いになったのか。
殿下とはどれくらいの仲だったのか。

 リリアは殿下のことに対して記憶がなかった。
そして、6歳までの間
自分はどのように育ったのかも
覚えていない。


ある事故から目が覚めたとき
はじめは自分の名前すら思い出せずにいた。
徐々に体が回復して行く頃には
少しずつ記憶が戻ってきたが
それは2年もの月日を要した。

その間は自分が何者かわからず
ただ周りの人達の言葉を信じて、
日々を過ごした。
両親だと名乗る2人から婚約者がいて
それはこの国の王太子殿下で
リリアはこの国の正妃になるのだと。

目の前にいる2人が本当に自分の両親だということすらまだ思い出せずに
いた頃にそう告げられても
ピンとくるわけがなかった。

言われるまま教育が再開されると
体や頭が覚えているのか
だされた課題はスラスラと解けた。
それを両親と名乗る2人は諸手を挙げて
喜び次から次へとリリアに
教育を受けさせた。
リリア自身も少しずつ知識や教養が増えていくことに喜びを感じ
ますます勉強の虜になった。

2年かけて思い出した記憶は
自分の名前と出自と両親からの愛情。
そして殿下の婚約者。
これだけだったがリリアは
知識を増やすことに夢中になり
記憶を思い出すことをやめた。

記憶の一部分に霞がかかったように
何かが思い出せずにいて
そのことを思い出そうとするたびに
頭がずきりと痛くなる。
そんな事で頭が痛くなるのなら
解けない問題で頭が痛くなるほうが
ずっといい。
そう思うようになってからは
尚更思い出そうとはしなくなった。

婚約者である殿下には
その2年間は会わなかった。
ひどい傷で3ヶ月は寝たきりでいたし
そのあとは勉強に夢中になり
自分が殿下の婚約者であることを
忘れていたのだ。
殿下も2年間のうちに
一度も会いにくることはなかった。

2年が過ぎ父に王立図書館に
連れて行ってもらった時
たまたま殿下にあったのだ。

それまでどうして婚約者だったことを
忘れていたのか。
殿下の姿を見た瞬間、
心に何か響くものを感じ
自分は彼の婚約者で
彼が好きなのだと思い出した。

それは両親から聞いたものを
思い出したのではなく
間違いなく6歳までの記憶の中にある
一つのことだった。

リリアは脇目も振らずに
アベルの元に近づいていった。
だが、淑女とはどういうものか
すでに熟知していたリリアは
静かに彼に近づき
恭しくお辞儀をして声をかけた。

[アベル様。お久しぶりです。リリアです。]

図書館の横にある大きな木の下で
本を片手に読む少年はとても
美しくまるで天使のようだった。

アベルはリリアを視界に入れるなり
目を見開いたあと、
数秒後には涙をためて
辿々しくリリアを抱きしめながら
[ごめん!ごめんね!リリア!ごめん]
と泣きながら謝った。

リリアはなぜ彼が泣きながら
謝罪をしているのかわからずにいたが
今抱きしめられていることは
まだ結婚もしていない男女が
することではないと思い
アベルの肩を押して離れた。

押されたアベルの顔は
ひどく傷ついたように見えた。

[未婚の男女が仮に婚約者であっても抱擁するのはいけないと思います。]

[え?リリア?]

[それにあなたはこの国の王太子様なんですよ。そんなあなたが軽々しく謝るものではないですわ。]

その言葉を聞いたアベルは
一瞬目を見開き声音を震えさせながら
問い返した。

[軽々しく?僕が君にひどい傷を負わせたのに?]

子供の声であるはずの
アベルの声は大人のように少し低めになった。

リリアは少し考えたが
ひどい傷とは2年前のことを言っているのだと思い
あの傷はアベルと関係しているのかと知る。

[傷?ああ。大丈夫ですわ。この通り生きていますので御心配無用ですわ。なのでアベル様は謝らなくて大丈夫です。]

淑女らしく少し口角を上げて
にこりと笑う。

たしかにひどい傷だったと思う。
3ヶ月も静療したのだから。
だけどその時なぜ怪我をしたのか。
リリアは思い出していない。
そのひどい傷も頭だったために
髪の毛で隠れているため
一見傷があるようには見えない。
なにより今は非常に元気である。

だからそんなことでこの国の将来を担う
王太子が簡単に頭を下げることの方が
リリアにはあり得なかった。

[あなたは王太子なのですよ?もう少し王太子らしくされた方がいいと思いますわ。]

リリアはアベルが将来素敵な国王になれるようにリリアなりに優しく窘めるつもりで言ったのだ。

しかしその言葉を聞いた瞬間に
アベルは下を向いて少し震えだす。
リリアはその姿をみて
言い過ぎたかと後悔して
アベルの名を呼ぼうとした。

[アベ[君も結局会わない間に他の連中と同じ考えになったんだね。]

下を向きながらさらに低い声で小さく呟く。

[・・・リリアだけは信じていたのに。]

[え?]

その声があまりにも小さく
リリアは聞き取れずに聞き返したが

[リリアなんて嫌いだ!]

次の瞬間アベルはそう叫んで
城内に走り去っていった。

リリアはひとりその場に残され
アベルが叫んだ言葉を頭の中で
反芻させていた。

(嫌い?アベル様は私を嫌い?)
(じゃあなぜ私たちは婚約しているの?)

ズキリと頭が痛みだす。
2年前の記憶を呼び起こそうと
した瞬間にズキズキと抉るような
痛みが増していき
リリアはその場に頭を抱えるようにして
意識を手放した。


そしてその後9年間
アベルから嫌われ続け、避けられ
一度も婚約者として接してもらえることはなかった。
それはリリアにとってはじめての失恋であった。
だけど9年間婚約破棄を言い渡されることはなかったが
殊更に勉強にのめり込んでいった。
将来、王妃としての知識が欲しいのでもなく
アベルを支えるためでもなく。
ただただ自分のしたい事は勉強なのだと
どこかで言い聞かせるように
がむしゃらに勉学に励んだ。












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