社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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103.迂闊という名の油断。⑤藤澤視点

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自分にそんな心当たりは全くなく、岡田さんが何か言ってくれるまで、ひたすら、無言でビールを飲んだ。チビチビと時間稼ぎしながら、一杯飲み終えたところで、彼の重く閉ざされた口はようやく開いた。

「...藤澤君。君さ、周りが見えていないし、自分の事も良くわかっていないよね?まあ、若いからそれも仕方がない事なんだろうけど」

「は?」

それは全く予想だにしなかった答えだった。確かに俺の考えは浅いかもしれない。だからこそ、彼に相談したつもりだった。だが、岡田さんは真意を分かってくれず、それどころか真っ向から否定され、釈然としなかった。

彼はベビーフェイスな顔に似合わずベビースモーカーで、今まで吸う事をしなかったのだが、話を一通り聞き終わり、ようやくタバコに火を。その指先に挟まれているタバコの煙がゆらゆらと揺らぎ、視界に入ってくる。その煙は決して煙たいわけではなかったが、俺の感情を逆撫でする事に役立つ。彼はタバコを最後まで吸い切らずに灰皿にねじ込み消した。俺はその仕草を黙って見守ると、彼は手を組み、眉間に皺を寄せる。その威圧感に思わず息を呑んだ。

「ここまで聞いてからで悪いけど。君の考えをそのまま実行したら、遅かれ早かれ家庭生活は必ず破綻するよ。君は今の俺みたいになりたいか?」

彼は左手を、しかもわざと薬指を見せるために指先を揃えてこちらに見せつける。そこには職場では既婚者を装い、ブラフだという結婚指輪が光っていた。俺はその指輪を見ても、先ほどの彼の意見に納得はできない。手元にあるグラスを睨みつけるように見つめ、反論せず黙り込むと、彼は深いため息をつき、先ほどのキツイ口調を改めた。

「意外と頑固だな。それなら...今の君に聞いてほしい、くだらない話がある」

彼は空になったグラスに自分でビールを注ぎながら、先ほどとは違う穏やかな口調で話し始めた。注がれたビールに岡田さんは口をつけず、俺のグラスにも注いでくれる。喉が渇いていたというのにどうしてだか、すぐに飲む気にはなれなかった。

「あるカップルの話なんだけど」

彼はそのまっすぐな眼差しでこちらを見る。

「男の歳は今の君と同じくらい。違うのは、女性の歳と語学力の差...男は30目前で海外赴任が決まり、長い春だった女性とはそれを機に結婚。彼女は当たり前のように彼について行った。それは2人にとって、なんら疑問の余地のないことだった。その後、2人はどうなったと思う?」

「どうって...今も一緒にいるんじゃ?」

お互いに納得しているなら疑う余地もない。突然質問され戸惑いながらもごく自然な事を答える。

「うん、普通はそう思う。海外で生活するにはなんら問題のない2人だったんだから」

「今は...?」

俺が自分の意見を否定する言葉を投げかけようとする前に、目の前の彼は大きく顔を横に振った。

「3年もたずにあっさり離婚。しかも、女性の不貞が原因」

「まさか...」

そんな嘘みたいな極論あるかと言いたいのを飲み込む。彼の顔は冗談や嘘を言っているように思えないほど真剣だったからだ。

「本当、彼は藤澤君とよく似ているよ。仕事人間のところも。だからこそ、俺は君のその発想を理解している反面、無謀だとも思える」

...無謀?

まだ、実行していない計画の青写真を聞いただけでそこまで言い切れるのには、根拠があるのだろうがそれを聞く勇気はなく。彼はこちらのの心中を察したのだろうか、淡々と話を続けた。

「このカップルのケースは、別に女性だけが責められたものじゃない。元はと言えば男の方が悪い。仕事人間の男は、家庭を省みず仕事をした。それが家族の為だと思って。だから、奥さんも同じ気持ちだと過信したんだ」

「過信...ですか?」

「そう、今の君みたいに独りよがりな過信だ。彼の妻は一人ぼっちで寂しかったんだと思うよ。でも、夫は家族の為に頑張ってくれているという板挟み。だから、その寂しさの捌け口を外に求めてしまった。でも、君の彼女はどうだろう?言葉も覚束ない...もっとひどいケースになるのが分からない?」

理路整然と繰り返される正論。ここまで反論できる余地は皆無。俺は膝の上で拳を握り、黙って彼の言うことを聞くしか出来なかった。ただ、不思議なことに頭ごなしに言われても、悔しいとか怒りとかいう感情はわかなかった。それは、彼の言葉に同調した部分もあったからかもしれない。

「今日の君は俺にも 相談しているみたいだけど、聡明な君の事だ。答えは最初からきっと出ている」

今、俺がしている事は相談ではないとはっきり否定された。その言葉に頷く事は出来なかったが、心の何処かでそんな気もしていた。岡田さんは俺のそういう部分も見透かしたうえで、相談にのるふりをしてくれていたのだろう。

「...そんなつもりでは」

ないという言葉が喉を通らず、言葉にならなかった。

以前感じた事のある想いが胸の奥で蘇ったからだ。
それは自分が大学院の時に、籍を置き続ける事を諦めた時に湧き上がった苦い想い。ずっと忘れていたその想いに向き合うために、俺は気の抜けたビールを喉に流しこんだ。それでも苦い想いはなかなか消えない。それどころか、ますます嫌な感情となり俺の胸中を支配してゆくのである。
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