上 下
117 / 199

117.豹変①

しおりを挟む
管理部に異動して一ヶ月少し経つ。私は課長代理の補佐とここでの事務仕事になかなか慣れず、苦戦中だった。そのうえ、課長代理の講座アシスタントを今は任されている為、ますます隣のデスクの山本さんを頼りにせざるおえない。

そんな今日も居残りみたいな残業中。たまたま同じように残業中の山本さんが席を外しており、戻ってくるのを今か今かと待ちわびている状況で、山本さんの姿が目の端にとまるなりこちらからデスクから身を乗り出すように声をかけた。

「お忙しい中すみません、ちょっとこの意味が...」

「どれ...?」

私がいつものように質問を投げかけると営業部から戻ってきた彼は、自席のデスクに座る事なく、私の背後にまわりパソコン画面を覗き込んでくる。自分の仕事も後回しにして、いつもすぐに教えてくれようとする山本さんは優しい人ったけれど、今日は少し...勝手が違った。

「あー、ここはこうするんだよ」

パソコン画面を直接指差しつつ、かなりの至近距離で背後から。画面に夢中になっているせいかグッと顔を近づけてくる。それも耳許のすぐ近く。その位置のままで話すものだから、息遣いまで聞こえてきそうだ。

...わ、こんな近く...?良いのかな?

私は藤澤さん以外こんな風に至近距離に来られた経験はないに等しく、わざわざ丁寧に教えてくれる彼を意識をしては申し訳ない。けれども、私は男性慣れしていない分、画面どころではなくななってしまう。その動揺を見透かされたのか不意に質問された。

「わかった?」

「...あ、は、はい...」

「...んー、その返事だと分かってないみたいだね」

そのあやふやな返答に山本さんは眉を顰め、今度はマウスを持つ私の手の上から自分の手を重ねてくる。そして、自分の意のままに私のマウスを操作し始めた。

え、ちょっと、これは...。

親切に教えてくれようとしているのは分かっているけれど、ここまでとされてしまうと鈍感な私にも、ほんの小さな疑問が生まれる。ただ、それはほんのひと時思っただけのことで、たまたま教えるのに夢中になってこうなったと思った。彼は親切に教えてくれているだけで他に意味はないと自分の中で言い聞かせ、ありがとうございましたと御礼を言った。

それからというもの数回に一度、同じような状況下に置かれてしまう。しかも人気のない時に限って、それにはずっとなかなか仕事を覚えない自分が悪いと思っていた。

そうこうしている慌ただしさの中で、私はようやくほぼ一人前の仕事をこなせるようになり、管理部の人たちとは適度に距離を保つ術を身につけてゆく。だから、山本さんとも変に臆する事なく、当たり障りのない会話をする事も日常茶飯事。そのせいか以前のような過度の接触はされなくなり、仕事も順風満帆のように思えた。

※※※

「...三浦さん。悪いけどこれを資料室に片付けてきてもらえますか?」

そう言われ課長代理から手渡されたのは、今日の講座で使用していた教材本、数冊。今日は山本さんが所用があったので、その代わりに課長代理が片付けを手伝ってくれていた。

「はい、分かりました」

受け取りながら足早に資料室に向かおうとすると、申し訳なさそうな顔をしていた真央ちゃんに呼び止められる。

「ごめん。今日は松田さんと帰りに本屋さんに行く用事があって...」

彼女には講座の日に待っててもらい、その後いつも一緒に帰っていた。それは片付け時に山本さんと2人きりになりたくない私がお願いしていた事だった。けれど、彼女にだって都合というものがあるし、幸い、今日は山本さんと一緒ではない。それならばと。

「分かった。いつもごめんね。気をつけて」

「うん、じゃあね~」

私はいそいそと帰り支度を済ませた彼女を笑顔で見送り、気を取り直し、預かっていた本を抱えながら資料室へと急ぐ。そして、小走りに通り過ぎてゆく窓から、外のオレンジの風景が目に飛び込んできた。

...陽が延びたなぁ。

初夏の夕暮れを見ながらふと立ち止まる。以前、こんな時間を藤澤さんと共有した事を思い出して少しメランコリーな気持ちなりつつも、腕時計の時間を見て我に返った。

...やだ!もう、こんな時間!?

黄昏ている場合じゃないと資料室へ猛ダッシュをしてみたものの、あの場所は人気が殆どないので少し苦手だ。
しおりを挟む
感想 60

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

恋煩いの幸せレシピ ~社長と秘密の恋始めます~

神原オホカミ【書籍発売中】
恋愛
会社に内緒でダブルワークをしている芽生は、アルバイト先の居酒屋で自身が勤める会社の社長に遭遇。 一般社員の顔なんて覚えていないはずと思っていたのが間違いで、気が付けば、クビの代わりに週末に家政婦の仕事をすることに!? 美味しいご飯と家族と仕事と夢。 能天気色気無し女子が、横暴な俺様社長と繰り広げる、お料理恋愛ラブコメ。 ※注意※ 2020年執筆作品 ◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。 ◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。 ◆大変申し訳ありませんが不定期更新です。また、予告なく非公開にすることがあります。 ◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。 ◆カクヨムさん/エブリスタさん/なろうさんでも掲載してます。

腹黒上司が実は激甘だった件について。

あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。 彼はヤバいです。 サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。 まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。 本当に厳しいんだから。 ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。 マジで? 意味不明なんだけど。 めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。 素直に甘えたいとさえ思った。 だけど、私はその想いに応えられないよ。 どうしたらいいかわからない…。 ********** この作品は、他のサイトにも掲載しています。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

処理中です...