社内恋愛はじめました。

柊 いつき

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83.I cherish you.⑧

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バレンタインが明けての月曜日。その日はいつもより早く目が覚めた。
起き上がって、ペタンと座ったまま感じるのはお腹の中の異物感。それは藤澤さんに愛された名残だと自覚はしている。 

「まだ、中に入っているみたい...」

口に出すと、ふっと頭をよぎってしまう彼の低い声、抱きしめられた逞ましい身体、触れ合った肌の温かさ、それから...。
これから、会社に出社するというのに生々しい事を思い出してしまうなんてどういう顔をしていけばと思う。

...私って、エッチなのかな?

ただ、甘い記憶と共にベッドから起き上がる時に辛かった昨日の朝の記憶が蘇り、自分の下腹部を抑えるように撫でる。昨日ほどではないけれどまだ少し痛みはあった。

昨日の朝は隣で寝ていた藤澤さんよりも早く目が覚め、起き上がろうとしたらズキンと下腹部の痛みに襲われた。トイレでも同じような痛みと初めての印を目の当たりにして驚いた。
その動揺で「もう、できません!」と彼に宣言しまうという有り様。藤澤さんはそれにはがっくり肩を落としていた。

まあ、絶対できないというわけではないけど当分はいいやと思う。
日頃の運動不足がたたり、身体中あちこちが痛くて特に下半身が辛かったから。
それにひきかえ、藤澤さんは全然辛そうになく元気そうだった。 

私はあれから家に帰って、昼も夜もなく、疲れ切って寝てしまっていたというのに、彼は体力があるんだなとか余計な事を考えていたら、いつもの出社時間。

私は朝食を食べるのもソコソコに急いで会社へと出社する。

※※※

駅まで歩く道のりがいつもより長く感じたけれど、どうにか出社時刻に間に合った。

「おはようございます」

いつもより足の関節に違和感を感じてやっとの思いでデスクの椅子に座る。
今日は外回りがないといいけどと大きくため息をついていたら、不意に肩をトントンと美波ちゃんに叩かれた。

「優里、おはよう」

「あ、おはよう」

それから美波ちゃんはいつもみたいに自分のデスクに戻ることなく、こそっと小声で私に耳打ち。

「ねぇ、ちょっといい?」

「う、うん?」

腕を引っ張られて、よく分からないうちに近くのトイレへと連れ込まれた。
朝早くだったから、誰もいないトイレで美波ちゃんがちょうど良かったと何故か胸を撫で下ろしていた。

「どうしたの?」

「...実は。すごく言い辛いんだけど、そのヘアスタイルは、今日はやめた方が...」

いつもははっきりサバサバ系の美波ちゃんが珍しく口籠る。今日の私のヘアスタイルは急いでいたので、髪を片側に寄せ1つに結んでいた。時間がないとたまにする時短重視のヘアスタイルで、いつもオシャレなミナミちゃんに言われると気にはなる。

そんなに変かなぁと鏡で確認すると、美波ちゃんが後ろから私の髪を寄せていない側の首筋のラインを指差した。

「ここ、ついているから」

「何が?」

「...優里から見えないかもしれないけど、多分、それ...キスマーク」

「えぇっ!?」

私はあられもない声を上げ、咄嗟にその辺りを手で触ってしまう。美波ちゃんはシーっと人差し指を口元にあて私を窘める。

「静かに!やっぱり気がついていなかったんだ。気がついていたらそんなヘアスタイルしてこないわよね」

彼女にはふうっと顔を横に振りながら呆れられてしまう。

...はい、ごもっともです。

そのキスマークに心当たりがありありな私は、自分の迂闊さを呪い、黙ってしまうと、美波ちゃんは自分のことのように心配してくれた。

「優里、この間まで彼氏いなかったよね?それなのにいきなりこんな...。もしかして、行きずりの?」

「い、いや、違っ...」

そんな事していないってうまく最後まで言えなくて、私は首を振るだけ。態度の煮え切らない私に美波ちゃんは呆れた口調で息を吐いた。

「分かったよ。優里が言いたくないなら言えるようになるまで聞かないから」

「...ごめん」

私が謝ると美波ちゃんは困ったように眉を下げ、私の髪を寄せているシュシュをスルリと髪から抜く。

「とりあえず、当分はこのヘアスタイルはなしね。それと歩き方には気をつけて。その...初めてした後はぎこちなくなくなるから。後、今日は荷物持ちとかあったら私がフォローするからね」

私は彼女のアドバイスに頷くしかなくトイレでの密談は終了。

...それにしても、いつの間に藤澤さんはあんな所にキスマークつけたんだろう?

私には優しくされた記憶しか思い出せなかった。
それから、その日は彼女が言ってくれたとおりすごくフォローしてくれて、いつもは避けて通る研究所も今日は一緒についてきてくれて、私には紙袋の軽い方を持たせてくれた。

「優里、その荷物、重くない?大丈夫?」

「うん...朝より平気だから大丈夫」

そんなやり取りを繰り返し、研究所へ向かう廊下を歩いていると行く先で何かに気がついた美波ちゃんがチッと舌打ちした。

「...あんな所にいるなんて、今日は厄日だわ」

そう忌々しく見る先には、窓の外を見ながら物思いに耽っている藤澤さんの姿が。彼女の研究所嫌いの原因は彼だって知っているから焦ってしまう。

「うん、美波ちゃん、ここでいいよ。後は私が全部持っていく」

「ダメだよ。今日の優里は身体が辛いんだから」

そんな風にこそこそ話をしながら通り過ぎようとすると、当の本人藤澤さんに気がつかれた。

「こんにちは」

にこやかに挨拶をしてくれる彼と違い、美波ちゃんは憮然とする。

「...どうも」

このフォローしづらい雰囲気の中、私も「こ、こんにちは...」と返した。その空気が気まずくてその場を通り過ぎようとした私たちに、どういうわけだか彼が声をかけてくる。普段、藤澤さんは私1人の時ぐらいにしか自分から声をかけてこないので意外だった。

「その荷物、うちのでしょう?自分が全て持って行きますよ」

美波ちゃんはその言葉に通り過ぎようとする足を止め、警戒心を解かないままに尋ねる。

「いいんですか?」

それでも燻しがる彼女に、それはそれは爽やかな笑顔を向けた。

「もちろんですよ。素敵な女性にそんな大荷物は似合いませんから」

その一言で美波ちゃんはノックダウン、勝負あり。
私たちの荷物は速やかに彼の元へと移動した。

藤澤さんにさっさと荷物を受け渡し、営業部へ戻る美波ちゃんの足取りは軽やかだ。なんかいつになくはしゃぎながら「鈴木先輩の気持ちが少し分かる」と呟いた。うん、確かにと私も心の中で大きく頷きながらも。

...藤澤さん、ちょっとやり過ぎ。

彼女としては複雑...な気分で自分のデスクに座って。それでも、私の身体を心配しての2人の優しさは感じていた。
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