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153.誰が為に鐘は鳴る⑨

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...ふ、藤澤さん!?

いるはずのない彼の姿を見た瞬間、頭が真っ白。動揺してしまった私はいつの間にか間合いを詰められ、壁際に追い詰められた為に退路を断たれてしまう。

「...どう...し...て?」

さっきとは違う距離に戸惑い、こんな些細な言葉を伝えるのにさえ微かに声が震える。そんな私に対し藤澤さんは微塵も動揺した素振りは見せず、寧ろこの場にいるのが当たり前に見えた。

「先ほど伝えましたよ、貴女と話がしたいと」

...そんな事言われたって返事出来るわけ...ない。

先ほどの会話が思い返され心の中で反論したけれど、迷いのない切れ長の黒い瞳は私の心を射るように見据えている。その真っ直ぐな眼差しが返事をスルーした私には気まずく、目をそらすように俯いてしまうと。

「優里」

再び名前を呼ばれ、思わず顔を。気がつくと私は藤澤さんの腕の中に閉じ込められてしまっていた。

「...っ」

抱きしめられていると分かっても抵抗はできず、それでも尚力強く抱きしめてくる彼から以前と同じ香りが漂ってくる事に心がホッとしている。でも、以前のように背中に腕を回して抱き合うような真似もできない。だから私の腕は垂れ下がったまま。

『何でこんな事するんですか?』と毅然とした態度を示せばきっと彼は私を自分の腕の中から解放してくれるだろう。その事を分かっていながら私は心の中だけでそのフレーズを繰り返している。それが長いような短いような沈黙を生み、その均衡沈黙を破ったのは藤澤さんの短く吐いた息だった。

「は...」

ため息と似た息を小さく吐くと彼は私を抱きしめていた腕の力を抜き、私の右肩にトンと顔を乗せてくる。身体の締め付けがなくなった今、逃げようと思えば逃げられた...。それなのに私は立ち竦んだまま動けなかった。そんな中、藤澤さんは私の顔を見ることなく口を開く。

「こんな時間に非常識だと分かってる。けれど君と話したくてここまで来た」

先ほどの他人行儀な話し方をする目の前の男の人が一気に私の知っている藤澤さんになる。でも、わざわざこんな事をしてまで私に会いに来る理由わけが想像できなかった。

「...私にはお話しすることはありません」

最初からそのつもりで名刺をもらっても連絡しなかった。捨てて彼の存在を忘れようとしていた。そうしないと私はずっと前に進めない。目を瞑ると、今までの彼との思い出が走馬灯のように蘇って来たけれど忘れなくてはいけない。

彼はもう話しても、会ってもいけない人だから。

そんな拒絶の意味を込め、自分からは微動だにしなかった。抜け殻のような身体を抱いていたら勘のいい藤澤さんは私の気持ちにきっと気がつくと思っていた。けれども、どういうわけかいつまで経っても彼の身体から離れられない。それどころか、苗字でなくまた名前を呼ばれる。

「...優里」

その声はいつもの彼とは違う自信なさ気な声。反面、私を抱きしめている腕の力が再び強くなり、私を離すまいとしているようにも思えた。2人の距離がなくなり、先ほどまで冷静だった私の心臓が高鳴り始めると流石に慌てる。

...なんで、こんな...こと?

頭の中で今起きている状況の意味を考えても考えがまとまらない。私を逃すまいとする彼の行動の真意を思うと、恋人だった時と同じような気持ちを持ちそうになるのが怖くなる。だから、この状況を何とかしようと距離をとるために身動ぎし出すと彼の方は私を見ることはせず、ようやく言葉を発した。

「...ずっと独りにしてごめん。勝手だと思うけど...俺は、君に逢いたかった」



『逢いたかった』


聞いた時、本当に勝手だと思った。でも、その一言だけで彼の苦しかった本心が伝わり、頑なだったものが溶け始める。

「ふじ...さ...わさん...」

昔みたいに彼の名前を呼んでしまうと、ダメだった。忘れようとしていた幸せだった記憶が蘇り、恋心が復活してしまうのは時間の問題だった。気がつくと今度は私の方からしがみついて、離れまいと彼の胸の中に顔を埋めていた。本当は彼の腕の中に飛び込みたかったのだ。

「私だって...ずっと、ずっと...っ」

涙目になりながら顔を上げ、拙く自分の想いを伝えると瞬きとともに涙が頬を伝わる。止めどもなく涙が流れしゃく上げてしまうと言葉が出なかった。そんな私を藤澤さんはすまなそうに見つめてくれる。

「ごめん...本当に」

涙を拭おうと私に触れる彼の指先は少し冷たくて以前のまま。私に向けられるその真剣な眼差しも以前のままで、見つめられた私は落ち着きがなくなり、瞬きの回数が増える。ようやく涙の止まった私を見ると、彼は眼を細めて小さく笑う。

「そういう所全然変わらないな、優里は」

名前を呼ばれるたびに胸の高鳴りが抑えられないのが自分でも分かる。その蠱惑的な眼差しを受け見つめ返すと、彼も私から眼をそらさない。その行為は、お互いの本心を探り合っているかのように思えたけれども、藤澤さんははっきりと言葉にしてくれた。

「好きだよ...忘れるわけがない」

初めて唇を重ねあった時のように伝えてくれた言葉は平静を装うとしていた気持ちを掻き乱すには充分で、私はただただ素直に頷いていた。その行為は気持ちを伝えたのも同然。暗黙の了解の上で彼の左手は優しく私の頬をなで始め、私はくすぐったくて猫のように戯れていたらお互いの吐息が感じられる距離まで近づいていた。

もう余計な言葉は要らなくて。

ゆっくりと近づいてくる彼のポロシャツの胸のあたり手を添えると今日初めて藤澤さんに触れたと思う。唇に感じた彼の唇は微かに冷たくて、彼と心が通じた喜びが胸の中いっぱいに溢れてくる。



今日逢えたのは、夢じゃない。
ずっと、逢いたくて逢いたくて...だから、彼の腕の中で密かに願ってしまった。


神様、藤澤さんを私の元に返して下さいと、それは一瞬だけ。
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